天使になった赤ちゃんの記録【1】 

December 24 [Mon], 2007, 13:46
今日は朝まで眠れませんでした。

ちょうど1ヶ月前のこの日、私はまさかその5日後に赤ちゃんを失うなんて思いませんでした。

11月24日(土) 21週1日目


その日は夫の実家に前日から泊まってました。(家から約1時間30分)
朝起きてトイレに行くと、茶色いおりものがついていたので、
「これは何か危ないかも」と思い、かかりつけの日赤病院へすぐに電話。

先生が、
「茶色い血は何か古くなった血で、あまりいい兆候ではないです。
夜になって慌てることが一番良くないから、近くの病院をすぐ受診してください」とのこと。

夫にすぐに話をして、義母のかかりつけの産婦人科に行くことになった。
その日はお昼14時からの診察があった為、お昼を食べてすぐに行くことになった。

病院に着いてすぐに内診をしてもらったら、モニタに赤ちゃんの頭上から見えるかたちで、頭と目鼻らしきものが見えた。

先生は突然、「車イス!あと入院と点滴!!ご主人さんは付いてきてる?」と看護婦さんに話してました。

私には何も説明がなく、そのまま車イスに乗せられて病室へ。
すぐに着替えさせられて、おしっこも管を通してするようになり、点滴を付けられた。

看護婦さんが
「急にバタバタしてごめんね。子宮の入り口が開いて、今にも赤ちゃんが流産しそうなの」と説明してくれた。

私はわけがわからず、ただ呆然。8月にも切迫流産で入院したことがあったから、この時も安静にさえしていれば、大丈夫と思っていた。

私が病室に運ばれている間、夫と義母に先生から説明があったようです。
先生が病室に来て、「妊娠6ヶ月でこの時期は普通は閉じている子宮の入り口が、お産ができるくらい開いてて、赤ちゃんが流産しそうだから、絶対安静にして。食事以外はずっと寝ててください」と。

少し不安があったけど、何とかなると気楽に考えていた。

それから夫は、母子手帳と入院に必要なものを 私たちの住む家に一度取りに帰りに行った。私の実家も私たちの家のすぐ近くだったので、私の母と妹を連れて、病院に戻ってきた。
時計は夜8時をすぎていました。

この日から赤ちゃんとお別れするまで、ずっと寝たきりの入院生活の始まりでした。


天使になった赤ちゃんの記録【2】 

December 25 [Tue], 2007, 15:19
11月25日(日) 21週2日

入院2日め。

入院してから、すごく喉が渇くようになった。なので寝た状態でも飲めるように、ペットボトルにストローを差して飲んでいた。

尿はずっと管を入れたままなので、寝返りをした時に引っ張られる感じがして たまに痛い。気持ち悪い感じがずっと続く。

看護婦さんが「便が出たくなったら言ってくださいね」と声をかけてくれました。便もベッドの上でしなくちゃいけない…。

まだ入院2日めなのに、この先いつまで続くかわからない入院生活に不安が出てきました。

先生が診に来てくれて「最低でも後2ヶ月は赤ちゃんおなかの中で育たないとダメだからね」と言われてますます不安になりました。
私はケータイのネットで流産と早産についてすぐ調べ始めました。

21週6日までは【流産】で、赤ちゃんは助からずに
22週以降はおなかの外でも生きる可能性があるため【早産】になるという。

『今日は21週と2日だから来週まで、がんばってなんとか持たせれば赤ちゃんはきっと大丈夫!』と自分に言い聞かせました。

しかしその期待も、後の転院先の病院で、残酷な現実をあっさりと突きつけられることになるなんて思いませんでした。


天使になった赤ちゃんの記録【3】 

December 26 [Wed], 2007, 16:36
11月26日(月) 21週3日

入院3日め。
今日は朝8時から診察。やっぱり子宮口は開いたまま。

先生が「もし赤ちゃんが生まれても、うちの病院は設備が整ってないから今日のお昼に転院してもらうから。設備が整ってる病院は県内で2ヶ所しかないから、これから受け入れ先を電話で確認します」と言われた。
そして私の転院先の病院は自分の家からすぐ近くの国立病院に決まった。

そこなら夫も会社が近いし、私の実家も近いから母が世話をしやすいので、とても助かった。

お昼に救急車で運ばれることになったが高速道路を利用した為、車内が激しく揺れ いつ破水してしまうか怖かった。運ばれる時に先生が運転手に「とにかくゆっくりで良いから慎重に運んでください」と行っていたのに上下に激しく『ガタン!ガタン!』と叩きつけられた。私は思わず「すみません!破水しそうなのでなるべくゆっくり走ってもらえませんか?」とお願いしたが、「どうしても道路の繋ぎ目でこうなるんよ」と無視され、スピードは落ちることは全くありませんでした。

