最終日最終レースまでベストを尽くしますby服部幸男。

September 28 [Wed], 2011, 3:04
冷徹に言わせてもらえば、避難所に「子供を返して欲しい」と言い出す浅ましい被災者に対して支援しようと言う気持ちは、非被災者には期待できない。冷静に考えればすぐ分かるのだが子供さんの命を奪ったのは津波であって、避難所の想定の甘さではないからである。こんな事が発言者当人の本意であるとは思えないが、活字にするとそういう風に受け取られてしまうから残念だ。申し訳ないけれど、前を向く気持ちになかなかなれない人も中には居るとは思うがそう遠からず「第二波」が来る想定で地震対策を考えている一方で「第一波」の被災者のケアが深刻な行き詰まりを見せているのだとしたらこういう報道の仕方にあるのではないだろうか。やり場のない感情を力なく沈んだ避難所の脆さにぶけるのは結構だ。しかし、これを活字にして一体何の教訓が得られると考えているのだろう。いや、我々が千年に一度の大地震を想定し切れなかった事は事実である。今回の台風が良い例である。「非常に強い」に発達し、大都市名古屋が水没しかけていると再三再四報道しそれが本州、とりわけ首都圏を横断したら一体どうなる事が「想定」されるかと考えて尚、帰宅困難者が多数出現というシビアな現実は、「想定しても希望的観測を期待して備えない」という日本人のメンタリティを象徴していないか。朝のニュースでも警戒を促す報道はやっていたが一時間に50ミリ、積算で100ミリを超える集中豪雨に対して東京都内の排水能力は対処しえないと予め示されているのである。1時間に50ミリに対応できる市域もまだ全体の70%程度に留まっているのであり自治体などは独自に災害マップを提示して予め今回の台風で避難または災害対策が必要な地域は示されていたのである。想定して、これ。これが現実なのだとしたら2000年に一度の地震や津波に対して対処できるとは思えないし、1000年に一度にしてもそうである。300年に一度、と言われている「東海大地震」が30年以内に発生する可能性は75%らしい。これは地球が生きていてプレートが常に活動をしている限り必ず行われなければならない地殻活動であって「必ずいかはやって来るもの」の想定数値である。今、東海地区がそれに備えられているかと言われれば「とんでもない。今までの想定していない状態の生活を少しでも長く続けようと必死だ」とシニカルに物を言わねばならないほど無策である。行政や関係者が血眼になって対策を講じて都市計画を進めているさなかに市民の感覚だけは「市役所にどうにかしてもらう」「税金は安い方がいい」「放射能も来ないで欲しい」「だけど、生活は便利になって欲しい」その程度の感覚で生活しているのである。脱線してしまったが東北での被災は他人事ではないと言う感覚でこのニュースを読んだ時に地震対策は自分で判断するとか行政の打手に加えて自分でも打、という感覚が欠如している場合どうしたら良いのだろうか、と気分が暗くなってしまった。当初は高層マンションに住みたがっていた家内を「もう一回、阪神大震災が来てもマンションでエエのか」と説得して、比較的安全な土地に窓の少ない家屋の戸建の家を購入する説得をした僕としてはこういう努力も先々無駄ではないのだと思うがなぁ、といも思っているのだがもちろん徒労に終わった方が良いのだけれども報道の行政依存を誘導する様な書きっぷりにだけはムカいてしょうがないのである。行政には起きてしまった事に対する対処だけはベストを求めたい。僕が言いたいのはそれだけである。生存率%の避難所も、石巻市東日本大震災の大津波で、宮城県石巻市の指定避難所北上総合支所にいた人々の生存率はわずか5%だった。避難してきた住民や職員ら少なくとも57人のうち、無事だったのは当時小学4年の男児と職員2人の計3人だけ。北上川河口の鉄骨2階建て支所は大破した。そんな建物がなぜ避難所だったのか。遺族の疑問と悔いは半年たっても募る一方だ。【垂水友里香】生存者の話を総合すると、3月11日の巨大地震発生時、支所1階図書室には男児を含む約10人がいた。親の迎えを待ち、宿題をしたりする場所だった。約10人は外に逃げたが、職員の誘導で建物内に戻った。2階多目的室には、近くの住民やデイサービスセンターの高齢者ら数十人が避難してきていた。生存者の一人、危機管理責任者で支所地域振興課の今野照夫課長補佐(50)は2階の災害対策支部で、地区の見回りに出た職員6人らへの連絡などに追われていた。午後2時49分、大津波警報が発令。防災行政無線が6メートルの津波と予測を告げる。「高さ10メートルの2階は大丈夫」と思った。3時過ぎ、担当地区の巡回前に支所に立ち寄った消防団分団長の佐々木正人さん(49)は、子どもを抱えて階段を上る知人女性に声をかけた。「山の方行かなくていいの」「おばあちゃんもここに来るから」。避難所なら大丈夫と、住民は信じていた。「バリバリバリ」。もう一人の生存者、同課の牧野輝義主査(42)は駐車場で、津波襲来を意味する、ごう音を聞き、急いで庁舎内に戻った。3時半ごろ、2階の窓越しに今野さんは津波を見た。牧野さんがいた駐車場の車を浮き上がらせた瞬間、1階の壁を突き破り、水が階段を駆け上る。響き渡る悲鳴や泣き声。職員らは多目的室のドアを押さえ、子どもたちを机の上に逃がそうとしたが、津波は全てをのみ込んだ。今野さんら3人も流され、浮いていた屋根の上に引き上げられるなどして助かった。支所は06年、旧庁舎の老朽化に伴い新設された。追波湾(おっぱわん)から約500メートル、海抜は約6メートル。宮城県沖地震などで想定される津波の高さを0.5メートルだけ上回っていた。立地条件やバリアフリーの観点も理由に、複数の候補地から現在地が選ばれ、指定避難所にもなった。多目的室の人たちをどこに逃がせばよかったのか−−。石巻市防災対策課の浜野淳課長補佐は「地域防災計画や避難場所など全ての見直しを行う」と話す。生き延びた今野さんは言い切る。「あの場所に建てたのは間違いだった」「指定避難所じゃなければ避難しなかった」「指定避難所じゃなければ避難しなかった。子どもたちを返してほしい」同市北上町の会社員、奥田江利子さん(46)は、支所に避難した長女梨吏佳(りりか)ちゃん(当時9歳)と、迎えに行った長男智史さん(同23歳)、両親の家族全員を支所で失った。女手一で育ててきた江利子さんは「梨吏佳は支所が大好きだった。安全だと思うから遊ばせていたのに」と今も悔いている。津波の数時間前も智史さんは支所にいた。昼休みの婚姻届。1週間前に挙式した妻江利香さん(27)のおなかには赤ちゃんがいた。7月に生まれた女の子は「梨智(りさと)」と名付けた。亡くなった2人から1文字ず。その笑顔が江利子さんを支えている。finelog.jp 悪質
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:lltxgzcylj
読者になる
2011年09月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
最新コメント
Yapme!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/lltxgzcylj/index1_0.rdf