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February 26 [Sun], 2017, 19:33
2017/02/26
第2の開局、そしてそれから (さらにそれから) をUpしました。
2015/06/21
6月の 夜空に をUpしました。


第2の開局、そしてそれから (さらにそれから)

February 26 [Sun], 2017, 19:30
「第2の開局、そしてそれから」は、1年以上前、2016年1月に大きな番組改編があった時に書いた記事。
一度はアップしたものの、その後すぐに、なんとなく公開をやめてしまっていた。

2017年の今、そのころ思っていたよりも、さらにずっとずっとたくさんの新しいことがはじまり、そしてそれにすっかりなじんで、いろんなことを楽しんでいる、ということに気づいて、もう一度この記事を読み返した。

このころに希望していたことで今も叶っていないものもある。
けれど一方、このころには想像すらしていなかった素晴らしいものもある。

よいこともよくないこともみんな、人ひとりの頭の中で思いめぐらせられる範囲を超えてやってくる。
ならば、せっかくの「想像する力」は、自分のできる限り最高の想像を生み出すのに使うのが、
そして、せっかくの「今」は、今その場で100%満喫するのがいいのだろうな、と思う。

(以下が2016年1月14日に書いた記事です。)
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OTTAVAは2014年10月1日にTBSから独立し、第2の開局を迎えた。
そこから14か月の間、生放送番組は、平日夜の時間帯(19時から22時まで)の「OTTAVA Salone」の1番組だったが、2016年1月11日に、「OTTAVA開局以来の大改編」(斎藤さんの言葉)が行われ、それによって、平日の午前、午後にも生放送の3時間ワイド番組が開始されることになった。


1月4日月曜日、林田さん担当のSalone内で、速報的に改編の概要が発表された。
大きな変更点は、平日午前、午後に生放送のワイド番組がはじまることと、世界初のハイレゾストリーミングサービスであるPrimeSeatとの協業が開始される、ということであり、あわせて、午前、午後の新番組についてはオンデマンドのサービスがないということも明らかになった。
その時点では内容の詳細まではわからなかったため、「新番組にはオンデマンドがない」ということに多くのリスナーは戸惑った。ツイッタ上では、午前、午後に移動するゲレンさん、本田さん、林田さんの番組を聴けなくなることについて悲しむ声や、有料で配信をしているニコニコ動画での対応がないことへの疑問などが見受けられた。

その3日後の木曜日、斎藤さん担当のSaloneでより詳しい情報が発表された。
そこで、午前、午後の番組にオンデマンドがないことの理由も説明があった。
1つは、オンデマンドの作業ははすべて手動で行っているため、この番組数でのオンデマンド実現は物理的・コスト的に難しいということ、もう1つは、ハイレゾ配信開始に伴う新しい音源については、オンデマンドでの配信が許可されていないこと、ということだった。
また、ゆくゆくはオンデマンドが実現できるようにしていきたい、とのお話もあった。
続いて、「各時間帯の空気にあった生放送が1日を通して流れること」がストリーミングメディア本来の姿だと思っている、との斎藤さんのお話があった。

この説明で、オンデマンドがないことについての不安は少しやわらいだが、それでもまだやはり、曜日・時間帯によって聴けなくなる番組・プレゼンターができてしまうことに対しての残念な気持ちは残ったままだった。

そして1月11日。午前の番組「OTTAVA Aria」が始まり、午後の「OTTAVA Liberta」へと番組がひきつがれていくのを実際に自分の耳で聴いたとき、斎藤さんのお話しの意味していることがやっとわかったような気がした。
と同時に、改編についての最初の発表のとき、なぜあそこまでリスナーが不安になったのか、についても思い当たったことがあった。

「ラジオ」はよどみなく、常に流れ続けているもの。
時の移ろいと同じように、時々刻々その時の空気と同じように、川を流れる水のように、ラジオも「その時」を流れているもの。これが本来の姿。
これを実現させたい、というのが、斎藤さんのお話しされたことだったのだろう、と思う。
朝にはゲレンさんの声とともに流れる気持ちのよい音楽、午後には本田さんの深い知識に裏打ちされた楽しいお話、夜には森さんのこれぞDJという声が流れる、こんな放送が流れる1日を本当に聴いてみて、このことがやっと身体から理解できたのだった。