それは悪魔の1時間でした。

やっと病院に着き、先生と助産師さんが迎えてくれました。とても感じがよく安心。
私は「これで何とか助かる」と思い、すぐに内診へ。
モニターに映る赤ちゃんはとても元気で、ちょうど体の股の辺に何か見えたので思わず「もしかして男の子ですか?」と聞いたら先生は「そうみたいだね〜」と返事。
初めてわかった性別に喜んでる私とは反対に、先生の表情はとても曇っていました。
先生が「お腹が少し張ってるね〜。いつから?」と言われ、私は「自覚症状がなくて、お腹が張るって思ったことは一度もないんです。」と答えた。
私の点滴を確認した後、先生が助産師さんに別の点滴に変えるように指示していました。

その後「家族の方に説明をするので準備をします」と言って私にエコー写真をくれました。

赤ちゃんのドアップの可愛い顔の写真でした。

そして、これが最後のエコー写真になりました。


天使になった赤ちゃんの記録【4】 

December 27 [Thu], 2007, 22:40
11月26日(月) 21週3日
つづき。






エコーの写真を夫と家族に見せて「性別がわかっちゃった」と夫に伝え「どっちだった?」と聞かれて「男の子だったよ」と答えた。
夫はすごく嬉しいのか、めちゃくちゃ喜び、私もますます頑張らなきゃと思った。

そして先生の説明の準備ができ、今の状況を図に書いて詳しく説明して下さった。
それは前の病院と同じ、原因不明で子宮の入り口が開いてること。
考えられる原因として
・細菌による感染
・子宮頸管無力症

とのこと。

そして一番の問題は、赤ちゃんがどれ位の週数まで育つかによって、生死にも関わるし延命治療を受けて助かっても、障害が残る可能性があるということ。

さらに詳しい説明はNICUの新生児科の先生から後日、話がありますということだった。

私はそれを聞いてびっくりしたのとショックで涙が止まらなくなり、落ち着くまで夫と二人きりにさせられた。自分に置かれた状況の深刻さが初めてわかった。何も言葉にならなかった。

膣の中の細菌検査の結果が早くても3日かかるので、それまでは今まで通りに点滴と安静にする生活が継続された。

お腹の張り具合を数値で記録する為に、1日のうち朝と夜決められた時間にモニタで観察されるようになった。おしっこも管を通したまま。点滴はどんどん数値を上げられて胸が苦しくなり動悸も激しくなってきた。いろいろ入院に関する書類を書くときは、ものすごく手が震えてなかなか字が書けないし、ご飯の時だけ座ることができたけど、起き上がることも箸を持つことも苦しかった。

それでも1日も長く赤ちゃんがお腹の中で育って欲しいから、辛いとか、早く退院したいとか思わなかった。むしろ予定日までのあと4ヶ月を寝たきりで過ごしても構わない、どんな痛い手術でも可能性があるなら何でも受けるという覚悟ができた。

転院先1日めは私の母と夫の母が泊まりで付き添ってくれた。ものすごく感謝した。
夜中も先生や助産師さんがたびたび覗きに来てくれたので、何かあっても大丈夫だなと安心できた。

しかしこのまま臨月まで持つのかという不安は拭えなかった。本当に怖くて眠れなかった。赤ちゃんや夫や家族に申し訳ない気持ちが溢れてきて『健康な妊婦ならよかったのに』と何度も自分を責めた。


天使になった赤ちゃんの記録【5】 

December 29 [Sat], 2007, 1:04
11月27日(火) 21週4日

転院先の国立病院2日め

朝からベッドの上で内診と膣の洗浄をしてもらった。
子宮の開き具合は変わらない。
助産師さんがいろいろお世話をしてくれた。

今日は助産師さんに洗髪してもらった。
『どうやって洗うんだろう?』と思ったらベッドごと移動して広い洗面室で寝た状態で洗ってもらった。

まるで美容院みたい。
4日ぶりの洗髪だったからとても気持ち良かった。


お昼から部屋を移動することになった。
部屋が空くまで一時的に陣痛室を借りていたので、ちゃんとした個室になった。
病院とは思えないくらい、ホテルみたいに綺麗な個室ですごく部屋が広かった。
ハイリスク妊娠なので、管理上はこの部屋になるらしい。

時々、助産師さんが来て点滴の数値を上げたり、赤ちゃんの心音を確認しました。赤ちゃんはとても元気!
この命を大切にしたい!神様お願いしますと何度も何度も心の中で叫んだ。

