神戸に生きました。
神戸ビエンナーレの一貫で開催されたアートマーケットへ。
神戸へ行ったのは二回目で、一回目はスケボーをしに。今回は作品を持って。
どっちもアート。そもそも人が生きているということが最高のアート。どんな絵画も勝てません。
車をもらったんです。一回目に神戸に行ったときにその車を運転してた、一緒にスケボーしに行った
最高の存在感をにおわせている、名古屋の兄貴に。好きな酒は <いぶし銀>。
二回とも同じ車で神戸の街を走りました。しゃれこうべ。
素直に住みたいと思いました。
二日間行ってきたのですが、一日目はHAT神戸へ、二日目はメリケンパークへ。
どちらも二回目、スケートスポット、今回は作品を持って、滑りたい衝動を抑えて。
作品をかくようになったのはスケボーのおかげなんです。えっ と思うかも知れませんが、
スケボーしてなかったらアートという世界に興味を持っていなかったと思います。
街がキャンバス、スケボー乗りは筆と同じです。
とにかく影響を受けています。好きなアーチスト5人言って下さい、といわれたら3人はスケーターを言いそうです。
そのくらいスケボーしかしていなくて、そんなにスケボーしかしてなくてどうするつもりなの?って感じで、SKATE or DIE って本気で思っていた時期もあって、それが偶然、なんでそうなったかは分からないけれど文字を書くことになって、書いた文字が翼の形になって。
いい滑りをしたいという基準だけで仕事を選んでだこいつが、板の上で死んでもいいと思っていたこいつが、それだけ好きなスケボーを我慢できるようになって。
喜んでくれたんです。文字を書かせていただいたひとが、作品を見ていただいたひとが。
一生の仕事にしたいと思いました。どんなにかっこよくスケボーの技を成功させても、こんな気持ちは味わえなかったです。
生きているときに感じたり、思ったりしたことを、ただただ、一所懸命に作品にしていく。思った詞を、そのかたちに、絶対できるということだけ信じて、かたちにしていく。
それもスケボーをやっていたからこそできること。絶対に成功することだけを考えて、できるまでやる。どうやったらできるかという、イメージと、研究と、反復と。ビビってもできないし、調子に乗ればけがするし。ちからは、入れすぎず、かといって抜きすぎず、調度いいところで。楽しんでいるときはやたらとできる。ここぞというときは、周りはきにせず、一緒懸命に集中して。できない流れのときは、ひと呼吸おいて空気を読む。雨が降ってできないときがあったり、風が強くてやる気をなくしそうでも、追い風だったら?とか風は強いほうがその空気抵抗の分飛べるんじゃないか?とか。
その状況を楽しめたり、なにか学びとれたりするのも、意識次第ぢゃないかと。今日という日は二度と訪れないですし。今日という一日がどうなるか決めているのは、そのひとの思考なのかもしれないと思ってしまうのはこいつだけでしょうか?