8 

May 24 [Wed], 2006, 11:06
私の叔父(母の弟)は歯医者です。
地方の私大の歯学部を卒業して歯医者になりました。

私大の歯学部というのは卒業するまでにたくさんのお金がかかります。
恥ずかしい話、叔父はまじめで勤勉でありながら大学を卒業するのに7年・・・、資格を取得するのに数回落ちました。
卒業するまでの7年間、授業料・下宿代・・・・裏金。
どこから捻出されていたのか。
それは、母が朝から晩まで働いていた結果でした。

当時バブルという時代もあり、祖父母は働かずしてお店から月200万以上の収入を得ていました。
しかし、朝から晩まで働いていた母はたった月8万。
祖父母の言い訳は”母を父の扶養から外さないため”でしたが、よく考えてみるとそこには矛盾が生じてきます。
朝から晩まで働いている人の給料が扶養を外して損をするような給料でしょうか。
また、もし母が表向きの収入を持つことが良くないというのなら祖母が得た収入から少しでもお小遣いとして渡しても良かったのではないでしょうか。
当時母はそのことについて祖母に提案したそうです。
でも祖母は、
「なんで私があなたのために税金を払わないといないのよ。」
と言ったたそうです。

4にも書きましたが祖母は本当に母を想っているのでしょうか。
想ってくれているならこんな台詞は出てこないと思います。
母は叔父が大学卒業するためのお金を捻出するために働かされていただけなのです。

叔父は卒業後、国家試験に合格するまで私の家に下宿していました。

「試験に落ちて辛い思いをしている子供を見ているのは不憫で仕方ない。だから預かってくれ。」

私の祖父母は基本的に、子供たちが辛くて大変なときは傍にいてくれないのです。

7 

May 24 [Wed], 2006, 10:42
話を母に戻します。

母は父と結婚してから東京に仮住まいをしていました。
結婚して2年たち私が誕生したのを機に祖母に連れ戻されることになりました。

両親はS市に隣接しているK市にある土地を借りて家を建てることにしました。
もちろん自分たちでローンを組めるだけの家です。

すると、その話が親戚筋から祖父母の耳に入りました。
「O家の跡取りとして生まれた子に、家ひとつ建ててやらないのか。」
「財産を全部取ったくせに。」

祖父母はあせりました。
世間体が大事だからです。
急いでローンを解除させすべて支払うと言い出しました。
しかし、父が借りる予定にしていたのは銀行ではなく公共のものでした。
父は謝罪をし、謝罪文まで提出せざるを得なくなりました。

祖父母は私に、
「お前のお父さんは自分で家一つ建てられないんだよ。」
「私たちが建ててあげた家にのうのうと住みやがって。」
「この家は私たちの家だ。いつでも出て行ってくれていいんだ。」
と言ってきました。
その度に事実を知らない当時の私は、とても悲しい思いをしたし、切なく情けない思いをしました。

母はK市に住む条件として、”家業を手伝わない。”というのを出しました。
子育てを存分にしたいという思いでした。
祖母は承諾し、K市に住むことになりました。

しかし、私が1歳になったころには祖母が母に泣きつき、いつの間にやら母は朝から晩まで仕事をすることになってしまいました。
私が物心つくころには母はもう店に立っていました。
小学生の高学年になるまで母が一日家にいてくれるということはありませんでした。
いつもいつも祖父母の家に預けられていました。

なぜか私は生まれたときから祖父が大好きでした。
「お母さんの次におじいちゃんが好き。」
と宣言するほど大好きでした。
だからおじいちゃんと一緒にいられる分には楽しかったし、うれしかった。
でもやっぱり母親がそばにいてくれないというのは、半端ない寂しさがありました。

6 

May 24 [Wed], 2006, 10:28
この話は私が21歳のころに祖父母からも聞きました。
もちろん真実とは違い、
「私たちがお前のお母さんのわがままを聞いて東京に住まわせてあげたんだ。」
「その間にお前の親父が誘惑して結婚したんだ。」
などなど・・・。
もともと私の父は祖父母から嫌われていました。
一番の理由としては、財産を取られるのではないか?という不安です。

私の父は母が20歳のころから知り合っていました。
O家にも出入りをしていたので、内情は大体理解していました。
でも基本的な父の性格は”性善説”です。
だから父は決して祖父母の悪口を私に言ってことはありません。
逆に母を戒めていました。

祖父母には父のその性格を理解することができないのです。
何かを企んでいる・・・
母を操っているのは父だ・・・
財産を欲しくない人間がいるものか・・・
”性善説”、そんなものはあり得ない・・・

父は母と結婚してから27年間、外資系会社員として一生懸命働きながら、祖父母の病院の送り迎え、旅行時の送り迎え・・・できる限りのことをしてきました。
でも祖父母はそのことを理解して心をかけてくれたことは一度もありません。

私は祖父母から父の悪口しか聞いたことないのですから・・・。

5 

May 22 [Mon], 2006, 12:38
莫大な財産を手に入れた祖父は母をなかなか養子縁組してくれませんでした。
祖父にとって母はもう用済みだったのです。
というより、追い出したくて追い出したくて仕方ない存在でした。

