『できることはそれぞれ』 

June 11 [Sat], 2011, 15:08

野球では何度も来てるけどライブ観戦となるとそれこそ25年ぶり・・・。
中年オヤジたちの夢をのせて。



『2011.01.盛岡』 

May 30 [Mon], 2011, 11:54

『2011.03.11東北』 

May 30 [Mon], 2011, 10:56
 

 あの日津波に襲われたとき、目の前にがれきが現れかろうじて手が届き、無我夢中でしがみつき漂い、ようやく建物の屋上に逃れられた体力ないあなたと、コンマ何秒の差で手も差しのべる刹那もなく闇にのまれた若人。
 命助かった人間と命消えた人間。
 その間にちがいなどない。あなたが助かったのは例えばあなたがしごく善良な人間で社会に必要だからではないし、逝ったしまった人間がこの世に価値のない人間だから連れてかれたわけでもない。たまたまなんだと思う。だから決して助けられなかった自分を責めないでほしい。ただ決して忘れてはいけないのでその十字架は一生背負って生きてほしい。


 大震災。悪夢のような津波の爪痕はいまだ生々しく、そして次に襲った福島第一原発の放射能汚染は日本のみならず世界の切実な緊迫した問題だ。『東京に原発を』そんなセンセーショナルな書物が昔あった。そんなに原発が安全だというなら、国はなぜ東京に原発をつくらないんだと。いまとなっては決してシニックではない。地方に原発を作らせて、それでいてその恩恵を一番受けていたのは東京に暮らす我々。今回の東電の計画停電だって東京二十三区はほとんど影響を受けてない。国家の中枢機関があるからやはり優遇されていると思う。それでも我々は何もしなくていいわけはない。節電も当然だし、義援金を送ることもだし、ボランティアで恩返しもいいと思うし。うちの会社も専務が被災地に寝台車で行って霊柩車の代わりとして火葬場までご遺体の搬送を行ってきた。被災地は戦場だったと。老若男女泥まみれのご遺体を自衛隊・警察が水できれいにし身元を捜す。ただそういったボランティアも限界があると思う。芸能人が支援に行って励ましても心の底から笑うには安定した生活が根本的にないと意味はないんだ。それこそ経済用語のファンダメンタルズだと思う。この先東北復活には最低十年はかかるだろうし、残念ながら福島では数十年後がんや白血病などチェルノブイリ同様の健康症状がでるだろう。そのためにはどう考えたっていまの財源では難しく増税はやむなしだろう。増税と口にすればその反響が怖い。そもそもこの国のリーダーは頼りなさすぎる。今回の震災とそれにともなう放射能の問題で一番思ったことは、俺は子供いないけど、子供たちや将来のために安全・安心な国と社会をつくるというのは大人の一番大切な責務なんではないのかなと。



『できることはそれぞれ』 

March 18 [Fri], 2011, 12:21


阪神・淡路大震災の犠牲者は5000人以上。

今回の大地震はその倍を上回るのは確実の状況・・・。

当然既存の火葬場では追いつかず土葬で合祀という話しもやむを得ない・・・。

地震直後に加盟してる組合からそのときには協力しようと打診があった。

うちの会社はすぐ、霊柩車・寝台車とともにいつでも行くと回答をしている。

取引のあるバス会社はすでに現地へ行って避難者をバスで搬送してきた。

金持ちは義援金を送ればいいしできることはそれぞれ。

『SNOWY,I LOVE.』 

February 14 [Mon], 2011, 21:20


東京地方 雪が舞ってます

北国の方には恐縮ですが 

東京の人間は交通の混乱を恐れながら

一方 雪に対する憧れがあり 

こころのどこかで 

雪 積もればなぁと思ってる

個人的には

雪が降る前の

底冷えする空気感が好き 

それは北国の

ピンと張りつめた空気を思い出させる 

先日 盛岡に行ったんだけど 

やっぱり凛としてた

その分 北海道 東北 北陸 は食べ物がおいしいし 

なにより人々が親切で

温かいから大好き 

去年夏は尾道に行ったんだけど

評判の寿司屋が俺は口に合わないし 

なんだか 西日本は 

神戸とか最悪だし 

バレンタインの夜に お通夜の後にひとり戯言


『果敢な男』 

January 15 [Sat], 2011, 21:43
 

 話しは少し長くなります。
 それは不思議なお店。
 まあ、名付けるならラーメン居酒屋、ラーメンスナックとでも呼ぶべきか。ラーメン自体もそこそこの味で、専門誌に何度も取り上げられたことやテレビにも出たことがあり、昼間はそれ目当ての若い人たちが集う。ところがこれが夜、9時過ぎとかになると雰囲気いっぺん。常連の飲んべえたちがどこからともなく集まってきてラーメン屋というよりは居酒屋みたいになっちゃう。カラオケもおいてあって好きな人はマイク握ってるし。毎日宴会みたいな。結局、経営者のママがもともとスナックから始まった人なんで好きなんだ、そういうの。夜、一見の客がラーメン屋だと思って店の扉開けるとびっくりする。かくいう俺もラーメンは数えるくらいしか食べたことない。だいたい酒飲んでる。何度もいうけどラーメンは決してまずくはない。一番初めに行ったのはかれこれ10年以上前の話し。当時の職場の上司が常連で連れてってもらったのがきっかけだった。その上司はその後すぐ事情があって退社し、店にも来なくなり消息不明となったけど、俺はなんだか店の居心地が良くて気に入り、たまに会社帰りに寄ったり、仲間内の忘年会とか集まりで使ったりしてた。俺はキャバクラが嫌いでそれは若いお姉ちゃんと話しててもまったく勉強にならないから。そこそこ楽しいけど、結局時間の無駄としか思えず、それだったら百戦錬磨のスナックのママとか小料理屋のおかみとかと話していた方がまったく勉強になる。やる、やらないなんてこの年ではもはや問題じゃないから。店はそのコンセプトのあいまいさもあり、経営がいつも盤石ではなくて、何回も渋谷のせまい範囲を移転しては生き伸びていた。三年くらい前、いよいよ経営がやばくなり店をたたむことになったという。
「ママこれからどうすんの」
「○○って居酒屋あるでしょ」
「うん」
「あそこのオーナーに飼われるの」
「ふーん」
 よくわからなかったけど、どうにもならないおとなの事情があったのだろう。くわしく聞かなかったけど。
「また復活してよ。待ってるから」
「そうなるといいけどね」
 あとで聞けばそのとき相当落ちてたとのことだった。経営者としてかろうじてでも何十年も渋谷の街で看板出して生きてきた歴史が崩れたときだったのだから。
 そのあともたまに電話で話したり、集まりのときにはママにも声かけて、今度はその知り合いの店を使ったりしてた。
 



