第2話  チョコレートフォンデュ 

2006年12月07日(木) 18時49分

「どうしたの? 小悪魔ミジュが本物の悪魔になってるよ?」
研究室に入ると、まだ一人残っていたM1の大和が、小憎たらしい笑みを浮かべながら、あたしを上から下までジロジロと見た。
「うるさいな。小悪魔でもないし」
大和は手を洗うと、自分のロッカーからタオルを取り出し、あたしに近づいてきて、バサッと頭の上にそのタオルをかぶせた。
「またなんかあった?」
15センチ上方から聞こえてくる、大和の滑らかな声が、あたしを耳の奥の方から温めていく。
「・・・・・・」
ゴシゴシと濡れた髪を拭いてもらいながら、あたしは悔しさとさみしさを噛みしめていた。
こんなかっこ悪いあたしは大嫌い。
「大和、今日はもう帰れるの?」
「あぁ、あとちょっと」
「開腹ある?」
開腹というのは、その名の通りマウスの腹を開くことだ。
「ないです。開腹で気分を晴らすのはやめてくださいよ」
見上げた瞳は、何度見ても驚くほどのライトブラウンで、笑うと少しタレ目気味になる。
大和が、学部生からも院生からも人気があるのは、改めて納得できる。
「大和んちで待ってていい?」
大和の部屋は、大学のすぐ裏にあって、部屋のドアはナンバーロック式だ。
あたしは、そのナンバーを知っているから、大和の部屋へは自由に出入りできる。
「暗いからいっしょ帰ろうよ。もう帰る準備するから」
そう言って白衣を掛け、バタバタと準備しだした大和が、急に愛おしく思えた。
恋、とか、そんなんじゃなくて、弟みたいな友達みたいな存在。
あたしの痛みをよく知っている大和と、大和の痛みをよく知っているあたしは、いつもよりそってばかりだった。
傷を舐めあっていると言われてもかまわない。
この傷は絶対に癒えることはないから。


部屋に戻ると、大和はすぐにバスルームへ行き、バスタブにお湯をはりはじめた。
大和のバスルームには、あたしの愛用のSAMOURAI womenのシャンプーとトリートメントが置かれている。
「甘いにおい、する。なに?」
あたしはソファで毛布に包まりながら、大和に尋ねた。
「チョコレートフォンデュ。ミジュの好きなイチゴもあるよ」
チョコレート好きな男もめずらしいけれど、夜中に女にチョコレートフォンデュを振舞ってくれる男もめずらしい。
「はい、できた。ミジュ、おいで」
あたしは毛布から抜け出し、大和が立つキッチンへと向かう。
フォークの先の真っ赤なイチゴに、とろとろのチョコレートをからめ、大和はあたしの口元へと運んでくれた。
「甘い。おいしい」
「でしょ?」
同じフォークでマシュマロを刺し、たっぷりのチョコレートに沈めて、大和は自分の口へと運ぶ。
「甘い」
くしゃっと笑った大和のやさしさに、あたしはまた弱い自分を隠す気さえなくなってしまう。
「おふろ、入る」
「うん、いいよ」
「マサ、髪洗って?」
「はいはい」
あたしは、もう一つイチゴをつまみ、チョコレートに浸して口に放ると、バスルームへと向かった。


「セカンドはいつまでたってもセカンドなのかな・・・?」
湯気とSAMOURAI womenの香りに満たされたバスルームで、お湯に体を沈めらがらあたしはつぶやいた。
バスタブのふちにもたげた頭を大和が支えながら、やさしくシャンプーをしてくれている。
これがあたしの、一番気が休まる瞬間だった。
「でも、彼を失うなんて考えられないんでしょ? だったら仕方ないじゃん」
「うん・・・」
弱い水圧のシャワーで丁寧にあたしの髪を洗い流してくれる大和。
トリートメントをして、再び洗い流すまで、大和は一言も口にしなかった。
「はい、できた」
タオルであたしの髪を拭き、最後にそっとあたしの額に口付けた大和。
「マサはどうなの? うまくいってる・・・・・・?」
大和から手渡されたバスタオルを、胸元に引き寄せながら、あたしはゆっくりと顔を上げた。
「うまくいってる? 彼とは」

第1話  雨の帰り道 

2006年12月06日(水) 22時47分

好きになってはいけない人に、出逢ってしまった。
そう気づいたときには、もう恋に落ちていた。
しあわせになるためじゃなくても、離れることはできないと思った。

この恋は依存じゃないと、信じさせて。


雨は、しとしとと降り続けて、あたしの前髪を濡らしていく。
さっきまで彼の家でHip HopをBGMに、彼が作ったフランボワーズミルクのカクテルを飲みながら、すでにあたしの定位置となりつつあるソファに腰を下ろしていたのに。
突然鳴り響いた彼のケータイの着信音によって、あたしたちの静かな夜は終わった。
「もしもし」
あたしに背を向けて立ち上がったその仕草で、電話の相手が彼の彼女だとあたしは勘付く。
二人でいっしょにいても、彼女を優先にしなければならないことは、わかっていた。
だってあたしは、二番目の女。
それでもいいから彼と離れたくない気持ちと、セカンドというむなしさに耐えられなくなる気持ちが、いつもあたしの胸の中では渦巻いていた。
「美樹、あのさぁ・・・」
彼女が今から来ることになったから、帰ってくれない?
その言葉を聞きたくなくて、あたしは飲みかけのグラスを置き、
「これ、ちゃんと片付けておきなよ」
と一言いい放つと、壁にかけてあったコートを羽織った。


外は雨になっていた。
来るときは彼の車の中から、曇り空を見上げていたのに、帰り道は一人雨に打たれるはめになった。
ファーがついたフードをぐっと深めにかぶり、走ってくるタクシーに手を上げた。
「薬科大まで」
まだ研究室には、院生仲間が一人は残っているはずだ。
一人きりになりたくなくて、思わず大学を行き先にしてしまった。
白衣を着て、ピペッターとエッペンチューブを両手に持ち、マウスと生活しているあたしに戻ってしまおう。


濡れた前髪は、額に張り付き、マスカラは目の下にクマのような跡を残している。
軽くまばたきをしたら、マスカラまみれの黒い涙が流れた。


悪魔のようなあたしが流した、悪魔のような涙。
でもそれは、きっと何よりも純粋なあたしの気持ちだった。
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