観念にいたる道 

June 14 [Tue], 2011, 18:59

わたしたちは経験主義なしでは何ごともなそうとしないものです。


しかし、厳格な経験主義的立場をとっている人々のなかにいるときにはいつも・・・・


彼らの見地、それ自体は観念であるというパラドックスを彼らに気づかせようとしているという興味深い事実を発見した.経験主義は観念および知識や真理にかんする一つの観念なのです。


最初に情報を定義するのはこの観念なのであるから、経験主義は事実ないしは情報に基礎をおいているわけではないのです。


したがって、観念にいたる道は存在しません。


観念の優先を攻撃する場合でさえ、精神が考えるために必要なものは観念なのです。


この点では、コンピュータもすべての機械と同じく一つの観念です。


コンピュータは数、分類、関係(すべてが物質的な発明品という形態で実現されています)にかんする観念です。


精神はコンピュータのように思考するという命題は、精神にかんする一つの観念であり、多くの哲学者がとりあげ論じてきた観念です。


そして、すべての観念と同様、この観念は距離をおいて見ると理解できるし疑問を呈することもできます。


精神は、いかなるコンピュータとも違って、押さえることのできない自己超越力をもっています。


精神は、たえず自己理解にたいするみずからの努力から逃れようとしているもっとも偉大な縄抜け曲芸師です。


精神は、自身にかんする観念を含む自分の観念にかんする観念を形成することができます。


そうすることによって、精神は新しい基盤を獲得していることになります。


つまり、精神はみずからの本性を理解しようとするさらなる努力のなかで、いっそう手を伸ばさねばならなくなるでしょう。


精神がみずからの本性をとらえることの困難さが、精神と同等の機械、精神の後継者となるような機械をつくることを不可能にしているものにほかならないのです。


コンピュータはその制作者の想像力のなかのもう一つの観念でしかありません。


コンピュータをだましたりからかったりする能力は、人間とコンピュータとの知的な距離に起因しているのです。


技術者の才能を悩ましているものがあるとすれば、それは人間の限りなき可能性です。


精神のデータ処理モデル 

June 08 [Wed], 2011, 18:58

初期の経験主義者の使命をその歴史的な文脈のなかで見てみれば・・・


自己中心的な考えかたや教会の権威を打破しようという彼らの目的は賢明な哲学的策略であったとみなすことができるでしょう。


この点で、経験主義は最終的には成功を収めました。


経験主義は、継承されてきたすべての観念にかんする大胆な懐疑を奨励することによって、西欧社会の知的エネルギーを解放したのです。


経験主義と近代科学との結びつきが、経験主義に特別の地位を与えているのです。


問題は、経験主義者の成功が、知識にかんする強烈な還元主義的概念・・・


自然諸科学について、観念の創造にはたす想像力の役割や知識の創造にはたす観念の役割をひどく過小評価する考えかたです。


これらを西洋文化に埋めこむ働きをした、という点にあります。


こんにち、事実にたいする経験主義的な好みに忠実な精神は、コンピュータを精神のモデルとして・・・


つまり、データを蓄積し、それを処理し、知識を生みだす働きをするものとして、しかも人間よりもうまくやる可能性をもったものとしてとらえています。


多少なりともこのように世界を見ている人々は、プラトン、アリストテレス、デモクリトスの時代にすでになされていた論議の一方の立場を代表していることになります。


事物そのものと事物にかんする観念のうちどちらがより実在するでしょうか?


知識は感覚のなかで始まるのかそれとも精神のなかで始まるのでしょうか?


