血管内エコーに思うインフォームドコンセント 

July 06 [Fri], 2007, 20:34
血管内エコー。
心臓や足の動脈が狭くなっていると、それを拡げる治療をする。
その検査として行われる血管内エコー。

血管内腔の詰まり具合、動脈硬化や石灰化、解離や血腫、血栓の様子、
治療で使ったステントの密着度合い・浮き度合い・内膜の損傷度合いなど、
血管の内側から血管を支える組織までの状態をより詳しく見ようとして行われる。

そういった詳しい情報で、適切な評価ができるようになるというのが強み。

バルーンやステントのサイズ・種類の選択、治療効果の評価などに繋がり、
臨床的成果の向上にも役立つのだと、メーカーの方が話していた

デメリットや否定材料があるとすれば…、
血管造影で得られた資料にどれだけ勝っているのか?
下肢の場合は特にIVDSAなど侵襲の低い診断法をおいて下肢血流全体の評価ができるのか?という問題
冠血管では、血管内エコーに要する時間的負荷、
そしてそれら血管内エコーで得られる資料が具体的にどれだけ適切な医師の判断と行動を導くのかという疑問。

もぅ少しエビデンスが欲しいと思う。
インフォームドコンセントがもし高度に実現されるなら、
たとえば、血管内エコーを併用したPCIの再狭窄率や開存度ど しなかった場合の治療成果、
費用の比較、合併症や治療時間の比較などがつらつら紙に書いてあって、
例えば、「今回のPCIは血管内エコーもやって、慎重にステント選んで留置して欲しいな…」とか、
「今回の検診の評価はIVDSAだけにしてもらって、半年後は血管エコーやってもらいたいな」とか、
真に患者が提示されたリスクや 治療・検査の目的や成果目標をみながら 個々に選択できるのならいいなぁと思った。

先生がいいと信じてるからやってるとか、
とりあえずこの病院は全例にやるからやるとか、
さして成果指標や効果の比較の資料もなしに
「検査に同意するか否か」という事実だけが大切にされる医師の説明と患者の生返事
インフォームドコンセントでもなんでもないと。


ある医師・技術者に限っては、血管内エコーをやらなくても首尾よくいく、つまり血管内エコーをやらずに治療してもそれに劣らぬ判断と選択をできる場合もある。

なんでも本当にやってよかった、この先生の言うことは心から信用していくつもりだとか、
そんな信頼関係の上に、先生がきちんと選んで提案してくれたら、それ以上もそれ以下も望まないのが患者ですが、
もし、こんな患者選択の余地があれば、患者本位も臨床的成果の追求も両立できるなぁと 今日はそんなことを考えた、IVUSだった



頭は大切に 

July 04 [Wed], 2007, 2:32
救急部門にいるとわかることだが、心臓発作なんていうのも怖いもののそれは素地があってこそで、関係ない人には無縁ではある。
だけど、頭は案外誰にでも起こりうる、その人の性格や生き方では危険が増しているように思う。

頭の怪我はきっかけがある。
ふざけているうちに人とぶつかる
酔っ払って転ぶ、
喧嘩で殴られる、蹴られる
自転車で深いところに落ちる、
思いがけない場所からボールが跳んでくる

うまくかわせなくてまともに頭に衝撃を受けると、どこかで血管が切れたり、頭が割れたり、
そうなると脳へ影響が出たりする

暴飲暴食で胃腸をやられたり、無茶して手足の骨が折れてしまうのもそれなりに危険だけれども
やはり案外簡単な出来事で頭に受けるダメージの深刻さを考えると怖くない?か?


皮膚の下で出血してたんこぶになったり、皮膚の表面が切れて結構血まみれになる。
頭蓋骨が割れる(骨折)
頭蓋骨の中に出血して脳が圧迫される
脳の中の血管が破れて出血する
これによって脳が一時的にでもあるいはずっと機能が低下・喪失する。

普段元気に暮らしている人が、ある日突然脳の病気。

頭から出血を流しだすために穴を開けて管を入れたり
頭蓋骨を開いて頭の中に出血したものを除去したりそんな処置・手術が必要な事態はごく稀ということではない。

言葉で言うのは簡単だけど、当然危険だし、うまくいけばいいけれど簡単な事ではないです。
手術自体がうまくいっても後遺症や術後の管理がうまくできるか、
心配ない状態まで行くにはとても重い時間が長くかかります
また、そんな時 高血圧や糖尿病、心臓病、腎不全などがなければ幸いだが、普段から状態がよくないと緊急で行う処置がうまくいく可能性は低くなるか、治るのに時間がかかるし苦労することになるでしょう。明かに人生が変わってしまう方もこんな仕事をしていると時々遭遇します。