明日になれば、細菌の検査結果がわかる。
2週間まえに、おりものの量が増えて黄色くなったのが気持ち悪くて、かかりつけの病院に検査を受けていて、異常はなかったから今回も大丈夫と思った。

今回の検査で異常がなければ子宮を縛る手術をすることになる。

凄く怖かったけど、明日の結果で異常が無いことを祈った。


天使になった赤ちゃんの記録【6】 

December 29 [Sat], 2007, 1:59
11月28日(水) 21週5日

転院先の国立病院3日目

今日は細菌検査の結果が出る日でした。

夕方、先生が来て「検査の結果が出ました。悪い菌ではないけど、B群溶蓮菌という常連菌が見つかった」とのことでした。

人間は常にいろいろな菌と共に生活していて、菌があるのは不思議ではなく、誰でも持ってるものとの事でした。

ただ今回の、子宮口が開く原因がそれかどうかはまだわからずに、今後の方向を今日中に決めないといけないから、夜に小児科の先生から、これからの現実に関わってくる問題を含めて話し合うことになった。

私は自分の身に何があっても諦めないと心に誓った。

でも現実問題は甘くはありませんでした。


夜、私と夫と私の実家の家族、夫の母で先生達の話し合いをしました。

ここの病院で出産したデータをグラフで見せてもらいました。

週数と生存率。そして、どのような障害が残っているかというものでした。


先生は治療を続けるか諦めるかの選択を出しました。
私は即答で「子宮口を縫いたいです」と言うと「どちらを選んでも、間違いではないですよ。少し考えて話あって下さい」と言いました。

私と私の母以外は、諦めようという意見でした。

これは私1人の問題ではなく、夫や周りのことを考えての意見でした。


夫は私の意思はどうしたいかを聞いてきましたが、私は、この時のみんなの意見に押されて「諦める」という意見を出しました。

赤ちゃんが今、お腹の中で元気に動いているのに!赤ちゃんは何も悪くないのに!せっかく授かった命なのに!私のせいで!

涙が止まらずに、もの凄く悔しくて、自分に腹が立って、この時の決断を今でもものすごく後悔しています。

先生に諦める意思を伝えると週数の関係上、明日の朝8時から人工的に陣痛を起こさせる薬を入れて処置をすることになった。


それからは早いもので、さっきまでしていた、お腹の張りを抑える点滴は針は残したまま外され、尿の管も抜かれた。

全く真逆の生活になった。
その夜は夫が付き添って泊まってくれた。

夫も相当泣いていた。

夫が車イスに私を乗せて、病院の中を散歩に連れて行ってくれた。

ずっと寝たきりだったので病院の中を見たのは初めてだった。夜も10時を過ぎており、とても暗かった。
私と夫と赤ちゃんの最後の夜を過ごした。


ベッドに戻り、夫の布団を用意してもらって寝ることになった。


私は朝まで眠れずに、お腹の中で動く赤ちゃんを撫でながら、妊娠してから今までの事を頭の中で思いめぐらせていた。


結婚して1年目にして判った妊娠。

すごく嬉しくて夫と二人で喜んだこと。

検診のたびにエコーを見て写真をアルバムに入れることが嬉しかった。

つわりで苦しかったこともあった。

初めて赤ちゃんが動いた時はびっくりした。

毎日毎日ネットで妊娠サイトを見ては早く生まれないかなとウキウキしていた。

今、お腹でこんなに元気に動いているのに…

明日にはお別れなの?

こんなことになってしまうなんて…

今まで生きてきた人生の中で一番辛い悲しみを抱えた夜でした。

天使になった赤ちゃんの記録【7】 

December 29 [Sat], 2007, 2:58
11月29日(木) 21週6日







転院先の国立病院4日目

これが夢だったらいいのに…。と何度も何度も思ったけど、現実でした。

朝8時に人工流産の処置を始めました。
膣の中に陣痛誘発剤を入れて人工的に陣痛を起こすというもの。

薬を入れた瞬間『あぁ。これでもう元には戻れない。赤ちゃんごめんなさい』と思った。


出産までに長い人で2日かかるということなので、3時間おきに薬を入れることになった。

8時に薬を入れて、まだまだ時間がかかると思い、夫は一度、私達の家に泊まっている、私の母と夫の母を迎えに病院を出ました。

私もまだまだ陣痛は来ないと思っていたので、ベッドの上でのんびりしていました。

助産師さんもたまに様子を見に来てくれて、「生理痛の強いのが来ると思いますからね。もし便が出そうな感じが来たらすぐナースコールしてください」と言っていた。

薬を入れて1時間。9時くらいから生理痛のすごい痛い感じがだんだんやってきた。

赤ちゃんを失うことばかり考えていたので、これから普通分娩をすることなどは全く頭に入れていなかったので、一瞬我に返った。

「う〜痛い痛い。これからこの痛みを1日くらい耐えないといけないのかな」って思いながら、赤ちゃんを失う恐怖と分娩の不安を抱えながら、1人部屋で夫たちが来るのを待っていた。
するとすごい便をしたい感じと生理痛のひどい痛みのような感じが交互に来て、ナースコールをした。

