動物の供養をするということ

July 10 [Mon], 2017, 7:26
昨日、友人の犬のご供養ということで個人宅にお経を挙げてきた。
翌日に荼毘(火葬)を控えていたので、今日にはもう昨日までの姿から、骨か灰になっていると思うと、最後に姿が見られるうちにお経を挙げられて良かったと思う。余談だが施主の方もその犬とは悔いのない別れが出来たそうで、変な表現かも知れないが安心も出来たことだし。

ふと思ったことがある。動物の供養、ペット葬儀なりと色々あるけど、人間のそれと全く同じスケジュールで動くことって、まずないんですよね。人間なら通夜を挙げて翌日に葬儀、その足で霊柩車に載せて火葬へ、一月後には四十九日…となるところ、動物の場合はそこまでのことはしないし、喪主にあたる方もそこまでの供養は求めない。
昨日はそれについて今回のお施主さまと少しお話が出来たのだが、共通の認識として「動物にそこまでしない」のではなく、そこまで「してはいけない」という気持ちがあるようだ。

気持ちの根底には動物にそこまですると動物側に未練を残してしまうから…とか人間の葬儀の本来の意義が人間のためにあること(内容は長くなるので割愛)を無意識に理解しているから、などまぁ色々あるのだろう。勿論人間のエゴという理由もあるとは思うが。

昨日は何となく犬がこの世に未練を残してしまいそうな気がして、亡骸を撫でることはしなかった。人の場合は額に触れて偈文を口ずさんだりするのに。
確かに人とペットは家族という思想は根付いたが、それでもなお人と動物の供養が違うのは、人は人の場合、動物は動物の場合でベストな供養のかたちが違うからなのかもしれない。
P R
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