 去年の夏。
 集まりがあって宴会してるときに、その方は、俺の以前の職場の上司(お店を紹介してくれた人とは別人)の大学時代の同級生。俺がその上司を誘ってさらにその上司が同級生を誘って、その方も店を気に入り常連となっていた。何度か一緒したことはあったので名前も顔も知っていた。
「Mさん」
「はい」
「ラーメン屋が復活しますよ」
「本当ですか。また、どうして」
「私、春で定年になりましてわずかながら退職金が出たのでそれでラーメン屋を復活させようかと」
 その方はいわゆる外資系企業(誰もが聞いたことのある会社)に勤めていた。外資系の場合、定年後、延長だとか関連会社に引き続き籍を移して勤務とかを取らないらしい。六十で完全に線引きをする。その分退職金は多いのだろうけど。
「つまり○○さんが出資しオーナーとなりママに店を任せると」
「はい」
「僕は経営とかまったくわからないのでなんとも言えないですが、リスクもあるのでしょうし・・・」
「家内には反対されてます」
「それはそうでしょう」
「ちゃんと事業計画書も出して説明してるんですが」
 苦笑して言う。
「僕が奥様の立場でも反対すると思います。だって長年、勤めてきてようやく第二の人生をゆっくりと過ごせるんですから」
「家内も同じこと言ってます」
「百人中百人がそう言うでしょう。いまさらリスク背負うことはないでしょう」
「でも私の人生まだまだなんです。Mさん、飲んべえにはああいったお店があると良くないですか」
「確かに居心地のいい店でいた」
「そこなんです。みんなが集える場所」
「僕にはなんとも言えないです。ただ成功を祈ります」
「だいじょうぶですよ」
 やさしい穏やかな笑顔で言った。




 そのときは半信半疑で忘れかけていた去年の年末、北風冷たいなか。ママから電話があった。まさかほんとに開店したと。
「マジで!?ほんとに復活したのかよ」
  場所はやっぱり渋谷。以前の店とはかなり雰囲気が変わって、店はせまいけど、ウッドを多用してカフェとしても利用できるようなこ綺麗な造りになっていた。でもやっぱり壁にはカラオケのモニターがある。
「おしゃれな感じでいいじゃん。事前に開店日を教えてくれれば胡蝶蘭でも贈ったのに」
「ありがとう。じゃあ、目の前にお花屋さんあるから」
「いいよ。手配するよ」
「冗談よ。お花はいっぱい頂いてるからいいわ。枯れてしまうし」
 ママが笑って言う。
「じゃなんか、必要な物とかないの。なんか開店祝いとして贈るよ」
「ほんとに?ありがとう。そうしたら入口の玄関マットがサイズを間違っちゃって小さ過ぎたのよ」
「あ、そう。じゃそれ俺から贈るよ」
「東急ハンズで五千円くらいで売ってるから」
「えっ、そんな安いの!?」
「うん」
「そんなんでいいの」
「十分よ」
「でもみんな待ってたね、復活を」
 お花を眺めながら言う。
「Mさんも遠くなちゃったけどたまには顔見せてよ」
「うん。またなつかしい面々がそろうね。オーナーに感謝しなきゃ。俺、夏に話し聞いたとき、半信半疑だったし、ママには悪いけど、むしろ止めた方がいいくらい言ったからね。だってさ、長年必死に働いて、都心に家を二軒も建てて、あとは退職金と家賃収入で優雅に暮らせばいいじゃない。俺が○○さんの立場だったら間違いなく踏み出さないもん」
「それはね、女性、妻の立場の意見なのね。○○さんからしたら定年になったからといって、隠居するにはまだまだ。いまの時代六十で引退なんてまだまだ早いでしょ・・・」
「たしかに」
「その周囲と当人のギャップがあるのよ。私は別に○○さんと男女の関係なんてないけど、お互いの利益があったのよ。それだけよ」

 男は夢見たがりで女は現実主義ってことなのか。六十の方の気持ちは俺には理解できないが、その勇気に久しぶりに男の生きざまを見せられてグッときてしまった。


http://www.lococom.jp/mt/a1101270001/

『HAPPY NEW YEAR』 

January 01 [Sat], 2011, 13:03


                                                                                                               SCENE OF ONOMITI

『やさしい女』 

December 28 [Tue], 2010, 16:44


「Mさん仕事が入りました。亡くなられたのは生活保護の方でどうやらお身内様はいないようです」
「わかりました。とにかく病院行ってみます。だれかいれば話しします」

 病院に寝台車で行くとやはり身内の方はだれもいなかった。看護師から死亡診断書と遺留品を預かり、はなしを聞くと青森に娘さんがいるらしい。
「その方はこちらにお見舞いには来てたんですか」
「いえ、全然。詳しくは福祉の担当者に聞いて下さい」
「あ、はい」
「特に見送りもないのでこのまま出発していただいてかまいませんので」
「かしこまりました。お預かりさせていただきます。お世話になりました」
 