助産師さんに「本当に便をしたい感じなんでトイレに行きたいんですけど」と伝えると、とりあえず内診をすることになった。

ものすごく便がしたくて我慢しながら内診を終えると許可が降りたので、助産師さんに付き添ってもらい、分娩室の横のトイレに行った。ものすごい下痢でした。
また部屋に戻ると、今度は立っていられないくらいの激痛が襲ってきた。


9時30分頃に母から「今、○○ちゃん(夫)と病院に行ってるからね。」とケータイに電話があった。

その時、お腹はもうパンパンで、早く夫達に来てもらいたい反面、この痛みを耐えてる姿を母や義母に見られたくない気持ちもあった。

痛みはますますひどくなり、痛みを紛らわしたくても歩くことも座ることも寝ることもできない状態になった。

『もうダメだ』とナースコールを押したけど応答がなく焦った。

直後、助産師さん達が3〜4人くらいきたのを覚えている。
「ものすごく痛いんです」と言うと助産師さんが「歩けますか?」と聞いてきたが返事をすることもできずに疼くまっていたら、「ベッドに横になってくださいね」と言われて横になる体勢もつらくやっと横になると、そのままベッドに乗せられた状態で分娩室に運ばれた。

どうしていいかわからないくらいもがいていて、分娩台にあがらなければ、この痛みからは解放されないと思い、ベッドから分娩台に移った。

その時は、暑いのか熱いのかわからなくて、脂汗が出てるのが自分でもわかって、みっともないけど無意識のうちに胸がはだけるくらい服をまくりあげていた。

早く何とかして欲しいと思ったら、夫が入ってきた。
うろ覚えだけど、部屋には先生は2人助産師さんが5人くらいいた気がした。

おなかの中から何か生み出す感じがして、究極の痛みがピークになり、一瞬痛みが消えた…
と思ったら、先生がお腹をギューっと押さえてさらに痛くなった。先生の腕を掴もうとしたが、右手は助産師さんに握られ、左手は夫に握られていた。
声を押し殺していたら、子宮からすっぽり抜けて行く感じがあり、その後『ポン!』という感覚で出たのがわかった。

その瞬間、終わってしまったと思い大声をあげて泣いてしまった。

夫も人前と言うことを気にせずに鼻水を出しながら大声で二人で泣いた。

それが悔しくてたまらなかった。



天使になった赤ちゃんの記録【8】 

December 29 [Sat], 2007, 15:35
11月29日(木) 21週6日






出産後、落ち着くまで分娩室で夫と二人でいた。

助産師さんが「後で赤ちゃん連れてきますからね」と言って出ていった。

まさか赤ちゃんを見ることができるなんて考えていなかったので、ドキドキして涙がとまってきた。

助産師に「赤ちゃんに会わせてください」とお願いした。

赤ちゃんは、花びらのように、綺麗な布に何重にも包まれて私たちのところにやってきた。

すごくびっくりした。
とても綺麗だった。きちんと人間の形をしていた。

顔を見た瞬間、また涙が溢れてきた。

髪の毛も眉毛もあるし、爪もできてる。目も切れ長で鼻も私達に似て大きめ。
足はスラっと長かった。
口は少し開いていた。おしゃぶりでもしてたのかな?
まるでお人形みたいに可愛い赤ちゃんを見て「ごめんね。ごめんね。」と謝った。
夫も抱っこさせてもらっていた。夫の目からは涙が溢れていたが、赤ちゃんの前だからと泣くことを我慢していた。

夫は男の子を欲しがって喜んでいたので、こんなことになってしまって、物凄く悪いことをしてしまったと強く感じた。

しかし夫は「赤ちゃんに名前をつけてあげよう」と言いながら、前から考えていた名前の候補の中に見た目とピッタリ合う名前があったので、それに決定した。
こんな形になってしまったけど、夫は立派な父親だと思った。嬉しかった。

