一話「酒乱な人」 

July 12 [Tue], 2011, 17:19


まだ布団の中にいた紗樹は、そっと目を開け体を起こすと
辺りを見回した。
薄暗い部屋の中に紗樹は一人そこにいて、カーテンの隙間から
少しの光が差していた。

紗樹は小さな溜め息をつき、そして安堵の表情を浮かべた。

「お父さん、まだいない」

父親の武治が居ない事を確認すると、布団から飛び起き
急いで学校へ行く仕度を始めた。

いつもの様に
台所の水道で水を一杯飲み、トイレを済ませてからランドセルを背負い。
慌てて玄関に向かった。

靴は履かず、脇に抱えるとドアノブに手を掛けた。

「あっ」

思わずそう出た言葉の先には、武治が立っていたのだ。

「何処に行く?」

その言葉と同時に、強烈な酒の匂いが漂っている。
紗樹は下を向いたまま「学校・・・」と一言だけ発したのだった。

武治は黙って靴を脱ぎ、部屋の中へ入ると
今にも逃げ出しそうな紗樹のランドセルをグッと部屋の中へ引っ張り

「行く必要がない」

といった。

紗樹の小さな体は少しずつ、振るえ出している。
黙ったまま部屋の隅に座っていると、武治は玄関を指さした。

「ドア閉めろ」

開けっ放しになっていた玄関に向かうと、外から足音が聞こえてきた。
紗樹達が住む家は、古い団地で五階建ての最上階に住んでいる。
日頃から物静かな団地なので、誰かが上がって来ると三階辺りから足音が響いて来る。
もちろん、足音だけではなく
話し声や泣き声も耳に入って来るのだ。

紗樹がドアを閉めようとしたその時、見慣れた顔がそこにあった。

「紗樹ちゃん?祥子先生だよ」

とっくに登校時間が過ぎているのに、なかなか来ない紗樹の様子を
わざわざ担任の祥子が自宅まで来たのだった。

「先生・・・」

紗樹が小さな声で言うと、「お父さんは?」と祥子は玄関のドアを少し開け

「おはようございます、あの・・・紗樹ちゃんの担任ですけど」

祥子は奥の部屋に目を向けるとそこには武治が横たわっていた。
この家に来るのはこれで12回目の祥子だっだが、どんなに訪問回数をこなしても
武治の威圧感には慣れなかった。
祥子の声に、渋々体を起こした武治は

「あ”っ?」

と無駄に大きい体を揺らしながら、祥子に近づいて来た。
祥子は反射的に自分の体が、後退りしている事に気付き

「今週.から運動会の練習があるんです!
紗樹ちゃんは足が速いからリレーの選手に、選ばれたんですよ」

祥子は必死だった。

「まだ一年生なのに、上級生達も驚いているんですよ」

額に薄っすら汗を流しながらも、祥子はしゃべり続けた。

「学校の勉強も同じぐらい、頑張ってもらいたいと願う先生達もいます」

武治は祥子の話を聞きながら、流し台の下から一升瓶を取り出していた。
紗樹もその姿を目にし、また体が振るえ出していたのだった。

椅子に腰掛けた武治は、酒を片手に

「勝手にしろっ」

と言って、ひたすら酒を飲み続けていた。
祥子はやっとこの状況から解放される安心と、紗樹を学校へ連れて行ける
担任の責任からか、笑顔が見えていた。

「それじゃお父さん、学校へ行って来ますね」

祥子は紗樹の手を取り、二人一緒に外へ出たのだった・・・。


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