父への報告

March 07 [Wed], 2012, 19:01
もう最後に言葉を交わしてから3年くらいか。

4年前、当時彼氏だった今のダンナと同棲する報告をしたら「好きにいきろ」
3年前、結婚の報告に家に行ったが逃げられたw
手紙と結婚式の招待状は送ったが音沙汰なし。

そして、最近私が妊娠した。
一応孫になるのでメールで簡単に報告した。
電話をするのは怖すぎて出来なかった。
まあ、今までの仕打ちからすると
無視されるかなとも思ったが
数日後、返信がきた。

それを見て号泣した。
こんなにも父のことを気にしているとは
自分でもびっくり。
もう父のことは諦めたつもりだったのに。

母が生きていたら、優しくおめでとうって言ったと思うって。
わたしが産まれた時のエピソード。
元気な子供を産んで欲しいから、病院はしっかり選べって。

父にはこんな辛い扱いされてるけど
愛されてるがゆえのこの扱いだと本当に感じる。
どうして近くじゃ上手くいかないんだろう。

産まれたら
会いに行ってみたいとは思うけど
やっぱりまだ怖くて勇気でないな。

母の死

March 07 [Wed], 2012, 18:52
母が死んだ時はショック過ぎた。

母は父のアメリカ留学中に父に着いて行っていて
私と妹が夏休みを利用して遊びに行っていた時のことだ。

私が大学の試験のためすぐには行けなくて、
一足先に妹が拠点にしていたワシントンの家に行き、
フロリダのディズニーワールドで家族&犬と合流し、
妹は高校が始まるので一足先に日本へ帰って行った。

その後、私と両親&犬は車で
マイアミ、ニューオリンズ、メンフィスなどを経由して
家のあるワシントンを目指していた。

途中レキシントンという町で事故に遭った。
夜、その日泊るモーテルを探してハイウェイを走行中に
後ろを走っていたトレーラーに追突されたのだ。

でも、事故が起きた時はトレーラーに追突されたこともまったく分からず
いきなり車が回転したので、
父の運転のミスで事故がおきたのかと思っていた(私も父も)
なんと運転手のいねむり運転。
しかもカナダ人。外国人同士の事故。

車は回転し、母は車の窓を突き破り、地面にたたきつけられ
肋骨が肺に刺さって、亡くなりました。
搬送先の病院のベットの上でも私のことを心配していた。
その病院では処置できないらしく、
ヘリで転送されていきました。

私と父と犬はその場に来てくれた
日本語が話すことができたアメリカ人の夫婦
にその病院まで連れて行ってもらった。
その途中息を引き取ったらしい。
まさか、死ぬくらい重体だとは思ってなかったので
病院で死んだと聞かされた時は驚愕した。
父は一睡もできなかったらしい。
私は疲れ過ぎて薄情にも寝ちゃったけど。

それからはリタイヤしてその街に住んでいた
元税理士の日本人のお婆さんのお家にお世話になり、
日本から駆け付けた妹と母のお葬式をあげ
落ち着いた後、アメリカの自宅のあるワシントンに
帰った。どうやって帰ったんだっけ…。車ないのに。
送ってもらったんだっけ。

妹は先に帰って、
私は父が心配だったので大学始まるぎりぎりまで
アメリカにいてワシントンを観光したりした。
母を失った喪失はなかなか消えなかった。

誰にも分かってもらえない。
そんな重い話できない。
ただの母の話しさえできない。

元彼氏は辛いからなんて言っていいかわからないからって
母の話を聞いてくれなかった。
それがとても辛かった。

母の死後1年半経って、
初めて母の話をちゃんと聞いてくれる人に出会った。
それが今のダンナさんだ。
とても救われた。

この人がいなかったら
私は今でも母の死を引きづっていたかもしれない。
それくらい大きくて私の精神的な支えだったのだ。

今はなんて酷いお母さんだったんだろうって
笑えちゃうくらいになったけどね。

January 18 [Wed], 2012, 22:34
母をひとことで表すと
「だらしない」だ。申し訳ないけども。

自分が大人になればなるほど、
あり得ないと思う。

主婦のくせに、
家が相当汚い。
掃除嫌い。
朝起きれない。
よく友人と喧嘩する。
よく店員と喧嘩する。
働いてお金を稼ぐことより、社会運動。
周囲を見下すわりに卑屈。

