
クリスマスだねぇ??
昨日はお友達とモツ鍋に↑↑
幸せやった?
やっぱ、好きっすわぁ、
モツ鍋。
「好き」っという気持ちを持つって、すごく幸せな気分になる。
「あ〜好きやなぁ」って思って、好きなもん考えてる時って、
自然と笑顔になる。
自分はその顔をなかなか見ることはできないけど、
近くにいる誰かは見てる。
たまに、この人はなんでこんないい顔しよんやろ?
と思うことがあって。
内面からにじみ出てるのが、すごく暖色系のオーラで、
見てるこっちまで、ほわぁぁってなる。
パワーを持ってるよ。
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話変わって。
最近、すごく考え始めたことがある。
「ありがとう」ってなんだろう。
世の中には、感謝すべきものってのが、定められてる気がする。
例えば。。。
・生まれてきたこと
・生んでくれた親
・今生きていること
・人の親切
・誰かの勇気
・本音で話してくれること
けど、これがいつも感謝に値するわけじゃない。
誰かにとっては「親切」でも、他の誰かにとっては、「おせっかい」かもしれない。
「ありがとう」は強制できない。
けど、「ありがとう」を言わなければ、
「ありがとう」が言えない子というレッテルを貼られてしまう。
感謝の気持ちって、最初から持ってるわけじゃないんやないかなぁ??
けど、最初は、「ありがとう」ってコトバを、人が使ってるのを見たり、言わされたりして覚える。
「ありがとうは?」ってよく子どもの頃言われたなぁ。
でもそれは、礼儀としての「ありがとう」
親戚の人からお年玉をもらう時、「ありがとう」って言うことに、抵抗があった。
恥かしかったから。
お金をもらってうれしいと思っても、
「この人があたしにお年玉をあげようと思ってくれた」気持ちがうれしいとは思えず、
金にキタナイ子やなぁっていう後ろめたさが、少しだけどあった気がする。
感謝の気持ちからあふれる「ありがとう」は、きっと人の気持ちの部分に対して。
プレゼントよりも、「何をあげよう」と選んでくれた、自分のことで頭を使ってくれたことがうれしい。
感謝の気持ちであふれる「ありがとう」を言う時も、
そいえば、恥かしいなぁ。
自分の「ありがとう」というコトバに、自分の感謝の気持ちすべてが乗せられるか不安やから?
「ありがとう」と言うコトバしかないという、葛藤。
昨日も友達と話してて、
コトバで自分の気持ちを100%表現できることはできないって話題になった。
確かにそーだ。
コトバって便利だよなぁ。
思ってなくても言えちゃうんだから。
だから、人のコトバを警戒する。
コトバの真偽を確かめたくなる。
でも、そんなことしてもキリないから、
自分の「信じる」って気持ちを信じるって決めたんだ。
+:+:+:+:+:+:
あたしが船?でしたいことにあげた
「ありがとう」あふれる船にしたい
っていうの。
ちょい保留やな。
「ありがとう」のコトバだけがあふれても、それは違う。
持ちたいのは、感謝の気持ち??