1/6の妄想(ゆめ)旅人2009 〜銀色の道標が、長崎と鹿児島を指した 最終回〜

2009年10月21日(水) 5時38分

霧島神宮。(9月22日:鹿児島県霧島市)


いよいよ、長い旅の最終日を迎えた。
部屋に広げていた物を、全て大きなカバンの中に詰めて、3泊4日お世話になり、馴染んでしまったお部屋に「ありがとう…」と言って、チェックアウトをした。朝ごはんはイマイチだったけど、駅から近くて、とても便利なホテルだった。

これまで同様、鹿児島中央駅前のロータリーで、親友夫婦の車に拾ってもらう。
前日が前日だっただけに、親友夫婦が疲れてないか心配だったが、どうやらサービス精神の方が強いらしく、又左夫婦を逆に元気づける笑顔を見せてくれた。
ちょっと眠かった又左は、その笑顔で「パっ!」と目が覚めた。(^-^)

この日はまず、鹿児島市内にある名所をいくつか周ることから始まった。
まず向かった先は、照国神社。
神社の中には、幕末の薩摩藩主・島津斉彬公や、島津久光公などの銅像が立てられていた。昨年の大河ドラマなどで初めて知った、薩摩の偉人を拝めて、鹿児島に来た意味に、中身を詰めてもらったような気分になった。
島津公の銅像と並んで、広島と長崎の原爆にて被爆した、鹿児島県人のための慰霊碑が立てられてあった。又左夫婦のこの旅が、被爆地・長崎から始まっているだけに、心を込めて合掌させていただいた。

照国神社を出て、鹿児島市内を走り回る。
春に訪れた時に見た、西郷隆盛像や小松帯刀像も、一瞬ではあるが見ることが出来た。その他、街のあちらこちらにある、大小の記念碑や遺物などを目に出来、ほんのちょっと歩いていれば、どこかに必ず何かがある…という感じで、ちっとも飽きなかった。
本当に鹿児島という所は、鹿児島市内だけでも、時間がいくらあっても足りないほど、たくさんの名所・記念碑があって、歴史好きにはたまらない街である。

シルバーウィーク真っ只中で混み合う鹿児島市内の道路を避けるように、又左たちを乗せた車は鹿児島空港の方へと向かって行った。
とはいいつつも、これで帰ってしまうのではない。
実は、鹿児島空港の真ん前にある西郷公園にて、とある決戦を行うためなのである。

1/6の妄想(ゆめ)旅人2009 〜銀色の道標が、長崎と鹿児島を指した その5〜

2009年10月20日(火) 7時05分

開聞岳。(9月21日)


前日、宿のあさげがあまりにショボかったので、フロントにて朝食券を提出すると、2個入りのパンの袋と交換してくれるというので、それを利用する。そして、近くのコンビニで、サラダや味噌汁などを購入して、お部屋であさげを摂った。ポタージュスープが売ってなかったのには、「鹿児島にやられとるなぁ…」ってカンジだった。(^3^;)(^-^;)
出掛ける支度を整え、宿を出る。鹿児島の旅、2日目のスタートである。
駅前のロータリーで、親友夫婦の車に拾っていただく。さて、今日は何処へと連れてってくれるのだろうか。

又左は、鹿児島へ来たら、どうしても行ってみたい所の一つとして、知覧を挙げていた。それを、親友夫婦にも伝えてあった。
ということで、まず向かったのは、南九州市知覧町。
最初に案内をされたのが、『知覧武家屋敷庭園』というところ。
江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治にあたらせた。知覧はその外城の一つなのである。
そんな武家屋敷群が、現在でも当時のまま保存されていて、“美しい日本の歴史的風土一〇〇選”にも認められているほどで、訪れる人々から“薩摩の小京都”とさえ呼ばれている。
数百メートルの庭園内には、7つのお武家さんの屋敷が点在している。大河ドラマや時代劇などで見た、本物のお屋敷を目にして、心踊る又左。薩摩藩士たちの、普段の生活が見えてくるようだった。
幸い、天気にも恵まれたので、庭園内は元より、その周りの風景にも心が洗われるようだった。

