図書館と指定管理者制度 

2006年07月29日(土) 21時39分
 指定管理者制度を導入することによって、利用者の視点にたった施設の見直しや費用の見直しをし、より効率的な管理運営を実現することができる。また、住民の意見に対応するために効果的であり、よりよいサービスの向上を目指すことができるという利点もある。
 しかし、同時に問題も発生する。指定管理者がどの範囲までの業務を担当するのかという問題である。コスト削減や利益追求を進める民間事業者に管理を委ねることにより、住民の施設利用権を損なうことはないのだろうか。特に図書館は利用料を徴収するわけでもなく、利益が望めない。図書館の指定管理者となった企業・団体にとってなにか得することはあるのだろうか。施設の利用許可や料金を設定する権限までを企業・団体にまかせてしまうと、それらの利益が住民サービスよりも優先されてしまうという事態が起きる可能性があると思う。どこまでを公共団体が管理し、どこから民間にまかせるのかが大きな鍵となるだろう。あまり民間にまかせすぎると、利益追求の方向に走ったり、不正が起こったりするなどの問題が起きかねない。この制度では、それらの問題を踏まえた管理運営体制を考えることが必要だと思う。

ブログと言論の自由 

2006年07月29日(土) 15時36分
 ブログは、自分の意見を述べる際に有効な手段である。個人がそれぞれ自由に分析・批判することができる。言論の自由の上になりたち、そこでの発言にはそれなりの自由が確保されていなければならないと思う。
 しかし、言論の自由があるとは言っても、ブログが公開されているものである以上、何を言ってもいいというわけではない。特定の人物への中傷など人を傷つける行為は絶対にしてはいけないことである。そのような誰かにとって有害となる発言は、取り締まらなければいけないものであるが、それらがどこから違反であるとするのかという問題がある。中傷された人が一般の人ならまだしも、有名人への批判などはいくらでもあるだろう。そのすべてを取り締まっていてはきりがないし、不可能である。だからといって、人に見られる立場の人はしょうがないとしてしまってよいのだろうか。
 ブログは自分の私的領域であるといえるが、公開されているものだということを忘れてはならない。社会的なモラルを持った発言をするということを前提に、言論の自由があるのだと思う。

会社は誰のものか 

2006年07月29日(土) 12時42分
(1) 会社は筆頭株主のもの
(2) 会社は株主全員のもの
(3) 会社は経営者(取締役会あるいはCEO)のもの
(4) 会社はそこで働く従業員(社員)のもの
(5) 会社は社会全体(あるいは市民)のもの

 この中でひとつだけ選ぶとしたら、(5)がいちばんいいかなと思う。でもこれは理想なんじゃないかな。

 会社は社会の経済成長のために大事な役割を担っている。社会はみんなのものであり、そう考えると会社は市民みんなのものと考えるのが正しいのかもしれない。しかし、それは表向きであって、私は、会社はそこで働く経営者や従業員のものであると思う。
 ひとつの会社がつぶれたときに被害を受けるのは、社会ではなくその会社の関係者であり、会社の経営にはその人たちの生活そのものがかかっている。利益のない会社がつぶれ、その場所や建物が社会にとってよりよいものに使われるのであれば、市民に損はない。従業員は自分の生活、大げさに言えば命を会社に預けているのであって、自分や家族を養う責任がある。そのために、会社をよりよいものにしていこうと協力し、努力しているのであって、それに基づいて消費者(お客さま)優先という考え方に至るのではないかと思う。それが社会にとっていい方向に進み、みんなのためになる会社となるのではないだろうか。

市民の電子的議論の場をどう作るか 

2006年07月28日(金) 18時24分
 市民の議論の場という形で電子会議室というものがあるが、これは会議に出席できない人(例えば会議室に行くのが困難な老人や障害者の人々など)も参加することができ、子供でも大人でも関係なく公共の場で自分の意見を述べることができる。そう考えるととても良いものであると思うし、みんなで協力して町を作っていくという意識が生まれ、市民としての自覚というか責任のようなものを考えるきっかけになるのではないかと思う。
 しかし、誰でも意見を述べることができるという点で、荒らしなどが起こってしまうことも確かである。それを防ぐために、まず参加資格をどうするかという問題がある。その電子会議室で発言できる権限を得るために、名前と電話番号かメールアドレスを登録し、表側からは個人が特定できないようにIDとパスワードを決めるのがよいと思う。意見を述べる際にはそのIDが表示され、迷惑行為を行った者は強制退場させるという形をとるのがよいだろう。また、差し支えなければ、議論の内容は一般公開にしておいたほうが、それを見た人に参加意欲がわくきっかけにもなるのではないかと思う。

NHKの変革について 

2006年07月18日(火) 8時27分
 「私たちの」NHKに変革していくために、NHKはインターネットの利用を考えているようだ。
コンテンツを有料で配信し、収入を得ることを可能にするのである。これまでは、視聴者がNHKの番組を見ている見ていないにかかわらず、テレビ受信機を持っている世帯から受信料を徴収してきた。
インターネットでは,見たい人だけがその対価を払う選択制にするという。今までのような威圧的な徴収では、不公平であり、視聴者との溝を広げていくだけなので、このような計画は有効であると思う。
経営の安定のためにはさらに他の会社のように宣伝・広告費、視聴率で利益を出る形をとったほうがよいのではないか。
 しかしここで問題となるのは、インターネットでのコンテンツの内容である。どれだけ多くの視聴者が見たいと思ってくれるか、豊富で充実したものを提供できるかがこれからの課題となってゆくだろう。
 民営化して民法・衛星・CATVが対等な競争環境におくことで、経営を見直し、これからの経営基盤をしっかりしてゆくことが重要であると思う。

