夢/トルコ 

2009年04月04日(土) 8時04分
とある砂漠の地。
砂漠で、ある猛獣に悩まされている村があった。
ある人物の影で自分は、けものになり、助けをした。
祝杯の宴。
皆グラスを持って、2組で声を掛け合いながら、乾杯。
自分には、誰かいなか、うろうろしていて、いずくと、キムタクがいた。
回りの皆が笑った。
戦で何もしていなかった、者が不釣合いなうえ、ずうずうしいと。
現実は苦いと知った。
そのよ、人里はなれて、長からの命令で、ある地へ旅立つことへ。

その地は。
戦場のトルコ。
憧れの地、トルコで、観光気分になった。
トルコ語は喋れる。
渡された雑誌は、留め金のあるジャンプ系。
なかに、後姿のコスモスのドールが紹介され、観野さんがコミカライズされていて、うらやjましかった。
どんな、トルコだと、思った。

武装兵団の一員で、ジーブカーに乗っていたが、いつの間にか、
男をぬいて、空を飛んでいた。

最後、体育座りになり、変な装置で検査され、ハイジが載るような、ながあい白いブランコにのせられることに。
順番が来て、あせる。
一歩まちうと、宙を落下してします。

そこで、目がさめた。

秋期限定栗きんとん事件 

2009年03月23日(月) 10時22分
犯人
氷谷。
むしゃくしゃして。友人が騒ぐのが楽しかった。

夢/雨 

2009年03月22日(日) 18時53分
夢をみました。
雨の中、外国と大阪の争い。
発砲のなか、自分はいた。

夢/掃除 

2009年03月17日(火) 10時23分
仕事の部下が風呂場を掃除してくれてた。
そこで、排水溝にある髪の長い毛を取ってくれる。
寝室も掃除してくれる。

夢/コスモス 

2009年03月16日(月) 13時40分
夢の中で、自分はコスモスになってました。
コスモスの体そのものが宇宙だった。

夢/目 

2009年03月15日(日) 13時41分
最近よく夢を見る。
目が四つある人(人形)が左から右へ順に開いてゆく、ふしぎな夢。
光田康典さんが送った曲。

LUPICIA 

2009年03月15日(日) 10時30分


梅の花 

2009年03月10日(火) 12時08分
しあわせ膳
おから生野菜添え

手桶湯葉

マーボーあん・野菜あん

湯葉の小袖寿司

湯葉豆腐とたぐり湯葉のお造り

豆腐の溶岩焼き

海老真丈の湯葉包み揚げ

ご飯・湯葉吸い物・香の物

今はもうない 

2009年03月07日(土) 11時30分
メモ

過去の不連続性は決まって忘却される。
まるで噴水から吹き上がる水のように、それは一連のつながりを持っているように錯覚される。
記憶とはそういうもの。
破線…というのは、もしかして、切取線だろうか?
ここに鋏をいれて、紙を切ってしまう。切ることによって不連続だった破線は連続となる。
物理的な境界となり、実線となる。
切ることによって、つながる…?
切り放されることが、すなわち道筋…?

まあ、その確率の方が幾分高いかな。
しかし、比較的狭い範囲の情報に基づいた統計的な推測だよ。
根拠はそれほど確かではない。

観察された結果から原因を導く場合の論理というのは、たいていの場合、あと付けなんだよ。
自分や他人を納得させるために、あとから補強された論理なんだ。
論理と呼べるものの実体はまだ存在していない。
存在する、と錯覚している人もいるけど、その場合は、個人の頭脳の中にいる別の傍観者が表層に現れているに過ぎない。
それは最初の発想を持った中心人格とは、明らかに別の人格だ。
つまり、あと付けの理論を構築しているのは、その傍観者的な思考で、それは最初のインスピレーションをトレースしている行為。
ただし、中心人格が、傍観者的人格を納得させるために、理論的筋道を作ってやる場合もある。

支配的ともいえる大きな瞳が精確に配置され、まさに悪魔が計算したようなエキセントリックな造形だった。

男女が親しくなり、多少でも馴れ馴れしくなると、お願いの言葉の構文すべて、反語あるいは疑問形の形態をとるようになる。

観察に先立って、確固とした目標がイメージできなければ、人はものを見たことにはならない。
予め用意された仮説が必要なのである。
仮説を持たない者は、何も見ていない。