養子縁組を渋り続けて数年たった頃、母の妹(叔母)は祖父に泣きながら訴えたそうです。
「早くお姉ちゃんを養子縁組して!」と。
しかし、そばにいた大人たちに「子供が口出すことではない。」と怒られるだけだったそうです。

結局曾祖父が亡くなって数年たったあと、やっと養子縁組をしました。

その頃の母は、祖父が始めた商売を手伝っていました。
何度も何度も家を出ようとしましたが、必ず祖母に連れ戻される。
すると、必ず家の仕事を母だけやらされる。

私は祖父と祖母から母の若い頃の話をよく聞かされていました。
その内容は自分たちの都合がいいように脚色されているものでした。
正直聞くに堪えない内容ばかりで、私は泣きながら否定し続けました。
でも祖父母はその話をやめることはありませんでした。


祖父が母を追い出すために次に考えたこと。
それは、結婚でした。
母を見合いの末、医者と結婚させることにしました。
母も家を出て行けることもあり、承諾し結婚式もあげました。
でも新婚旅行中に夫になった人が体調を崩し、結婚生活を続けることが困難になってしまいました。
母はそれでも「自分が支えていく。」と言って何とか結婚生活を送ろうと思ったそうですが、相手側の申し入れもあり別れることになりました。

傷心の母はもちろん実家しか帰るところはありません。
しかし、祖父母は家に入れてはくれませんでした。
傷ついた娘を放り出したのです。

母は、相手側から貰った慰謝料で一人暮らしを始めました。

のちに母は、「一人暮らしをしているときが一番自由で幸せだったかもしれない。」と言っていました。

4 

May 21 [Sun], 2006, 12:28
生前、曾祖父は叔父をヒザの上に乗せながらいつも言っていることがありました。

「この家のウラにある土地にお前の家を建ててやるからな。そしたらお父さんと自分の家族と住むんだよ。」

これは私の母がO家の跡取りであることを教える言葉でした。

叔父はその言葉を喜んでいて、私の父にも話していたことがあるそうです。
「ここね、僕のおうちになるんだよ。」と・・・。

しかし、今現在O家に住んで跡取りと豪語しているのは叔父なのです。


もしかしたら母の人生の一番の転機は曾祖父の死かもしれません。
曾祖父は母が19歳のときに突然亡くなりました。
あまりに突然だったので、遺言も何もない状況でした。

19歳というのは当然未成年です。
ということは、遺産など全てのことが内緒で祖母によって決めることが出来てしまうのです。

母は曾祖父が亡くなってしばらくして、祖母に家の裏庭に呼ばれました。
「お前が相続できるもの(三分の一)は全てお父さんにあげたから。私が相続する分もお父さんにあげたから。これがいいの。家庭が円満に行くためなの。」

母にとっては寝耳に水でした。
勝手に決められたことに腹は立ちましたが、法律もよく分からないし、何より信じている自分の母親が決めたことは絶対でした。

後日祖母は祖母の実家で激怒されたそうです。
「お前(祖母)のしたことは間違っている。泥棒だぞ。必ず後悔するときが来る。その時が来てからじゃ遅いんだぞ。」
それでも祖母は財産の全てを祖父に譲りました。

祖母は最近私にこんなことを言ってきました。
「私はね、お前のお母さんが若い身空でたくさんのお金(財産)を持つとよからぬ男が寄ってきたり、辛い思いをすると思って財産をおじいちゃんにあげたんだよ。私はお母さんを想ってそうしたんだ。」

これは本音なんでしょうか。
本音かどうかはすべて読んでいただければ分かると思います。

祖母はもしかしたら本当に家庭の円満を考えてことだったのかもしれません。
しかし、その行為は母を苦しめることになるだけだったのです。

3 

May 21 [Sun], 2006, 12:11
その後養子縁組をされてから祖父と祖母の間には二人の子供が授かりました。
母の五歳年下に妹、十歳年下に弟が生まれました。
祖父は男子が生まれるまで子供を作り続けると豪語していたそうです。
それは、母を追い出すための手段でした。

母はずっと後夫との付き合い方に悩み苦しんでいました。
祖父は目に見える暴力などはしませんでしたが、母が家庭内で独りぼっちになるよう巧みに仕掛けていました。曾祖父が生きている限り目に見えるいじめが出来なかったからです。
しかし、精神的に追い込んでいくというやり方が必ずしも暴力に劣るかというとそうではありません。
確実に一歩一歩母を追い詰めていきました。

母は何度となく祖母に相談しました。
「一緒に逃げよう。この家を出て行こう。」

すると祖母は必ず言いました。
「私はあなたのために好きでもない男と再婚して苦労しているの。あなたのためなのよ。」・・・と。
母はその言葉を信じ自分のために頑張ってくれる母親を裏切るわけにはいかないと、勉強も家の手伝いも率先してやりました。
祖母はいつも祖父に、
「学がないバカだ。」
と罵られていたので、母は絶対に他の兄弟には負けないと勉強し常に成績はトップクラスでした。
すると祖父は学校の集まりなどに率先してやってくるのです。
自分の実の子供たちのは行かないのに・・・。