始まりも終わりもない川の流れを前にして、人は、「この水、一滴残らず、とっておきたい」というだろうか。
きっと、川岸に来たその時に、自分の目の前の川面に手を差し出して、その時そこにある水をすくい、その水の冷たさや香りを感じ、味わうだろう。
もし「この川の、ここからここまでを、自分のものにしたい」といって、川に囲いを作ってしまったら、とたんにその水は「流れ」ではなくなり、その川は本来の「川」ではなくなってしまうだろう。

ただ、OTTAVAのリスナーは、本来あるはずのない、見えるはずのない、川の「端っこ」を見てしまったことがあるのだ。
リボンのように「端っこ」がある、と思えば、その「端っこ」までのすべてを聴きたいと願うし、その「端っこ」が来てしまったあとのために、そのリボンを少しでも切り取って、自分の中にコレクションしておきたい。そんな気持ちになってしまう。
無限の流れへの希望と、有限であることへの恐れ。
送り手側の想いと、受け取り手のイメージとの差がここにあったのだろうと思う。

リスナーの不安な気持ちには、もうひとつ理由があるようにも思った。
聴取方法としてオンデマンドが用意されているということは、これまでのメディアと比べてOTTAVAが画期的な点のひとつで、それは、似ているようだけれど、再放送とも、自分で録音するのとも、違うことだと思う。
一人だけ遅れて帰ってきたけれど、家にはちゃんと家族と同じその日の食事が用意されていて、違う時間だけれどその日のその食事を他の家族と共有できる、オンデマンドはそんな感じなのに対して、それに対して、再放送は「違う日に同じメニューを作ってくれた」、録音は「その日の食事を自分で冷凍して、後日解凍した」という感じだ。
その日に起こったライブ感を共有できる、ということと、違う時間になってしまうリスナーに対しても送り手から「違う時間でも聴いてほしい、聴いていいよ」と認めてくれている感じ。この2つが、オンデマンドの良い点だとわたしは思う。
こう考えると、送り手側から「オンデマンドはありません」と言われてしまったら、「もうみんなとはこの時間を共有できない」「もう聴かなくていいよといわれた」ような気がしてしまうのだ。これはものすごく悲しい。
だから最初にオンデマンドがない、といわれたときのリスナーの動揺はとても大きかったのだろう。


OTTAVAのリスナーの多くはおそらく、テレビも、ラジオも毎日ずっと当たり前に流れている時代を生きてきたと思う。
しかし、「インターネットラジオ」というメディアは、テレビやラジオのように「こうだ」という決まった形がない状態。
そして、長らくテレビ・ラジオで流れた曲を求めてレコードを買う、CDを買う、という構造であった音楽の世界も、ネット時代を迎えて、大きく形を変えてきている。
まさにそんな時代にインターネットでクラシック音楽を流す、OTTAVAという存在は、日本では前例のないもの。
本来ならば、仕組みを作り上げてから、サービスが開始されるものであるが、今のOTTAVAは、仕組みを作りながら、走っている状態。
水路を掘りながら、水道管を設置しながら、同時に水を流しているような状態。
だから、不具合が起こることもあるし、受け取り手から見ると整っていないように見えることもある。
このことで、これまでも時々、リスナーが困惑したり、不安になったりすることがあった。
それらは、「きちんと用意されていないこと」に対して、「リスナーのことを考えてくれていない」「リスナーの気持ちが通じていない」ように受け取ってしまうからだと思う。
でも実際は、物理的、経済的限界が理由で、どうしても整いきれなかったことであると推測できるし、OTTAVAからの直接の語りかけ、プレゼンターさん、特に斎藤さんからの直接の説明があると、納得できるし、安心できるのだ。

テレビの黎明期には、いろんなことが起こり、それがそのまま放送されたという。
最初期には、テレビは生放送番組しかなかった。ドラマですら生放送だったから、死体役の人が動いてしまったところが放送されてしまったりしたという。
わたしたちは、その時代のテレビのように、これまで存在しなかったメディアが、今、まさに立ち上がっていこうとする、その瞬間に立ち会っている(立ち会ってしまっている)のだと思う。
今回のオンデマンドの件も、著作権や音楽配信の仕組みがまだ対応できていないことが理由の1つになっている。つまりOTTAVAのほうが、法律より先に行ってしまっているのだ。
OTTAVAを聴いている時に出会ういろいろなことは、不具合といってしまえばそれまでだが、望むと望まざるとにかかわらず、日々、歴史的な一歩を目の当たりにしているともいえるのではないだろうか。
とすれば、斎藤さんはいつか「日本のインターネットクラシックステーションの黒柳徹子」になるかも(なれるかも)しれない。