自分の人生に納得が行ってないようだ。
高校は地元では一流
しかし大学は全てダメでコネで入れてもらう
就職もコネなんじゃないか?
周囲の女の人はホントに意地悪だったらしい。(本当か?)
そりゃ私でも母親のようなタイプの人とは上手くやれないと思うよ。

父と母の出会いは大学。
父は野球推薦で入学したが、怪我でやめたそうだ。
できちゃった結婚で学生結婚。
父は嫌々たしか新聞社(か出版社?)に就職。
でも結局死産。
元々親の反対もあって別れる。

父はそこから勉強して大学院へ。
そうとう苦労はしたようだ。父の自慢話だ。

何かのきっかけで再会。
私が産まれる産まれない中、
まだ稼げない父は母の実家で暮らす。
そうとう嫌な目にあう。
赤ちゃんの私を選ぶか、実家を選ぶかを母に選ばせて
実家を捨てさせる。

それでも、母は父と祖父を比べて
「まだいい方だ。祖父は酒飲みでほんとうにどうしようもない人だった。」
と言っていた。

そもそも母は見る目ない。
父は顔はまあまあだったし、
わりと知的で、努力家で、
社会的地位も現在はあるのは認めるが、
DV夫だし、そもそもコミュニケーション能力ないし、
自分の実家とも母の実家とも上手く付き合えずにとても孤独な人だ。
そしてそれは全て周りが悪いと言っている。
そんな人私なら嫌だよ。

まあでも、よーく思いだせば母にも暴力ふるわれたな。
忘れられないのは、鉄のぼうで殴られたことだ。
親が子どもに暴力振るうのは許されて
私が母に反撃にでると「家庭内暴力だ!」と騒ぐ。
思い返すと理不尽だ。
まあ私もそうとう手のつけられない子だったけど。

よく喧嘩したし、プチ家出もしたしけど
でも愛情深かったことだけが救いだ。
よく二人で話しはしたな〜。

懐かしい。

January 18 [Wed], 2012, 21:14
幼少期から苦手だった。
恐怖の対象でしかない。
もともと普段はあまり話さないが
私や家族の行いが気が入らないと
口では何も言わずいきなり
手や足が出る人だ。

徐々に小出しで怒って欲しい。
気が付いた時には既にマジ切れで
手がつけられない。

子供に注意せず、母親を注意する。
何度も自分のせいで母親が殴られるところを見て来た。
機嫌が直ると優しくなりプレゼントをくれたりする。
暴力の程度は病院にかかるほどではないが
今にして思えば、典型的なDV夫である。

私もだんだんと大人になり
母親も亡くなったので
直接対峙するようになり
父が間違ってると思えば口答えするようになる。
それがダメだった。
そうするとお金もらえない。
元々お小遣い制ではなくて、
気が向いたときにお金をくれる制度だったので
いざという時非常に困る。

長女だし、成績も良かったし、
わりと優等生にだった。
進学に関してだって
地元で一番いい高校しか駄目と言われれば、
かなり無理して実現させたし。
国立じゃなきゃダメって言われれば
一浪してなんとか頑張って入った。
親の期待にも応えたきた。
けど、進学で親の期待に応えたり、
欲しいものを遠慮したりしても
なんの意味もなかった。

母親がアメリカで亡くなった時
父親はアメリカに残り
私と妹は日本で生活をしていた。
私は大学生で妹は高校生だった。
当時、私には付き合ってる人がいて
その人とは彼の就職で遠距離になった。
日帰りで会いにいける場所ではなかった。

度々、高校生の妹をほっておいて
その彼氏に会いに行っていたのが
相当気に食わなかったらしい。

のちに
「母が亡くなった時に家族で力を合わせなきゃいけないのに」って
ずーっと後になって関係も修復できないくらいになってから
初めて言われた…。

父が帰国して
彼氏も転勤で地元へ戻ってきたので
ほぼ土日のどちらかにデートするくらいになった。
帰ってきたらチェーンを掛けて、家に入れてくれない。
お金も全然くれない。
家の掃除や洗濯はちゃんとやっていたけど
料理は苦手だったのであまりしてなかった。
でも、たとえ家事を完ぺきにして出かけても
結果は同じだったろう。