 いつか書いたことがあったかもしれないが、生活保護を受けられてた方が亡くなったとき、当然そういった方は経済的に余裕がないわけで一般的なお葬式をあげる費用もないのが通常だ。その場合は生活保護法のなかに葬祭扶助というものがあり税金で費用を負担し葬儀を行う。ただし、国と地方自治体としては当然税金は多くは出せない。必要最小限な費用しか出さない。例えば俺の勤務地では199,000円という額。現実的にこの金額でどこか式場を借りて祭壇を飾ってお寺さんをお呼んでという一般的な通夜・告別式をとり行うというのは不可能。できることといえば火葬場で荼毘にふす(火葬する)ことだけ。そこに遺族に立ち合っていただくだけ。近年、直葬なんていうことばを聞いたことあるかもしれません。
 福祉の担当者に連絡すると看護師のはなし通り青森に実の娘さんがいることがわかった。電話を入れる。この瞬間が最も嫌だ。
「Aさんですか」
「はい」
 受話器越しには自分と同じくらいの年齢だろう女の声に聞こえた。
「私は東京にある葬儀社の者です。○○さんのことなんですが・・・」
「はい」
 ただならぬ気配を感じ取ったらしい。なぜか俺はホッとした。常識的な人の予感がしたから。
「お父様でらっしゃいますよね」
「はい」
「実は本日△△時△△分にお亡くなりになられました」
「えっ・・・」
「大変ご愁傷様です」
「・・・はい」
「突然のご連絡で。いまお父様は私どもの霊安室でお預かりさせていただいてる状況です」
「はい」
 はいしか言わない。動転してるから当然だ。いつもそう。
「今後のご予定に関してお話しさせていただきたいので、できますればこちら東京にいらしていただきたいいのですが・・・」
「そんなこと急に言われても・・・。私も生活があるんで・・・」
 少し語気が強くなった。
「それはごもっともです。ただお父様のことですし。ご対面していただかないと」
「知りません」
「えっ・・・」
「実はもう何十年も会ってないんです」
「でも他にお身内の方もいらっしゃらないようで・・・」
「いいんです。ずっと苦労させられて縁を切ってる状況なので全てそちらで進めていただけませんか」
「お父様は生活保護を受けられてまして、福祉の方で火葬の費用は負担していただけますので。その点は心配いりませんので当日立ち合っていただければと思ってるんですが」
「交通費だってばかにならないし私は無理です」
「えっ・・・」
「別に後から文句言わないんで全てそちらでやっていただけませんか」
「ちょっと待って下さい。それはかまいませんが、お骨はどうしますか」
「それもそちらでなんとかしてください」
「できなくはないですが・・・。引き取らなくていいんですか」
「いりません」
「無縁仏というかたちになってしまいます」
「かまいません。すべてまかせますので」


 その後何度か連絡を取っても、気持ちに変わりはないとのことだった。相当親子間の軋轢は大きいようで。さらに人が亡くなると死亡届けというのを役所に提出しないと、火葬許可証という火葬に必要な書類がおりないいんだがその届け出人となることさえ拒否されてしまった。この届け出人はだれしもなれるものではない。
「実質的な手続きは私の方で行いますので、ただお名前を貸していただくことだけ了承していただきたいんです」
「もう一切関わりたくないんです」

「結局、福祉の範囲で進めて、火葬の立ち合いもいないので俺が行ってお釜の前で最後の焼香します。お骨も無縁となりそうです。俺も苦労させられて父親を憎んでるけど、死んだら全ては許したいけど相当傷が大きいんでしょうね」
「そうですね。でも、そう言えばさっき電話があって友人という人が霊安室に後でお線香をあげにくると言ってましたよ」
「本当ですか」
「はい」
「友達いたんだ」
「ですね」


 現れたのは五十代半ばくらいの女性だった。こぎれいな身なりで控え目な品のある感じだった。
「○○さんなんで逝っちゃったの。ひとりぼっちで寂しいだろうね」
 東北なまりでやさしく語りかけていた。
「うちのお店の常連さんだったんです」
「はい・・・」
「歌がうまくて」
「カラオケスナックかなにかですか」
「そうなんです。うちはアットホームだから疲れたら朝までお客さんたちみんなソファで雑魚寝するような、そんなお店なんです。○○さんもそんななかのひとりで。若い頃は大工さんで景気もよかったみたいなんですけどね。最後は行くところもないっていうからお店にずっと寝泊まりして」
「千葉ですか」
「そうです」
 故人の住民登録が東京ではなくて千葉県になってたのでひっかっていた。
「え、じゃ奥様もいま千葉からいらしたのですか」
「はい」
「それは遠いところお疲れ様です。故人さんもきっと喜んでると思います」
「ひとりで寂しいでしょうから。私が岩手の出身で○○さんが青森の出身だから気が合ったんです。たしか娘さんが青森にいると聞いたことがあります」
「ええたしかに。連絡したんですが、来ていただけないとのことでした。いろいろと事情があるようで。すべて私どもの方ですすめてほしいと」
「ひとりで・・・。こんなに冷たくなっちゃって。かわいそうに。じゃあ家族はだれも見送ってあげないんですか」
「いまのところ」
「火葬の日時はいつでしたか」
「水曜日の朝九時からです」
「私行きます」
「来ていただけますか。朝早いですが・・・」
「お店閉めて子供たちのご飯準備して寝ないでくれば間に合います。やっぱりひとりじゃかわいそ過ぎます」


 火葬の当日お店のそのママとみんなを代表して常連の男性客ひとりが立ち合ってくれた。
「○○さん喜んでると思います」
「ひとりじゃかわいそうだもん。最期お顔見てたらなんだかキスしたくなっちゃったわ」
 涙を拭きながら照れたように言った。
「でも男女の関係なんてなかったのよ、念のため」
 となりで男性客が苦笑いしてる。
「それはわかります。お二人には頭が下がります。家族以上のことをしていただき。温かいお店なんでしょうね」
(そういうお店なら一度行ってみたいです)それは言わないでおいた。
「みんないい人だから」
「今日は朝早くからありがとうございました。お疲れ様でした」
「こちらこそMさんには、いろいろお世話になりました。ありがとうございました」
  

