ちょっとしたこと 

June 08 [Tue], 2010, 10:23
伝えたいこと、
話したいこと、
聞いてほしいこと。

何も考えずに話すことが多い。

外へ外へと発散することも必要だけど、
言葉では伝えきれないこともあるし、
言葉として話さない方がいいこともある。
もう少し自分の内側で吟味することが今大切なのかなと思う。


ちょっとしたことで、
繋がったり、広がったり。
あるいは、離れてしまうこともある。

ちょっとしたことに気付ける余裕を持ちたい。

同級生 

June 04 [Fri], 2010, 15:50
“♪〜Would you know my name if I saw you in heaven?
Would it be the same if I saw you in heaven?〜♪”

クラシックギターの音と優しい歌声。
アメリカに一年間留学していただけあって発音もいい。

上野公園を駆け巡る。


高校の同級生という繋がりがから、
同じ地元、小野原、丸太町、スペイン語、テグシガルパ、チリ、ボリビア
という共通点を見出す。

悶々とした高校生活。
どんなことを考えながら過ごしていたかを懐かしむ。
同郷人ということで、何だか安心感とか信頼が生まれて、それが絆となる。

恵比寿や上野で夢を語り合う。
実現するかが問題じゃないんだ。
自分が納得できるようにどう生きていくかが重要なんだ、
そう励まされる。

はじまり 

June 04 [Fri], 2010, 15:05
2010年6月。
はじまりのZERO。

高校1年生のときの数学の先生を思い出す。
こういう人のことを「天才」というんだと直感的に思った。

小型ノートPCの一部を発明したんだとかも言っていた。
「先生、すごーーーいっ!」って言ったら、
「もっと褒めて、褒めて」なんて言ってたっけ。

テストの答案を返すときは、
名前にちなんでの親父ギャグ。
「中宮くん、問題は中身や。」とか。
シラケル人もいたけれど、私は結構気に入っていた。
そして、そういう親父ギャグに影響されているような気がする。


「天才」というだけあって頭の回転が速くて、要領を得た教え方だった。
数学の授業がわくわくして、
必死についていくんだ、先生の一言ひとことを聞き逃さないでおこうと意気込んでいたっけ。

その先生が高校の広報誌のようなものに寄稿していることがあって、
その中で「ゼロ」という数字について書いていたことがあった。
実家のどこかにその広報誌はあるのだけど、
今、覚えている限りではゼロという数字の魅力というか神秘さというか
そういうことについて書いていたように思う。

それで、少しWikipediaで調べてみた。

  数の 0 は最小の非負整数である。0 の後続の自然数は 1 であり、0 より前に自然数は存在しない。
  数 0 を自然数に含めることも含めないこともあるが、0 は整数であり、有理数であり、
  実数(あるいは代数的数、複素数)である。

