10/23 退院 

2005年12月12日(月) 11時17分
眼圧はというと、少しずつ上昇していき、
12となった。

理想眼圧の上限ギリギリラインまで上がるのはあっという間だった。

低眼圧で悩んだことが遠い昔のことのように思える

15日の外泊後も特に問題は起きず、その後の経過は順調だった。


20日の教授回診でMMC処置の経過を診てもらった

「赤みが良くなってきましたよ。
 今後、MMCは適宜な処置で良さそうだ」

そして、退院が23日と本決まりした。

次回の外来は31日と決まり、24日間の入院生活を
無事終えることができた。

退院日の朝食時、いろいろな人からの「おめでとう」という言葉に
胸がとても熱くなった。

よく晴れた退院日和。

暖かい日差しに迎えられ、病院を後にした。

10/13 MMC塗布開始 

2005年12月11日(日) 10時40分
教授診察を受けた日の夕方から
早速MMC塗布が開始された。

まずは点眼麻酔

眼を開けておく装置を取り付けられる

その後、ピンセットで小さな薬(これが恐らくMMC?)を術跡の
炎症部分の二、三箇所にそっと置く。

そのまま3分放置。

3分後、その薬をピンセットで取り除き、水で丁寧に洗い流し、終了。

二日に一度、その処置が行われた。

痛くも痒くもない処置だが、3分間眼を開けていることが辛く、
溢れる涙で、薬を流してしまうような気もしていたが、
回数を重ねるたびに、すっかり慣れていき、
涙が出ることもなくなった。

外泊許可 

2005年12月10日(土) 10時39分
教授診察の後、田野先生から話があった

「眼圧がまた上がってしまわないように、
 今日から二日に一回、術跡にお薬を塗ろうと思います。
 その処置を10日やりたいと思います。
 この処置をすることで、今までのようにまた術跡が塞がってしまうのを
 防げると思います。」

そして先生は申し訳なさそうに付け加えた

「退院が23日になります・・色々ご都合もおありでしょうが
 とても大切な処置です。」

私自身もこの処置を受けないとこの手術も失敗に終わることは
よく解っていた。
もちろん、処置は受けるつもりだったが・・

「先生、外泊、ムリなら外出させていただくことは可能ですか?
 子供の修学旅行の準備がありまして・・。」

ということで、15日(土)に一泊外泊を許可がおりた。

10/10 眼圧上昇の兆し 

2005年12月09日(金) 9時52分
10月10日 朝の診察 眼圧 5

やっと4以上の数値をだし、そこからは上昇しはじめ
11日には 7 となった。

目標眼圧は8〜12くらいで、良い数値になってしたが
今度は上がり過ぎてもいけないので、もう一週間くらい変動を見よう

ということで、退院が予定より数日延びることになった。

翌日12日の診察で、ブレブの回りが固くなり始めてる・・
と田野先生が言った。

「やはり、傷が治りやすい体質のようです・・
 明日、教授に診てもらいましょうね」

嫌な予感が過ぎった。
翌日13日、教授回診があった

「この人、低眼圧の患者さんだよね?
 今、眼圧8・・上がってきたか
 ブレブ周りが赤くなり始めてるな
 アトロピンストップ・・
 それから2日一度MMC・・一週間から10日くらいだね」

教授は私の顔と見ながら、田野先生に向けて言った

退院が更に延びるかもしれない
病気のことより、家のことが気がかりになっていた。

緑内障患者 

2005年11月17日(木) 13時56分
同部屋のおばあさんは、私と同じく緑内障だった。
既にほとんど片眼は見えず、今回は見える方の眼を手術したのだそうだ

ところが、術後もなかなか眼圧が落ち着かず 昨日は6 今日は13などと
かなり激しくアップダウンを繰り返しているらしい

高いときはブレブマッサージをしたり、縫った糸を切ったりと様々な処置をしているようだった。

地元の眼科医がこの大学病院出身ということで、遠方の方から入院の為に来ていて
退院後は通えるような距離でないということと
術後経過が思わしくない事から、入院生活もそろそろ一ヶ月を迎えるとのことだった。

「もう帰りたいわぁ・・
 それでもこんな状態で帰っても、田舎の病院やから設備も整わんでしょう。
 そう思うと、やっぱりここへ置いてもらう方が安心やしね」

おばあさんの言うことに うんうんを相槌を打つ。
みなそれぞれに問題を抱えており、治療に励んでいる。

ふと自分に置き換えて考えてみた・・

私が・・もし一ヶ月も居ることになったら・・

仕事はいったい?
10月半ば過ぎには子供の修学旅行が・・等々

深刻な問題が降りかかる・・。

そういえば、そろそろ退院話でも出てくる頃ではないだろうか・・

日付は10月9日になっていた

入院してちょうど10日目

しかし眼圧は相変わらず3と4を繰り返していた。

暗闇 

2005年11月16日(水) 14時41分
視界は一日追う毎に霞みが強くなり、ある時目覚めたら真っ暗だった。

自分に何が起こったのか判らず、パニックに陥った

手探りの生活では、頭の中では判る自分の家が・・いつもいる居間が・・
ふと方角がわからなくなると、全てがわからなくなり
足は立ちすくみ、もう身動きすらできなくなった。

同室になった母くらいの年代のおばさんは、当時の様子を語った。
おばさんが入院したのは、私より二日前だった。

検査では特に異常が見つからず原因も不明なのだそうだ。
様々な医者が代わる代わる診察するが、首を傾げるばかり・・

施す治療もなく、試しながら与えられる内服と経過を見る日々
そして強い内服薬の副作用により、昼間は睡魔に襲われる。
そして、夜は眠れず睡眠剤に頼る日々。

「これといった治療法もない現状で、見えるようになる望みはあるのかしら」
わりと明るい口調のおばさんの口から、辛さがため息となって漏れた。

私には返す言葉が見つからなかった。

10/5 お別れ 

2005年11月15日(火) 13時17分
10月5日、富田さんが退院してしまった・・
白内障の患者さんはサイクルが早い
特に問題なければ5、6日で退院してしまう