 無縁社会。今年の流行語だという。不幸な国だ。その真っ只中にいるけどときおりこうしたすべてを吹き飛ばすやさしさを知るとまだまだやれると勇気をもらえる。

『泣かない女』 

November 19 [Fri], 2010, 23:14


 故人はまだ五十代。ガンが身体をむしばんだ。遺された家族はご令室とまだ若い二十歳前後のご令嬢が二人。男手がない。こういうときは悲嘆にくれてる女性にかわって親戚の男性が出てきてフォローする場合が多い。その場合、なかにはでしゃばり過ぎて家族の気持ちとずれて暴走してしまう人もいて難しい。あくまでお金を出すのは家族であるし、一番は家族のやりたい方向に向けなければならない。でも女性は心細かったりして男の人がいると安心できる面もある。今回は喪主をつとめるご令室が病院で会ったときからものすごくしっかりしていて、すべてひとりで対応してスムーズに話しを進めることができた。ほとんどが俺のすすめる葬儀を受け入れてくれた。とてもやりやすかった。葬儀社は写真を掲げる祭壇が大きければ大きいほど儲かる。俺は社長が聞いたら怒るけど、あまり大きいものは勧めず平均的なところをお勧めする。逆に葬儀の規模から小さすぎて葬家が恥をかきそうなときは場合はアドバイスを入れるけど。すべて滞りなく、これが俺の葬儀の目指すところ。その舞台裏ではけっこうバタバタしてるけど表には見せない。喪主はとても落ち着いていた。それは粛々としていて怖いくらいだったが、かといって決してなげやりな感じでもなく、主張するときはしっかり主張した。
「霊柩車もいくつか種類がありますが。霊柩車は火葬場まで喪主様が位牌をお抱きになって乗っていただくものですが」
「これがいいです」
「ご納棺(お身体を棺にお納めすること)は日を改めてご親戚の方がそろった場面の方がよいですよね」
 「それはべつにいいです。娘と三人でいいです」
 きっぱり言った。親戚と仲が悪いのかと思ったが、式の当日遠方から来た親戚との様子を見ていてもそんな感じもしなかった。また事前の予想通り、多くお見えになった会葬者に対しても自然体でふるまっていた。最期のお別れの際もご令室のほか、多くの人が泣いてても喪主は感情が動揺するそぶりはなく、出棺の挨拶も自分のことばでしっかりこなした。
 結局、病院から身体を預かり葬儀を終えて遺骨となり自宅に帰ったときまで喪主の涙を見ることはなかった。それは決して他人に弱みを見せないと肩ひじをはってる感じでもなく、よもや旦那さんが亡くなっても悲しくないのかとさえ疑ってしまうほどしなやかだった。俺は最後まで喪主のこころをつかめないままだった。完敗だった。
「お世話になりました」
「いろいろとありがとうございました。警察官は飲んべえが多いからMさんも大変だったでしょう。迷惑かけませんでしたか」
 穏やかな笑顔で最後言った。故人は警察官だった。それまで喪主は自分からそのことを口にしなかった。当然俺の方から仕事は何をなさってたんですか、とは聞かない。ただ供物や問い合わせからその想像は容易についていた。
 初めて明かしたそのことばと笑顔で喪主のこころを知った感じがした。強い人だった。粛々としたものは全てを運命を受け入れた人の強さだったんだと。涙は人に見せるものではない。警察官は強くなければいけない。その人と一緒になる人も同様だ。やはり強いんだろう。
「そんなことありません。全て滞りなく済んで私もホッとしています。大変な数日間でお疲れだと思います。皆様もお身体ご自愛なさって下さい」



『STAY TUNED』 

November 17 [Wed], 2010, 18:30


斉木洋子

もう十年も前になるだろうか。前職のとき、平日の午後クルマで外出した際はいつも車内でかかってた番組。断トツでおもしろかった。初めて笑えるFM番組を知ったという感じだった。DJは、独身女性にもかかわらず前日飲んだくれて酔いつぶれた話しや自虐的な話しをあっけらかんと披露し、いまでいう負け犬キャラ。強気でフガフガ言うような芸風(!?)で、今日のお笑い女芸人の元祖のようでとびきりおもしろかった。明るいというか怖いくらい。門脇知子なんかどこかで影響受けてると思う。人気コーナーも充実してたし同時間帯でも圧倒的人気を誇ってたと思う。それが改編機にDJ降板となった。番組は継続してそのまま残ったし降板のはっきりした理由は明らかにされなかったと思う。局側としてはドル箱だったはずでどこか腑に落ちない感じだった。そしてそれ以降、斉木はこれといった看板番組をもたないまま、いつしか声を聞くことがなくなっていった。
最後、リスナーの興味は最終回に強気な斉木が泣くかどうかに集まっていた。もちろん斉木もそうしたリスナーの声を十分察知していた。そして結果。最終回、斉木はいつも通り自然体で走り抜いて終了した。恐らく多くのリスナーは涙、涙の最終回を期待していたと思う。リスナーは肩すかしをくらった。斉木の勝ちだった最終回。



P.S.
ただそんな斉木も実は何度か放送中に泣いていた。涙のリクエストというコーナーがあってそれはリスナーからリクエスト曲をエピソードとともに紹介するコーナー。内容はそれこそ、ほれたはれたのことや、身近な生活のことや夢や生死にまつわる遠大なことや様々だった。そのなかであるとき斉木はリスナーからのエピソードに感極まって泣いた。そのギャップ。表向き強気な人ほどこころの奥底は繊細でそれを隠しているのかもしれない。ちなみに俺も普段涙もろいので仕事のときは感情的にならないように冷徹、冷酷なくらい氷のこころをもっている。 


月〜木曜日 13:00〜16:44 アフタヌーン・ブリーズPART2 80.0MHz
(1996年4月1日〜2000年3月30日)

この項終わり

『STAY TUNED』 

November 15 [Mon], 2010, 20:28


帆足由美


ヤッホー。
DJは日曜の午後に明るく爽やかに呼びかける。


休日。海。ドライブ。
これはカップルのための三位一体のスプリングボード。免許を取って親から借りたクルマで初ファーストデート。みんな経験があるんではないでしょうか。なぜだか初めは海だよね。こなれてくると山の気持ち良さもわかってくる。湾岸線を走り十二星座占いに一喜一憂して盛り上がって下さい。世界は若いあなたたちふたりの未来です。DJは健全です。若い二人も初めは健全に。親が心配して待ってます。

P.S.
ちばぎんのCMがいつのときも俺の琴線に触れる。


毎週日曜 13:00〜16:44 BAYSIDE FREEWAY 78.0MHz



『STAY TUNED』 

November 12 [Fri], 2010, 21:05


小林克也

金曜にやたら長い時間やってます。トラックのフロントガラスに日の丸ステッカ−。埼玉の運転手連中に圧倒的な人気を誇ります。昔はよく聞いてたけど最近聞いてない。つまらないと思う。男女の恋愛は重要な番組のテーマなんだけど、最近わざとらしいというか、もはやどんどん自己満足の狭い世界に入り込んでしまってる。紹介する投稿もどれも同じ。
「聞いてるかどうかわからないけど、俺は○○と出会ったことを後悔してない。お互いバツイチ・子持ちどうしで障害は多いけどがんばっていこう」
たまになら応援したくなるけど、全部それなんだもん。世の中バツイチカップルしかいないのか。そういうの家で直接言ってくれないかな。品格まったくない。DJも二十年前は洋楽から英語を学んだという点でDJとして独特の存在感あったけどいまとなってはどうなんだろう。まず漢字を知らな過ぎる。小学生でも知ってるような簡単な地名さえ読めないで滞る。いくら英語ができても日本語がしっかり身についてなきゃ意味はない。もはや番組の役目は終えた気がする。