就職して
付き合いで外食することも増えて
土日も出かけていて
それが相当気に入らないらしい。
帰ったらチェーン。妹に開けてもらう。それの繰り返し。

淋しいのか知らないけど
私は父の所有物ではない。
反抗したら「俺の言うことが気に入らないなら出て行け」
と殴られる。

こっちは仕事もしてるし、遊びばっかじゃないのに。
一体なんなんだ!もういい加減にしてくれ!と
本当に家出をして当時の彼氏の家に逃げ込む。
でも、そんなんじゃダメだと思って
独りくらしをしたいと申し出ると妹の協力もあり、
父から一応了解がでた。

でも数日後、家を決めて連絡したら
「おれたちを捨てた」と言われ保証人を断られた。
「好きにいきろ」だって。

そこで時点ではまだ親を捨てたくなかったので
いったん家に戻った。
親の言うまま彼氏とも別れた。
(既に冷めていたのもあるけど)
仕事以外は家に閉じ込められて、喧嘩の毎日。
もうどうしようもないと思って
また出て行こうとすると
なんとか保証人のところにハンコを押してくれた。
入居のお金も私の生命保険を解約して払ってくれた。
最低限必要な家具も買ってくれた。

2週間に一度は土日に実家に帰ってたし
妹が予備校に通っていたので
その迎えにきた父と三人で毎週食事もした。
わりといい感じに思えた。

ところが、予定などあって帰らない土日が続いた。
そしたらまた激切れ。
帰っても、「もう来なくていい」
でもそれでも居座ったりしたら
機嫌も治り、美味しいものを食べさせてくれたりする。
もう良く分からん。

妹が進学で地元を離れることになった。
「これからは犬の世話も大変だし、こまめに帰るようにするね」と言ったが
「子離れしたいし、犬も落ち着かなくなるので帰ってこなくていい」と言われた。
父の日には贈り物を送ったらご機嫌なメールも返ってきた。
なのに次妹が帰ってきた時に家に帰ったらまたもや切れてる。

やっぱり私がしてきたことが許せないらしい。
おまえの世話になるつもりはない。
子供とか産まれたり、時間が経てばわからない。
好きに生きろ。
って。

もう父のことを考えるのは疲れたし、
鬱っぽくなっちゃう。
元気に生きていくためにもう好きにするよ。

結婚する時も手紙で報告して、謝ったけど反応なし。
結婚の挨拶で家に出向いたけど
逃げられた。

はじめは
私の行いが悪いから、父を傷つけたから
私が悪い。許してほしい。って気持ちだったけど、

いい加減呆れて来た。
私そんなに悪い子か?
むしろ世間的には良い子の部類じゃん。
確かに悪いところはあったけど
こんな仕打ちされるほどのことした?!
って思うようになってきた。

最近妊娠した。
父には受け入れてほしい気持ちはまだあるけど、
でも前の変わらない父であるなら
もう関わらないで生きて行く方がよい気もする。

一番申し訳ないのは妹である。
あんな大変な父の相手を独りですることになった。
でも、その分相当お金かけてもらってるようなので
まあいいだろう。

気がかりは父が死んだあとのことである。
あのゴミ屋敷みたいな家の処理とか
妹独りでできるとは思えないし、
そもそもこっちに戻ってこないかもしれないし。

母の実家の御墓のこととか。
母は長女でもないし、他に兄弟いるのに
父に許しもなく親の御墓の手配などしてたようだし、
うちに母方の仏壇みたいなものを買ったし。
家にお坊さんきて魂入れとかいうのもしてた。
本当に魂入ってたら可愛祖すぎる扱いを今はされてるけど。
母は私に母方の名前を継いで欲しいと
何度も言ってきたが断った。
そもそも遺産が欲しかったからでしょ?って感じだったし。
兄弟間の遺産争いは本当に醜い。

母の死後、母のお兄さんから電話が来ていたが
どういう話になってるのかわからなった。
毎年、御墓の管理料の請求書は届いてるけど
父が払ってる気配はない。どーすんだろう。
きっと死ぬまで自分は関係ないと放置するんだろうな。

