どろろと百鬼丸 

2006年03月10日(金) 20時45分
私が覚えている題名は、「どろろ」であった。
後に「どろろと百鬼丸」に変わったというのは、全く知らなかった。

このブログに書き始めてから、すべて先週亡くなった父のことに触れてばかりいるが、
この「どろろ」についてもそうだ。
父は子供の私に、「どろろは子供が見ない方がいい」と
かなり強く言っていたのだ。それを思い出す。

「どろろ」のことを思い出したのは、
今「ムーミン」のレンタル落ちビデオをオークションで探している途中、
「はてな」で語句について探しあてた後、
第一期「ムーミン」の放映時間の前に放映されていたのが
この「どろろ」であったことを知る。

そうかぁ。。そうだったかぁ。。

そうなると、私が父に「どろろは見ない方が、、」と言われていたのは、
4歳前後のこととなる。。。
確かに4歳の女児が、48カ所も欠損があって生まれ川に流された赤ちゃんという箇所や、
自分の身体を取り戻していく主人公・百鬼丸の姿を顕した漫画は、
あまりにも陰惨なシチュエーションだと父は考えたのだろう。
実際、「どろろ」のストーリーを振り返ってみて、
古事記を紐解いた辺りはいいにしても、あまりに陰惨な時代背景に
胸が苦しくなったくらいだ。

息子も思い出している 

2006年03月08日(水) 20時35分
1ヶ月前に、両親と妹を招いて
おでんを囲んだ。
父が我が家を訪れたのは初めてだったのだが、
祖母が亡くなり、自分の死期を悟ったのかどうなのか、
私の家を訪れるなど、当の私は全く予想だにしなかった。
しかし、私は心ときめかせながらその日を待ったのだ。


私はもっと父と話すべきだった。
子供の頃には、父のそばにはいつも私がいたというのに。
私が父親似だという自負は、
肝心の父がいなくなっては全く意味を成さない。
私のルーツが半分無くなってしまったかのように思う。


「龍太郎は何歳だっけ?」
その頃頭がどんどん緩やかにぼんやりとしてきた父の問いに
それをいつものことと承知で息子が答えた。
「13歳だよ。」
「そうかぁ。。13歳かぁ。。」
何度そのような会話をしても、父はいつも息子の年齢を尋ねていた。
「龍太郎と一緒に晩酌をするのはいつになるだろうねぇ。」


それを待たずして、父は逝った。

あと7年。。。あと7年待てば、思う存分、、
まぁ、今よりも更に病弱になっているだろうから存分に飲めるか定かではないが、
しかし、誰に気兼ねなく『男同士』の話も出来たろうに。。。

75歳の祖父と20歳の孫が晩酌をする。
そんな図なんて、世間のどこかに転がっている図の筈なのに、
父には無理だった。父の身体はもう限界だったのだろう。。。


父は、男の子供を欲しかったのだと思う。
私が長女で生まれてきて、それはかわいがってくれたが、
私にあてがわれたのは、
男の子のような服装と髪型、そしてキャッチボールなどであったことからも、
父が本当は男の子供を欲しかったことが嫌でもわかるだろう。


だからこそ、私の子供の龍太郎をかわいがってくれた。


去年の夏に、母が珍しい申し出をしていたことを思い出す。
「お父さんが龍太郎とプールに行きたいって言ってるんだけど。。」
いくつかの病気を重ねて身体が弱ってきているのに、プールだなんて大丈夫なんだろうか?
私は始めは訝った。
が、父がそれを望んでいるのならそうしてあげようと思い、
龍太郎を実家に行かせた。

ルーツ 

2006年03月08日(水) 17時22分
自分のルーツというものを知るときに、
まず何を始めにしたらいいのかということを考えると、
自分の両親のことを学ぶべきだと思う。

両親がそれぞれ生まれや育った環境、
思考や趣味、
これらの事柄が枝葉を延ばし
結局自分のルーツを形作っていると知ったら、
これほど興味深いものはないだろうに、と思う。


私は先日父を亡くした。
父の言葉で自分史を綴ってくれていたら
どんなに良かったのにと思う。
しかし、父はそのようなものを残しはしなかった。
私はもっと早く、
父の生前から父のことについて
話を聞いておけばよかったと後悔をしている。

耳にすると懐かしさを彷彿とさせる静岡県のある都市、
富士山の麓に父の生家がある。
今の私にとっては、『聖地』へと変わってしまった。

駅に下り立ち父の生家まで歩く間に、
父は様々な人に懐かしそうに声を掛けられていたことを思い出す。
もう30年も昔の事だ。
若々しい父は笑顔をたたえて、
子供の私と妹に
「お父さん、有名人だろう?」
と嬉しそうに話したことを思い出す。


父はどんな子供時代を過ごしたのだろう。
若くして亡くなった妹と遊んだりしたのだろう。
戦時中にハムを食べていたと話していた。
父の生家でローカル新聞も印刷していたと言っていた。
広い邸宅をそのまま利用し、もう何十年も旅館業を営んでいる。
訪れると、豪華な食事を出されるのと広い旅館に泊まれるのが楽しくて、
いつもその生家に行きたいと願っていた。


父に逢いたい。
もう一度、父に逢ってみたい。。。。

あなたの娘でよかった! 

2006年03月06日(月) 20時29分
父が亡くなったことで、
これまで以上に
心の片隅で
父を意識して過ごすことが多くなった。

出来れば、
亡くなる前に
伝えたい言葉があったのだが、
母から真夜中に連絡をもらったときには
既に心臓が停止していたようだから、
もとより無理な願いだった。

お父さん
今までありがとうございました
そして、ごめんなさい。。。

私を大切に育ててくれて
本当に感謝しています


私はあなたの娘で生まれてきたことを
本当に感謝しています

お父さんの娘で良かった。。。。


それだけを伝えたかった。

けれど、それも叶わぬ夢。

だから、私はいつも父の事を心の片隅に意識して
生活をしていくことでしょう。

きっと亡くなる前よりも
もっと父のことを意識して生きていくことでしょう。

あの日に帰りたい 

2006年03月03日(金) 19時48分
2月26日に突然父が逝去してから、
私はまだ立ち直れないでいる。

母にしてもそうだ。
母などは、始終
よくも悪くも父の影響下で生活をしていたわけだから、
それも40年以上も、
今になって父なしの生活に慣れるまでに
果たしてどれくらいの時間が必要なのだろう。

夜ともなれば
隣で寝ていた人の寝息さえも聞こえず、
それにはたと気がついて
急に寂しくなって泣き出すこともあるかもしれない。

私にしても。。。

私だってそうだ。

父が死ぬまでに
親子の間の確執を取り除きたいと願っていたけれど、
結局勇気が無くて
謝ることすら出来なかった。

父の笑顔
幼い頃には父がいてさえくれれば
それだけで安心に過ごすことが出来た。

そんな『あの日』に帰りたい
P R
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