脳は傷つきやすい、傷つくと治すことに多くの努力が必要、後遺症の心配がある、
そして重大なことは
一般疾病や交通外傷に比べて、予防や回避が可能なものが多い、のでは?と。
「不注意」

頭を傷める人は案外多い、
そそっかしい人、喧嘩っ早い人、ぼんやりしている人、
それから 症状が出ても放置しがちな人…
調べてみたら慢性硬膜下血腫というかたも結構みました。
頭って怖い、頭は大切にしなきゃいけないんだなと、ここ3ヶ月ほど感じたこと

お腹が痛いとき。 

May 09 [Wed], 2007, 17:20
あまり手厳しいことは書きたくない性格ながら、どうしても言っておきたいことがあります

「お腹が痛いとき、食べるんじゃない

私が救急の初療室に顔を出して一ヶ月、いろんな方が救急車でみえました。入院したり、手術したり、多くの方が歩いてお帰りになりました。

救急隊や医療者が忙しかろうと、暇であろうと、必要な助けが必要な人に施されることが一番大切なことです。どうせ暇だから許されるとか、忙しかったから仕方ないとか、どんな言い訳も断り(excuse)もなしです

救急外来に行くには、まず 急に発症しているか、急に悪化していることが前提です。
昨日からとか、昼からとか、3日前から…継続している症状や病態については、
普通に医療機関が営業(診療)している時間にふさわしい診療科に受診すべきです
救急外来にはどんな科の医師がいるかは決まっていませんので、
ベストな診断や治療を期待するのはおかしいです。

では、何を期待するのか?
それは、第一に「救命」です。
心拍の異常、呼吸不全、出血、嘔吐、大量の下痢、水分の過剰貯留、意識障害、けいれん、薬の利かない痛みや高熱、強い頭痛や痺れ、高血糖や低血糖の発作。
こうしたものが緊急に処置を必要になる状態と、今私は考えています


お腹が痛い人が必ずしも重病でないわけではありません。
お腹が痛い人には、腸閉塞(イレウス)、虫垂炎および腹膜炎、腸穿孔、食中毒や感染症、出血を伴うものなどは、当然に入院と早めの治療開始が必要です。

お腹が痛いときにするような治療は、まず腸管安静、腸を休めること、つまり食物を入れないこと、食べないことです。これには点滴を持続することが前提となるので、入院が必要になります。

これらの病気でも真に急激に発症するものは少なく、何時間か、何日かをかけて病態が完成してきたか、あるいはそもそも具合が悪く治療中であった状態が不安定になりコントロール不能状態に陥って、結果的に「お腹が痛く」なっている場合が多いように思います。

お腹が痛い人の治療や診断は厳密には簡単なものではないと思いますから、消化器のことがわかる内科か外科の先生に見てもらう必要があります。だから、悪くなったら早めにしかるべきお医者さんを探してみてもらうべきなのです。

かかったこともない病院にふらっと現れて、「お腹痛いんですけど…」というのは、結構リスキーだし、
夕べご飯食べました…ってくらいなら 朝まで待ってきちんとした時間に受診するほうが、患者さん本人にとっても都合よいのでは?と感じます。

用心する気持ちがあるなら、ご飯は食べないか、早めに病院に行くとか、体の異常に敏感になっておくとか、もうちょっと生活能力を高めて自分を守りましょう

ボリビアとJICA 

March 07 [Wed], 2007, 23:00
「あなたは世界とつながっている ニュースキャスター草野光代さんが見たボリビア」
3月7日、広尾 JICAプラザでのトークイベントに出かけました。

感想
・アナウンサーならではのカッコいい喋りで、感想や印象が聞けました。
・やっぱり華があるし、面白くない話はしないので、全体によかった。
・もぅちょっと、土地の文化と現状や問題という視点で指摘があっての感想だとなおよかったと思う。
・聴衆は、JICAやODAに関わりたいという人や関係者だったので、これが一般の人だといいのかも知れないなと思った。
・聴衆も意見を述べたがる人が多くて、ちょっと質疑応答とはずれてはいたが、それだけ皆も言葉を話したくなるような いい具合の草野さんの話だったのだと思う。
・JICA広報の方も 適度に素敵な感じだった。
・JICAちきゅうひろばが とても立派で驚いた。クロスロードがタダでもらえる。
・草野さんはこれから不惑の歳だそうだが、私もおぼろげながら以前から思っている「40歳までは頑張ってみる」というのを実践しようとしている気がした、世界とつながっているような、夢とつながっているという感じで、爽快さが残った。