  数 0 は正でも負でもなく、素数でも合成数でも単数でもない。しかし、0は偶数である。


そして、
  慣用表現では、「無」以外にも「始まり」との意味で 0 が使われる事もある。


そうか。ゼロとは、何もないのではなくて、有理数として存在しうるものであって、
可能性を秘めたはじまりを意味するのかもしれない。

リセット 

January 16 [Sat], 2010, 21:03
同期というつながりがなかったら、
たぶん、しゃべることもなかったと思う。


お互い社交的ではないから
打ち解けあうまでに時間がかかったと思う。
言葉にできないこと、
言葉にしない方がいいこと、
それらを分かり合える存在だった。

一緒に肩を並べて座って、
仕事のことや恋愛のことを語り合った。
考え方も生き方も違うけれど、
だからこそ分かり合えた部分もあったのだと思う。

とても素直で、思いやりが深い。


その場所から自分が去ると決めてから、
何回も何回も「本気?」って聞いてきた。
不安な様子も表情から感じ取れた。


どうしてこんなことをするのか分からない。
ただ、そうすることが自分にとっていいと思っただけのこと。
リセットしてみることが。



「そう決断しない方がよかったんじゃない?」
そうズバッと言ってきた人もいた。

たぶん、それが誰もが思うことで、正しいことなのかもしれない。

もう過去に振り返ることはできない。
そう仕向けたのは自分なんだけども。


すべてのことが終わった日に、
ただ呆然としているときに
貴女から電話がかかってきて、
その優しくてあったかい声に励まされた。
ありがとう。

わかちあい 

December 20 [Sun], 2009, 22:48
苦しみを分かち合うということ。

言葉で書くと簡単だけど、
そして、かっこいい考え方であるけれど、
それは、すごく難しいし、体力のいること。

分かち合おうとすれば、
それはおせっかいになるし、
相手への負担にもなる。
もしかしたら、ただの一方的な思いで、
相手は自分のことで精一杯で、
思いやりの気持ちなんて気にもとめていないのかもしれないし、
逆に予想していないところで苦しめているのかもしれない。


そうして、無力な自分にイライラしたり、落ち込んだりしていると、
自分が気づいていないところで、誰かを振り回すことになる。



どうしようもなくて、
自分自身を見失っていた。


もう何年も前に出会ったタイの友人がいる。
心で繋がっているという確信を持てる。
その友人の多くのことを知っているわけではなのだけど、
お互いを思いやる気持ちがどこかで繋がっている。
だから、友人ではなくて、親友ということばがふさわしいんだと思う。


本当に久しぶりにメールが届いた。
何気ないメールなんだけど、
いつものように本当にあったかい思いやりが感じられるメール。
自分に向けられたあったかいことば。

人は他者に必要とされることで、
自分の存在意義や価値を見出していくのだと思う。

タイの友人のことばに、また救われた。


「お互いに会いたいという気持ちがあれば、
また会えると信じているよ。」


彼女との小さな約束がまだ一つ残っている。
それを果たすために旅してみるのもいいのかもしれない。

私の国際協力の原点、タイへ。

ちょっと困っている 

December 13 [Sun], 2009, 1:26

自分の心が、自分に対して誠実で優しくあってほしいと思う。
そして、他者に対してもそうあってほしい。
そういう心でいられるように、毎日、ちょっとずつ積み重ねて
人生をつくっていけたらいいなと思う。

直感とか、野生の感は、意思から離れたところじゃなくて、
日々を積み重ねてきた心が出してくれているものかもしれない。
感じたり考えたりすることを放棄して、なんとなく怠けているだけの時は何も生み出していない。
羊飼いの少年が錬金術から離れ、クリスタルを磨いていた時間は砂漠の旅へと繋がった。


ことば 

November 25 [Wed], 2009, 21:53
同じ言葉でも、
発言者や状況によって、
勇気付けられたり、励まされたり、
傷ついたり、腹立たしかったりする。

言葉には、そういう力がある。


ある人の言葉にいつも励まされて、
どうしてそんなに力のある言葉を言えるのか聞いたことがある。

「それは、本気で言っているからなのかもしれない。」
と言っていた。

その場の雰囲気に合わせたり、流したりするのではなくて、
思ったこと・感じたことを声に発する。
それが心に伝わるコツなのかな。
シンプルだけど、難しいのかもしれない。


怯えずに、自由に、
でも責任をもって発言することは難しいと思う。
励ましたい、勇気づけない、支えたい、
そう意気込んでしまうと、何か言葉だけが浮いてしまう。

びびったり、自分の発言に自信が持てなくなってしまうと、
自分が伝えたかったようなことを伝えきれずに、
見当はずれなことを言ってしまう。

その人のことを分かろうとすること。
でも、わかってあげようとか、
気の利いたこと言おうとか、そういうことを考えないこと。
そう考えた瞬間からズレが生じるような気がする。
同じ視点ということが大切なんだろうけれど、
それが難しい。



今、自分の立ち位置を模索している。
直感だけで動いてきて、
また直感で行動しようとしている。

どうなっていくのか分からない。
無力な自分。

そんなときに、
「一人ではできないものをたくさんもらっています」
というメッセージをもらった。

本当は、私の方が支えられているのに。




私はまだまだ山登りにも出ていなくて、
山の麓で山を見上げて、
うだうだと山登りに行かない言い訳のようなことを言っている。


山に登ると、
そこには大きな困難がある。
山頂というところにたどりつくことを思い描いても、
その瞬間の苦しみは苦しみとして残る。
だけど、いちばん辛いのは山に登ることにもチャレンジしないで、
あとで後悔することなんだと思う。


