ternate(12/5) 

December 05 [Wed], 2007, 13:08

12月5日 

December 05 [Wed], 2007, 12:55

年賀状!! 

November 28 [Wed], 2007, 14:03

講義要約 

November 14 [Wed], 2007, 7:49
18世紀後半の地誌スタイルについて、フランスのブーゲンヴィルを取り上げて学習した。『世界周航記』1766-69を読んでいった。

フランスは、アメリカ合衆国の独立によって、西インド(北米大陸)からイギリスとともに北米大陸における領土的野心・交易上の拠点が得られず、撤退を余儀なくされた。また、英仏両国は新大陸の利権をめぐる7年戦争で大きな痛手を受けていた。特に敗戦国のフランスにとっては切実なものがあった。

この時代以後、18世紀はスペイン・ポルトガル・オランダに代わって英仏がアジア進出をみせ始めた。そして、フランスはその失地を回復するために、世界周航事業(一種の軍事遠征と博物学的な地球の調査が目的)に乗り出した。

『世界周航記』(1767-68)を通覧していると興味深い点がいくつかある。一つは楽園タヒチの記述、そしてオランダ領東インドのことである。当時フランスは英仏戦争に敗れ、失地の回復を模索中であったし、イギリスはジャマイカを残して北アメリカからの撤退を余儀なくされていた。両国の関心がアジアに向けられるというのは自然な成り行きであった。この世紀は博物学が興隆した時代であり、盛んに奴隷貿易が行われ、新しい遺伝資源の発見に躍起になっていた時代でもあった。シュンペーターのいう新しい物産複合がもっとも追求したされた時代だったと言い換えても良い。ブーゲンヴィル一行はタヒチ島では決して楽園発見の感激に浸ることなかった。彼らはここで生産性に優れたサトウキビの新種を発見し、それをいち早くカリブのフランス植民地に持ち込み栽植技術を確立していった。ブーゲンヴィルのオランダ領東インドで見せたインテンシブな情報収集能力は特筆に価する。具体性には少しかけるが東インド海域に出没する英国船の動向、オランダ東インド会社の経営基盤とその権力配置や有用植物としての香料に関する情報収集などには全く抜かりがなかった。

ブーゲンヴィルの情報収集はいわゆる諜報活動の部類に属したが、植物学・動物学などの学者をメンバーを加えるなど科学的探検(世界が各地の生物・遺伝子資源に関するデータの収集)の性格を併せ持っていた。ブーゲンビルはこうした成果を踏まえ、地誌学は「具体の学」(具体的普遍性を追求する学問)だと主張した。また科学的探検の成果は万民の間で共有すべきだとも考えていた。

Ternate島 

October 24 [Wed], 2007, 7:51



 テルナテ島はモルッカ諸島(通称:香料諸島)の中の1つの島で、面積167平方キロメートルたらずの円形をした火山島である。テルナテはその中心都市で、北モルッカ州の州都でもあり、スルタンの支配するテルナテ王国の首都として、ポルトガルならびにオランダ植民地時代を通じて物流拠点として栄えた。
また、マジャパヒト王朝最盛期第四代ラージャサナガラ王(14世紀)時代に編纂された歴史書『Nagarakertagama(ナーガラ・クルターガマ)』中にMaloko(マロコ)とあるのがテルナテだとされている。

 人口は152097人(2000)であり、文化的には西インドネシアのマライ文化とメラネシア文化が混交し、人種面ではポルトガル人との混血がかなり見られる。
 テルナテ語は、ハルマヘラ島の大部分やモルッカ諸島と同様、西パプア系言語に分類されるが、かつて商業用のリンガフランカとしてモルッカ地方では広く流通していた。北モルッカ諸島の主要産品は、材木、ニッケル、ベニヤ板、コプラ、コーヒー、ココア、サゴ、クローブ、サゴ、ナツメグ、メース、ゴム、籐、真珠、魚類などである。
 この島は車社会の喧騒とは無縁な、小ぎれいで美しい自然に恵まれている。

 現在テルナテ島は全島が小さくまとまったコタテルナテ県をなし、そのうち島の西半分がプラウテルナテ郡、東半分が北テルナテと南テルナテの各郡に分けられている。
 北テルナテは地付きの住民が住み、伝統的にテルナテ島民兵の中核を担い、スルタンに対する忠誠心が強い。この地区には、要塞や船着場、スルタンの王宮、飛行場がそろっている。
 一方、南テルナテは現在テルナテ島の中心市街地を形成している。しかし、植民地時代はオランダの管轄区にあたり、周辺の島々(ティドレ、マキアン、マカッサル、ゴロンタロ)からの移住者、華人やキリスト教系の島民が混住し、インドネシアの独立後はジャカルタ政府の出先機関が進出した。この南テルナテは文化的な多様性に加えて、より近代的であり、社会的にも開放性が強く、スルタンを頂点とした保守的なイデオロギーには反対する立場をとった。

 そして、1999年には、テルナテ、ティドレ両島でばら撒かれたムスリムに対する聖なる戦争に立ちあがるようキリスト教徒に呼びかけたビラが直接の引き金となって抗争が起こった。その結果、両島合わせて1〜2万人のキリスト教系、中国系住民がスラウェシ島北部のメナドへの脱出を余儀なくされ、この抗争はその後ハルマヘラ島北部の村々へ飛び火していった。

ジャワ島におけるTambak 

October 10 [Wed], 2007, 12:49

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赤く塗ってあるのが、Tambak(Fish Ponds)です。
中学生のときにインドネシアは複雑な海岸沿いでえびの養殖が盛んと習っていた。今回実際に調べてみて、主に地形の複雑な浅い海岸にたくさん養魚場があってその通りだと思った。
また、有名な都市で密集して行われており、国特有の地形をうまくいかした養殖事業で有名になり、この国の経済を支えているのだと思った。
しかし、栄える一方でマングローブの伐採という深刻な環境問題も起こっている。
えびは日本人の食卓には欠かせない。えびを大量に輸入している日本もこの問題について他人事ではないと思う。これから日本は先進国として、大量輸入するだけでなく、その見返りとして環境問題まで手の回らない途上国の環境保護に積極的に取り組んでいくべきだと思う。

部分的心理 

October 03 [Wed], 2007, 8:27
"Partial truth(部分的真理)は、任意の事象について、それはその他のすべてのケースについて一般化することのできる「全般的真実」ではなく、あくまでその一部や特例に過ぎないが、しかし「部分的真実」としては存在するという意味の言葉だ。

  これは言い換えると・・・

>

「科学的研究は現実の正確な把握を目的としておこなわれるが、そこで提示される現実は(全知の神にみえているような)「生の事実」などではない。それは特定の概念図式にもとづいて解釈(あるいは研究)をすすめるなかでたちあらわれてくるのであり、現実を把握するには特定の概念図式に依存する必要がある。」

ここでいうところの「特定の概念図式の上にだけ成り立つ真理」がPartial truth(部分的真理)。

数学的には多値論理、論理学的は真理の複数性、いま時の言い方をするとファジー論理などはPartial truth(部分的真理)の近傍にあるものだろうか。

日常会話の中では?

以下で説明する(A)(B)両面を含んだ言葉だ。 すなわち、否定的な意味合いでは「虚実が混然一体となったいい加減な話」→(A)位の意味、、肯定的な意味合いでは「一面の真理」→(B)位の意味だ。従ってPartial truth(部分的真理)とは、一面の真理を含んではいるが虚実が混然一体となったいい加減な物言いを意味するということになろう。
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