武家屋敷庭園から、車を走らせること約20分。やって来たのは『知覧特攻平和会館』である。
又左が知覧に来てみたいと思った、一番の場所である。
太平洋戦争で、若くしてその身をお国に捧げるが如く散らして行った、当時の特攻隊員たちの、知覧での生活ぶりを見て取ることが出来る、写真、手紙などが多数展示されていた。
国のために、また郷の家族や心に思う人のために、特攻隊員たちは、来るべき出撃までの間、どういった精神状態にあったのだろうか…と思うと、とても又左なんぞが想像出来たものではないと、心が痛くなってしまった。
でも、今の自分がこうして平穏無事にこの国で生活出来ているのは、特攻隊員たちの勇気無くして語れないのではないかと、又左は思う。
言葉が正しいかどうか分からないが、この地を訪れて「本当に良かった…」と感じた。

1/6の妄想(ゆめ)旅人2009 〜銀色の道標が、長崎と鹿児島を指した その4〜

2009年10月19日(月) 6時58分

『長島美術館』 より(20日:鹿児島県鹿児島市)


前日の移動の疲れが残っているのか、起床時間に定めた6時半に起きても、イマイチ「シャキ!」っとしない。
宿の2階にあるテラスのような所にて、朝食を摂る。でも・・・パン4種類と小さなサラダにドリンクだけ。
長崎での朝食があまりに良すぎたので、なんだかガックリ。おかわりしないと損した気分になるので、サラダをもう一つ食べてしまった。

部屋に戻って、出掛ける準備をする。そして、ローカルなテレビを視ながらほんのちょっとだけいっぷくをして、出発。
ロビーに、自由に使用できるパソコンがあったので、前日までUPしまくった日記を確認する。「うん、なかなか良く撮れている…」と、自画自賛。でも、文章には一切触れず。(^-^;)

鹿児島での旅、実質的な初日となるこの日は、まず、長崎のバーで教えて頂いた、同じように静かにゆっくりと出来るというバーを探すことから始まった。
住所とマップにある地図や、鹿児島中央駅前の周辺地図などを見ながら、そのお店のあるとされる町の方へと歩いて行く。
途中、春の鹿児島で訪れた時には、一瞬しか拝めなかった“大久保利通像”と再会。本当に、繁華街のど真ん中に立っているというカンジだった。又左夫婦の他にも、何組かの観光客が写真を撮っておられた。
再び歩き出し「こっちでしょ…」、「いや、こっちでしょ…」と言い合いながら、探し回ること1時間。やっとこさで見つけたお店。
店の名前も確認をして「よし、これで間違いない…」と、確認をする。夜の楽しみが一つ増えた。

ずいぶんと歩いたので、そろそろお腹が空いてきた。
鹿児島へと来たのだから、いきなりだけど、黒豚のしゃぶしゃぶなんかを食べてみたい…と、そういうのをやっていそうなお店をまた探して歩き回る。いくつかは発見出来たけど、どれも行列を成しているか、夜からの営業かというのばかり。
でも、天文館の近辺を歩いていたら、小さな雑居ビルの入口に“黒豚しゃぶしゃぶ”と出ていて、お店も開店している様子。しかも、あまり人もいなさそうなので、そのお店へと入ってみた。
お店の名前は『松坂』。
後に、地元出身の親友に聞いたところでは、知る人ぞ知る有名店だとか。
店内は、又左夫婦だけしかお客さんがいなかった。案内されたのは個室で、落ち着いて食べられそうな雰囲気だった。
しゃぶしゃぶは“3800円”と“4200円”のコースに分かれていて、又左夫婦は「せっかくだから…」と“4200円”の方を注文した。
コースは、お通しとこカルパッチョが付いてきて、それだけでちょっと感動。そして、メインの黒豚が運ばれてきた。
鍋は、お汁に味が付いているので、その汁も味わいながら、黒豚を「しゃぶしゃぶ…」して食べるのである。
いやぁ、なんとも言えない、ただ「美味い!」としか言葉が出てこなかった。いつも、お家で食べる豚バラ肉のボイルとは、ぜんぜん訳もレベルも違う。
お肉や野菜などの具を食べ切ったら、お店の方が来て「このあと、雑炊にしますね…」と、一度、鍋を引っ込めて行った。
待つこと10分。
現れたのは、小さな椀に入ってきた、たまごがとじられている、お鍋の汁のいい匂いのする雑炊だった。
「ほふほふ…」と、お腹を暖めるように食べる。これもまた美味しい。そして、量的にも丁度良い。
おひるにして、贅の限りを尽し、お店の方に「ごちそうさま!」と言って、後にする。お値段は少々張ったが、でも、またいつかはこの『松坂』で食べてみたいと思わせてくれた。

