帝都ロンドン 

June 13 [Wed], 2007, 12:45
イギリスは非成文憲法の国である。昭和天皇も読まれたと言われるバジョットの名著「イギリス憲政論」を読むと、議院内閣や首相といった根本的な国家の成り立ちが、明文化されたルールではなく、その時々の為政者の判断の積み重ねによって作り出されてきたことがわかる。

そもそも、イギリスでは「憲法」は慣習を含めた国の成り立ちを指すのであって、日本のように条文を指すのではないのである。 もちろん、為政者が勝手なことをやらないようにある程度の縛りは必要である。イギリスでも、「マグナ・カルタ」は、国王の権限を制限するために制定された。

モンテスキューやブラックストンの影響を受け、イギリス憲政の三権分立とは、立法、司法、行政といった権力を分割することによって皇帝の権力である、君主制的要素、貴族たちの毛力を規制する、貴族性的要素、民主主義を根底に置く民主制的要素を、再規定しているといえる。

バジョットは、権力配置に関する分析を二分割して行った。まずは、国民に憲法への尊敬の念を訴えかけるという演劇的要素である。これは権力者の保持している力を国民に見せ付けるといった、一種の尊厳的パフォーマンスのようなものであったという解釈が出来る。<.br>もう一方はこの、国民の信従を利用して現実の支配を行使する有用的要素であった。しかし、国民にこの三権分立を周知するのに非常に困難であったのではないかとも思われる。このイギリス国家における古くからの慣習を断ち切るのではなく、君主という一つのシンボルに権力が存在するという一つの思想が、政治的価値を有していることはあきらかであるだろう。

権力は以上の以上のように分権されたが、民とってそれは非常に不安定なものであり、民主化の中の実質的権力装置は必然的に存在していたと考えられる。今回作成した帝都ロンドンでも明らかであるように、裁判所、宮殿、寺院といった権力装置はやはり民衆の中に大きな存在感を植えつけている。

Charleston.SC.火災保険図 

May 18 [Fri], 2007, 13:02
 1780年代における英国の海上火災保険業界における信用調査・市場調査の水準を考えてみよう。

 このCharlestonの火災保険に関する地図は、1780年Charlestonの火災防止のための設備とレンガ造りの住居の出現を表している図であり、これはイギリスの保険会社の要望にこたえるべくE.Petrieによって作成された。また道路幅の拡張や、住宅地の間、庭園や公園などの細道が詳細に調査されたのである。
 このような火災保険地図は、詳細にわたる都市計画そのものであり、例えばレンガ造りの住宅やその囲い、建造物の高さやドアの位置、窓の数やエレベーターなども、これにあたる。これらを綿密に調査するところから、火災保険地図は作られていったということである。
 世界で最も古い火災保険地図のひとつは、ロンドンのRichard Horwoodによる1792−1799の地図である。アメリカにおける都市の効率的な拡張を目指して作られたものだった。また、現存している地図のうち、最も古いものの一つは、S.J.Gowerによる1851年のサンフランシスコにおける地図である。 このような、火災保険地図の歴史を見ても、英国の海上火災保険業界における信用調査・市場調査の水準は、当時非常に高かったということがわかる。 また、今回、レンガ造りの家を赤で塗りつぶしたが、この結果からわかることは以下の三点である。

@Charleston南西部にレンガ造りの住居が密集している。
A比較的幅の広い道路に面している住宅は、レンガ造りの住居が多い。
B公共建築物の周辺には比較的、れんが作りの住居が密集している。

Charleston,SC 

May 10 [Thu], 2007, 11:19
 18世紀といえば日本近海に画一句船が出没し、中には難破する船も現れた時代である。(イタリア人シドッチと新井白石『西洋記聞』(1709〜1715)。当時太平洋にはスペイン領のメキシコとフィリピンの間には通商路が開設されていました。メキシコ銀貨は南海(中国〜東南アジア)における国際通貨でした。18世紀の50〜90年代といえば平賀源内や解剖学の杉田玄白、農学の青木昆陽、海防論の書「海国兵談」(1790年代に寛政異学の禁に抵触)の登場する時期です。