元々親戚づきあいもほとんどないから
おじさんの名前すら知らないしw連絡先も分かんない。
こういう御墓や仏壇ってどうすりゃいいんだろう。
勝手に処理していいのだろうかね。

妹は私より事情しらないだろうし…。

義実家

January 18 [Wed], 2012, 19:51
はじめに
義実家の人達は嫌いじゃない。
むしろめっちゃいい人達。
すごく良くしてくれて感謝してる。
こんな仲良し家族に生まれてきたから
今の素敵なダンナがいると本心から思う。

でもね…
人には生まれ育った環境がありまして
割りと家族間の情が薄く
喧嘩も絶えない家庭に育ち
家族大好き!とか思えない私には
常に仲良しべたべたな距離感はしんどい。
実の家族にもたまにしか会わないのに。

ダンナとのお付きいを始めた当初。
ラブラブで毎日会いたい私達は
平日は独り暮らしの私のアパートに毎日きてもらい、
土日は毎週のように現ダンナの実家に連れて行かれ
ご飯をご馳走になったり
一緒におでかけに参加したり
慣行葬祭も婚約者として出席して
正直お腹いっぱい。

2年後、結婚を前提とした同棲をスタート。
長男のダンナは家に残すことになる
母と弟を気遣い
義実家の裏のアパートに引っ越す。
それとほぼ同時に、
既にお嫁にいった近隣に住む義姉夫婦が
その家に入ることになり
更に今まで以上に家族仲良く毎週のように過ごす。
義姉夫婦が越してくるなら
裏のアパートじゃなくても良かったじゃんよ。
とうとう私の我慢の許容量が満杯になる。
ダンナに訴えると初めは「意味が判らん」とのたまった。
でも泣いて喧嘩してなんとか理解してもらい(?)
どうしても行きたくない時は
断ったりするようになった。

同棲2年目、お付き合い4年目結婚をすることになった。
私が実家とトラブルを抱えてしたため
社内結婚ではあるが式はなるべく
表ざたにしないでやりたかった。
そのためバリ島挙式を選択した。
義実家は家族思い出の地のハワイへ行きたかったようだが。
ところが義姉の妊娠で家族同伴がなくなった。
結局ダメになってしまったが、空気を読んでくれたのか
2人だけで行くことにした。
それはいいんだけど、
「長男だから。社内結婚だから。」
という理由で帰国後の披露宴をやることに。
私の家族の問題をさらしたくないから
海外挙式を選んだのに…。
意味ないじゃん。
これから普通に日本で式あげてハネムーン行きたかった。
その方が絶対楽。

挙式後割とすぐに
ダンナの転勤話が浮上してきた。
この環境が嫌で嫌でしょうがなかった私は
その話に乗った。
そこからの1年間は本当に楽しかった。
新天地、土日は好きに使えて
拘束もされない
パラダイズでした。

ところが結婚2年目、
お付き合いからだと6年目に突入あたり。
予想外の原発事故。
距離にして40キロの地点に住んでいた
私達は自主避難をすることに。
ダンナの会社とはひと悶着もあったが
なんとか元の勤務地で働けることになり
戻ってくることに。
もう会社は辞める覚悟だったし、
会社のお金で戻ってこれることになって
本当に恵まれているんだけど
義実家の離れていた1年間が自由過だった分
やっぱりつらい。
でも、今回は義実家から車で15分くらいの場所に引越したので
毎週毎週の訪問ではなくなって一安心。
ただダンナ自身出張ばっかで、あまりいないんだけど。

フランスパリ最終日

January 31 [Tue], 2006, 4:01
ちょっと書くの疲れてきた〜。

パリ観光4日目

とうとう今日は帰る日なんです。
今日はお買い物デーなんです。
もう慣れたもんで地下鉄に乗って、乗換えまでしちゃいました。
パリの地下鉄は1律1ユーロ40セントなんです。
どこまでいってもそのお値段。
1時間近くかかった。

