ヴィラ・デル・サンティシモ

April 23 [Wed], 2014, 1:26
SF作家山本弘が会長を務める“読書集団”であり、「著者の知識の欠如や妄想により、著者の意図とは異なる楽しみ方ができる」トンデモ本を「バード・ウォッチングのように楽しむ」探求・愛好団体、と当人たちは語っている。
マゼランのセブ島到着から44年後の1565年、征服者(コンキスタドール)ミゲル・ロペス・デ・レガスピは、500人の武装した兵士と聖アウグスチノ修道会およびフランシスコ会からの修道士を連れてマリアナ諸島およびヴィサヤ諸島の各島を経てセブ島に到着、スペイン王の王冠のもと島の支配を進めると宣言した。レガスピたちはラジャ・フマボン王の息子、ラジャ・トゥパス王の砦を砲撃しスグボの町を破壊した。
日本軍がセブ島に上陸した。日本軍による占領の時期、フィリピンで最も人口が密集したセブ島は、重要な物資補給地点・軍事拠点となっていた。1945年3月、占領から3年後にアメリカ軍が上陸。日本軍はレイテ島から退却してきた部隊も含めて交戦したが兵力や武装に劣り、セブ市はアメリカ軍に奪回された。制海権を握られた日本軍は他の島への退却をあきらめ山岳部にこもり地元民によるゲリラ、米兵との間でのゲリラ戦を続け、終戦を迎え多数が降伏した。彼らは後に町を再建し、名を改めヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス(Villa del Santisimo Nombre de Jesús、イエスの最も聖なる御名の村)とし、教会や大学を建設した。1569年、この町はスペイン議会 (Spanish Cortés) によりフィリピンに成立した最初の入植地となった。レガスピの部下たちは更に兵士を率い、マニラを襲ってこれを征服した。
1571年8月14日、セブ(ヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス)はマニラの司教区から離れ、独立した司教区となった。レガスピが同年、マニラに新たに確立した入植地へ本拠を移した後も、彼はセブを見放さず守備隊と知事を雇って町を管理させ、兵士の半分はセブに残した。以後、セブはスペインの植民都市としての繁栄が続いた。
3世紀の後、1898年6月12日、スペインの支配は倒され独立が宣言されたが、続くアメリカ合衆国の侵入により再び植民地支配が続いた。1901年、セブは町 (municipality) となり1937年2月24日、市 (chartered city) となった。<と学会>の目的は「あくまでもトンデモ本を楽しむことにある」と当人たちは謳っている。だが、実際には出版物は、会長を中心として執筆者らが、超常現象、オカルト、陰謀論、疑似科学を否定的に扱ったりひやかしたりする文章が多い為に、人々からしばしば“オカルト否定団体”だと認識されている。だが人々のそうした認識に対して、元副会長の藤倉珊は、「単にそうした分野にトンデモが多いだけで、とくにオカルトを標的にしているわけではない」としている[1]。なお、運営委員の唐沢によれば、会の結成以前からの流れとしてトンデモ本に対する論破・ツッコミを中心にする山本弘と、トンデモ本が存在する現状の観察に重きをおく藤倉珊という二派が存在しているという[2]。また、志水一夫のように超常現象は実在しているとする人、さらには稗田おんまゆらのような占師・オカルティストも会員に含まれている。
日本SF大会の企画の一つとして行なわれた日本トンデモ本大賞を引き継ぐ形で発足。以後雑誌『宝島30』の「今月のトンデモ本大賞」を皮切りに様々な媒体を通じて活動を行なっている。雑誌『宝島30』では創刊号の1993年6月号から休刊号になる1996年6月号まで連載。途中で「今月のトンデモ本」にタイトルを変更。執筆は山本弘と藤倉珊が交代で担当した。『宝島30』の連載の好評を受けて、この連載を基に同人誌の一部の内容を加えて大幅加筆して、1995年に出版した初の単行本『トンデモ本の世界』は、その数か月前に起こったオウム真理教事件で疑似科学やカルト宗教の異様さに関心が集まった中での発売となり、10万部のベストセラーとなって「と学会」の名を一躍世間に知らしめた。2003年には、日本トンデモ本大賞の発表を初めてSF大会から独立したイベントとして開催した。
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