1/6の妄想(ゆめ)旅人2009 〜銀色の道標が、長崎と鹿児島を指した その3〜

2009年10月15日(木) 7時08分

諏訪神社。(9月19日:長崎県長崎市)


又左のケータイ目覚ましがけたたましく鳴ったのは、朝6時。
起きた瞬間の又左夫婦は、とても清々しい顔をしていた。実は、泊まった宿のベッドが思いの外快適で、前日の疲れを全て取り除いてくれたようなのだ。
その気持ち良さそのままにシャワーを浴びて、身支度を整える。
そして、ホテル内のレストランで朝食を摂った。この朝食がなかなかの品揃えで、目移りするほどのおかずがならんでいた。特に、妻は“長崎サラダ”という、皿うどん風の野菜サラダを気に入ったようで、よく食べていた。
部屋へと戻り、身支度を整えて、お世話になった部屋を後にする。居心地のひじょうに良かったこの部屋に、感謝の気持ちを残していった。
8時半くらいにはチェックアウトを済ませ、夕方の出発まで、荷物を預かってもらい、今日も市内観光のパスポートとなる、市電の一日乗車券を購入。
「お気を付けて行ってらっしゃいませ…」。
気分の良い朝だっただけに、スタッフの方の見送りの声が清々しく感じた。

長崎駅前から市電に乗って、浦上の大学病院前という電停まで乗車。
大学病院前界隈は、又左が長崎へ訪れるようになって間もない頃の、常宿のある町である。もちろん、その宿というか、小さなシティホテルは、いまだ健在だった。
そんなのを目にしながら、この日最初に巡ったのは、原爆の被害を受けた遺産の一つ、一本足鳥居のある場所である。
原爆の熱線と爆風によって、神社の鳥居のちょうど半分が吹き飛ばされ、一本足となって残ったものが、今でもそのまま残っているのである。
資料館などに保管されているものも、原爆の恐ろしさを感じる事が出来るが、こうして、ふつうの民家が立ち並ぶ一角に残されているものも、当時の悲劇を感じずにはいられなくなる。
又左夫婦は、その残された鳥居を見ながら、あらためて、この街の平和への思いの強さを確認しようとしていた。そして、こうして訪れる者として、ふだんから何が出来るのかというのも考えていた。
電停へ戻る道すがら、又左夫婦は、戦争について、平和について、色々と語り合った。それが“被爆地長崎”への、次にまた訪れるまでの、考えをまとめるという約束とした。

大学病院電停からは、蛍茶屋行の市電に乗って、諏訪神社前へと走らせた。
「えぇ、階段がそんなに多いのぉ?」。
諏訪神社の予備知識を、又左が妻に吹き込んだ上での、妻の言葉である。
そして実際に、諏訪神社の長い階段の前に立ち、遥か彼方を見上げつつ、妻は決心して、階段を数えながら上り始めた。

1/6の妄想(ゆめ)旅人2009 〜銀色の道標が、長崎と鹿児島を指した その2〜

2009年10月14日(水) 7時08分

稲佐山から観る、長崎市内夜景。(18日)


真上にJR長崎本線の走る松山町電停から、市電に乗って、長崎駅前へと戻って来た。
時間は16時ちょっと前。宿に入り、チェックインをする。
今回、長崎でお世話になった宿は、長く長崎を訪れている方ならお分かりいただけるであろう、かつて『あじさいIN』というシティホテルのあった場所に、新たに出来た『ホテルクオーレ長崎』という名前のシティホテルである。
JR長崎駅は目の前、市電の電停も、バスターミナルも徒歩30秒以内という、好立地な場所。ただ窓の外は、隣のビルになっていて、部屋から長崎市内を眺めるということが出来ないのが、ちょっと残念だった。
そんな宿でちょっと落ち着いて、テレビでローカルのニュースやCMを楽しんでいた。
ほんの少しだけ、うたた寝をして「はっ!」と気が付いて、なんだか急に慌ただしく翌日の移動の準備を始めてしまった。(^-^;)
旅というのは、夜の時間を気にせず過ごしてしまうので、出来る時にやれる整理をしておかなければ、後に回すほど「バタバタ…」としてしまう。これも、10数年の旅の中において、体で覚えたことである。

