
久しぶりのブログ更新です。最近はツイッターばかりでして、まんまと時代に流されている今日この頃であります。
最終更新日から今まで様々なことがありましたね。二度と忘れられませんね。それでも時間は目まぐるしい。このブログに一度でも来て下さった皆さんがお元気でいてくださると嬉しいです。いやこのブログなぞ関係無しに地球上全てが出来るだけ元気でいてほしいですね。
今回はどうしても書いておきたい、というか整理しておきたいことがあって更新しました。完全に自己満足です。
先日参加したRIJF2011に出演したフジファブリックについてです。
志村さんが亡くなってから初めて単独でファンの前に姿を現したフジファブリック。バンド自体、そして客の反応がどうなるものかと、彼らが登場するまで少しばかり緊張していた。
登場したフジはサポートギター無しの4人体制。一曲目は部分的に着うたやHPでの試聴などで先行公開していた新曲STAR。ちょこっと聴いていたものより良い印象。良い曲なのは間違いない。
二曲目、夜明けのBEAT。ここからギター一本じゃ物足りないと強く思い始める。シンセで頑張ってカバーしていても薄い。山内さんボーカルへの違和感も正直否めないけど、それは仕方のないこと。
三曲目は新曲。モノノケハカランダ的フレーズから始まるぶっとばすぜ〜みたいな曲。サビに力があったけど全体的な印象は惜しい感じだった。
四曲目も新曲。イントロのミュートからへんてこに変化して意表をつかれた。それがフジ節炸裂で思わず声出して笑ってしまった。ただ、ここで確信した。今回披露した新曲の多くはメロディが直線的すぎてあまりグッと来ない。志村さんは極稀の天才的なメロディメーカーであったと再認識した。
五曲目、虹。前に見た夢が正夢になって少し驚いた。夢通り山内さんの歌声に似合っていた。でもやはり所々にある山内ギターの美味しいフレーズが無いのはとても物足りなかった。
六曲目、会いに。この曲を聴いてやはりサポートギターを入れてほしいと思った。印象的なイントロのリフがサビ同様下降するコード進行のアウトロに来ることで、切なく胸がキュッとする程美味しくなるのに、それが無いため曲の良さが少なからず減っていた。折角色々考え色々詰め込んで出来た良い曲を、そのまままたはそれ以上に良く伝える為に音がもっとほしかった。
ラストはECHOという新曲。志村さんへの曲だとすぐにわかった。詞がドストレートだ。山内さんはくるりと斉藤和義のサポートをしていたけど、その二組の要素をしっかり貰ってきているなとこの曲を聴いて思った。
悲しいけれどやはりフジファブリックであって過去のフジファブリックではない。フロントマンがいないのだからそりゃそうだ。そう思わなきゃ解決しない。
それでも彼らは動き出した。応援したい。
だけど、今回のライブを見て凄くモヤモヤした。客の反応だ。
もう、なんというか異様であり、不思議な空気が流れていた。
確かに、久々に公に出てきてくれた。演奏中、山内さんは涙ぐんでたし、横にいるスタッフも最後は泣いていた。ただ、客の反応が予想以上だった。虹が始まったとき僕の横の人は号泣していた。そして鳴りやまない黄色い声援。他のバンドとは明らかに違った。それはまるでフジファブリックがアイドルかそれ以上の神聖なものであるかのようだった。宗教かと錯覚するくらいに。正直怖かった。
そこで考えた。殆どの人がフジファブリックというバンドを、フジファブリックの音楽を純粋且つ冷静に受け止められなくなっている。とあるバンドのフロントマンが亡くなり、その人が不在の状況でも再び活動を始めた残された三人という一つの物語に悲しみ、感動している。と。
僕はそうじゃないと思う。大好きなアーティストが全力で作る今の音楽をじっくり聴いて体感して、良いかどうか判断したい。喪失と悲哀の上にある音楽という見方をしたくない。同情しているようで、そんなの失礼だ。
でも僕はあの会場でそう感じてしまった。
曲に関しては一回聴いただけじゃまともな評価は出来ないから9月発売の新譜は凄く楽しみだし、それを聴き込んで12月のZepp Tokyoでの公演に行く。でもその会場でも今回と同じような雰囲気だったら、もう当分行けないと思う。居心地が悪く、苦しいから。
素人が偉そうに語ってすみませんでした。なんだこの記事。早く風呂入れよ。
ロッキンの感想は、日焼けと汗が大変、体力は案外持つ、自然って素晴らしい、野宿寸前の水戸で奇跡的に宿見つかって嬉しかった、茶屋ビレッジのマンゴーフラッペ、アジカン凄かった、花火綺麗、旅気分を味わえた、ぼっちは楽だけどちょいちょい淋しいからやっぱり趣味の合う友達と楽しみたい、の三本です。