・・・この論議にここで決着をつけようなどとはまったく考えていません。


精神のデータ処理モデルが現代科学の純粋に客観的な「発見」ではない、ということを強調したいだけです。


それは一つの明確な哲学的立場から成長し、こんにちも存在し、まだ決着がついていない古代以来の論争の一方の立場を代表しています。


この論争で経験主義者たちは、西洋の哲学的な遺産に豊かな貢献をなしたという点で敬意を表せられるべきです。






天文学上の新奇なものたち 

May 25 [Wed], 2011, 18:57

大胆な精神の持ち主たちは、しだいに限界が明らかとなりつつあった古くからの観念の遺産から自由になろうとしました。


そして、観念それ自体に疑問を呈するにいたったのです。


そこで彼らは、当時の文化的な権威にたいしては無害中立で攻撃的とは思えない新しい出発点を採用しました。


つまり、彼らは共通の経験・・・


事物の重さ、大きさ、温度という明確で論議の余地のない事実に関心を集中しました。


最初に事物ありき、と彼らは主張しました。


観念はそのあとにくるものです。


そして、このやり方は説得力をもつことが証明されました。


それは、アリストテレス、聖書、教父たちによっては適切に説明されませんでした。


・・・というよりも、まったく気づかれなかったというべきであろう多くの地上および天文学上の新奇なものに光を投げかけたのです。

支配的な観念 

May 03 [Tue], 2011, 18:57

偉大な科学上の革新は糸くずを拾い集めるような研究の寄せあつめではないのです。


ときには、限定された緻密な研究がある科学理論にたいする重大な疑義を提起する場合もあります。


・・・しかし、この種の研究は、少なくとも疑義を呈するまでは、その理論を目標ないしは出発点とせねばならないのです。


このような働きをする何らかの導きとなる観念がなければ、事実をどのように見ればよいのかまったくわからないでしょう。


科学は構造的な探究であり、科学の発展を導いている構造は観念なのです。


しかしながら、近代科学の基礎を築いた人々が事実を過大評価して観念を犠牲にするという過ちをおかしたことについてはそれなりの理由があります。


ガリレオの時代。


自然にかんする支配的な観念は、少数の神聖な権威者たち・・・


キリスト教神学ないしはアリストテレスに由来するものでした。


経験主義者の策略 

April 15 [Fri], 2011, 18:56

前回述べたようなことは、事物をありのままに見ようとするものでもありました。


この新しい方法の所産は、これまで見すごされていた、具体的で信頼できる事実であり、通常、測定値でした。


・・・したがって、観察者が慎重にこれらの事実を収集するならば、事実は最後にはみずからについて語りはじめ、宇宙全体の大きさにも匹敵するほどの広がりをもつ偉大な真理を構成することになるでしょう。


こんにち、この方法(ベーコンはそれを「新機会」とよんでいました)を近代科学的な世界観のはじまりと考えることができます。


・・・だれもその歴史的な意義を見あやまることはできません。


同時に、わたしたちはこの方法がいかに誤解されていたかを知ることのできる歴史的な立場にいます。


この方法は事実に視野を限定しすぎていたために、理論的な想像力、仮説、思弁、霊感に満ちた推論・・・


こういうものがなければ、科学はその革命的な衝撃力をけっしてもたなかったでしょう。


この決定的な重要性を見のがしていました。


現在からみた有利な立場を利用して歴史を振りかえってみると、ガリレオ、ニュートン、ケプラー、ボイル、フック・・・


それらは区別できないほど密な思想上の等高線を形づくっています。


彼らの精神には理論的な想像力が働いていたことをはっきりとみてとることができます。


徹底した客観的精神 

April 04 [Mon], 2011, 18:56

地理的な発見があれば、新しい精神世界もあるのではないでしょうか。


フランシス・ベーコンは「新哲学」・・・


・・・このための、たゆみなき探究を正当化しようとして、この比較を行っています。


べーコン、デカルト、ガリレオ、ジョルダーノ・ブルーノらは、地理的な発見にたいする西欧文化の拡張主義的な情熱を知的な大胆さでつりあいをとろうとした最初の人々でした。