2014年4月のOTTAVA休止の告知からここまで、今となっては、あっという間だったように感じる。
そしてこの22か月の間には、たくさんの出来事があり、たくさんの変化があった。

 違う番組のプレゼンターさん同士が1つの番組でお話すること。
 ゲレンさんが 実はたくさんおしゃべりされる方だということ。
 本田さんが 再びOTTAVAのマイクの前でお話されていること。
 ニコニコ動画で放送が配信されるようになったこと。
 OTTAVAプレゼンターの選曲によるCDが発売されたこと。
 OTTAVA発のレコードレーベルができたこと。
 OTTAVA主催のコンサートが行われるようになったこと。

これらはみんな、最初は予想もしていないことだった。
けれど今となってはもうすべて「当たり前のこと」になってしまった。
導入決定直後はあまりなじみのないリスナーがほとんどだったニコニコ動画ですら、今回の改編では「ニコ動での配信はないのか?」と多くの人が言うようになったくらい、「当たり前」のものになった。

思い返せば、OTTAVA自体がすでに「想像の斜め上」からやってきたのだと思う。
でももう自分にとってなくてはならないものになってしまっている。

今の「当たり前」はみんな、少し前の「予想外」だったのだ。

だとしたら、受け取り手であるリスナーにできることは、「変わっていく」ということを恐れすぎないように、「変えていこう」としている送り手を信頼すること、ではないだろうか。
そして、できるならば、リスナーが不安に感じることなく、一緒に「変わっていく」ことを受け止められるような、安心できる「よすが」を、送り手側はわかりやすく用意してほしいと思う。
「ああ、ここまでわかってくれているんだ」という「よすが」が1つあれば、それだけでリスナーは不安に思うことなくついていけるようになるだろうと思う。

きっと、送り手も受け取り手も、どちらもお互いを大事に思うがゆえに、不安や行き違いが生じることがあるのだと思う。
もし、そんな気持ちをもう少し交わすことができたら、もっとお互いに余裕を持った気持ちで接することができるだろうと思う。


「想像」は、まだ見たこともない新しい世界を創りだしていくこと、そしてともに新しい世界に向かうパートナーのことを慮るために使えば、無限の力を発揮するだろう。
拡がる想いに枷をはめる、まだ来ていない時間に対して限界を作る、パートナーのことを訝しむために使うのは、もったいないことだと思う。

受け取る側であるリスナーが、どんなことを期待するかは完全に自由だし、どんなことを想像してもまったく構わない。また、送り出す側が、どんな想いで、どう受け取ってほしいと願うかも、もちろん自由だ。

ただ、その結果は、「受け取る側の期待、想像」通りにはならないし、「送り出す側のこう受け取ってほしいという想い」通りにもならない。
「受け取る側の期待」は受け取る人の数だけさまざま期待があり、送りだされたものに対する受け取り方も受け取る人の数だけ違った受け取り方がある。

では、想い通りにならないのなら、期待すること、想うこと、というのは、無駄なことなのだろうか。
「想像通りにならない」というのは、「どうしようもない」ことなのではなくて、その時その瞬間に、その場所にいた、すべての受け取る人たちと、そこに送りだした人たちの想いがかけ合わさって、そのどちらか片方の想いの通りになるのではなく、そのどちらをも超えた、新しいものが創りだされるということだと思う。
だから、その場にいられる幸せを感じながら、その瞬間瞬間に創りだされるものを素直に受け取って、喜んだり、楽しんだりいきたいと思う。

そして、そんな空間が、少しでも長くそこにあってくれるように、心から願うのだ。
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6月の 夜空に

