納豆ネタ第五弾!
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「納豆の日って?」
納豆は、長きにわたって愛好され続けてきた伝統食品の一つで、日本人に最も
親しみ深い食材として現在に至っています。
全国納豆協同組合連合会では、1994年(平成6年)から、毎年7月10日を「なっ
とう」にかけて「納豆の日」と制定しています。
これは、すでに関西納豆工業協同組合で、1975年(昭和50年)から定められて
いた「納豆の日」を全国規模に発展させたものです。
「納豆の日」は、納豆の消費拡大を大きなテーマとしていますが、各種販売促
進のキャンペーンを展開するほかにも、ボランティアの一環として、全国の福
祉施設のお年寄りたちに、健康食である納豆をプレゼントし、さらにお元気で
長生きしてくださいとのメッセージを発信したこともあります。
「納豆の日」が制定された平成6年には、北海道から沖縄まで、各県で納豆の寄
贈が実施され、寄贈した施設の数は3670箇所、個数は375,841個に及び、大変喜
ばれました。
これからも全国納豆協同組合連合会では、「納豆の日」を皆様に納豆の魅力を
伝える大切な日として継承・発展させてゆきますので、「納豆」へのご声援を
お願いいたします。
【イトの日(糸引き納豆の日)制定の由来】
このたび全国納豆協同組合連合会では1月10日を「糸引き納豆」の日「糸の日」
と制定しました。
その由来について以下説明いたします。
ご承知の通り納豆には納豆菌で作られ、ごく一般的に食卓にのぼっている糸引
き納豆と、麹菌で作られる浜納豆(大徳寺納豆)があります。
従来の7月10日の「納豆の日」だけでは、この糸引き納豆のよさを全国の皆さ
んにより理解していただくには不十分ではないかということで、今回の「糸
引き納豆の日」の制定に至ったわけです。
1月10日としたのには、単なる「1・10=いと」という語呂合わせだけではなく、
糸引き納豆の始祖とされる平安時代後期の武将 源義家(みなもとのよしいえ)
<1039年−1106年>、通称「八幡太郎」にちなんでもいます。
彼は、頼義の長男で、前九年の役で父を助けて阿倍氏を討ち、後に陸奥守兼鎮
守府将軍(むつのかみけんちんじゅふしょうぐん)となって東国における源氏
勢力を作った歴史上の人物です。
この義家が1087年(寛治元年)11月14日、金沢柵を陥落させ、清原家衡・武衡
(きよはら の いえひら・たけひら)を討つことに成功し、12月26日には後三
年の役を平定した報告が都に届けられました。
この時期を現行の暦にあてると、およそ1月になります。
食文化研究家の永山久夫氏も『たべもの戦国史』において、この八幡太郎義家
兵糧説から東北発祥説を唱え、その伝わった経路を「ナットウロード」と名付
けています。
また、受験期を控えたこの時期に源義家にあやかって多くの受験生が、糸引き
納豆を食べて粘り強く受験勉強に励み、ぜひとも勝利を勝ち取っていただけれ
ばという願いもこめてあります。
さらに、納豆は江戸時代までは冬の風物詩でもありました。
松尾芭蕉(1644-1694)の句に「納豆きる音しばしまて鉢叩(はちたたき)」*
という句もありますように、寒い冬の貴重なタンパク源として庶民に親しまれ
てきたわけでもあります。
1年で最も寒い「寒(かん)」を控えたこの時期に糸引き納豆を食べて、そう
した先人たちの知恵に学ぶことを考えるのは現代人にとっても大切なことであ
ると考えます。
*「納豆きる音しばしまて鉢叩(はちたたき)」
納豆を刻むのを待ってくれ、鉢叩(はちたたき)をしばらく聞こうではないか、
という意味。
この場合の納豆は一般的な糸引き納豆です。
「納豆きる音」というのは納豆汁にするための納豆を細かく、粘りを出すた
めに、まな板の上の納豆を包丁で叩く音と考えられます。
細かく叩いた納豆を鍋に入れて煮立てたのが納豆汁で、当時はこの食べ方が一
般的とされていました。
「鉢叩」は空也念仏のことで、十一月十三日の空也忌から大晦日まで、ひょう
たん・鉢・鉦(かね)などをたたきながら、節をつけて念仏や和讚(わさん)を唱
えて踊り歩くことです。
都をめぐり喜捨(きしゃ)を受けていました。冬の定番の光景だったのです。
ところでこの納豆のパッケージかなりツボです。

納豆のジャケ買いってとろっ豆ぐらいかも。