これら17世紀の発展的な人々は興奮をよびおこすに足る文化的な計画に着手しました。


彼らの提案はつぎのようなものでした。


「世界にかんする、すなわち世界の諸力、構造、現象にかんする新しい事物を発見する力をもつような探究を行おう。


これは、大海を横切って新世界を発見した大航海に匹敵するものとなるだろう」。


・・・この種の探究は、緻密な観察と実験による、自然にたいする厳密で目的の定まった尋問を含むものでなければならない、と彼らは考えていました。


それは、あらゆる予想や予見を排し、徹底した客観的精神によってなされねばならなかったのです。


"情報"が存在しない時代 

March 07 [Mon], 2011, 18:55

中世の数世紀にわたって、これらの源泉は徹底的に学ばれ、たくみに洗練されていきました。


そして、答えを期待できそうなすべての問いに答えることができるほどの広範な知的領域を有するにいたったのです。


このような文化のなかでは、「情報」などというカテゴリーは存在しません。


知られうるものは何でもすでに知られており、周知の真理に適合させられているような状況では、事実はほとんど価値がないわけです。


情報の代わりにおしゃべりがありました。


拡張されたり、結合されたり、手なおしされたりするおなじみの観念とのたわむれによってときおり活気づくお定まりのおしゃべりです。


16世紀の後半、この種の知的な様式がしだいに西欧世界の社会的および経済的な変動にそぐわないものとなってきました。


一つには劇的なことなのですが、新しい世界が発見され、これらの大陸や文化は既存の権威によっては説明できないということが起こりました。


・・・これらは発見でした。


まだサッカーユニフォームなどがなかった頃の話ですね。


知識の島 

March 04 [Fri], 2011, 18:54

経験主義という問題に焦点を合わせてみると、情報にたいする観念の優先ということがあまりにも明らかです。


多くの人々は、なぜこれが論議の対象となったのかを疑問に思うでしょうか?


どのようにしてコンピュータ学者は、こんなにもたくみに観念をデータに従属させたのでしょう。


・・・これは注意を払うに値する歴史的な問題です。


ここで西洋哲学における経験主義の衝撃について少々書きたいと思います。


・・・というのも、この考えかたが情報崇拝に重要な役割をはたしているからです。


約4世紀前、ルネッサンスから近代へと向かう混乱に満ちた過渡期にあって、西洋における知識の領域は、神秘の海にとりかこまれた確実性の小さな島でした。


この海ははるかな深みのなかで神の心と一体になっていましたが、神の心には信仰によってのみ近づくことができました。


知識の島では、思考の主たる内容は、聖書であり・・・


そして、教会の教父たちやギリシア人やローマ人のひと握りの教師たち、およびほんの少数のユダヤ人やアラブ人の思想家の著作でした。


IP電話とは? 

February 18 [Fri], 2011, 11:28

インターネットFAXや電話は、普通の電話とすることは同じです。


しかし、市外だろうが海外だろうが同一の電話料金ですみます。


インターネットにつなぐのまでに電話回線を使うので、電話料金はかかるのですが・・・


これはコンピュータのある場所の近くのアクセスポイントにつなげば、市内料金だけですみます。


インターネットの接続料金もかかりますが、あわせても市外通話や国際電話より安価です。


また、パソコンがなくても、普通の電話からインターネットを介して格安で国際電話ができるサービスを、一部の電気通信事業者が始めています。


ただし、このインターネット電話は、まだ品質が十分ではないといいます。


音質が悪くなったり、信号がパケットで送られるため、時間遅れが生じ、スムーズに会話できないこともあります。


今はこのような問題は解決されていますね。


インターネットFAXと電話 

February 01 [Tue], 2011, 11:27

コンピュータを使った通信では、もちろん、そのつながった回線を流れるのは電気信号です。


しかし、電話とちがってアナログ(波)ではなく、0と1で表されるデジタル信号です。


パソコン通信やインターネットでは、メールのやりとりが行なわれます。


インターネットFAXもそうですね。


これは文字がデジタル信号になっています。


インターネット電話というのがあります。


コンピュータにつないだマイクとスピーカーで、インターネット回線を通して、会話ができます。


つまり、音声をデジタル信号に変え、やりとりをします。


その信号をコンピュータが音声に戻します。


デジタル化された音声信号が、コンピュータからアクセスポイント、さらにいくつかのルータやホストコンピュータを通り、相手に届くのです。


P R
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