富田さんが居なくなった後の静けさといったら・・
何だか違う部屋に来たような錯覚を起こしそうになる


私の祖母と一歳しか違わない富田さん
富田さんのお孫さんと同年の私。

「年寄りだからね、ボケちゃうのよ。若い人にはつまらないかもしれないけれど
たまにおばあさんの話し相手になってね」

話すことが大好きな富田さんは色々な話を聞かせてくれた。
今は亡きご主人との出会いなど・・
今の時代には考えられない、私にとっては物語のような
純愛話に、うっとりとしたり・・。



隣のベッドに目をやると、どんどん入れ替わる新しい患者を迎える為
綺麗に整えられたシーツには、もう富田さんの面影すらなかった

その時、婦長さんがやってきた

「大部屋希望だったわよね?今日空いたんだけど、どうする?」

私は喜んで、大部屋に移ることにした。

部屋を移動する時は、ベッドやロッカーも一緒の大移動となる。

新しい四人部屋は 祖母くらいの年代の人、母くらいの年代の人の
二人の患者さんが居た

前二人部屋よりずっと明るく広く、開放的な感じだった。
念願の窓際ベッドになり、寂しさからも逃れることができた。

医者それぞれ 

2005年11月14日(月) 13時16分
毎日私は、主治医(田野先生)と入院してから担当になった医者
(矢内先生)の二人から診察を受けた

週に二度 教授診察も受けた

「眼圧があがるが先か、合併症が先か・・」
深刻なセリフはたいてい矢内先生だった。

10月4日、朝の診察のことだった

「角膜に傷が・・のびかけた睫毛のせいだな・・
 軟膏つけた方がいいかな・・田野先生と相談します」
矢内先生は、眉をひそめて言った。

そして、田野先生は
「合併症も出てないし、ブレブも綺麗。傷も思ったほどひどくないし
 軟膏は夜だけでいいでしょう」
不安要素はほとんど言わない

教授はというと・・

「眼圧低いなぁ・・でも手術も3度目・・そう・・3度目の正直だ!!
 様子を見ましょう!」

と・・どこか神頼みのような開き直りのような・・

最終的な治療方針を決めるのは全て教授・・。
だが低眼圧に関しては、特に合併症もない今、様子をみるしかなかった。

今まで私は医者の違う意見に惑わされ、何を信じたらいいのか
わからなかったが 今は医者それぞれ色々な意見を参考に
受け入れられるようになった。

もちろん不安はあり、合併症について調べたりもしたが、
今は教授の言うように様子を見るしかなかった。

眼圧が低いこと以外の合併症は起きていないのだから・・。

低眼圧 

2005年11月13日(日) 11時38分
手術後の理想眼圧は5〜7.
私は、4という若干低い数値からスタートし
あがるかと思いきや・・更に下がりはじめた・・

手術二日後、2
手術三日後、1

かろうじて低眼圧による深刻な副作用は起きていないようだった

「眼圧が上がるのが先か、合併症が出出るのが先か・・
 もちろん、このまま問題ないかもしれないが・・」

担当の柳井先生に言われ、動揺しつつ私は

「もし0になってしまったら・・・失明・・ですか?」

屋上から飛び降りるような気持ちで聞いた

「0という数値もあります。それでも合併症が起きないこともあるし
 それで失明とうわけでもありません。」

鏡を見て、右に眼球を動かすと白目の右側部分に
ぶよっと皺が寄った・・
左へ動かすと、今度は白目の左側に皺が寄る

あんなにカチカチに固くなっていた眼球は、
すっかり弾力を失ってしまったかのよう見えた・・

高眼圧を下げる為、色々な治療に励んできたというのに
今度は低眼圧に頭を抱えるなんて・・。

さすがにその後、1というとんでもない数値はないものの
低眼圧に悩む日は続いた

お節介 

2005年11月12日(土) 11時20分
「あなたのベッドは起き上がるのね?
 いいわねぇ・・」

ベッドを起こし、座っている私を見て富田さんが言った。

同じベッドですが・・・・・・・・?

ということで、リモコンがベッドの柵にかかっているのを教え、
使い方を説明した。


すっかり元気な私は富田さんにあれこれとお節介を焼きはじめた。

シャワーの使い方、電話の場所、販売機の場所、食後の下膳
トイレットペーパーは富田さんが使い終わらないように
(取り替え方が解らない)気を配った

富田さんはいつも申し訳なさそうに謝る

「私、白内障の手術をしたけど、緑内障があるから
あまり見えはよくないのよ・・それに加えて耳も悪いし
足もこの通り杖でしょう・・
ホントにご面倒ばかりおかけしちゃって・・」

「気を使わないでくださいね・・私、好きでやってますから♪
 それにこの先、年取って緑内障で入院したら、若い人のお世話になる
 つもりですし・・」(笑)

そのとき、隔週で訪れる売店のワゴン販売がやってきた

「売店で〜す!ご用はありませんか?」

富田さんと二人、ワゴン売店を見に行った
手に取った物を 一つ一つ店員に聞いていく富田さん。

大丈夫そう・・と思った私は、特に用もない売店から立ち去り
一足早く部屋に戻った。

しばらくして何やら色々買い込んだ富田さんが帰って来た

「いつもお世話になってしまって・・」

そういって、品物の入ったビニールを私に差し出した
中には喉飴、プリン、佃煮が・・。

お互い様なのに返って気を使わせてしまっている事に少し
申し訳なく思えてきた
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