ハンガリー・オーストリア紀行(40)(訂正あり)
December 10 [Wed], 2008, 21:16
こちらの記事でモーツァルトの葬式記事を書きましたが、この記事を書いたのは、12月6日
モーツァルトの葬儀日でした
写真のプレートを見て知りました。
ぼんやり、この近辺の日にモーツァルトが死んで、その命日の「毎日モーツァルト」では、いつもは声だけ出演の案内人・山本耕史が出てきてウィーンで朗読している映像が出てきたことは憶えていましたが。
さて、ウィーンのモーツァルトハウスはシュテファン大聖堂の近くにあります。
別名フィガロ・ハウス。
彼の絶頂期の2年半の間、そこに住んでいました。
このアパートメントでオペラ「フィガロの結婚」を作曲したのでした。
2006年にモーツァルト生誕250周年を記念して大改修工事をしてオープンしたのだそうです。
ここに展示されているもののほとんどはモーツァルト愛用の品ではありません。
同時代の家具だったり、当時の銅版画だったり、フリーメーソンの儀式用の道具や、「フィガロの結婚」の衣装、交友のあった人たちの肖像画などが展示されています。
また、オペラ「魔笛」の実際のオペラのアリアでの1シーンを立体映像と音楽で楽しむコーナーもありました。
どちらかというと、モーツァルトをイメージする展示内容になっています。
構内には日本語のガイドブックもあります。
何よりも嬉しいのは日本人男性による日本語のガイドフォンがあることです。
案内人・山本耕史のガイドフォンだったらもっと嬉しい。(おい)
上川隆也さん、市原悦子さん、高橋克典さん、松坂慶子さん。
最近は美術館のガイドフォンを俳優さんが担当することもあるのですが、ナレーション界の貴公子は意外とありませんね。
いつかはプリーズ!
近くにコロレド大司教と大喧嘩をして、ザルツブルクを後にしたモーツァルトがウィーンにやってきたときに一時身を寄せていたドイツ騎士団教会もありますが、うっかりしてスルー。
訂正:
申し訳在りません。m(_)m
ドイツ騎士団教会ではなく、ドイツ騎士団の家のまちがいでした。
そこはコロレド大司教の邸宅でウィーンが気に入ったモーツァルトはザルツブルクに帰らなかったために、コロレドと大喧嘩になり、侍従に蹴飛ばされてそこを追い出されたそうです。
逆でしたね。(訂正ここまで)
残念!!

モーツァルトの葬儀日でした

写真のプレートを見て知りました。

ぼんやり、この近辺の日にモーツァルトが死んで、その命日の「毎日モーツァルト」では、いつもは声だけ出演の案内人・山本耕史が出てきてウィーンで朗読している映像が出てきたことは憶えていましたが。

さて、ウィーンのモーツァルトハウスはシュテファン大聖堂の近くにあります。
別名フィガロ・ハウス。
彼の絶頂期の2年半の間、そこに住んでいました。
このアパートメントでオペラ「フィガロの結婚」を作曲したのでした。
2006年にモーツァルト生誕250周年を記念して大改修工事をしてオープンしたのだそうです。
ここに展示されているもののほとんどはモーツァルト愛用の品ではありません。
同時代の家具だったり、当時の銅版画だったり、フリーメーソンの儀式用の道具や、「フィガロの結婚」の衣装、交友のあった人たちの肖像画などが展示されています。
また、オペラ「魔笛」の実際のオペラのアリアでの1シーンを立体映像と音楽で楽しむコーナーもありました。
どちらかというと、モーツァルトをイメージする展示内容になっています。
構内には日本語のガイドブックもあります。
何よりも嬉しいのは日本人男性による日本語のガイドフォンがあることです。
案内人・山本耕史のガイドフォンだったらもっと嬉しい。(おい)
上川隆也さん、市原悦子さん、高橋克典さん、松坂慶子さん。
最近は美術館のガイドフォンを俳優さんが担当することもあるのですが、ナレーション界の貴公子は意外とありませんね。
いつかはプリーズ!
近くにコロレド大司教と大喧嘩をして、ザルツブルクを後にしたモーツァルトがウィーンにやってきたときに一時身を寄せていたドイツ騎士団教会もありますが、うっかりしてスルー。

訂正:
申し訳在りません。m(_)m
ドイツ騎士団教会ではなく、ドイツ騎士団の家のまちがいでした。
そこはコロレド大司教の邸宅でウィーンが気に入ったモーツァルトはザルツブルクに帰らなかったために、コロレドと大喧嘩になり、侍従に蹴飛ばされてそこを追い出されたそうです。
逆でしたね。(訂正ここまで)
残念!!

- URL:http://yaplog.jp/marmot02/archive/904

