今年の紅葉は見事です! 

2006年11月23日(木) 1時09分
 去年はなかなか紅葉せず、12月に入ってやっと見ごろになったように記憶していますが、今年は結構、綺麗です。で、例年、市役所前の並木道などは、落ち葉の処理が大変だからか、落葉の前にばっさりと枝から切り落とされていたようですが、今年は、葉の落ちるに任せて道路がまるで落ち葉のじゅうたんを敷詰めたようになっていて、それはそれでなかなか風流です。
 
 ところで、レンコンって蓮の葉の根っこにできる根菜だったのですよね!あの美しい蓮の花と、穴ぼこのレンコンとが結びつかなくて、先日、テレビでレンコン特集の話の中に出てきまして初めて、「ああ、そうだったんだ!」と気がつきました。そうなんです!あのレンコンのシャキシャキ感は、噛み応えがあって天ぷらにしても子ども達大好きです。で、早速、『レンコンのステーキ』なるものを作ってみましたが、さほど思っていたほどにはホクホクしてなくて、やっぱりどっちかというとシャキシャキしたものでした。焼き加減が足りなかったのかな?でも、確かに、レンコン美味しいです。

最後にコメント 

2006年07月31日(月) 1時36分
〜〜〜読者よりの感想〜〜〜

 インディアンの先住民の暮らしの中にも日本のそれと同じものを
感じます。
 それは究極的に、それらを造って人間を生かしてくれる、創造主
への感謝となりました。無駄な殺生はしない、そして殺したものを
無駄にしない、それが生活哲学の根本でした。大地から来たものを、
感謝のこころをもって扱うという心は日本人と同じです。
 
■編集部より

 日本では、昔から鯨を捕るとき、神事を行い、ひげの先まですべて
使い、その上で鯨塚というお墓まで作って供養していました。

 古代の民はどこでも、このような謙虚な世界観を持っていたと思
われます。先進諸国の中で、それをいまも濃厚に持ち続けている
所に、日本文化の世界的使命があると思われます。


 自分の言葉ではなかなか上手く語れない話ですが、読めばなるほど、
と納得がいくのです。その思いは私の両親も、主人の両親も持ち合わ
せていたと思います。自然を思いのままに支配する、という発想は、
もともと日本人は持ち合わせてはいない気がするのですが・・・。
私達は自然の中に住まわせてもらっている、という・・・。
自然を意のままにすることはできないから、せめて裁ち枝一本、切花
一本だけでもこの座敷へ持ってきて鑑賞しよう、というのが生け花の
真情ではなかったのだろうか?と、ふと思ったりします。

 それから、今でも燃やすことのできない産業廃棄物や不燃ごみ、
原子力発電の後処理として、最終的に利用不可能なものは地中
深く埋める、ということをします。
それと同様で、ひょっとして数千年の昔、当時の人類が、石油を
「地上に出しては有害なもの」と判断して地中に埋めたものでは
ないだろうか? と思ったのは私だけ???

も一つ続き〜 

2006年07月31日(月) 1時33分
■6.地球を救う自然観■

 世界有数の近代科学技術大国が、同時に世界第二位の森林大国で
あり、同時に古代からの自然観をいまだに根強く持っている、とい
う事は、世界史における奇跡と言ってよい。

 しかし現代日本においては、この奇跡にも一つの抜け穴がある。
それは我が国が、国内木材消費量の約7割を輸入に頼っているとい
う点である。穿った見方をすれば、日本人は他国の森林を犠牲にし
て、自国の森林を守っている、とも言えるであろう。

 実態は、発展途上国が安く木材を供給してくれるので、それを買
っているだけなのであるが、国内の森林を大切にしようという同じ
感情が、他国では働かないようだ。おそらくこれは日本人が自分た
ちの自然観は特殊なもので、外国には通用しない、という、いつも
ながらの「引っ込み思案」があるからではないか。

 人類に未来があるとしたら、自然との共生を実現した新しい文明
を創造した時であろう。そういう新しい文明の建設に向けて、日本
古来からの自然観をベースとし、自然との共生を実現する新しい科
学技術を世界に積極的に提案し、提供していくことが、日本のこれ
からの世界史的使命であるかもしれない。