毎週金曜日9:00〜17:55 FUNKY FRIDAY 79.5MHz


『STAY TUNED』 

October 08 [Fri], 2010, 0:15


門脇知子

なにより明るく楽しいです。お笑い芸人として生きれられるくらい独自の感性でおもしろおかしく笑かしてくれます。女性らしさを消しても笑いを誘う、いわゆる負け犬キャラは女芸人かと思えるくらい。ただときおりドキッとする視点を見せるし基本しっかりしています。英語もめちゃうまいです。発音はネイティブかと思うくらい。前出の北島美穂とは逆に、天気のいい午後、海の見えるとこでBBQでもしながらみんなで笑いながら聞きたいです。

月〜木13:00〜15:50 RADIO SURPRISE 78.0MHz


『C'est la vie なんて絶対言わせない』 

October 05 [Tue], 2010, 19:47


「元カノから久しぶりに連絡があったんだ」
「なんて?」
「離婚したって」
「結婚してたの?そらあ、離婚は結婚の何倍もエネルギー使うから。疲れたんだろうね。寂しくて元カレにも連絡しちゃうよねえ・・・うんうん。なつかしくてお茶でもなんて誘っちゃったりして」
「・・・」
「図星か。いやらしいよね、男ってホントいやらしいよ。自分を見てるようで恥ずかしい。どっかでもしかしたらなつかしさとかつてを知ってる安心感からベッドインとか想像してたりして」
「それは。子供もいっしょだったから」
「えっ、子供いんのかよ?それはそれは予想外の展開。連れて来ちゃったのねえ、残念」
「一緒に飯食った」
「ちなみに男の子?女の子?」
「女の子」
「何歳?」
「よくわからない。今度小学生だって」
「六歳か。ちなみに彼女とは何年ぶりに会ったの?」
「五年くらいかな」
「五年・・・」
「子供かわいかったけ?」
「ちょーかわいい」
「ママに似てかわいいとか上げちゃったりして」
「・・・」
「おいおい、また図星かよ。俺もお世辞のひとつも言うよねベッドインのためなら。いやらしい。やっぱ男はみんな同じだやね。でも子供は反則だよ。なんの罪もないもんな。お腹いっぱい食べさせてやれよ。びっくらポンいっぱいまわしてやれよ」
「くら寿司じゃねえし」
「スシローか?」
「ちげーよ」
「やっぱかっぱか?基本に帰って」
「ちげーよ」
「まさか銚子丸か?あそこは高えーぞ」
「ちげーよ。なんで回転寿司ばっかなんだよ。どこだっていいじゃねーかよ」
「そこ少し気になる。ちなみにどこ行ったの?」
「焼肉だよ」
「なんだ、肉か。つーか当たり前じゃねーか。子供にとってごちそうは肉だろ」
「ちなみにそこの勘定は」
「まあ、俺払った。ほら食べ放題だし安いし。シングルマザーはやっぱ経済的に大変なんだよ」
「逆に独身のお前なんか金使うとこないもんな。今度俺たちにもおごってくれよ。おっちゃん僕たちお腹すいたよお」
「なんでだよ。知らねえよ」
「ちなみに本題はなんなの」
「わかった。母子ともども面倒みると。俺がパパの役目も担ってやるって」
「・・・」
「マジかよ!?また図星かよ・・・。勘弁してよ。つーか、無理無理。みんなそうなんだよね、初めは。燃え上がった火はブーストかかって自分のポテンシャルを忘れさせちゃうんだよね。アパートの一室。若い夫婦。泣き声。幼児虐待。容疑者。妻の連れ子。毎日そんなニュースばっかじゃねえか。聞き飽きた。もはやニュースにもなんねえぞ」
「それもわかる。ちらっとそれも頭をよぎったんだけど、自分の器量を考えて難しい気もするし」
「わかってんならいいじゃん。なんだよ?」
「会った翌日にまた連絡があって」
「昨日はごちそうさま。いよいよベッドインけ?」
「いや。お金を貸して欲しいと」
「金??」
「・・・」
「なんで??」
「おばあちゃんか、おじいちゃんが亡くなって葬式行くのに新幹線代がなくて貸して欲しいと」
「アハハ。そっか、そうきたか。で、一応聞いとくけど、まさか貸したとか?」
「振り込んだ」
「マジかよ!?しかもなんで振り込みかよ」
「ほらすぐ田舎行かなきゃならないから振り込みのが早いし、俺も忙しいから」
「それ理由になるか?もうだめだめじゃん」
「ちなみにいくら貸したの?」
「1万円」
「またビミューな金額。お前やられ放題じゃんかよ。もうしっかりしてくれよー」
「ちなみに彼女はなんて」
「来月返すから」
「ちなみにそれいつのはなし」
「3か月前」
「ちなみに返済は」
「それ以来連絡ない」
「ドンマイ。次の回がんばってこう。まあ良かったじゃん」
「良かった!?」
「いや。ほら、たとえばこれ10万円とかだったら大変だけど、1万円くらいなら諦めつくじゃん。いや、むしろ1万円でよかったよ。つまり相手は1万返すことよりお前との関係を断つ方を選んだわけじゃん。つまりお前には9999円までの価値はあったわけじゃん。これが1000円とかだったらお前は999円以下の価値ということだからな。安っいぞ。よかったじゃん。ハハハ」
「そんなの慰めにならないよ」




