Mさんが、またまた情報をくれました。お正月に放送された、松たか子さんが「村上春樹を読む」朗読についての興味深いコラムです。
http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/EN/calture/538011.html
私は「かえるくん、東京を救う」「七番目の男」「蜂蜜パイ」の3作品のうち、
前の2つはちゃんと聴いたけど、「蜂蜜パイ」はボケボケ聞いちゃったのですよね。
なんせ、日中はラジオの朗読なんて落ち着いて聞けないから、夜に放送された分を寝床で聴いてたのです。
イヤホンしながら、そんなんなんで、まあ、わりかし、眠りに落ちてたかな。
癒やしボイスなんだもの。でも、前者二つは聴いたし、意外とおもしろかった。お正月っぽくはなかったけど。
で、Mさんがおっしゃってるように、このコラムの執筆者:共同通信編集委員・小山鉄郎氏、
「松たか子さんの朗読の素晴らしさ」を語ってくださっています。
でも、その前に村上春樹さんは朗読で物語を聴くことをこう語ってらっしゃるそうです。
「活字ではなく朗読で聴いているとなぜか、話の流れをあるがまま、鷹揚に受け入れることができる。たぶんその癖のある文体が、活字を目で追うときほど直截な力を持って迫ってこないからだろう」
よく、松さんのことを「棒読み」って評する人がいるけど、
一聴、フラットでありながら、その実、登場人物の存在の確かさが半端じゃない、そこを捉えそこねてるよなあ、っていつも思うのです。
セリフってわかりやすい感情を込めてしゃべる必要なんてないんですよね。
それをした時点で、ものすごく浅薄で一面的なものになってしまう。
人間はもっと複雑だし、自分で自分がわかってなかったりする。
受け取り手も多様だし、同じ人物の同じ行動を見ていても、違う解釈をしている。
小山さんは、村上さんの思考法を「村上春樹のブーメラン的思考」と言われてるのですが、
「つまり、問題を相手に対する問題として捉えるだけでなく、その問題を自分の問題として捉え直して、常に二重に考えを進めていく、という思考法です。相手に向かって投げた問題がぐるっと回って、最後に自分の問題として問われる。」
この文章を読んで、ブレヒトの異化効果の感情移入させすぎない感じに似てるなと思いました。
このコラム本文は、そういったことを言いたいわけではないんですけどね。
この記事には、松さん自身がこの朗読について語った言葉が記されてました。
「距離感があまり遠くになりすぎないように、上から目線になるわけでもないし、へりくだるわけでもなく、すごく力の抜けた視線で読めたらと思いました。うねりというのか、お話がたんたんとして進んでいるようで、いきなり展開したりするようなところが、今回の3作には、皆あるので、話のうねりみたいなものは意識しながら、読めたらいいなと思っています」
彼女の凄いところって、俯瞰してる自分がいるところなんじゃないのかな。と、そんなことも思いました。
松さんの言葉は、もうひとつ載ってたので、気になる方は、小山さんの記事をちゃんと読んでね。