 それが実現した暁には、我々は自然に対して西岡棟梁のような敬
虔な姿勢を取り戻し、20世紀の人間が車やパソコンなど次々と新
製品を出しては、旧製品を廃棄していた事は、自然に対する野蛮な
行為として考えるようになっているだろう。ちょうど、今日の人間
が、半世紀前までの人種差別を大変な野蛮と見るように。

 まだまだ続きは次のブログへ〜

 

続き〜 

2006年07月31日(月) 1時30分
■5.神々の立ち並ぶ姿■

 巨大な木造建物には、大きな檜がいる。薬師寺の伽藍を再建した
時にも、直径2メートル、長さ15〜20メートルの原木が必要と
なった。これだけの大きさになるには、樹齢2千年以上を要する。
西岡棟梁は言う。

 今から二千年、二千五百年前といいましたら神代の時代で
っせ。
 こんな樹齢の檜は、現在では地球上には台湾にしかありま
せんのや。実際に台湾の樹齢二千年以上という檜の原生林に
入って見ましたら、それは驚きまっせ。それほどの木が立ち
並ぶ姿を目にしますと、檜ではなく神々の立ち並ぶ姿そのも
のという感じがして、思わず頭を下げてしまいますな。
[6,p25]

 おそらく、古代の日本もこのような姿であったのだろう。我々の
祖先達は、棟梁と同様に、神々しい檜の原生林に頭を垂れ、同様に
祝詞をあげて、法隆寺や伊勢神宮、出雲大社などの建設にかかった
に違いない。

 最近、縄文時代の巨木遺跡が各地で発見されて話題となっている。
縄文の人々が、単に木の実や貝を拾って食べていたというイメージ
は大きく転換され、巨木建築を中心に大規模な集落を作り、また遠
地との交易も発達していたことが明らかになってきた。

 考えてみれば、法隆寺や出雲大社のような高度な木造建築が出現
するには、数百年、数千年という長年の技術蓄積があったはずであ
る。縄文時代の巨木文化が、そのまま継承されて、法隆寺などの木
造建築に生かされ、さらに現代日本人の自然観のバックボーンとも
なっていると考えてよさそうである。

   次のブログへ続く〜

自然に対する思い 

2006年07月31日(月) 1時15分
〜〜〜メルマガ『国際派日本人養成講座』より抜粋〜〜〜

■4.木も人も自然の分身■

 木が命を持ち、その命を大切にしようという姿勢は、木も人も、
自然の中で生かされている「生きとし生けるもの」の同じ仲間だと
いう考え方に基づく。

 木は物やありません。生きものです。人間もまた生きもので
すな。木も人も自然の分身ですがな。この物いわぬ木とよう話
し合って、生命ある建物にかえてやるのが大工の仕事ですわ。
木の命と人間の命の合作が本当の建築でっせ。

 わたしたちはお堂やお宮を建てるとき、「祝詞(のりと)」
を天地の神々に申上げます。その中で、「土に生え育った樹々
のいのちをいただいて、ここに運んでまいりました。これから
は、この樹々たちの新しいいのちが、この建物に芽生え育って、
これまで以上に生き続けることを祈りあげます」という意味の
ことを、神々に申し上げるのが、わたしたちのならわしです。
[7,p53]

 こうした大工達によって、法隆寺として生まれ変わった檜は、1
300年以上もの長きにわたって、人々から仰ぎ見られ、仏教学問
の中心として活躍したわけである。檜もさぞや本望であろう。

 それに比べ、現代の車やテレビは、せいぜい10年、ビルなども、
数十年程度で壊され、廃棄物として土中に埋めてられてしまう。人
間の勝手次第で、どれだけの自然の命が粗末にされている事か。

続きは次のブログへ・・・

座布団 

2006年07月19日(水) 0時17分
 我が家には薄汚れた座布団がある。旦那さんの独身時代からの愛用品で、物持ちのいい我が家では今でも現役でお世話になっている品物である。
 先日、お子がチョコレートをこぼしてしまい、洗濯をするつもりで薄汚れた座布団カバーをはずした。
すると、下からパッチワークの柄模様の座布団着地が現れた。
お子曰く、
「この柄の方がいいやん」
「でもこれは座布団地やから、これを汚したら洗濯できひんのよ。だからカバーを掛けてあるの。」
「ふーん。もったいない」
おそらく、裁縫上手だった旦那さんのおばあちゃんの手縫いのその座布団地は、カバーの下にそっと隠されていたものだろう。やっぱり、汚すともったいないのでカバーを掛けてこれからもお世話になります。

PTAはおもしろい! 