「幼稚園児の甥っ子がゴスペルをやっていて、先日その発表会に行ったんだ。ちなみに俺はカメラマンとして。パパとママとしては楽しみ半分、千人のオーディエンスを前にしてステージでちゃんと歌えるのか不安半分の心境で。そしたら案の定となりの子ともめ始めたんだ。となりの子が落ち着きのない子で甥っ子と反対の子にちょっかいを出すんだよ。まずいなという空気がスタッフや保護者に漂いテンションがはりつめた。暴君はそれでも止まらず、とうとううちの甥っ子がキレてその子の手を払いのけて、だめでしょ、って注意したんだ。それを合図にスタッフが駆けつけてその子を袖へ連れ出したんだ。その瞬間の甥っ子の表情はその日、百枚近く撮ったなかのベストショットとなったんだけど俺もびっくりした、凛とした厳しい目をしていた。ちなみにこれまで甥っ子には単に俺が飛行機が好きだから、パイロットになってくれないかなとたくらんで飛行機の本とか送ってたんだけど、その厳しい目をした上がった写真を改めて見てると裁判官が彼には適してるのかなと思ったんだよね。おじばかだけど。何が言いたいかと言うと、いけないこと、おかしなことをノーという勇気。なんかそれを幼稚園児にまざまざと見せつけられておじさんとして少しショックだったんだ。年をとるにつれて情がからんだり、社会に出ては自分が悪者になることを恐れておかしいと思っててもなあなあで済ませてしまうことが多くなるけれど、人としてやっていけないこと、それは法の問題だけでなく、仁義に反することも同じだと思う。別に飯をおごることはいいと思う。俺も格好つけたがりだし。また金額も問題ではない。さっき一万円以下の価値だと言われたけど、一万円も千円も同じだ。金額はその人の経済状況に異なるし。問題は、必ず返すといってなんの連絡もよこさない、そこがすべてだ。どんな事情があったにせよ、連絡をよこさないそのことがすべてだ。そのことが猶予されるのはもはやこの世にいないこと、彼女が亡くなってしまったときだけだ。そうではないだろう?」
「もちろん生きている」
「問い詰めたところで彼女は、ケータイが壊れて連絡が取れなかったとかなんだかんだ言うだろう。レベルが低い。悲しいのはそういういいわけと嘘の得意な親の下で育つしかない子供だよね。さっき、こいつも言ってたけど、子供にはなんの罪もないから。でも、その親は許すわけにはいかない。おかしい。先日、仕事で三十歳の女性を送った。乳ガンで三年の闘病の末だった。抗ガン剤の影響で髪はなくなってやせてしまってたけど顔はほんとにきれいな安らかな表情だった。独身でまだまだやりたいことたくさんあっただろうに。どんなに無念だったろうか。俺たちより若いんだぞ。人生これからだぞ。生きたくても生きられない人がまぎれもなく存在してたのを知れば知るほど、命あるのにそういう人間は許すことができない。大切なのは派手さや美しさなんかではなくひたむきでも他人に迷惑かけずに生きてることと、そういう人がしっかり評価される社会であってほしいと俺は思う。おとなしくしてれば何をしてもいいのか。ちなみにお前は催促はしたの」
「してない」
「なぜ?」
「そんなのしらないわよとか、男のくせにせこいとか言われるの怖いし」
「どこまでフニャチンなんだよ〜」
「あいつはなんも言わないからだいじょぶだよ、もっとやっちゃおうぜ。小学生のいじめの構図と同じじゃん。おとなになってもそんな精神性のままならもはや改善の余地はないって」
「・・・」
「わかる。過去を否定することはつらい。自分を否定することだし。俺たちもう若くないし」
「ドンマイ。忘れよう。今日は俺たちおっちゃんが一万円分おごってやっから」



『GALLERY』 

August 30 [Mon], 2010, 9:13

『STAY TUNED 』  

August 22 [Sun], 2010, 20:11


北島美穂。

朝。窓の外は雨。晴れてれば洗濯して散歩に行こうと思ったのに・・・。
でも洗濯はできないけど部屋の掃除や気分転換に部屋の配置替えはできる。雨の一日もいいか、そんな気分にさせてくれる穏やかな優しい時間をDJはつくってくれます。ICU出身なので英語もうまいです。ただ決してけたたましくありません。日本人のわび・さびをしっかり持ってて落ち着いてます(ICUは上智とかほかの英語教育の有名な学校と比べてむしろかぶれてない気がする)。
藤田く〜ん!の街かどレポートもさわやかでよいです。このコーナーひとつとっても、いいのはリクエスト曲をはじめに紹介してから街の人の声を紹介するから聞き手としては次にかかる曲がわかってて安心なのです。やっぱり安心感・安定感がある番組です。

月〜金9:00〜13:00 THE BREEZE  84.7MHz

P.S.
普段テレビはあまり観ないから、むしろ移動のときのカーラジオからが貴重な情報源だったりする。ブログはついつい重くなってしまうので息抜きにこれから自分のお気に入りのラジオ番組をいくつか紹介します。

さらにP.S.
先日の結婚式はなんとか出席できました。新郎新婦、永遠に幸あれ。


『Mートラウマー』 

August 20 [Fri], 2010, 22:22


「先日Мさんが担当した○○家の今度は奥様が亡くなりました」
 休み明けに出社すると報告される。
「えっ!?やっぱり・・・。お父さんのときも入院中で列席できずに意識もなく、危険な状態だとは言っていたんですが」


「Mさん、もし親父の葬式中にお袋も逝っちゃったら、変な話しまとめてやっちゃっていいのかな」
「事故とかではありますけど・・・未来の話しはやめましょう・・・」
そんな会話を数日前にした記憶がある。

 人が亡くなる時期や時間帯に月の満ち欠けが影響しているという話しをどこかで聞いたことがある。最愛のだんなさんが亡くなったことはわからないまま、自分もいざなわれるように追いかけるように逝く。夫婦には夫婦にしかわからないことがたくさんある。周囲がとやかく言ったところで立ち入れない領域は究極に魂の絆の強さとして最後示された。ふたりは同じ日一緒にひとつのお墓に入る。一方、だんなさんの浮気を案じて、寝てるすきに火を放ち無理心中をはかった人もいた。結局、自分だけ死に切れず生き延びた。これから罪を償う人生を送っても、ふたりは当然同じお墓には入れないだろう。

 だんなさんや奥さんと同じお墓に入りたくて結婚する人はいないだろうし、同じお墓に入りたくないからという理由で離婚する夫婦もいないだろう。ま、お墓のことなんか考えないのはふつうだ。