「納豆の日って?」
納豆は、長きにわたって愛好され続けてきた伝統食品の一つで、日本人に最も
親しみ深い食材として現在に至っています。
全国納豆協同組合連合会では、1994年(平成6年)から、毎年7月10日を「なっ
とう」にかけて「納豆の日」と制定しています。
これは、すでに関西納豆工業協同組合で、1975年(昭和50年)から定められて
いた「納豆の日」を全国規模に発展させたものです。
「納豆の日」は、納豆の消費拡大を大きなテーマとしていますが、各種販売促
進のキャンペーンを展開するほかにも、ボランティアの一環として、全国の福
祉施設のお年寄りたちに、健康食である納豆をプレゼントし、さらにお元気で
長生きしてくださいとのメッセージを発信したこともあります。
「納豆の日」が制定された平成6年には、北海道から沖縄まで、各県で納豆の寄
贈が実施され、寄贈した施設の数は3670箇所、個数は375,841個に及び、大変喜
ばれました。
これからも全国納豆協同組合連合会では、「納豆の日」を皆様に納豆の魅力を
伝える大切な日として継承・発展させてゆきますので、「納豆」へのご声援を
お願いいたします。
【イトの日(糸引き納豆の日)制定の由来】
このたび全国納豆協同組合連合会では1月10日を「糸引き納豆」の日「糸の日」
と制定しました。
その由来について以下説明いたします。
ご承知の通り納豆には納豆菌で作られ、ごく一般的に食卓にのぼっている糸引
き納豆と、麹菌で作られる浜納豆(大徳寺納豆)があります。
従来の7月10日の「納豆の日」だけでは、この糸引き納豆のよさを全国の皆さ
んにより理解していただくには不十分ではないかということで、今回の「糸
引き納豆の日」の制定に至ったわけです。
1月10日としたのには、単なる「1・10=いと」という語呂合わせだけではなく、
糸引き納豆の始祖とされる平安時代後期の武将 源義家(みなもとのよしいえ)
<1039年−1106年>、通称「八幡太郎」にちなんでもいます。
彼は、頼義の長男で、前九年の役で父を助けて阿倍氏を討ち、後に陸奥守兼鎮
守府将軍(むつのかみけんちんじゅふしょうぐん)となって東国における源氏
勢力を作った歴史上の人物です。
この義家が1087年(寛治元年)11月14日、金沢柵を陥落させ、清原家衡・武衡
(きよはら の いえひら・たけひら)を討つことに成功し、12月26日には後三
年の役を平定した報告が都に届けられました。
この時期を現行の暦にあてると、およそ1月になります。
食文化研究家の永山久夫氏も『たべもの戦国史』において、この八幡太郎義家
兵糧説から東北発祥説を唱え、その伝わった経路を「ナットウロード」と名付
けています。
また、受験期を控えたこの時期に源義家にあやかって多くの受験生が、糸引き
納豆を食べて粘り強く受験勉強に励み、ぜひとも勝利を勝ち取っていただけれ
ばという願いもこめてあります。
さらに、納豆は江戸時代までは冬の風物詩でもありました。
松尾芭蕉(1644-1694)の句に「納豆きる音しばしまて鉢叩(はちたたき)」*
という句もありますように、寒い冬の貴重なタンパク源として庶民に親しまれ
てきたわけでもあります。
1年で最も寒い「寒(かん)」を控えたこの時期に糸引き納豆を食べて、そう
した先人たちの知恵に学ぶことを考えるのは現代人にとっても大切なことであ
ると考えます。
*「納豆きる音しばしまて鉢叩(はちたたき)」
納豆を刻むのを待ってくれ、鉢叩(はちたたき)をしばらく聞こうではないか、
という意味。
この場合の納豆は一般的な糸引き納豆です。
「納豆きる音」というのは納豆汁にするための納豆を細かく、粘りを出すた
めに、まな板の上の納豆を包丁で叩く音と考えられます。
細かく叩いた納豆を鍋に入れて煮立てたのが納豆汁で、当時はこの食べ方が一
般的とされていました。
「鉢叩」は空也念仏のことで、十一月十三日の空也忌から大晦日まで、ひょう
たん・鉢・鉦(かね)などをたたきながら、節をつけて念仏や和讚(わさん)を唱
えて踊り歩くことです。
都をめぐり喜捨(きしゃ)を受けていました。冬の定番の光景だったのです。
ところでこの納豆のパッケージかなりツボです。

納豆のジャケ買いってとろっ豆ぐらいかも。
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