準備が整ったところで、宿を出て、今回の長崎の旅“夜の部”へと突入していく。
長崎駅前から、帰宅ラッシュで混雑する市電に乗り、西浜町を経て観光通りへ。
電停を下りたら、浜町アーケードへと歩を進めて行く。
アーケードの商店街にも、かつての又左は、夏の長崎でよくお世話になったもんだ。持って来忘れた物を、100円ショップで買ったりした。時間潰しにお茶なんかもした。
そして何より、ここへ行かなくては、長崎の旅の意味が無いというお店がある。
ご存知、老舗料理屋『吉宗』。
又左は実は、大きなことを言ってはおきながら、今回お邪魔するのが2回目で、正直お店が、アーケードのどの辺りにあったかさえ怪しい記憶を持っていた。妻にとっては、もちろん初めてであるから「あれぇ、どこらへんだっけかぁ?」などと、たどたどしい又左に、ちょっと「イラっ」としてなされていた。(-3-)(^-^;)
でも、妻が「ほら、ここにあんじゃん…」と指した先に、『吉宗』のお土産専用店舗を発見し、又左はひと安心。本当に、ダラしの無い夫・又左である。
そのお土産専門のお店のある角を曲がって、すぐの所に、風格漂う店構えの『吉宗』本店が現れる。
さっそくお店の中へと入り、下駄番の方の鳴らす「カン!カン!」というバチの音を聞いて、二階の座敷へと案内された。
当時の日記に記してあるので、事細かに何を食べたかというのは割愛させていただくが、やはり何といっても“茶碗蒸し”が絶品であった。舌の上で、喉の奥で…と、その美味しさをこれほどまでに堪能させてくれるのは、他に類を見ないと思った。
さすが、老舗のことだけはある。来る者を、満足させて帰してくれる。

1/6の妄想(ゆめ)旅人2009 〜銀色の道標が、長崎と鹿児島を指した その1〜

2009年10月13日(火) 7時02分

平和祈念像。(9月18日:長崎県長崎市)


出発前夜から、胸が踊ってどうしようもなかった。ゆうげも“前夜祭”と称して、ささやかなおかずとプーアール茶で、来る長い旅の無事を祈りつつ、祝盃を上げてしまった。

明けて、9月18日4時50分、旅の朝に必ずチョイスする着メロを目覚ましに起床。
気持ちが自然に高ぶっているせいか、早朝にも関わらず、その後の準備に要する行動は、ハキハキしたもんだった。
お家を出て、船橋法典駅までの、青空の清々しいこと。出発には申し分ない“御膳立て”となった。

通勤で混み合う西船橋駅前から、高速バスに乗って羽田空港へ。
このバス、船橋駅が始発だったのだけど、我々夫婦の乗車した西船橋で、車内は満員になってしまった。旅行に行く人、出張の人と様々で、きっと、平日のこの便はいつも混むんだろうと思った。

羽田空港へ着き、さっそく大きな荷物は預けて、空港内の定食屋さんであさげを摂ることに。5時前に起きてから2時間、ようやくお腹に物が収まった瞬間だった。
ほんの少しだけ時間があったので、展望デッキなどで空港探検をする。
そして、いよいよ搭乗時間が迫って来て、搭乗口へと入って行く。と、ここで重大な事に気が付いた。
我々の搭乗する便は、ANAで押さえていたのだが、実際に乗る飛行機はSNA(スカイネットアジア)だったのである。すっごい笑顔で「ハッピーフライト!」ってやりたかった又左としては、ちょっとガックシ。
でも、妻は「SNAでもやってみたら?」と励ましてくれたので、ちょっとだけ気を取り直した。

9時40分、飛行機は定刻通りに羽田を離陸。相変わらず、宙に浮く瞬間に慣れない又左。(^-^;)
空に飛び上がってからは、まさに快適な空の旅となった。
雲が多いこと、そして通ったコースの関係で、富士山や下界を拝むことは出来なかったが、雲のふわふわ絨毯の上を走るように飛んでいる時は、とても気持ちが良かった。
窓の外を見ていたり、機内サービスを受けたりしているうちに、飛行機はゆっくりと降下してゆき、雲をすり抜けたらもう、九州の大地が広がって見えた。
そして、難無く長崎空港へと到着。
又左は、出口のCAさんに「ハッピーフライト!」と、親指を立てて差し上げたら、喜んでいただいた。やってみるもんだ。(^-^)v

