人は変わる

November 01 [Tue], 2016, 19:24
わたしにはきょうだいがいる
だがもうあの子は変わってしまった
あの子から離れていった 誰かに手を取られているようにも見える
でも半分以上は、あの子の意志だろう

昔の写真データを整理していると まだ無垢であたたかいころの私たちが
なかよく笑っている
見ていると、胸が詰まりそうになる 涙が出そうになる
ひたすらに悲しい

だいすきだったあの子は、もういない
わたしがだいすきだったあの子の精神は、死んでしまった
いまあるのは、
あの子の見た目をした身体だけ

これも経験か こんなつらい経験があるか
わたしは近親者の死を経験したことがないが、
これが、最初の経験なんだろうな

かわいいあの子よ さようなら
沢山お話して 楽しかったよ。 相談しあって、助けられたよ
ハグした時の柔らかさ、いまでも憶えているよ
あたたかかったんだよ

わたしの心の中で 永遠に生きていてね

議論の対象

October 18 [Tue], 2016, 19:17
親と電話する中で、本音を行ったところ
そういうネガティブ思考大っ嫌い。お前の考え方では社会を生き残れない。社会人になどなれない
と言われました。
思考をまとめるために思考の経緯をまとめます。

「ショックを受けた」

「どうしてこの気持ちわかってくれないの 親なのに子供の本音を受け止めてくれなの
どうして”ネガティブ思考”の一言で丸めて、わたしの声に耳を傾けようとしてくれないの
ひどいよ こんなにつらいのに」

「本当はわかってもらいたい
でも もしかしてこれは単なるわがままなんだろうか、甘えなんだろうか」

「いや、そういう議論じゃない。
今回はその親の性格として”ネガティブ思考が極端に嫌い”というのがあった。
だからたとえ自分の子であっても激しく非難できたのだろう」

「だから、”本音”を言うのは親以外の前ですればいい。
今回は相手が悪かった。ネガティブ思考でも本音であることに変わりはなく、
それを受け入れてくれることがベストだったが、相手の性格ばかりは
どうしようもない。」

議論する対象を間違えないこと。
それについて延々議論して、ほんとうに正しい答えに辿り着けるのか?と
一度疑ってみること。

苦労をピーマンのように美味しく感じられるようになるまで何度も食べた

October 06 [Thu], 2016, 21:12
ここまで、本当に長かった
孤独な道のりだった
先が見えなかった
周りは楽しそうに「充実した生活」を送っていた
慰めてくれる人は自分ひとりだった
助けてくれた人みな 神さま
苦労をピーマンのように美味しいと感じられるようになるまで
何度も食べた

この4年で学んだこと
休息のやり方だけうまくやる
これだけ

近況、心境

September 02 [Fri], 2016, 12:06

目標のための闘いも一段落した。


実家に帰ってきている。自然豊かで空気もおいしい 水も透き通っている 先日は旧友と話をした もうこんなに時間が経ったのだなあ、苦労も沢山あったなあ、それでも皆の笑顔は変わらないまま


今まで何のために頑張ってきたかというとやっぱり夢のためだ。先生になるための勉強だ 一次は通った あとは二次の結果を待つのみだ これで本当に決まってしまうのだな


だから今は勉強をしていない そしたら「生きがい」がなくなってしまった。生きてる心地がまるでしない 落ちたらどうしようとかずっと考えている 驚くほど何にも手につかない


「休んだらどう」と言われて、本当に何もしないでいた。わたしを悩ませる全てのものから距離をおいたつもりだった。でも、実際何も変わらなかった むしろ悪化したように思える


確かに勉強は疲れるし心身共に疲弊しきっていた。でも夢のためと思えば何だってできた


あ、これか


わたしの活力の源は「夢」だ


だから夢を追いかけること、夢の実現のために努力することが、わたしを元気にしてくれるのではないか


いや、でも疲れてる時はちゃんと休むべきなんだよ それはわかってる わかってるけど、


きっとわたしは「休み方」を知らないんだ


だからいま、こんなに無気力状態なんだろうな「休む=何もしない」になっちゃってるから。何もしないと人とも話さなくなるし、最低限の衣食住というか最低限の労力で動くことになるし 実際いまそうだし


本当にうまい休み方というのは、多分、「次の行動のために心身をリセットできること」だ。「堕落」とは全く別物。


わたしの場合、この「次の行動」というのが定まってないからいけないのかも。「休む」という行為は、今までの疲れを癒すためというよりも、むしろこの先自分の精神やからだを保っていけるようにするためのものなのかもしれない

近況一点文字起こし

April 27 [Wed], 2016, 21:53
最近新しい人と出合う機会が多い。勿論、そういう出合いが必然的に生じる環境へ半強制的に飛び込んでいるからだけど。体力精神力もろもろ削られるわな。でも、そこでの「気づき体験」は尽きなくて、出合いの度にさまざまな見方や考え方を得る。良いものも悪いものも含めて。良いものは自分の中に取り込んで養分とするけれど、悪いものは反面教師として教訓にする。

今日は久しぶりに悪いものと出合った。ので、反面教師として覚えておけるよう書き留めておく。その人は多分10歳弱年上の人。曰く、何百人もの社会人や就活生を対象にセミナーを行っていて、成功のためには何をするべきかを教えているらしい。最初はおおっと思ったけど、だんだん聞いていて疲れてきた。というのも、その人はセミナー慣れし過ぎているせいかとにかく一方的に喋るばかりで、話の内容も億万長者を目指すだのビジネスの成功の秘訣だの一本調子。一番訝しく思ったのは、言ってることとやってることの食い違い。色んな人の将来の相談にのった経験が山ほどあり、相談相手も感極まって泣いてしまうこともあるんだ、みたいな事を言っている割には、私の話にはほとんど興味を示さず、相槌もなく、興味を示したとしてもそこから自分の話にこじつけてくる。そうして自分が話している時はこちらをジロジロ見てくるのに、私が話しているときは目を合わせようとしない。あれ?と思った。こんなに他人に興味を示さない人間に、どうして色んな人がプライベートな相談を持ち掛けようと思うんだろう?私だったら違和感だらけでちょっと信用できない。この人ひょっとして虚言癖でもあるのかなと途中で察知して、そこからは上辺だけのやり取りに持って行った。それでも連絡先(LINE)だけは執拗に聞かれ(相談に乗りたいからという名目で)、断れずに教えてしまったけど。遠回しに”あなたとはもうコミュニケーションを取りたくない”サインを出しまくってたのに、どうしてそれに気付かないかなあ。仮にも(自称)相談上手の人間が。そうした他人の隠れた感情に気付かないだなんて。それとも気付いててわざとやってんのかなあ。とか色々考えた。

というわけで、私なりに学んだ事↓
1、大人数を相手にする事、少人数を相手にする事は、まったく異質。前者は講義であり、後者は対話である。意思疎通や相互作用の必要度は後者のほうが圧倒的に高い。
2、「相談に乗りたい、乗らせてほしい」は偽善。そもそも、相談に乗るのが本当にうまい人のもとには黙っていても勝手に相談が集まってくる。
3、言葉よりも態度に重きを。態度は無意識化の感情(=本心)がそのまま現れるので、言葉よりも信用できる。


疲れたのでここまで。


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