June 21 [Sun], 2015, 1:44

家の中も 窓の外も

すっかり静かになった 夜


洗い物の手をとめて

そっと出た ベランダで ふうっと 想う

「この空は 東京まで つづいているのかな……」


「おやすみなさい」 の声は まだ わたしの耳の すぐそばにあって

さっきまで たしかにあった あの空間との つながりが

まだ この空のむこうへと つづいていることを 感じている


今夜の とびらが 閉じられてしまう前に

わたしからも そっと おくりだす

「今夜も ほんとうに ありがとう」


明日になったら また とびらは ひらかれて

東京から わたしのところに 日本中に 世界中に つながっていく

あたたかくおくりだされた おなじ時間を

たくさんの人といっしょに かんじる

目には見えないけれど たしかにある やさしい しあわせな 空間



けれど 6月が おわったら



この空は 東京に つづいているっていうのに

そのとびらは もう ひらかない

この空は 世界に つづいているっていうのに

あの空間には もう であえない


どこにも もっていくことのできない 気持ちをよそに

今夜のとびらが 閉じていく

感謝と ただただ ちいさな 祈りを ささげる

6月の 夜空に


【記録】 The World of OTTAVA

December 21 [Sun], 2014, 16:51
OTTAVAが2014年6月30日にTBSからの放送を終え、10月1日に第2の開局を迎えるまでの準備期間中に放送していたのが、これまでのOTTAVAで放送されてきた内容を1時間にぎゅっと凝縮した番組「The World of OTTAVA」でした。(番組ページはこちら
担当されていたのは、林田さん、ゲレンさん、斎藤さんの3人で、番組は全34本、現在(2014/12/21)も月曜日から金曜日の15時から、1日に1本、放送されています。

12月の第2の開局・第2章からはじまった「ニコニコ動画 OTTAVAチャンネル」では、チャンネル会員(有料)になると、「The World of OTTAVA」のすべての番組を、すきな時に何度でも聴くことができるようになりました。

「The World of OTTAVA」は、3人のプレゼンターさんの特長と、OTTAVAらしい選曲がつまっていて、繰り返し聴いても飽きない充実した内容ですし、今までOTTAVAを聴いたことのない方にも「OTTAVAって、こんな放送局だよ」とおすすめするにも最適だと思います。

第2の開局前・準備期間中には、「The World of OTTAVA」各番組の曲名リストとおすすめCDが記載された専用のWebページがありました。
現在(2014/12/21)は、公式にはそれらのページを見るための入口はありません。

ただ、サーバ上にはまだ残っているようですので、参考までにこちらにそのリンクをあげておきます。
せっかく「ニコニコ動画 OTTAVAチャンネル」でゆっくり「The World of OTTAVA」が聴けるようになりましたし、それにあわせてこのページを見ながらCD購入を考えてみるのもいいかな、と思います。
(公式ではないのでリンク切れになる可能性もありますが、どうぞご了承くださいませ。)
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★ The World of OTTAVA ★

【林田直樹さん担当】
北欧名曲めぐり
色と香りを聴こう〜フランス音楽の世界
偉大なる音楽の国イギリス
わが夢の都ウィーン
やっぱりロシアは最高
おいしいぞ、スペイン!
センチメンタル&スパイシー〜アメリカは面白い
ただものじゃないよイタリアは
チェコ、ポーランド、ハンガリーの音楽
バレエを愛す〜名作バレエのエッセンスを
バレエを愛す〜チャイコフスキーのバレエ「眠りの森の美女」をたっぷりと
ヨハン・セバスティアン・バッハとの対話〜バッハとヴィラ=ロボスとシュニトケ
ヨハン・セバスティアン・バッハとの対話〜バッハとブゾーニ
ヨハン・セバスティアン・バッハとの対話〜バッハとレーガーとストコフスキー
ヨハン・セバスティアン・バッハとの対話〜バッハと武満とブラームス
ヨハン・セバスティアン・バッハとの対話〜バッハとペルト
偉大なる過去の息吹きを求めて 〜悪魔か?神か?究極の弦
偉大なる過去の息吹きを求めて 〜大指揮者たちの時代
偉大なる過去の息吹きを求めて 〜伝説のピアニストたち
偉大なる過去の息吹きを求めて 〜歴史に名を刻んだ大歌手

【ゲレン大嶋さん担当】
心を溶かす20世紀のピアノ協奏曲
心軽やかに〜英米のライトなクラシック
英・蘇・愛 牧歌的クラシック vol.1
英・蘇・愛 牧歌的クラシック vol.2
元祖カフェ・ミュージック?ラテン・アメリカのギター音楽 vol.1
元祖カフェ・ミュージック?ラテン・アメリカのギター音楽 vol.2
打ち水クラシック vol.1
打ち水クラシック vol.2
ゲレン大嶋のawamori.nom 〜沖縄 旅の話〜