 小学校五年生のときだった。自営業でやってた父親の会社が倒産して借金を背負い、一家離散の危機に面した。○○(兄の名前)はしっかりしてるから、○○(俺の名前)は田舎に預ける・・・。○○(妹)は・・・。真夜中、となりの部屋からの両親の会話で目をさました。兄も妹も深い眠りのなか、ただごとではないのは直感でわかった。しばらくして、ふたりの会話は聞こえなくなった。どっか行っちゃう、このままお父さんもお母さんもどっか行っちゃう、とてつもなく悲しくなって涙があふれてきた。どうしよう、なんとかしなきゃ。俺は立ちあがった。となりの部屋のふすまを開けた。そしたらいま離婚を話してたふたりはなぜか夫婦の営みをしてた。最後の覚悟の交わりなのか、そんなのわからずに純情な少年は
「お父さん、お母さん離婚しないでね」
 泣きながら懇願した。
「なんだ。聞いてたのか。だいじょうぶ離婚なんてしないから」
 びっくりしてあわててふたりは離れた。
 これは冗談のようでホントの話し。親の性生活はホント、へこむけど大人になるにつれてすべらない話しになる。俺の友達なんかは高校生の頃、おかんがおとんの上にまたがってるのを見たと言ってみんなで大爆笑してた。しかし俺の場合はシリアス過ぎて・・・。その夜以来そのことを親と話したことはない。兄も妹も知らない。それからは最悪の家庭だった。父親の仕事はパッとせず、金や浮気やらでけんかばかりの親で、もしあのとき俺が余計なひとことを言わなければ、家族みんな人生は変わっていただろう。むしろそっちのがよかったのかもしれない。当時二十五年前はいまとちがって離婚や片親はクラスにひとりいるかいないか、くらいのごく少数だったしどこか悲愴感があった(傷つく人がいたらごめんなさい)。いまは芸能人などの影響もあって離婚やシングルマザーが珍しいことではなくなった。なにより親も子供も明るい。ただそれが子供にとってベストでないことはみんな薄々わかってるはずだ。マザー・テレサは、その行動は壮大で偉大だけど言ってることは決して難しいことや奇をてらったことではない。世界の平和のために私たちがするべきことは?そうインタビュアーに問われた彼女は言った。家に帰って家族を大切にして下さいと。仲の良い両親の下で愛情を受けて育った人は自然と人を愛し、いたわることができる人間に育つ。それがひいては世界の平和に結びつくはずだと。逆に俺のように不仲な親の下で育っちゃうと屈折しちゃうし、自分の生まれてきた意味さえ疑ってしまう。離婚は遺伝するというのが俺の持論。一説には、けんかばかりしてる親ならば、いっそ離婚して片親のもとで育ったほうが子供にとってはいいという考えもある。ただ安易に選択して欲しくない。なぜならそこに子供の気持ちがまったくいない。結局うちの両親が離婚したのは俺はもう大学を出て、自立した大人になっていたけど、やはり悲しくて悲しくて涙が止まらなかった。それが俺の経験だ。

離婚する夫婦がいるなら当然結婚する夫婦もいる。今晩当直勤務で会社に泊まるんだけど明日は友人の結婚式。今晩だれも亡くならなければ朝帰りして予定通り式に出席できる。今晩だれかが亡くなり仕事となると時間が足りないから直接会社から向かう予定。さらに明日お通夜やりたいんですと言われればドタキャンとなってしまう。結婚式は人生最高の舞台。ついウルッときてしまう。みんな夫婦は一生結婚式の日の気持ちのままなら喧嘩も離婚もしないのにね。ちなみに明日は俺の誕生日でもありまして自分のお祝いもかねて出席したい。今晩はだれも亡くならないでください。


『葬祭講座』 

August 10 [Tue], 2010, 13:41


 葬式は要らない、最近いろいろとマスコミで話題になってるが、その議論はのちほど、今日は一般の人になかなかなじみがないけど、お布施に関わってくるところで気になるところだと思う戒名について説明します。
戒名(宗派によっては法名、法号ともいう)とは、簡単にいうと仏教において死後、釈迦(仏教の創始者)の弟子となるために生前の名前(俗名)から改めて授けられるもの。これは仏教の考えなので当然クリスチャンにはいらないし、神道の方もいらないし、さらにいえば仏教徒でも必ずしもつけなければいけないものではない。逆にいえば必ずつけなければいけない方はどういう人かというと、仏教徒で先祖代々のお墓がひとつのお寺にありその故人も入るべきお墓がそのお寺だという場合(これを菩提寺という。逆に寺からは檀家という)は、そのお寺の住職に戒名をつけてもらわなければそのお墓に入れない。仏教徒というと、ピンとこないかもしれないけど、家の宗派を親や親戚に尋ねれば、だいたい、真言宗・日蓮宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗に当てはまる。これらすべて仏教のなかの宗派。つまり菩提寺に入るためにつけなければいけないものを戒名という。入墓料とでもいえばわかりやすいかな。一方同じ仏教徒でも戒名をつけなくてもお墓に入れる場合もある。それは入るべきお墓が菩提寺ではなく霊園などのお墓の場合である。霊園は宗派問わずなので、クリスチャンの方も眠っているし、神道の方も眠っているし、様々。そこは仏教徒でも必ずしも戒名をつけなくて、俗名のままで問題はない。
 多い葬儀のパターンとして菩提寺がある場合。当然通夜・告別式のおつとめをその住職にお願いして、戒名もつけてもらう。一方、菩提寺がない場合、先祖の宗派を確認してもらってその宗派に合わせた住職を我々、葬儀社で手配しておつとめしてもらう。その場合、戒名はつけてもいいし、俗名のままでもいい。
 いわゆるお布施といわれるところは、戒名料と通夜・告別式・繰り上げ初七日法要のお経料の四つを合わせてお布施とする場合が多い。気になる額は菩提寺の場合それまでのお寺と葬家との関係もあって一慨にいえない。むしろ葬儀社は立ち入れない領域。直接お寺に相談してくださいという。戒名にもいくつか種類があってそれにも変わってくる。通常戒名といわれるものが○○○○信士(女性は信女)。○四文字に俗名の一字が入ることが多い。その上に○○○○居士(女性は大姉)というのがある。定義としては社会で成功した人やお寺に尽くした人につけられる。その上に院号がつく人もある。△△号○○○○居士(大姉)。ひとつの目安として俺が菩提寺を持たない葬家に紹介する場合のお布施の目安を明かします。戒名なしの場合、俗名で通夜・告別式・初七日法要のお経だけをお願いする場合、二十万円。通常戒名をつける場合、三十万円。居士をつけたいという方には五十万円。院号が欲しい方は七十万円。これが今の都内の相場と考えてもらって大差はないと思う。死んだあとまで金なのか、それは人それぞれ考え方次第。ちなみに浄土真宗の戒名は変わってて釈○○のみ(女性は釈尼○○)。
 