待ち合わせ時間決めて買い物開始!!
頼まれていたお土産探して買った。
1ユーロ140円、更に手数料も取られたので、日本で両替したお金はこの日までにはほとんどなくなってしまった。たいたもの何も買ってないのに不思議でごじゃる。
更にクレジットカードの暗証番号を忘れ、カードも使えないしまつ。とほほ。

ホテルに戻って、バスに乗って空港へ。
荷物は20キロまで。不安がるみなさん。
ボディーチェックで必ず引っかかる靴。捨て去りたい。いい加減憎らしい。
売店でユーロを使い果たす。
すずめの一生を考える。
まいちがリラックマポーチを忘れた事にきづく。
フランクフルトで乗り継ぎ。
ハーゲンダッツをみんなに分けてもらう。
マックの店員にイラつく。
こけも指摘していたことだが、
フランスではカフェのウェイターや、ドイツではマックの店員もアルバイトではないっぽい。本職っぽい。あんまり職がないってことかな?アルバイトなんてあるのかな?

ホテルから持ってきた美味しいココアがかばんの中で破けてココアだらけに。
さっき運よくかばんを購入していたため荷物を移動させる。

座席は一番後ろ。
映画を見る。
忍にはがっかり。せっかく仲間由紀江が主演なのに…。
グリムなんとかにもがっかり。退屈で死にそう。
エリザベスタウンはまあ許せる。
スパイダーマンでヒロイン役だった女優さん。私には美人だとは思えないが、外国人から見たらきっと美人なんだろう。
みんなが見ていたゾロにしておくべきだった…。

帰りの飛行機はほとんど寝れたのであっという間に日本に到着なのでした。
東京の天気は荒れていてジェットコースターのような乗り心地。口ではビビりながらも、あの感覚好きだから嫌ではなかったのが内心でした。

二時間くらい飛行機遅れたので、急いで乗りつぎへ。
けっこうぎりだった。
北海道はやはり寒かった。

時差ぼけが直らない。

フランスパリ3日目後半

January 30 [Mon], 2006, 3:13
パリ3日目後半

循環バスで事故ぼっ発。急ブレーキで一番前の席に座ってたおじいちゃんがオデコをガラスにぶつけ流血。危ないよ。
暗い気分でサンラザール駅へ。ここで切符を購入しようとしたが、切符には駅名が記載されないっぽいので購入を断念。タクシーで最高級ホテル「リッツ・パリ」へ。侵入を試みて放り出される人の撮影に成功した模様。楽しみにしています。マドレーヌ寺院へ。途中チョコ屋でトリュフを購入。「1つぶ100円以上か〜」と浸りながら食す。
写真はマドレーヌ寺院(ギリシャ神殿風の教会)。さっさとでる。トイレを探す。

シャンゼリーゼ通りを「お〜♬シャンゼリーゼ〜♪」と歌い、振り付けつきで2ステップ歩く。フリーのトイレで一安堵。

買い物しつつ凱旋門へ。
こけ子はDisneyストアで大量のニモを捕獲した。
凱旋門の上には登れるんですよ。
ピン子に教えてもらいました。
またらせん階段を登る。足がいい加減がくがくに。しかし凱旋門から見る夜景はまた格別☆360度見渡せるんです。道が放射線状に延びているんです。車のヘッドライトとテールランプ?が良い味だしているんだわ〜。
1日も終わりに近づきしみじみしてくる。

ルイ・ブィトンによそよそと侵入。価格を観察。

人気店のマカロンを購入。買い方が良く分からずにデカイ箱を頼んでしまった。30ユーロ分も買った。これは今でも消費しきれず我が家の居間のテーブルの上に…。失敗のお買い物。5個入りでよかったよ。ひのさん!