苦しいとき、辛いとき。
たぶん、そういうことを想像することが一番辛いのだと思う。

そして、山に登り始めたら、
その先にあることを期待しないこと。
こうであるハズと期待すると、
そこにはまだまだ試練が待ち受けているような気がするから。

そして、
一瞬、一瞬を大切にしていこうと思う。

一歩ずつ 

August 05 [Wed], 2009, 11:28
「自分がどこにいけばいいのかわからない。」

友人がふと口にした言葉。

何かの話の流れで、出てきた言葉。
その話の前後は知らない。
私に向けて言った言葉ではなかったし、
同じ部屋にいたほかの友人との会話の中からの言葉。

一緒の部屋にいるから、
私に聞かれているかもしれないという覚悟はあったと思うけれど、
そうした状況で、私はあまり人の話を聞かないようにしている。

だけど、この言葉だけがふと耳に入ってきた。




「コーヒーでも飲まない?・・・どうせ、ヒマなんでしょ?」
ここは日本。
日本でもこんな風に気軽に話しかけてくるもんかと少し驚いた。
帰国後、一週間も経たないころのできごと。

午前4時半。大きな自然公園を歩く。
こんな朝っぱらから散歩したり、走っている人たちもちらほらいた。

私は、何をしているんだろう。
時間を持て余すという感覚はなかった。
ただ、途方に暮れていたんだと思う。

「ココには、サッカー場はないの?」
話しかけた人の質問に答えずに、
私は違う質問をした。

「ここには、野球場しかないね。」


それから、野球場の入り口付近のベンチに腰をおろして、
世間話が始まった。
この自然公園のこと、この近くの名所など。
ときどき、その人の生活の様子も話しくれた。

「ねぇ、どんな仕事してるの?」と尋ねる。
「清掃。」
「要領よく掃除するのって大変よね。わたし、バイトしたことある。
頭を使って、身体を動かす。なかなか、ハードやんね。」
「そう。自分で考えて、動けない。言われて動いてるからダメなんだよね。」

その人には、その人なりの悩みがあるんだなと気づく。


表面的には、楽観的にみえても、軽い奴にみえても、
ゆっくり話していくと、何かがわかる。
通りすがりの私だから、思っていることをためらわずに言ってくれたのかもしれない。


「帰る場所、ないの?・・・それとも、帰りづらいとか?」
「そんなことはない。帰る場所もあるし、その場所に帰るよ。」
そうキッパリ答える自分に、
そうなんだ、私には帰る場所があるんだと思う。


静かで涼しい早朝に肩を並べてベンチに座って、
でも、蚊にさされてお互いぽりぽりとかきながら
他愛もないことを話した。

1時間ぐらい話しただろうか。

「よし、そろそろ帰ろうか。」

それぞれ夜中からうろうろしていて、
それはもやもやしたものがあって、
ゆっくり外の空気を吸いたかったからなんだと思う。

どうしようもないもやもやしていることの根本について、
直接触れたりはしなかったけれど、
世間話をだらだらとする中で、
それぞれが自分の居場所という現実に戻ろう、
そう自然に思えた瞬間だと思う。


名前も年齢も知らない。
知っているのは、昔からその近くに住んでいるというだけ。
心にひっかかるというわけでもない。

もう会わないかもしれない、
でももしかしたら会えるのかもね、
そんなことを言って、それぞれ帰路に着いた。



まだまだ自分に残された課題というか、
そういうもやもやしているものは、
ぎっしりと重くのしかかっている。


帰国前後、考えるべきことを考えずにいて、
どうしようもないテンションの自分がいた。

何も悪くないのに、うまく回っていない。

人と人の関係というものは、
その人たちで築きあげていくものなんだと思う。

だから相手の接し方がそっけないのであれば、
それは自分の態度に問題というか、
相手にとってはひきつけられるものがなかったこととも関係があるんだと思う。
相手の態度は、自分の映し鏡。
これも、ホンジュラスで学んだこと。