長崎空港から、高速バスで長崎市内へと向かう。ものの40分ほどで、長崎市内へと入って行った。
見慣れた街が見えて来た。最初に停車したのは、中華街がすぐそばにある、新地のバスターミナルだった。
そこからは、県庁坂や大波止を通って、長崎駅前バスターミナルへ。又左夫婦は、その長崎駅前で下りる。
下りてからのひと言目は「暑いぃ〜」だった。(^3^;)(^-^;)

1/6の妄想(ゆめ)旅人2009 〜千葉から三浦半島へ 最終回〜

2009年05月14日(木) 13時16分

横須賀港。(9日:神奈川県横須賀市)


国道駅のホームから階段を下りていきなり、ガード下の小さな空間が現れた。そのあまりの出現の仕方に、又左夫婦は「おぉ!」っと声を上げてしまった。
又左は以前、ドラマ『男女7人秋物語』などで、その独特の雰囲気をかもし出している駅について、映像の世界だけではあるものの、予備知識として記憶の中にあった。また妻は、兄上殿より「国道駅はなかなかいいぞぉ。うふぅ〜!…」と聞かされていたらしく、二人で興味津々の気持ちで下り立ったのだった。

改札口は、自動ではないものの、一応suica対応の機械が備わっていて、木製の小さな囲いに1人、駅員さんがキップの改札を行っていた。
その駅員さんに、又左夫婦はホリデーパスを見せて、いよいよあの独特の空間へと踏み入れたのである。
正直、人の気配はまるで無い。赤ちょうちんの居酒屋さんと釣り船屋さんが、それぞれ1軒ずつ、店を構えている以外は、人の手が加えられたまま、その後は何も機能しておらず…という雰囲気だった。
所々、どこから流れてきているのだろうか、水が滴り落ちている様子も見て取れて、ちょっとした洞窟のようにも感じた。
これは、夜に一人で来ると怖い所かもしれない。

そんな“異空間”をすり抜けると、小さな堤防が見えてきた。
「これ、鶴見川かぁ?」。
まさにその通りだった。
そこに来るまでのイメージとして、「どぶ臭そう」とか「川や周辺が汚い」なんて思っていたが、どうしてどうして、なかなか静かでのどかな、ふつうの小さな運河だった。
妻と二人、きれいに整備された、小さな河川敷の段になっている所へと腰を下ろす。そして妻は「武庫川に行った時みたいだね…」と言った。
3年前、兵庫県西宮市を南北に流れる武庫川という大きな川にて、当時まだ結婚前だった二人は、鳴尾という町の辺りの河川敷に腰を下ろし、すごく天気の良かった初夏の陽気を満喫していた。
そして時が経って、時期もちょうど同じ初夏の陽気のする、しかもよく晴れたこの鶴見川で、二人は肩を並べていたのだった。
色々な思い出を引き出してくれた、この鶴見川と国道駅界隈。特に何も無い所と言っては失礼かもしれないが、でも「来て良かったぁ!」と思わせてくれる場所であった。

再び、あの異空間の中へと歩を進め、さっきはいた筈の駅員さんが立っていない改札口に「入りますよぉ〜」と、一応はホリデーパスを示して、駅の中へと入る。
再び鶴見線に乗り、もうすぐ隣が終点の鶴見へ。
鶴見の鶴見線のホームも、独特の雰囲気があって、かつてはここからあの茶色い電車も、海芝浦なり大川なり扇町なりへと通じていたというのを感じ、独りちょっと、思いにふけってしまった。
この鶴見から、京浜東北線で横浜まで出ることに。
さっきまでのローカル線の雰囲気とはガラリと変わり、一気に都会の流れに引っ張り込まれるようであった。

1/6の妄想(ゆめ)旅人2009 〜千葉から三浦半島へ その2〜

2009年05月13日(水) 17時25分

JR南武支線 浜川崎。(9日)


千葉から横須賀・総武線の快速列車に、お弁当を頬張りながら揺られて、だいたい40分くらいで辿り着いたのは品川。
ここで、東海道本線の普通列車に乗り換えるのである。又左自身、関東地区の東海道本線に乗るなんて、113系の車両が全廃されてからは初めてである。
なんとなく乗り慣れない新しい車両の列車にて、さらに西へと向かう。
そして着いたのが、川崎。川崎も、2年前の初詣で訪れて以来だから、ずいぶんと懐かしさを感じる。
川崎からは南武線に乗って、1つ目の尻手まで。ここでまた乗換えをするのである。
とにかく、今回の旅は、細かく刻むような路線の乗換えが多い。