ブラッスリーを探して。
ブラッスリーとは料理を1品から頼んでよろしいレストランである。高級レストランはフルコース頼まなくてはいけないんですって。憧れのエスカルゴを食す。意外に普通…。ワインは美味しかった。たまねぎのスープも美味しい。フランスのユッケを食す。フランスでも生肉たべるんだね。

24時までやってるスーパーでお買い物。フォアグラやチーズ水などお酒も購入。

帰りタクシーがつかまらない。かなり待ったけどつかまらない。少し歩いてやっとつかまった。タクシーの運ちゃんは始終電話で話してました。

ホテルでお酒をのんでお菓子を食べた。まいちのデジカメ鑑賞の時は画面を見ながら寝ていました。部屋に戻りお風呂に入って寝た。即寝。

フランスパリ3日目

January 30 [Mon], 2006, 3:10
観光3日目。
疲れているのに1時間も早く目が覚める。泣きたい。
しかし天気もよろしい☆良い1日になりそう。

地下鉄に乗る。窓際はスリに遭いやすいため座席を陣取る。バビン駅に笑う。ドアが自動ではない事に焦りつつ何とか下車する。

サンシュルピス教会へ。
ダビンチコードという本では重要な所らしい☆
地下鉄駅付近でチョコ屋に入る。購入する。

地下鉄でシテ島へ。
コンシェルジュリー(ギロチンまでも待合室的牢獄)に中々たどり着けない。門番に何度も騙される。マリーアントワネットの独房の再現が展示されていた。警備がトランプしてた。

隣のサント・シャペルのステンドグラスが素敵過ぎ☆パリ建築の宝石と呼ばれているらしい。見ると納得!かなりの時間そこにいた気がする。天気も良かったので最高にきれいだった。

ノートルダム寺院へ歩いているとき、撮影に出くわした。モデルさん超きれい☆外国人の中でもさすがに際立って美しかった♡写真撮ってたらまた笑われた泣
ノートルダム寺院の塔を登った。らせん階段をひたすら登った。階段がチーズケーキに見えた。足がプルプルした。景色は最高だった。更に上まで登ってパリの景色を楽しんだ。最高〜。降りるのも果てしなかった。まいちをおどかした。

フランスパリ2日目

January 29 [Sun], 2006, 23:56
朝バスに乗ってベルサイユ宮殿へ。
ベルバラの世界を堪能した。部屋が豪華ですごかった。
住みたい。
庭で写真とってた。宮殿から出たところで売り子や募金の子がたくさんいた。
これだ〜!!きた〜!!危ないっ!!と思ってバスへダッシュした。
違うグループの人が10万くらいすられたらしい。こわ!!
午後は半日自由行動。
コンコルド広場でケーキ食べてたら中東の女に話しかけられるわ。
その後、アンバリッドへ。ナポレオンの墓を見てきた。
次はオルセー美術館へ。
ゴッホの自画像やミレーやモネ、マネ、ゴーギャン、ルノアールを見た。名画に感動☆
外で写真撮ってたらフランス人に大笑いされてテンションダウン。
その後サンジェルマンデプレ教会へ。
目の前の有名なカフェでお茶してタクシーで帰ってピザ屋へ。ピザもパスタもおいしかった。
夜は明日の会議で夜中まで寝れず…

フランスパリ1日目

January 28 [Sat], 2006, 23:42
観光1日目。

ホテルの朝食は結構おいしかった。
フランスパンとハムとチーズがおいしい(。´▽`。)
観光バスにのってパリの街を走った。
見るもの全てに感激☆
写真取りまくった。
エッフェル塔の近くでバスを降りて記念写真をパチリ☆

食昼。
記念すべきパリの初レストランは最悪だった。
前菜「レタス&オイル&バジル」(塩気なし…)
メイン「白身魚のムニエル&イモ」(同じく塩気なし)
デザート「フルーツポンチ」(缶づめ)
文句で盛り上がる。

午後はルーブル美術館見学。
かの有名な「モナリザ」や「ミロのビーナス」や「ナポレオン一世の載冠式」をみた。
写真はミロのビーナスです。

その後セーヌ川のクルージング。エッフェル塔がキラキラ光ってるのが見えた。キレイ…☆うっとり。

夜はホテルの夕食。
これもまた微妙…。
ナマスが出た。イモ多し。レモンケーキは甘かった。
しかも持ってくるのが来るのすんごく遅い。
フランスの食事は味ではなく会話を楽しむらしいので、味は仕方ないのか…。

夕食の後、ホテル近くのピザ屋さんへお酒を飲みにいった。マスターが楽しくていい感じのおじさんで料理の腕も期待できそうなので、明日は夕食はそこに食べに来る事になった。

疲れて即効ぐっすり。
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