ピザの分子構成をコンピュータで分析して、データをデジタルで送ってもらって、それを基にして、カートリッジ化された基本分子から対象物を組み立ててコピィする…。そんな、物質電装装置みたいなもの、あるとよいですね。

人の感情が、実に非論理的なものだということを認識せざるおえない。
会話の本質は、つまり会話の内容にはない、という極論さえ導かれる。

元来、理屈ってやつは、そもそも表面に出たがらない本質を持っている。この、理屈が顕在化したがらない、という理屈自体は、多くの場合、経験も、実体は隠れているのか、それとも、理屈の定義が、そもそもその隠遁にあるのか。
そう、たとえばね。真理という言葉は、必ず、内向的なイメージを伴う。ベクトルは中心、すなわち一番内部をむいている。それは、常に、深く、と形容されるだろう?深く隠れていなくちゃいけないんだ。何故か表面には、真理は決して存在しない。
文学的に言えば、人間は機械じゃない、ってとこかな。もっと高尚な存在なだけど、最適化はまだされていない。あるいは、一方では、もっと卑劣な存在なのに、まったく空隙だらけでポーラスな構造を見せている。だけど、どういうわけか、なかなか仕事をして、目を見張る資産を残すわけだ。それを支えているのは、人間の個体数、つまり人数だ。しかし、間違えちゃいけない。大勢の人間の協力が必要だ、なんて馬鹿な意味じゃないからね。子供にはみんな、力を合わせることが大切だ、なんて幻想を教えているようだけど、歴史的な偉業はすべて個人の仕事だし、そのほとんどは、協力ではなく、争いから生まれている。いいかい、重要な点は…。ただ…。人は、自分以外の多数の他人を意識しないと、個人とはなりえない、個人を作りえない、ということなんだ。専門的にいえば、要素、つまりエレメントというんだけどね。

最も洗練された解決がなされた、と僕は思う。
それは、最適と言う意味ではないけどね。
どう違うんですか?洗練と最適は。
最適ではないものを許すことが洗練だ。

継承による推論は、地球上では、人間だけが手に入れた、とても優れた思考パターンのうちのひとつだ。
すべての情報はその発信母体の呪縛から逃れられない。必ず信号を発する頭脳の思考プロセスによって制限されている。それは簡単に表現すれば、言葉を話すのに時間がかかり、それを認識するのにも時間がかかるからだ、といっても良い。たとえば、現象は並列でも、言葉は直列に並ぶ。その並び換えのプロセスに、発信母体の意図が介在するだろう。そこに制限された境界条件が必ず入り込む。もちろん、言葉と現象の多元対応が、曖昧さを作り、シンボルの選択には、受信側の意思も侵入することになるけど、これが、発信側の張った網を超越することは極めて稀だ。つまり、この特性を利用することによって、継承による推論が生まれたともいえる。
いつか現れる受け手、つまり、未来の理解者を想定するか、あるいは、自分の中に、その人格を将来的に創造するか。
芸術なんかもそうかしら?

デジタル信号がオンとオフ、つまり、1と0で表現されているように、何も言わないことも、伝達なんだ。
信号を送らないことで、意味をなす…。つまり、伝達する。

人間だけが、悲しいのに笑える。
嬉しいのに泣けるのだ。

風にそよぐ枝葉は、乾燥した地面の上に、光の粒子のブラウン運動をみせてくれる。

ときおり、鳥が飛び立つ羽音が近くでする以外、周波数の低い音は一切聞こえてこない。

人間の「生」の証しとは、何だろう?
それは、たぶん…。
自分の過去に向かった一瞬の夢。

犯人

姉の由季子が自殺をしようとしたのを妹の耶素子がひきとめ(そのときに紐が切れる)喧嘩になる。
姉は妹の首を絞めてしまう。
最後は姉由季子が麻薬で自殺。

そこで娘である滝本が真相をしり、由季子と耶素子の死体を入れ替え。
かつらをつけたのは、その理由。

注目

一人称の文は、西之園と佐木の恋愛物話。
西之園は萌絵ではなく、叔母。

最後のまったく余分なエピローグの11Pでミステリィの種明かし。
というか、推論。

最後

わからないが正解。
さわやかに終わる。

LUPICIA 

2009年02月26日(木) 18時41分



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