 P.S.
 大機院彗照光隆清居士。これは俺の祖父の戒名(曹洞宗)。光隆というのは俗名。それ以外の字は例えば生前の人柄などから住職が経典とかから拾ってきた字だと思う。それは住職に聞いてみないとわからない。
同様に嵯機院篤誠隆照清大姉。これは祖母の戒名。隆が俗名。基本的に夫婦の戒名は同等にされる。地方はこれからお盆。先祖に手を合わせるついでにお墓に刻まれてる戒名を見てみるのもいい機会です。


『カンテツな女』 

August 02 [Mon], 2010, 3:07


「いま家族が亡くなってお願いしたいんです・・・」

「大変ご愁傷様です」

当直の日 真夜中 寝台車で病院に向かう

道路は渋滞知らず 赤信号にさえつかまらない

車窓から眺める静まりかえった街

一軒家もマンションも どの部屋も電気は消えている

みんな待ってる明日のために休んでいる

ときおり現れるコンビニの灯りがホッとする

酔っ払いの叫び声が心強い 寄り添いたくなる

非常灯を頼りに暗い病院の無人の廊下をつたう 

刻むのは生命を維持するためにつながれた

無機質な機械音と自分の足音のみ


「葬儀社の者です」

「御苦労さまです。病室はこちらです」

案内してもらう

「こんな夜中に大変ですね」

「いえ」

(看護婦さんの仕事に比べたら我々の仕事なんて・・・)

言おうとして止めた


死を軸に見ると俺たちの仕事はそこがスタート

接するのは故人と遺族

看護婦さんはそうではない

亡くなる前の闘病から患者として接し

家族の支えになり その死の瞬間をも見届け

お体の処置を施し 送り出す

カンテツな女・・・

肉体的にもそうだけど 精神的にもタフでなければつとまらない

とても強いと思う

自分には無理

いま起きてるのは自分たちだけなのか 

いやもしかしてこの世に生きてるのさえ

自分たちだけなのではないか

そんな寂しさに押しつぶされそうな真夜中

突然出現する太陽のようにまぶしく光っているナースステーション

どれだけ俺はあなたたちの存在に勇気をいただいたことか・・・


『RE:  SET』 

July 05 [Mon], 2010, 21:29


 ここのところ仕事がたてこんでて一週間で三件の葬儀をこなしたり、入れてた休みもキャンセルつづき。二週間以上休めず、しかもたまたま同じ苗字の葬儀も三件続いたりして、Мさん○○家より電話です、とつながれても、どこの○○家かわからなじゃないか、しっかり聞いてくれ、と事務の女性に当たったりしてけっこう精神的にも肉体的にもきてた。なんとかすべて滞りなく終えてようやくひと段落して連休が取れた。
 さてこの連休どうしたものか。
 こんなときはやっぱり温泉でしょう日本人なら。
 というわけで信州の鹿教湯温泉というひなびたとこへ行ってきました。普段シャワーだけで済ませてるので俺はこんなときしか湯舟につからない。旅のお供はポルシェがただいま車検中なので代車は懐かしの名車、プリメーラP10。久しぶりに乗って再認識、パッケージングとバランスが秀逸。あの頃の日産は輝いていた。普段なら高速道路200キロで飛ばしちゃうんだけど、そんな気にならずに、下道でのんびり行こうと平和な気持ちにさせてくれる 笑。いま流行りのプリウスなんかもそう、スピード出ないしブレーキきかないし、ハンドル握るとあくせくしないで優しい気持ちにさせてくれる。実際今回、高速は極力使わなかった。信州は空が近くてその空と雲はもう夏の装いで包み込む。下道でもまったく空いてるしすごく気持ちよく、ルパンみたいにトコトコ里山を抜けてった。
 その他のお供は釣り道具。竿はベイト一本。用意したルアーもポッパー、スピナベ、クランクベイトの三種類のみ。ここまで来てちまちまやりたくない。ダイナミックに勝負する。
 その他にいつものデジ一。実はけっこう俺の撮る写真て自分ではジャコメッリぽくていいと自画自賛なんだけど、人からは、は?意味わからないと言われる・・・。
 他には普段あまり読めないから本も持ち込んだ。小林秀雄、カミュ、ドストエフスキー。昔読んだ人たちだけど最近改めて気になってる作家たち。新参者として末木文美士、中村文則。


 朝、日の出前から起きだし竿を振り、宿に戻り温泉につかり、昼はカメラを担いで散策する。夜はテレビをつけずに本を静寂のなか読む。窓を開ければ独特の山の香りが注ぎ込んでくる。東京にはない空気間。
 ルーティーンのことは完全に忘れてのんびりできた。やっぱり精神的に堪える仕事だと思う。一生この緊張感が続くと考えると寿命が縮まる思いがする。いかにオフのときは仕事から精神も肉体も離れられるか。オンとオフの切り替えを明確につくることが仕事での集中力をつくる。最近はそれで自分のバランスを保っている。これでリフレッシュできてまた明日からは当分は、大切な人が亡くなるというこの世で最も悲しい場面に立ちすくむ人たちの真っただ中に自分を信じて突入して行ける。それでもやっぱり仕事が好き。葬儀屋が天職なんてホント変態です。

P.S.
鹿教湯温泉は何もないとこだけど、温泉はよかった。同様に無色透明のひなびた温泉で那須の北温泉てとこに行ったことあるけど鹿教湯のお湯のがよかったです。

さらにP.S.
9月に夏休みを予定しているんだけど、尾道を訪ねようと計画してます。とても楽しみです。