東京電力福島第1原発の事故で計画的避難区域

May 31 [Tue], 2011, 15:05
東京電力福島第1原発の事故で計画的避難区域に指定されショルダーバッグた福島県飯舘村などは31日、政府が示した避難完了の日を迎えた。

 全村避難を求められた同村では住民6177人の2割以上にあたる1427人がまだ行き先を決められなかったり古里を離れられずにいる。

 「他に行くとこなんかねえ。おれはここの土になっから」

 村内で特に高い放射線量が観測された比曽地区では菅野初雄さん(73)が妻紀財布 ヴィトン子さん(70)と母ルイさん(93)の3人で代々続いてきた田畑を守っていくことを決めた。

 「木の若芽で山が薄緑になったら、稲さ植える準備だ。カッコウ鳥は鳴いて、大豆の種をまいていいよ、って教えてくれっから」

 比曽地区は、古くから農業に支えられてきた。いつ何をするかは、自然が知らせてくれる。

 第1原発2号機で爆発音がした3月15日。自宅裏の木小屋を修繕していると、原発のある南東から風が吹いてきた。翌日、なごり雪が積もった。春の訪れを待ちわびる村に降り注いだのは、色もにおいも感じない放射性物質だった。
ルイヴィトン
 1カ月が過ぎた4月下旬。テレビのニュースで、村が計画的避難区域に指定されたことを知った。妻紀子さんは「なんで今ごろ」と首をかしげた。家族がそろった夕食時、菅野さんは「ここは放射能が高いから、体に悪いんだと」と切り出した。母ルイさんがつぶやいた。「出ていくのはやんだ」

 間もなく役場から避難希望調査が来た。高齢で足が弱い母は、たぶん避難生活に耐えられない。アンケート用紙に「出ていかない」と書いた。しかし、若い世代への放射能の影響は心配だ。おじいちゃん子の孫たちと離れるのはつらいが、息子夫婦と孫2人には避難するよう促した。

 5月末、にぎやかだった食卓は急に静かになった。ルイさんはひ孫たちとの暮らしを思い出しルイヴィトンては、涙ぐんでいる。

 村で一番標高が高い比曽地区は、真夏でも気温が10度を下回ることがある。家族で土にまみれた半世紀、冷害で何度もの凶作に見舞われた。そのたびに立ち上がれたのは「次がある」と思えたからだった。

 今回は、次に田植えをできるのがいつになるのかも分からない。それでも菅野さんルイヴィトンは農機具の手入れを欠かさない。

 「ずっと働いてきたんだ、なあに、ちょっとした骨休めさ」【山本将克、三上健太郎、山本将克】
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