 当時北米大陸の所有をめぐって英仏が覇権争いを展開しており、ブーゲンウィルと、クック」の活躍は、七年戦争後の太平洋海域における西欧列強の覇権争いを予告するひとつの事件であった。当時の地誌はそれに参加した科学的探険家たちによって担われていました。

   当時わが国は、江戸は金本位制でしたが、大阪や博多・長崎はかつての南海交易との関係で、銀本位制(銀行・銀座)下にあったのです。16〜17世紀における日本列島は鉱山開発ブームでしたが、これはこの南海(南蛮)交易との関係で、理解すべき内容を含んでいます。江戸初期における日本の貨幣制度は貴金属系の流出で何度か崩壊の危機に直面しています。

 わが国の伝統的地誌(国会類を含む)の編集は17〜19世紀を通じて盛んに行われていました。その問題は別途検討してみることにしましょう。

 講義の中では西欧列強による初期資本主義のグローバルな拡大と海外情報のヨーロッパにおける関心の高揚、かかるブームを受けて地誌(旅行記や航海記を含む)形式のユートピア文学の流行、ユートピア願望が新大陸への彼らの移住を促進したことに触れました。

 アダム・スミス『道徳情操論』と新大陸における労働力調達を考えておこう。

 ユートピア文学との関係で18世紀の『歌劇『フィガロの結婚』(モーツアルト)の荒筋を検索しておこう。支配者と被支配者の立場の逆転を面白おかしく描写しています。これは市民革命に繋がる思想の流行を取り入れた結果なのです。ロココ風ーこれがモーツアルトの時代の西欧社会(裕福な自営業者=ブルジョワジーが担う)の新しいムードだったと文化史の教科書には書いていますが、それを可能にしたのはアジア・アフリカ・ラテンアメリカの経済支配の進展でした。

   観察対象を詳細に捉え、それをデータ化する凄まじい情熱。その片麟は博物学者たちが残した動物や植物の挿絵(綿密画)からも十分に感じ取れます。絵画の形式も聖書を題材とした歴史画に代わり、風景画や地図など写実的なもの(科学的なもの)が登場するのです。本来地図は地誌の挿入資料として作成されてきたものでした。

 Trivialism (細叙法。一種のレトリック=説得のための表現戦略。)ダニエル・デュフォー『ガリバー旅行記』はその典型をなす経済小説。ロビンソン・クルーソーの冒険というユートピア小説の同様、当時の西欧の都市には植物園・動物園・民族展示館などが盛んに作られていていますが、それは植民地経営と連動したことだったのです。民族展示館は異国の珍しいものを、植物園はプランテーション営の栽培作物額的サポート機関だったのです。ブーゲンヴィルの一行はあのタヒチ島でサトウキビの新品種を発見したと指摘しましたが、彼らの活躍は植民地経営における技術革新(旧大陸の労働力と旧大陸の生物資源とをユニークな形で結びつける=シュンベーター流に言えば「経済発展とは新結合を遂行すること」を文字通り)を実践することと直結していたのです。



  参考文献

伊東光晴ほか 『シュンベーター 孤高の経済学者』岩波新書
川勝平太    『文明の海洋史観』中公新書 1997  139−217頁
RAスケルトン  『図説 探検地図の歴史』原書房 1992
アダム・スミス 『国富論』中公バックス 世界の名著37



Charleston S.Cの地図

課題2 アメリカ合衆国の地図 

May 09 [Wed], 2007, 11:24

Zap 

May 01 [Tue], 2007, 12:57
1)ギリシアに知る人ぞ知る「路上落書き作家」あるいはその集団Zapがいる。
アテネのPsiri地区を中心に彼の描く落書きを小まめに取材するserver pics' のAthens Street Art を紹介する。
童画風で、都会の若者の不安と憂いを含んだ独特のキャラクター、とても心に残るユニークなものだ。


落書きは法律違反、りっぱな違法行為です。

プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:mari046051
読者になる
2007年06月
« 前の月  |  次の月 »
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
アイコン画像Mari
» 帝都ロンドン (2007年06月14日)
アイコン画像OG
» 帝都ロンドン (2007年06月14日)
アイコン画像OG
» Charleston.SC.火災保険図 (2007年05月21日)
アイコン画像OG
» Charleston,SC (2007年05月16日)
Yapme!一覧
読者になる