NPOについて 

2006年07月10日(月) 14時05分
私は「わいわいメディアインク」というNPOについて調べました。

この団体は、個人、グループ及び任意団体としてボランティア活動をしている人々や民間非営利活動組織(NPO)に対する支援をしています。
ここでは、豊富な知識や経験を有する会員相互の協力により、支援活動やそれに伴う事業展開を実践することにより、社会貢献の輪を広げ社会全体の利益増進に寄与することが目的とされています。

団体のキャッチフレーズは「いまできること」であり、現在はポリオ(小児マヒ)撲滅に協力する為に、「花咲かTシャツ」キャンペーンを行っています。

わいわいメディアインクHPhttp://www.waiwainet.ne.jp/

ガバナンスについて 

2006年07月04日(火) 18時14分
 ガバナンスは、何かを決める際に、今までのトップダウン方式のように上からの指示をすべてとするのではなく、皆が同じ立場で議論することができるものである。透明性・合法性・多様性などの面でとても有効であり、グッド・ガバナンスが形成されるととても理想的な合意形成に至ることができる。
 しかし、ガバナンスにおいて本当の合意形成に至ることができるのはどれくらいなのか疑問である。簡単に皆の意見がひとつにまとまるようならガバナンスなんて必要ない。授業で経験してみて実感したが、さまざまな意見をひとつにまとめることはとても難しく、多くの時間が必要となる。毎回多くの時間が用意されているわけではないし、時間があったからといってうまくまとまるとは限らない。ガバナンスの有効性・実用性についてもっとよく知りたいと思う。

パブリックアクセスについて 

2006年06月24日(土) 10時46分
日本でパブリックアクセスが浸透してこなかった理由として、
まず、日本ではアメリカのように、法律で市民の権利が擁護されているわけではないことがあげられる。なので、市民が作った番組が自由に配信できるわけではないのである。
また、市民に番組を作ることについての知識もないし、それを行う費用を誰がだすかなどの問題もあると思う。

パブリックジャーナリズムについて 

2006年06月13日(火) 9時37分
 私は、『人体の不思議展』についての記事を読みました。
 「人体の不思議展」では、臓器、筋肉、血管、神経組織・人体の全てを無駄なく標本処理してあり、すべて本物である。本物だから当たり前だけれど、とてもリアルで、いくらキレイにされているとはいえ写真を見ただけでも生々しかった。高校の先生が名古屋で見に行ったところ、そこにはトイレがなかったらしい。気持ち悪くなった人はどうするのだろう…。
 私は、このテーマについての記事を2つ読んだのだが、どちらも展示会の内容が詳しく紹介されていた。しかし、片方の記事には、少し批判的な内容もあった。既存のジャーナリズムのようにただ内容を紹介するだけではなく、個人的な感想が素直に述べられていた。
 これは、パブリックジャーナリズムの特徴であると思う。公共のジャーナリズムが批判してしまうとその展示会に不利益が生じる可能性が高いため、よほど多くの人が同意しない限り批判はなかなかできないだろう。しかし、パブリックジャーナリズムでは個人の意見として書かれたものが多いので、批判をしたとしてもなんの問題もない。既存のジャーナリズムが客観的なのに対し、パブリックジャーナリズムは主観的であるように思われる。
 また、パブリックジャーナリズムについて調べてみたところ、このような意見があった。
 「あまりにも社会に情報があふれすぎた結果、人々は身のまわり30センチの物語しか信用できなくなったということなのかもしれない。当事者が自らの体験を主観に基づいて書いていれば、それはその人の純粋な主観として信用できる。しかし第三者でしかないジャーナリストが、みずからの生活とはまったく関係のない取材対象を“客観報道”の名のもとに分析してみたとして、いったいそれが本当に客観的なのかどうかをどう判断できるというのか」
 確かに、ジャーナリストは自分自身には全く関係のない事柄を取り上げ、都合のいいように着色している。それをどこまで信じていいのかわからないし、そもそも疑ってかかっている人のほうが少ないだろう。そう思うと、主観的とはいえ、事実をそのまま述べているパブリックジャーナリズムのほうが信用性はあるのかもしれない。
記事http://www.janjan.jp/culture/0606/0606065618/1.php

パブリックコメントについて 

2006年05月17日(水) 9時58分
遅くなっちゃったけど、パブリックコメントについて考えてみました。
浜松市の交通安全計画についての話し合いでしたが、いろいろ意見がでた後、放置自転車について話し合いました。私の班は、皆が順番に意見を言っていくという形をとり、ひとつの話題に一人ひとつは意見を言っていました。
 でも、ただ聞いているだけで、その意見に対しての反論や質問は全くなかったです。司会の人がうまくまとめた意見を言ってくれて、それに対してみんなが付けたしの意見を言ったりしていく感じで合意形成に至りました。
 「無料の駐輪場を作る」「放置自転車を回収する」などの案がでましたが、それを誰がやり、費用はどこからだすのかなどの問題には全く触れませんでした。

 しかし、パブリックコメントは、一般市民に募集しているのだから、そんなことまで皆が考えるとは思えません。市の予算など何も知らない市民がほとんどで、それを承知の上で募集しているんじゃないのかなと思います。
 パブリックコメントを募集したところでその意見がどれだけ反映されるのかも曖昧だし、その意見を参考にして市の偉い人たちが議論するんだと思います。あくまでも参考だから、街についていちばんよく知っている市民に意見を求めて、困っていることなどを聞いてみようという感じではないんでしょうか。。
どんな意見が出ようと、最終的に決めるのは一部の人なのだから、自由に思っていることを言うのもそんなに悪いことではないような気がしました。
P R
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