カレーパンの歴史

June 22 [Fri], 2012, 18:42
三河光博が今回紹介するのはカレーパンの歴史です。
起源については、東京都江東区にある「名花堂」(現:カトレア)2代目の中田豊治さんが1927年に実用新案登録した洋食パンが元祖と言われることが多いみたいです。
ただし同新案は「具の入ったパンをカツレツのように揚げる」という主旨であり、カレーの言葉は全く含まれていないそうです。
一方、練馬区の「デンマークブロート」(1934年創業)では、創業者がカレーパンを発明したとしている。
こちらはまずカレーサンドを発売し、後に揚げる事を思い付いている。このあたりは洋食が普及しつつあり、あらゆる業者が同時並行的に日本的洋食メニューを工夫していた時代背景とともに解するべきである。
三河光博はこのカレーサンドというものも気になります…。
カレーパンも日本でできたものなんですね。
三河光博はそれこそピロシキなどから進化して、出来上がったものが日本に伝えられたのだと思っていました。
三河光博でした。


パンケーキの歴史

June 05 [Tue], 2012, 17:18
今回は三河光博がパンケーキの歴史について調べました!
粉と水、燃料、パンケーキを焼く金属製や石製の表面があれば簡単に作れるため、その歴史は古代エジプトまで遡るといわれるんです。
三河光博そこまで古いとは思いませんでした。
英語圏では古くから脂の火曜日(灰の水曜日の前日)にパンケーキを焼いて食べる習慣があるため、この日をパンケーキの火曜日と呼ぶ習慣があるそうですよ。
フランスとカナダの旧フランス領では主の迎接祭(2月2日)にクレープを焼き、ロシアでは灰の水曜日の前のマースレニッツァ(バター週間)にブリヌイを焼いて食べるなど、ヨーロッパでは早春の行事にパンケーキが関係していることが多いみたいです。
日本においては明治30年代初頭に雑誌で紹介されたのが最初といわれており、1914年(大正3年)に東京・上野にて現在と同様のホットケーキのようなドラ焼きが誕生したとされる。
そういえば三河光博、ホットケーキミックスで作るどら焼きを見たことがあるような。
三河光博は小豆をのせて食べる小倉ホットケーキも好きですよ。




ワインの歴史

May 21 [Mon], 2012, 18:43
三河光博が興味を持ったワインについて今回はお話しようと思います。
ワインの歴史はすごく古いんです。
人類最古の文明は既にワインを造っていたと考えられています。
他のお酒と同様、例えば葡萄が自然に潰れて発酵するというような事です。
人工的に造った証拠としては、紀元前4世紀ごろの遺跡からシュメール人によるワイン壺の封印ロールシールが発見されていたり、ダマスカス南からは搾汁器(石臼)が発掘されているみたいですよ。
この後も、至る所でワインの存在を示す証拠が残されています。
有名なハムラビ法典にはワインの取引に関する決まりが書かれていて、さらに飲みすぎてはいけませんという記述まであります。
そんなに昔からお酒は節度を守って、と言われてきたんですね。
三河光博も気を付けようと思います。
また、聖書には521回もワインが登場していて、宗教儀式にも欠かせない物であった事を思わせます。
特に重要なのは、新約聖書の場合"マタイによる福音書第26章" "ヨハネによる福音書第15章" の最後の晩餐のくだりです。
ワインがキリストの契約の血であり、キリストが葡萄の木であり11人の弟子たちがその枝であると述べているそうです。
ワインは味を楽しむ以外に宗教的な意味もあったんですね。
三河光博、もっとワインについて調べてみようと思います。
三河光博でした。


ハム・ソーセージ・ベーコンの歴史

April 18 [Wed], 2012, 12:08
三河光博です、皆さんお久しぶりです
本日の三河光博とたべものの歴史はハム・ソーセージ・ベーコンの歴史を三河光博が見ていこうと思います


人間は雑食動物でありますが、気候・風土などの環境に大きく左右され、雑食と肉食のどちらかに比重がかかります。
肉食中心という食文化が発展するのは、穀物栽培に適さない地域でありました。
肉食中心(狩猟生活)では獣が毎日捕獲できるとは限らず、環境に応じ、冷凍・塩漬け・乾燥・くん煙という処理による保存方法を有史以前に発見していたとされます。
肉を余すことなく作られたものがソーセージの原点であります。
ハム・ソーセージ・ベーコンは、保存食としての役割で、古代にその原型が考えられていたといわれております。
中世になって十字軍の影響により、各地の物産(特にハーブ・香辛料・砂糖)が持ちこまれ、製造技術も向上し、固くて塩辛い肉から多種多様なおいしいハム・ソーセージ・ベーコンが、ヨーロッパを中心に現れました。
ドイツ
生ハム・ペッパーハム
ソーセージ゙各種・サラミ
イタリア
生ハム(プロシュート)
生ベーコン(パンチェッタ)
スペイン
生ハム(ハモン・セラーノ)
生ベーコン(パンチェッタ)
フランス
生ハム(ジャンボン・セック)
加熱ハム(ジャンボン・キュイ)