パレスチナ難民とJICA 

March 07 [Wed], 2007, 22:53
2月24日、日本青年館ホテルで催された、JICAパレスチナのカウンターパートとプロジェクトマネージャーの来日に合わせた報告会を見に行きました。

メモ
・パレスチナとイスラエルの紛争で難民となっているパレスチナ民への援助。
・NGOとしては、日本のHANDS。国連のパレスチナ難民事務所もある。
・パレスチナの(死海)西岸地区に関する話、イスラエルのチェックポイントで、医療へのアクセス、物資の供給が悪くなっている。
・自宅で出産せざるを得ない女性、栄養状態の悪い子どもがいる。
・若くして結婚・出産する女性が多い。
・女性は4〜6人の子どもをもうけるが、多産多死。
・女性は高い教育を受けること、社会的評価も保っている。
・JICAは、母子手帳普及活動のパイロットスタディーを終えたところ。
・紛争、難民などで心理的ケアを必要としている人が多い。

感想
・女性が多く子どもをもうけて、家族親族から助けられ、社会からも評価を受けているというのなら、日本こそそこから学ぶものがあるような気がした。
・実際に5、6人の出産を経験するみたいですが、1人を2人に・・・というところで、ギリギリな私たち日本人こそ何らかの支援・対策が必要なんだなと改めて思った。
・人の権利を脅かす戦争や政治は怖いものだと思う。
・日本で栄養不良の子どもが少ないことは有り難いことなのかも。

季節が変わっていました… 

March 04 [Sun], 2007, 10:35
私の生活からこちらのブックマークも消え去り、自分のホームページから入ってきました。
クリスマスっぽいフレームを使っていてびっくり。
そう、春がやってこようとしていたのでした。

今は内科にいるので、そこで新しく憶えたこと、やっていることを2,3書いてみようと思います。

手元にネタ帳(file)がないので、ひとまず、この場を蘇生するために記事投稿。
あ、そうだ、ヤプログは絵文字使えるんだった

どこかに記録しようと思っていた海事、海洋、国際協力、人類生態、自然、水なんかの調べ物、勉強、遊び、吹聴などもここにカテゴリを作ることにします。ぃや、Doblogにしようか…ぃや、専門家じゃないのでこちらでいい 画像がなく、字ばかりだと 絵文字のあるヤプログは気が紛れます。


こんなことできるんだー、すごい
200Mまでの画像しかアップできなかったなんて嘘みたいだー

手術の準備@ 手術当日 

September 21 [Thu], 2006, 15:08
手術の準備は、いわゆる前処置(ぜんしょち)から手術室に入るまでを書いてみます。

まずは手術当日、全身麻酔で手術を受けるとして見てください。

前日就寝時から絶飲食になっていると思います。これは麻酔をかけるときに、嘔吐したら困るからです。食べ物も飲み物も一切口にしないでくださいということです。

とはいえ、手術当日の朝、薬を飲む為に水を少しだけ飲む事があります。このとき飲む薬は、血圧や心臓、ホルモンや神経症状などをコントロールする為に常用している重要な薬剤に限られます。中断すると血中濃度が下がったり、症状が出ると困るから、手術の朝も飲みます。

前日あるいは当日朝から点滴を続けていると思います。水分はここから補給していますから、胃は空っぽにし、喉が渇いたらうがいだけで手術が終わって医師が飲んでいいというまで絶飲食が続きます。気管内挿管や麻酔の影響で気分が悪くなったときに嘔吐や誤嚥しなくてすむというわけです。

さて、当日の朝 浣腸をする場合は、朝6時頃おこないます。浣腸の時間が遅れると充分に便が出ないまま手術室に入ることになりかねないので、できるだけ早めにがいいのです。

7〜8時に手術室に入るという事は、朝一番の手術という意味です。手術室はいくつもの個室からできていて、一日に何十件かの手術の所要時間、手術規模、術者と助手、使用器材、物品の調達、患者側の要因としてはリスクの大きさや感染症の種類と有無で 毎日毎日時間割が決まります。

家族は入室の30分以上前には余裕を持って患者さんのところへくるのがよいです。
患者さんは浣腸をしたり、体温や血圧を測ったり、いつもの歯磨きや洗面をしたり、トイレに行ったりで、思いのほか慌しいです。着替えたり、鼻から胃の管を入れたり、絶対にやらなければならない事をこなす事で2時間くらいは案外すぐに過ぎていくようです
いつも思うことですが、手術当日の朝、結局そわそわしたまま、まともな話も出来ず、ばたばた見送られる人も 見送る人も 不安が募るように思います。