何も解決はしなかったけれど、
この夜中に歩き回って、自然公園で見知らぬ人と話したことは、
少しだけ私の心を自由にしたと思う。



どの一歩を踏み出せばいいのか、
それを踏み出す勇気も気力もない。

日本がどうとか、日本人がどうとか、
そういうことが問題じゃなくて、
私自身の問題として、うまく対処できていないだけ。

マクロな視点。

どうなるかわからない。
繋がるかもしれないし、どうしようもなくなるかもしれない。


ひとつの賭け。

こわいけど、前向きにチャレンジしよう。
来週は、いよいよ面接。

こんな自分でいいのか分からないけれど、
専門職で働ける、たぶん、最後のチャンス。

人の本質 

June 26 [Fri], 2009, 6:12
思いがけない休暇。
政情不安定のため、職場が休みになった。
そして、しばらくの自宅待機を命じられた。


「何か」があったとき、
人の本質がみえてくるのだと思う。
温かさも、身勝手さも。
(そして、もちろん私の身勝手さを感じ取られるときもあるんだと思う。)

そんな一日。

6月23日、 

June 23 [Tue], 2009, 23:19
ホンジュラスを発ったのは、ちょうど一年前のこと。
エルサルバドルを経由して、未知の世界、南米へと向かった。

そして、一年後。
私は、またホンジュラスにいる。
残り1ヶ月だけども。

最近は何を考えるというわけでもなく、ただボーッとしてる。
だから、道端を歩いていて、ふと気が付くと背後に誰かがいて、
ぎょっとしてしまうことが何回かあった。
気をつけないと。


ボーッとしてしまっているのは、
私にとっては、刺激の多い1週間ちょっとが過ぎ去ってしまったからなんだと思う。
そこには、予定されていた同志の帰国に関連することもあれば、
予定されずに突然、舞い込んできたこともあった。

短期間のうちに、いろんな人に会った。いろんな話を聞いた。

1日に2〜3回もの食事会。それが数日間続いた。
こんなこと、今まであったかな。


迷うこともあった。
2日間、ほとんど寝ることもなく、
いつが昼で、いつが夜なのか分からなくなりながら
悩んで、考えて、あきらめかけて。
だけど、とにかく前に進むことにした。
時間がなくて、断りきれずにお酒を飲んでしまって体力もなくて、
その限られた中で、とにかく形に仕上げることだけを考えた。

必死になること、もがくこと。

そうやって、ひとつのことをやり遂げると達成感が味わえた。
そして、同時にホッと一息をついて緊張感がほぐれて
ボーッとしてしまっているのだと思う。


相棒は、相変わらず忙しくて、
少し前のように3日間徹夜ということはないにしても、
たぶん、ほとんど寝ていなくて、そのうえイライラもしている。

だから迷うことがあっても、何も相談できなかった。
これでいいのかよく分からないけれど。
そもそも何も変わらないのかもしれないけれど。


相棒のイライラに対して、私は何の力にもなれない。
力になれないことをひしひしと感じる。
「別に、力になってほしいなんて思ってない」って言われそうだけども。

一喜一憂しても仕方なくて、
見えないストレスに曝されているこの場所では、
ストレスをためないことが大切。
あんまり考えすぎないこと。
物事はなるようにしかならないし、
そうなったことがいいことなんだとも思う。


あと1ヶ月。
ちょっと気合入れなおさないと。
あと少しのようで、まだまだ。
まだまだのようで、あっという間なのかもしれない。
贅沢な時間を、贅沢だと感じながら過ごしていきたい。


そういえば、
帰国した同志たちにメールを送って気づいたことがあった。
活動以外の個人的なメールを送ったことなかったということ。
だけど、これからも繋がっていく人たちなんだろうなと感じることができた。

議論して、ぶつかって、一緒にやりとげて。
そこから生まれた絆。
この先、もし何かにぶつかっても話を聞いてくれるだろうし、
ちょっとはずれたことをすると指摘もしてくれると思う。
何でも言い合える関係。
それは、とても大切なこと。

さて。
マフィア会議まであと1ヶ月!
(見てくれてるのだろうか?きっと、感じ取ってくれてるだろうけど。)
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