三河光博は保存肉だとベーコンが一番美味しいと思いますね

うどんの歴史

March 08 [Thu], 2012, 17:25
三河光博です。
今回三河光博が調べたのは、うどん。
少し長くなりますが、興味のある方はお読み下さい。

うどんの誕生には諸説があり、定かではない。
仁治2年(1241年)に中国から帰国した円爾(聖一国師)は製粉の技術を持ち帰り、「饂飩・蕎麦・饅頭」などの粉物食文化を広めたと云われている。また、その円爾が開いた福岡市の承天寺境内には「饂飩蕎麦発祥之地」と記された石碑が建っている。
奥村彪生によれば、うどんは中国から渡来した切り麦(今の冷や麦)が日本で独自に進化したものであるという。奥村によれば、麺を加熱して付け汁で食する(うどんの)食べ方は中国には無く、日本の平安時代の文献にあるコントンは肉のあんを小麦の皮で包んだもので、うどんとは別であり、うどんを表現する表記の文献初出は南北朝時代の「ウトム」であるという。

「うどん」と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからであり、切麦を温かくして食べる「温麦」と冷やして食べる「冷麦」は総じてうどんと呼ばれた。
奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した菓餅14種の中にある索餅(さくべい)が、平安時代に完成した『新撰字鏡』 では「牟義縄(むぎなわ)」と呼ばれて、「麦縄(むぎなわ)」が日本の麺類の起源とされる。ただし、麦縄は米と小麦粉を混ぜて作られていた。やがて鎌倉時代になると、円爾など入宋した禅僧らが小麦粉で作る素麺を博多経由で日本に持ち帰って「切麦(きりむぎ)」が誕生した。室町時代には一条兼良の著書『尺素往来』に、「索麺は熱蒸し、截麦は冷濯い」という記述があり、截麦(切麦)がうどんの前身と考える説もあるが、その太さがうどんより細く、冷やして食されていた事から、冷麦の原型とされている。

奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した小麦粉の餡入りの団子菓子「混飩(こんとん)」に起源を求める説もある。平安時代に空海が唐から饂飩を四国に伝えて讃岐うどんが誕生したという伝説もある。
青木正児の「饂飩の歴史」によれば、ワンタンに相当する中国語は「餛飩」(コントン)と書き、またこれを「餫飩」(ウントン、コントン)とも書き、これが同じ読み方の「温飩」(ウントン)という表記になり、これが「饂飩」(ウドン)となったという。

うどんっていくら食べても飽きが来ないですよね。
三河光博のイチオシはざるうどん。コシがあってもちもちしているあの冷たいうどんがやみつきになって、一時期週3位で食べていました(笑)

一度香川の讃岐うどん食べに行ってみたいですね。



三河光博

緑茶の歴史と三河光博

February 07 [Tue], 2012, 18:47
三河光博です。
今回三河光博が調べたのは、緑茶の歴史。
三河光博もですが、ペットボトル飲料などでも人気の緑茶、何気なく飲んでいる人も多いのではないでしょうか?
日本の歴史に緑茶が登場するのはなんと1200年ほど前の平安時代初期で、和歌などにも登場していることから少なくとも貴族達の間にはこの時代にすでに広まっていたと考えられているそうです。
歴史の時系列から考えても、遣隋使によって現在の中国の文化が日本に伝わり、その時代にお茶も日本に伝わったのではないかと思います。
日本は、外から取り入れた文化などを自国に合ったものに作り変えることを得意としている民族ですから、ウーロン茶や紅茶のようなお茶をヒントに、日本独特の緑茶を作り出したのではないでしょうか。
それから400年あまりの年月が過ぎ、ついに日本で始めて本格的にお茶の入れ方や効能などについて書かれたとされる「喫茶養生記」という書物が登場します。
緑茶にも古い歴史があるんですね。
三河光博でした。