医師や看護師に関していえば、患者さんにはやるぞ!って気持ちで出かけて元気で帰ってきてもらいたいので無用な怖い思いをさせないよう、準備や段取り、処置、話し方は落ち着いてしっかりとやるべきですね。

手術室へ入室する前に鼻から胃へ入れる管は、先ほどの嘔吐を予防し、胃の中身が肺などに入り込まないようにするために重要です。手術の後まで続けて留置されます。不快が強い為か、胃の管の自己抜去は残念ながら多いのですが、自分で抜くのは危険です。鼻の奥や喉の痛みが強いときは、医師・看護師に連絡しましょう。

着替える、めがねやコンタクトレンズを外す、入れ歯を外す、こういうことをバタバタやっていると、持ち物がごちゃごちゃになり、気持ちも乱れますから、ゆっくり確実に自分で行うほうがいいです。そういうわけで、手術の朝にはしっかり早起きして、ベストを尽くして自信を持って手術室を向かいましょう

「絶対頑張る」 

September 09 [Sat], 2006, 20:01
退院後しばらく経って、患者さんが様子をみせに来てくれる事が時々あります
外来や入院のついでとは言え、以前入院した場所に入っていくのはそれなりに勇気と勢いが要ることと察します。

そういう方の場合、意外に太っていたりすることがままあります。手術して、ご飯が食べれるようになって、生活も戻って、嬉しくなって食べちゃった…様のことを聞きます。
そして、イレウス(腸閉塞)や熱がでたりで何度か入退院を繰り返したという方も確かに見受けます。

このblogを始めたのは、ある患者さんの手術前オリエンテーションのためでした。その患者さんが姿を見せてくれました。療養の経過を聞いて、その勇姿は当初の術前や入院の状態からは想像できないもので、改めて患者さんの潜在能力あるいは、本来のその人の強さみたいなものに感動しました。

患者さんはとても大きな手術をする予定でした。生活上支障が生ずる事も予めわかっていました。だから術前オリエンテーションはとても重要でした。患者さんが我々に見せていた性格から、退院までに沢山色んな技術を習得して自立してもらうのは、患者さん自身も看護師もかなり努力しなければならないと思われました。実際に入院中は、随分と根気強くご本人も私たちもケアに当たったと思いましたが、退院してからもしばらく心配は続きました。再入院もありましたが、他の病院であった事からその後長い経過は把握していませんでした。

患者さんの話によると、もっと複雑な技術が必要となり自ら管理をしているとのこと。生活はより制限が加わっているようで、体力的にももしかしたらきついのかもしれない。

「人に頼っていてもみんながいつも家でそばにいてくれるわけじゃないから、今は全部自分でやってるんです。」と。当初は頼りない人に見えたが、力のある強い人だったんだな…と仰ぎ見る心地、その人にとっても、生涯で一番忍耐と努力と成長した時期に違いないと勝手ながら思った。
さらに、「絶対に頑張るわよ」「私は生きるつもり」という、力強い言葉、きっと本当にそれを実感しているであろう体から湧き出ている生きている感覚。こんな言葉を聴くことは人間生きていても、看護師をしていても滅多にはないのでは…と嬉しく思った。

私の休暇中に手術を迎えるある患者さんに、術前オリエンテーションが反復できるようにとblogに書いてプリントしたのが2年前。2年頑張れた患者さんに私は希望を感じている。
この2年間、安泰でなかったにせよ、あの生きていけそうな自信と、生きることに手抜きをしていない姿が本当に素晴らしく、私たちが勝手に限界を作ってはいけないのだとつくづく思った。

手術や治療の苦痛で、「死んだ方がましだったんじゃないか…」と凹むのも自然なことだけれど、こんなに強くなれる日が来るのもまた事実。生きていくのに困難は増えてしまったが、様々な障壁がなくなっている。周りの助けを得る中でしっかり自分で壁を取り払った感がリアル。私も感謝。

あと何年生きられるか→季節のめぐる歓びをA 

August 27 [Sun], 2006, 23:00
3年5年というと正直すこし気が遠のく、場合によっては来年が不安になる事もある。そんな時、その事を心配し言及する事はもはや不可能なほど難しい。
先のことは誰にもわからない、とは言え私自身健康ならば、10年や15年、20年先のことも想像しているのも事実。
思うに、次の季節に何をしようか?と考えるくらいが病気であるにせよ普通の暮らしにせよちょうどいい期待の持ち方ではないか?