2006年07月18日(火) 0時46分
 折角だから楽しんでやりたい。
もっと活動する人のカラーが出ててもいいじゃない。
今年はおもしろそうだ。
懐の広い人がいてくれると安心して任せられる。
好きなことを言ってもちゃんと受け留めてもらえそうだし。
世間にはいろんな人がいるのでもっといろんな人と話がしたい。

 比べちゃけないけど、男の人なのになんでこんなに時間に余裕があるんだろう?
ちゃんと仕事してるんだろうか????(うちの旦那さんには絶対真似できそうにない!)
でもそういう人が一人いると事が面白いように運ぶのでとってもありがたい! 

授業参観 

2006年06月23日(金) 23時56分
 やはり学校は伊達じゃない。次代を担う子どもたちに世の中のしくみ、ルールを教えるのが学校なのだから、疎かにしてはいけない。しっかり学んでまともな判断のできる子になってもらわないと・・・。
 読み書きができればある程度は大人になれば自分の疑問に対しては自分で調べることができるようになる。子どもの目線で関心の持てる範囲から広げて教えていく。その学習方法はとてもわかりやすくて良いと思う。でも昔に比べると、あまりにも身の回りから話題がなかなか広がらない、というか、いつまでたっても身近な所から離れないのでは?、と思う。実験や観察などもっと深いところ、もっと時間的に過去から現代までの歴史的なものだとか、昔の小学校では習わなかったっけ???習っていたような気がする。
 高校時代に習った『現代社会』。覚えなければならない経済用語が山ほどあって嫌いな科目だったけれど、今、新聞などを読むと、その教科書に載っていた言葉がそのまま出てくる。生きた言葉として日々その変化が記されている。「なるほど『現代社会』だ!」などと今頃になって納得したりしている。学生時代に全く興味がなくて過ごしてきた社会の中で今、不自由なく生活できている不思議。
 海外のニュースを見ると必ず世界地図が出てくる。地理の時間にそんな国の名前が出てきたな、などと思って地図帳をめくってみたりする。そんなこんなでやっぱり理解の下地に義務教育での知識が流れていることに改めて気がつく今日この頃です。

 やはり先生は聖職として親も信頼しなければならないし、先生もその名に恥じないよう子どもたちにしっかりと教えてもらいたい。
 小学校は教室内いっぱいに張り紙がしてあり、良い言葉に囲まれて子どもたちは勉強している。
どんな言葉か? 子供たち全員の名前に用いられた”漢字”の意味が調べて書かれてあるのだ。
親が我が子に初めてあげたプレゼントの名前におかしな字が使われるわけがない。
みんなそれぞれ意味のある心のこもった良い字が使われている。その意味を子供たち自身にわからせるとってもいい方法だと思った。

理に適った生活習慣 

2006年06月13日(火) 0時06分
 本当に何から何まで・・・西洋の人が日本の浮世絵を愛したように、遠く離れた地だけれど生活習慣に相通じるものがあるようで、ちょうど”コルセット”と同じ位置にキュッと締める日本の”帯”。これが結構慣れると心地いいのである。それから昔のたすきがけも背筋を伸ばし、姿勢を正すのに持って来いの位置である。ちょっと気を緩めるとだらけてしまいがちな生活を、ピシッと締める生活の智慧ではなかろうか?と思う。梅の効能も今日、テレビで言っていた。あのすっぱさがピリッと意識を覚ます役割も果たしていたのではないだろうか?大事にしなければ・・・。

 なんだかオババ街道まっしぐらだあ〜何か楽しいことないだろうかな?

ワールドサッカー開幕 

2006年06月11日(日) 1時27分
 スポーツには疎い我が家でも子どもたちはテレビに釘付けで見ていた。
昨日、別の番組でも還暦以上の御仁ばかりのサッカーチームを紹介していた。
いずれも経験者ばかりでお年を全く感じさせない走りが見事だった。
年に関係なく続けることが大事だな、と思った。私も何かがんばろうっと。
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