三河光博が調べる茶わん蒸しの歴史

December 16 [Fri], 2011, 18:38
三河光博が今回調べるのは茶わん蒸しの歴史です。
江戸時代の料理書によれば、茶碗蒸しは寛政年間(1790年代)京、大坂に始まり江戸、長崎に広まったといわれています。
1866年長崎に茶碗蒸し専門店が開業しました。
そんなにむかしから専門店があるだなんて、三河光博は知りませんでした!
初代・宗吉は、茶碗蒸しに合う具材は何か、思案した末に白身魚、鶏肉、椎茸、きくらげ、筍、ぎんなん、かまぼこ、麩、たれ焼きした穴子の9種類を選んだそうです。
この茶わん蒸し専門店、茶わん蒸しがどんぶりで出てくるそうです。
普段食べるときって大き目の湯のみくらいのものですよね。
三河光博も食べてみたいな。

茶わん蒸しは他のバリエーションとして、小田巻蒸しといううどんの入ったもの、具に、牡蠣やエビ、カニ等を入れた者などさまざまです。

三河光博、コロッケについて知らべる

December 07 [Wed], 2011, 18:04
三河光博です。
今回三河光博はコロッケについて調べてみました。

文献に、コロッケの作り方が登場するのは1872年(明治5年)ごろだそうです。
そこには現在のポテトコロッケの作り方が記されているが、当時はコロッケという名にはまだなっってなくて、「コロッケ」という名が登場するのが1887年(明治20年)。
同年コロッケレシピも紹介される。
フランスより伝わってきたクロケットはクリームコロッケを意味し、現在の「ポテトコロッケ」が「コロッケ」として日本に新しく誕生しました。「コロッケ」の起源として有力なのは、フランス料理の仏: croquette(クロケット)です。
フランスのクロケットは、ホワイトソースのアパレイユ(ミンチにした魚肉やとり肉などとベシャメルソースを混ぜたもの)にパン粉をつけて調理したもので、ほとんど日本のクリームコロッケと同じものです。
またオランダにも蘭: kroket(クロケット)と呼ばれる料理があり、こちらはホワイトソースでできたもののほか、ジャガイモで作られたものもあり、ジャガイモコロッケの起源ではないかとの憶測があるが、フランスからオランダにクロケットが伝播したのが1909年(明治42年)とされ、日本のコロッケの普及時期に比するとオランダ伝来と考えるだけの信憑性は薄いみたいです。


三河光博はポテトコロッケを最近食べていないのですが、調べていると食べたくなりますね。
三河光博でした。


三河光博が調べるカレーライスの歴史

November 24 [Thu], 2011, 18:16
三河光博です。
今回三河光博はカレーライスの歴史について調べてみました。
江戸幕府の遣欧使節の三宅秀が、船中でインド人が食事する様子を見て「飯の上へ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。至って汚き人物の物なり」と日誌に記しているそうです。
その後、北海道開拓使東京事務所でホーレス・ケプロン用の食事にライスカレー(当時の表記はタイスカリイ)が提供されました。
1872年(明治5年)になって、カレーライスのレシピを記した本「西洋料理指南」(敬学堂主人)、「西洋料理通」(仮名垣魯文)が出版されたそうです。
1877年(明治10年)には、東京の洋食食堂「風月堂」が、初めて日本でライスカレーをメニューに載せます。
1903年(明治36年)、大阪の「今村弥」(現ハチ食品)が、初めて日本でカレー粉を製造販売をしました。
1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」を発売します。
三河光博もすきなカレーライスが普及するまでかなりの年月がかかっているんですね。
三河光博、今回はカレーライスについて調べました。

三河光博とオムライスの歴史

October 21 [Fri], 2011, 18:48
子供にも人気のあるオムライス。
もちろん三河光博も好きな一品です。
洋食だと思っていたのですが、実はこれ、日本で生まれた料理なんですね。
元祖と思われる北極星のオムライスは、ケチャップライスを卵で包んだもので、現在の主流のオムライスのルーツです。
白飯とオムレツを別々に頼んでいた胃が弱い常連客を見ていた店主の「いつも同じものでは可哀そうだから」という思いから生まれたとされています。
三河光博もこの北極星のオムライスを食べてみたいです。
煉瓦亭のオムライスも元祖と言われていますが、こちらは白飯に卵や具を混ぜ炒めたもので、どちらかというとチャーハンに近いそうです。
賄い食として食べていたものを、客が食べたいと所望したため供されるようになったもので、現在はこれを「元祖オムライス」という名前で提供しています。
三河光博はこちらも少し気になりますが、やっぱりケチャップライスのオムライスが食べたいですね。

三河光博とオムライスの歴史でした。