尻手では、30分ほどゆとりがあるので、南武線や貨物線の往来を目にしながら、又左の生まれ故郷、川崎についての思い出話なんかを、妻に話して過ごしていた。
中2の夏、関西から引っ越しをしてきて、最初の転校先ではすごく暖かく迎え入れてくれたこと。でも、その土地に慣れれば慣れるほど、だんだん自分自身のホームタウンとはちょっと違うという事に気付き出し、性格がひねくれていった…そんな若かった頃を、又左の中で思い出していた。
でも、過ぎればみんな“良い思い出”である。

「あっ!」という間に時間は過ぎて、尻手の3番線に入って来たのは、2両編成のワンマン電車。南武線の支線で、人によっては“浜川崎線”とも呼ばれている。
又左が、川崎に住んでいた時代は、目の前を走っている路線ながらも、まったくと言って良いほど、乗ったことがなかった。
ゆえに、20数年越しの夢を叶える瞬間でもあった。
尻手を出発して、京急本線と兼用で運営されている八丁畷駅を通り、川崎市川崎区の下町とでも言おうか、そんな風景が流れる沿線を、ローカル線らしく、ゆっくりゆっくりと走って行くのだった。

1/6の妄想(ゆめ)旅人2009 〜千葉から三浦半島へ その1〜

2009年05月12日(火) 16時06分

JR千葉駅。(9日)


今回の旅は当初、千葉駅で売っているお弁当を買いに行こう…というだけの目的だった。だから、その後をどうするというのは、前日まで何も決めていなかった。
8日夜、夫婦二人テレビの部屋で明日のことを思案していたら、黄色い表紙の“東京時刻表3月号”が目に入ってきた。
妻は「鶴見線でも乗りに行かない?」と、又左に提案してきた。すかさず又左は「なら、最初に千葉に向かってからなら、ホリデーパスを駆使して、鶴見線から西の方へ行ける所まで行ってみよっか…」と返した。
そしてそこに、今回の旅の、大まかな枠組みが描かれたのである。

明けて9日の土曜日。
前夜、なんだか寝つきが悪かったこともあり、6時半に目覚ましを設定していたものの、8時過ぎまで布団の中にもぐってしまっていた。
なんとか体を起こして、毎週土曜朝恒例の、又左お手製チャーハンをあさげにし、ようやく心身から目覚めたのだった。
今回の旅は、行き当たりばったりの気ままなものなので、どこでどの時間の列車に乗るということを決めていない。だから、カバンの中に“東京時刻表”を仕込んだ。
又左はいつも、旅の当日までに、時刻表とにらめっこをして、ワクワクしながら計画を立てて挑むので、旅のカバンの中に、時刻表が入っているということは、ほとんどない。もし、行った先でアクシデントに会い、計画が崩れてしまったとしても、その行った先の駅に備え付けの時刻表を見るか、列車の中なら車掌さんの専門知識からなる対応に、身をゆだねてしまうタイプなんである。
かくして、又左夫婦の準備は整い、いざ、旅の出発点である、JR船橋法典駅へと向かったのだった。

船橋法典駅の券売機で、今日一日の旅路に導いてくれる“ホリデーパス”を購入する。
思えばひと昔前、このホリデーパスが登場したての頃は、今の磁気キップではなく、いかにも“企画券”らしい細長いパンフレットのようなキップだった。だから、発売も券売機ではなく、みどりの窓口でのこうにゅうだったのだ。
今は、改札口が自動になったこともあり、こうした“トクトクキップ”と言われる企画券も、なるべく自動改札を通れるように、磁気キップへと変わってしまったのだ。
それでも、キップはキップ。手にした瞬間「これで首都圏近郊、好きな所へ乗り放題なんだよなぁ…o(^o^)o」と、気分は高まったのだった。

1/6の妄想(ゆめ)旅人2009 〜母の故郷・宮崎と薩摩の国への旅 最終回〜

2009年04月05日(日) 0時24分

宮崎県庁舎。(3月21日:宮崎県宮崎市)


おとといの朝に引き続き、この旅行最終日のあさげは、ホテルの朝食バイキングを摂る。
お味噌汁が、少し眠たい体を覚ましてくれるようだった。

部屋に戻り、帰るためのバッグの中の整理をする。忘れ物はないかな?
この時点で、この日をどうやって過ごそうかということを、まったく決めていなかった。二人でのんびりとテレビを視ながら、チェックアウトのギリギリまで思案し合う。
チェックアウト5分前になって、部屋を後に。そして、フロントで手続きをした後、荷物を預かってもらった。

