『火花』を読んで/又吉直樹

October 07 [Sat], 2017, 23:56
 売れない芸人徳永と、彼が師として仰ぐ先輩芸人神谷の話。

 才能とは何なんだろうと改めて思う。神谷の相方が吐いた「俺たちがやってきた百本近い漫才を鹿谷は生まれた瞬間に超えてたんかもな」というせりふに胸が痛んだ。
 共感できるものしか認めない風潮のある世の中では、世間が求めているものを理解し、求められたものを提供するという、世間に迎合していくしたかさが必要になる。ラスト、お笑いを追求し続けた結果、全く他人の理解を得られないところまで行ってしまった神谷が悲しくてたまらなかった。大衆受けを完全無視して自分の理想を崩さず、常識から弾かれながら世間の観念と相入れない神谷。なんと生きにくい人生なのか。

 印象に残ったのは次の徳永の言葉。
 “リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。 それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、 僕は自分の人生を得たのだと思う。“

 私自身は昔から夢と言えるような大層なものは持っていなかったが、周りにはいわゆる夢追い人がやたらと多かった。その中でも今、夢がかなった人、成功し続けている人、一瞬でも成功した人、諦めた人、まだ諦められない人、消息のわからない人、いろいろだ。
 支払った代価に結果が反映されるとは限らない。努力は必ずしも報われない。夢をつかむ人間よりも諦める人間のほうが圧倒的に多いだろう。そんなことを知りながらも挑戦し続ける彼らがたとえ夢破れたとしても、せめてこれまでかけた年月は無駄ではなかったと思えるような何かを得られればと、他人事ながらも心から思った。