助産師さんがヘソの緒を見せてくれた。「1週間経ったら、この箱に入れて湿気のないところに保管してくださいね」と箱と一緒にくれた。

そして「またいつでも赤ちゃんに会うことができますからね。遠慮せずにいつでも言ってくださいね」とまた出ていった。

それから30分くらいして後処置があるので、しばらくは分娩室で寝ていた。

処置が終わり部屋に戻るとお昼1時を過ぎていた。

私の母と義母が待っていた。
私はわざと明るく振る舞うようにした。

もう1人で歩けるし、回復するのってこんなに早いものなんだと思った。


しばらく病室で家族と休んでいると婦長さんと助産師さんが来た。

「この度は御愁傷様でした。こんな時に申し訳ないですが…」と申し訳なさそうな顔をしながら、退院する日や火葬の手配の事や、死産届けなどの事を説明してくださった。

助産師さんは「赤ちゃんを入れる箱を用意しますから、お花とかお菓子やおもちゃを用意してくださいね。最後の日に一緒に入れましょうね」と言い、退院する日の事などについて、いろいろ話をした。明日には退院できるけど、火葬の関係で、あさってにしてもらった。

助産師さんは「母子手帳に赤ちゃんの状態を書いてもいいかな?」と聞いてきたので、喜んでお願いした。

夫はすぐに火葬の手配をして、会社に行った。

しばらくして、また助産師さんが来て、母子手帳の記入したところの説明をしてくれた。

「生まれた週数は 21週6日で、分娩日時は11月29日10時5分です」。

分娩所要時間は【誘発10分】だった。
「ナースコールを押して分娩室に入って生まれるまでの時間が10分ですよ」とのこと。すごく長く感じたがわずか10分だったことに驚いた。

「性別は男の子で、体重413グラム。身長27センチ。死産になります」とそれぞれ細かく説明してくれた。

分娩の経過の欄の、その他に○がしてあり【幸帽児】と書かれていた。

「幸帽児と言って、破水せずに、膜に包まれた状態で生まれたんですよー」と教えてくれた。

私の母も義母も初めて聞いた言葉に驚いて「幸帽児って何か綺麗な名前が着いたみたい」と笑顔だった。

私は大安産だったということで、そういえば分娩の時に先生が「上手に産めたねー」と言ってたことを思いだした。

赤ちゃんを綺麗に産めて良かった。母親として最低最悪と責めていたけど、綺麗に生んであげることができた事だけは救いだった。

夫が仕事を早く切り上げて病室に戻ってきたので、赤ちゃんの箱に入れるおもちゃの事や、母子手帳のことを話た。

幸帽児だったことを言うと、夫が泣きそうな顔をした。
家族が周りにいたから、私は慌てて、「赤ちゃんの箱に入れるものを買いに行きたい!明日、外出できるか許可をもらいに行こうよ!」と用事を作り、一緒に病室を出た。


夫との付き合いは学生からで長いけど、泣くところは今まで全く見ることはなかった。

今回のことで夫を苦しめたと思うとまた悲しくなった。

今後何があっても、一生、夫を支えていきたい、力になりたいと心に誓った。

病院の結果 

January 15 [Tue], 2008, 22:35
今回の妊娠でわかったことは、本来なら閉じているはずの子宮の入り口が開いたのは、検査の結果、子宮頸管無力症の可能性が高いとのことでした。


胎盤を調べても細菌による炎症は全く見られず、体質による可能性があると。


次回、妊娠した時は早めに予防的に子宮の入り口をくくる手術をしましょうとのことでした。


私がこんな体質でなかったら赤ちゃんは助かっていたのに…と思うとまた悔し涙が出てきました。


もう二度とこんな悲しい思いはしたくないです。



四十九日法要 

January 17 [Thu], 2008, 13:57
今日は赤ちゃんの四十九日法要の為、夫と二人で夫の実家の近くのお寺でお経を唱えてもらいにいきました。


お骨が綺麗に残ったので、これからどのように供養したらいいかを住職に尋ねたら、なるべく早く土に還してあげたほうがいいので、あまりずっと手元に置いておくのは、水子の赤ちゃんにも、今後の子孫にも良くないということなので、一時的に夫の御先祖様が眠っているお墓を借りて眠らせようと決めました。


将来的には私達が入るお墓に移動してもいいとのことなので、そのように話し合いしました。


お骨をいつまでも手元に置いておきたい反面、お骨の扱い方もわからなく粗末にしては赤ちゃんもかわいそうと思ったので決心することができました。


私達の赤ちゃんが早く成仏して汚れの無い世界へ旅立ちますように☆








P R
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:まい
  • アイコン画像 性別:女性
読者になる