手荷物を軽くして、宿を出て、宮崎駅方向へ歩いていくと、途中にレンタカー屋があり、その店頭に“レンタサイクル”の看板と、1台の自転車が立っていた。
「よし、これで市内を走りまくって探検しよう!」。
夫婦の意見は一致した。
レンタサイクルを借りるにあたり、店頭に記されていた説明では、まず駅のみどりの窓口において、チケットを買ってきなさい…とのこと。指示通り、駅のみどりの窓口でレンタサイクルのチケット、さらに「ついでだから…」と、帰りの宮崎空港までの列車のキップも購入。
長崎へ行った時にも思ったが、JR九州の窓口の係の人って、とても“旅人にやさしい”対応してくれる印象を受ける。
気分を良くして、レンタカー屋へとチケットを持って行き、簡単な手続きをした後、レンタサイクルの鍵を受け取る。
そのレンタサイクル、レンタカー屋の人がおもむろに、小さなタンクのようなものを、自転車に設置した。
なんと、電動自転車なのである。つまり、小さなタンクのようなものは、バッテリーだったのだ。
「おおぉ!」と、思わず唸ってしまった又左夫婦。
「行ってらっしゃいませ!」という、レンタカー屋さんの声が号令となって、自転車による宮崎市内探検のスタートである。

まず向かったのは、宮崎交通バスセンターの前を走る大通りを、南の方へと行ってみた。
気分は、どうでしょうの“原付の旅”ってカンジである。
又左を先頭に数分走っていると、ゆるやかな坂道にかかった。
妻は「スルスルスルスル…」と坂道を上って行くのだが、又左はなぜだか自転車を漕ぐのがとても重い。「なんかこの自転車、電動の割に重いねぇ…」と妻に言うと「スイッチ入れた?」と、驚愕の返答が。(^o^;) 又左は、乗った時から、自転車のバッテリーのスイッチをOFFにしたまま、“ただの自転車”として走っていたのである。
「どうりで、あなたちゃんの加速が良すぎると思ったわけだぁ…」と、恥ずかしい思いをしながら、左ハンドルに付いているスイッチを、今さらながらONにする。時に、坂道を上り切った場所でのことだった。

気分を新たにして、辿り着いていたその場所は、大きな川の橋の上であった。
市内を静かに流れる、大淀川という川である。
又左はかつて、小学生の頃に初めて宮崎に訪れた際、この大淀川の川沿いにある観光ホテルに泊まった思い出がある。妻にそんな話をしながら、川沿いに並ぶ大きな建物のホテルを指して「このホテルだったかな? いや、こっちかな?」と、記憶を探っていた。

橋を後にして、さらに南下して行くと、大きなターミナルの建物が見えて来た。
宮崎市内から県各方面へと走る、宮崎交通の発着点となっている『宮交シティ』の建物である。
建物の中には『ダイエー』が入っていて、その周りを囲むように、バスやタクシーのりばのターミナルになっている。この『宮交シティ』に来れば、宮崎市内をバス移動する時は、迷うことなく、どこへでも行けるようになっている。
又左夫婦は、そのターミナルを1周するように自転車を走らせて、少しずつ離れていった。
目を覚ませ又左!=最新コメント
傘の又左衛門
» 寝る前語録 H24.5.24 (2012年05月25日)
うにょ
» 寝る前語録 H24.5.24 (2012年05月25日)
傘の又左衛門
» 今日の又左 H24.5.22 (2012年05月24日)
い。親衛隊
» 今日の又左 H24.5.22 (2012年05月24日)
傘の又左衛門
» デミカレー (2012年05月14日)
うにょ
» デミカレー (2012年05月11日)
傘の又左衛門@じぇ
» デミカレー (2012年05月09日)
佐っちん
» デミカレー (2012年05月09日)
傘の又左
» 生誕記念日の又左 H24.4.27 (2012年04月28日)
プロフィール
  • ニックネーム:傘の又左衛門
  • 誕生日:1973年
  • 血液型:A型
  • 趣味:
    ・旅行-旅が好きだから。
    ・ビューティ-きれいに自分を作っていくのさ。
読者になる
時代劇も好き、食べることも好き。 よろしく願い候。_m(..)m_
メールフォーム

TITLE


MESSAGE

Yapme!一覧
読者になる