祖父はとにかく見栄っ張りでした。
突然大金持ちの跡取りになったために相当な天狗でもありました。


ある日母が家の庭を歩いていると向こうから祖父が歩いてきました。
すると、すれ違いざまに祖父は後ろ足で母に砂をかけたのです。
その時の母の屈辱感は相当なものだったと思います。

「後ろ足で砂をかけられる」というのを体感したことがある人はいないだろうなぁ・・・と笑いながら私に言う母の目は、何かを訴えているようでした。

序章2 

May 21 [Sun], 2006, 11:06
祖母は夫を亡くし娘を置いて実家に帰るよう言われました。
当時祖母は二十歳そこそこで、曾祖父は若い未亡人が財産のある家にいることに懸念がありました。
しかし祖母は母の面倒を見るから、という条件でO家に残ることが許されました。
もう一つの条件として、婿(後夫)をとることも条件に出されました。

母が3歳になった頃に今の祖父(後夫)がやってきました。
祖父は遠縁からやってきたそうです。

祖父はとにかく財産が欲しかった。
当時にしては珍しく都内の大学に在学していて、在学中に婿に来たのです。
祖父は最初は曾祖父のかばん持ちなどもやらされていました。
それは曾祖父が祖父の人となりを探るためでした。
曾祖父は祖父の人となりが分かるまで、養子縁組はしないと言っていたそうです。
しかしそれは祖父にとって気に入らないことでした。

一日も早くO家に養子縁組しなければ・・・
そこで考えたのが、祖母を連れて二人きりで家出をすることでした。
幼い私の母を置いて二人で出て行けば曾祖父が困る。
O家に女手は祖母しかいなかったのですから。

祖父と祖母は養子縁組をしてくれるまで帰らない・・・という条件で出て行きました。

曾祖父は困り果て祖母の実家から一人女手を呼びました。

母は、ずっと祖母の帰りを待ちました。
祖母の実家の曾祖母の背中におんぶされながら来る日も来る日もバス停の前で待ちました。
「次のバスでお母さん帰ってくるからね。」
と曾祖母に言われ、その言葉を信じて待ちました。

しかし、祖母が帰ってくることはありませんでした。

母はこの日のことを忘れたことはないそうです。
父と結婚しても、私が生まれても、この日のことが夢に出てきて何度涙を流して目を覚ましたか分からないそうです。

結局曾祖父が母の悲しみを思い、根負けし、養子縁組をする段取りをとりました。
祖母が母を置いていった時間は一週間前後だったようです。
祖母にとってはたったの一週間。
けれど母にとっては・・・永遠のように感じたのは言うまでもありません。

序章 

May 20 [Sat], 2006, 19:11
私の母はO家の第一子として生まれてきました。

O家は女系家族でした。
母の父は女系家族の中唯一の男子でした。
O家の直系の血を引くものはなぜか男子が生まれない、もしくは早世するといわれていました。
母が生まれたのは祖父が20代後半だったそうです。
祖父はおぼちゃまだったためか、大変人が良く心やさしい人だったそうです。
祖父は祖母との大恋愛の末、親の決めた許嫁を断わり祖母と結婚し母が生まれました。
しかし、当時は家柄がものを言う時代・・・
祖母は祖父の家との家柄の差のためか、曾祖母などにイジメられることもあったようです。
そんな祖母を祖父は身を挺して守りました。
自らの命を削ってまで・・・。

祖父は母が生まれてすぐに”結核”に患わされていました。
今の時代でこそ助かる病気ですが、当時では命を取られかねない病気でした。
ただ祖父の家には財力があったので、当時の最大限の医療を受ければ、また栄養のあるものをたくさん食べれば助かることが出来たはずでした。
しかし祖父は祖母のそばにいて祖母を守るため、病院に入院することなく自宅看護で過ごしました。

祖父は母が生まれてたった2年でこの世から旅立ってしまいました。
そして、曾祖母も後を追いかけるように旅立っていきました。

残されたのは、母と祖母・曾祖父の3人でした。
この中で唯一直系の血を引くのは・・・母だけになりました。

真実 

May 20 [Sat], 2006, 19:02
私は生まれてからずっと、考え続けてきたことがあります。

“なぜ私は生まれてきたのか?”

私はS市ではかなり有名な、大きな家の孫として誕生しました。
これからその家を、O家と記します。

O家は一昔前では今よりもより大きな家だったそうです。

私はO家の長女の第一子として生まれました。
生まれたときからとても変な環境でした。
私は嫁に出た人の娘であるにもかかわらず、なぜか付きまとう言葉がありました。

「あなたは唯一の直系だから。それを忘れるんじゃないよ。」

私がこの言葉を理解するの22年かかりました。

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