春になったら どこそこの桜がさくなぁ。夏になったら暑いだろうから山に遊びにいけたらいいなぁ。今年の夏休みは旅行に行こう、秋は紅葉の名所に出かけて写真を撮ろう、松茸を食べよう。お正月は温泉に泊まりに行こう、冬は新しいストーブを買おう。

こういうことって、実はとても楽しいことだなぁと私は最近強く思う。今まで、暑い事も寒い事もとても嫌いだった。体よりも気持ちが嫌がっていた。母親に常夏の場所に移住したいと話しているときに彼女から教えられた。
四季があって、それぞれ色んな季節があるから楽しいんじゃないか?夏ばかりじゃつまらない」と。
思えば彼女には特別な技能や学もない。母親、主婦として普通に真っ当な人で、奇抜な行動はしない。私はつまらない人だと思っていることも多いが、特別な事をしなくても彼女なりに日々の生活に愉しみが多くそれなりに充実しているのかもしれない。それに、夏の暑さ、冬の寒さにそうまで寛容なことがとても偉大に見えた。

そういうわけで、私も少しずつそれぞれの四季の意味を思うようになった。食べ物、空気の感触、花々、遊びに出かける場所、服装、家の支度…そういうことが毎月を通して暮らしに変化をもたらす。

だから、「あと何年生きられるか?」って とても厳しい言葉でなくて、「秋になったら」「お正月になったら」「春になったら」何をしようと期待して、それぞれ生きていて存在し、笑っちゃう事も怒ることも、美味しいことも痛い事も、眠い事も忙しい事も、暑い事も面倒になっちゃう事も、泣きたくなる事も珍しかったりきれいだなと思ったり また新しい希望をもったり、諦めたり そんな風に時間や気持ちがつなげられた時、その人と私にもまた生きている時間が与えられるといいなぁと 考えてみることにしている

あと何年いきられるかな…@ 

August 27 [Sun], 2006, 21:35
「あと何年生きられるだろう?」 
そう口に出して言えるまでに、その人はどれだけ心のうちにそう繰り返して悔しい思いをしただろう
あとどれくらい自分が生きられるのか-そして死んでしまうのか
それを考える事は人間にとってとても悔しくて恐くて腹が立って悲しくて寂しい。普段なら、普通なら、健康なら 殆ど考えることもなく、努力して想像しても現実味はない

生きる時間に限りが見えたり、生きる事に困難が生じてくると、死ぬまでに自分にとって何が大切なのか、何が必要で何がはずせないのか そういう優先順位がでてきて自分のことを明確に決断したり、行動を実行できたりする。こうして得られる充実感は、病気以前のものとはもはや全然違う

患者さんから「頑張ってみる」「仕方ないよね?!」と 少し不安げにそう語りかけられると私はとても感動する。100%納得しているわけでもうまく行ってる訳でもないけれど、自分が今そうして生きているその人の暮らしや療養をどうやっつけていこうとしているのか、その人の深い思慮や全身全霊の暮らしぶりを尊敬するからだ

私の返事はもしかしたら適切でなく万全でないかもしれない。
「すごいですね」「治療が効いてよかったですね」「頑張ってますね」「もっと頑張れそうですかね?!」「何が幸いするかはっきりわからない」「がんのサイズやデータで体調や状態が悪いこととは必ずしも一致しない」「1年2年経てば次のステップが見えてくる」「治療すると決断したら効くと思いながら時間を過ごした方がいい」「早く治療が始められてよかったですね」「新しい治療が見つかってよかったですね

こういう気持ちに偽りはない。込み入った経過や感情を人に話す患者さんの勇気を讃える気持ちが話を聞きながら漂う。患者さんとしては、あのときあなたに○○してもらったこと、○○言われた事に救われたのだとわざわざ伝えてくださる事もある。そういう全ての事も生きていればこそ、生きている実感があふれている。

患者さんは生命へのこだわりを謙遜するように「あと何年生きられるか…」ということもあるけれど、その意欲と希望に対して、時間ではなく、どうぞ季節がめぐることを目安に話ができればと今は思っている。
2007年07月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
最新コメント
アイコン画像マツモト
» 手術の準備@ 手術当日 (2006年09月22日)
アイコン画像634
» 手術の準備@ 手術当日 (2006年09月21日)
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:maki625yaplog
読者になる
Yapme!一覧
読者になる