【斎藤茂さん担当】
コンテンポラリー・クラシック・ステーションとは?
宇宙を感じるクラシック
古楽超入門
新世界クラシック part1 (ラテン・アメリカ編)
新世界クラシック part2 (北米、オセアニア編)

2014年9月17日 林田さん担当の試験放送を聞いて

October 31 [Fri], 2014, 23:56
2014年9月17日 林田さん担当の試験放送を聴いた時に思ったことを書きます。
(upした日:2014/10/31)
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2014年9月1日から9月30日まで行われていた試験放送。
この中の、9月17日の試験放送で、担当の林田さんは、前日発表された「第2の開局」のことに関して、いくつかお話をされた。
この日の放送はこちら → YouTube [このお話は1:26頃から] ←YouTubeでの公開は終了しました。

どの言葉も林田さんの誠実さと熱さにあふれ、リスナーの方にむかって真正面からまっすぐ投げかけられていて、受け止める側のこちらもしっかり向き合わなくては、と思わず居住まいを正してしまうほどだった。

そんな、熱く、ずしりと重い、林田さんの言葉の中で、特に強調されていたように思ったのは、「対価のありかた」について、だった。

林田さんは、
「ある商品なり、サービスなりといった、なんらかの形のあるものを提供し、そのことに対して対価を支払う、という関係が健全である」
「しかし、商品やサービスの対価としてお金をいただくのではなくて、リスナーがOTTAVAを支えようと思ってスポンサーになってくださるとすれば、ほんとにそのことを重く受け止めなければいけないと思う」
と話されていた。

林田さんのこの言葉をきっかけに、わたしは、自分の中でずっともやもやしたままだったことを整理することができたのだった。


6月23日にOTTAVAの継続が発表され、6月30日OTTAVA con brio最終回で今後のOTTAVAについて概要が発表された時からずっと話されていたのは「新しいOTTAVAには、リスナーのサポートが必要」ということだった。
これは直接的には言及していないけれど、リスナーもなんらかの金銭的負担が必要になる、ということを指しているということはすぐに理解できた。
このことについては、OTTAVAがこれからも続いていくための方策の一つが示されたということで、とても喜ばしいことだと感じたし、ぜひ自分もできる範囲で支援をしたい、と思った。

ただ、それと同時に、「いわゆる『有料放送』になるのは、いやだなあ」とも感じたのだった。
自分ではどうしてそう思ったのか、理由がわからなかった。
決して「いままでどおりの番組を『無料』で聴きたい」と思ったわけではなかった。
けれど、例えば「月額○○円で、OTTAVAが聴ける」という形になったら、いやだなあと、はっきり思ったのだ。
お金を払うこと自体は嫌ではなく、むしろなんらかの形で具体的にリスナーからの支援をできる方法を用意してしてほしい、と強く思っているにもかかわらず、だ。いったいこの気持ちはどういうことなのだろう、と、ことあるごとに自分の中で考えてみたりしたのだけれど、結局はっきりしないままだった。

そして、9月16日の試験放送中にはじめて、リスナーがOTTAVAを支援する方法が具体的に発表された。

それは、
 開局記念コンピレーションCDの発売、
 開局記念コンサートの開催、
 10月以降システム完成後の有料チャンネル設置、
そしてOTTAVA Sponsorshipの募集、だった。

この内容を聞いたわたしは、6月末から心配していたことは杞憂だったなあ、と少し「ほっ」としたのだった。
ただ、この時点でもやっぱり、ひっかかっていたことが何なのか、そしてなぜほっとしたのか、はわかっていなかった。

そんな状態で聞いた翌日の林田さんの「対価」という言葉で、わたしは「自分にとっての『サービスと対価』ってなんだろう」と考えることになった。

月額いくらの会員制になったら、すでにOTTAVAに出会った人たちとの、これまでどおりの世界は維持されるかもしれないが、OTTAVAの「いいところ」は、それでは十分だとは思えない。

塀が立って、門に鍵がかかっていたら、その中はいままで通りの環境が整備されるのかもしれないけれど、通りがかりの人はふらっと入ることができない。
例えば、クラシック音楽、という看板には関係なく偶然立ち寄った人。
日本だけでなく、世界のいろいろなところからたどり着く人。
日本の人だけとは限らない、外国の人もやってくるかもしれない。
そんな場所があって、実はいろんな所にいるいろんな人と、同じ時に同じ音楽を聴く、いろんな体験や新しい音楽との出会いを共有する、それがわたしの受け取りたいものだったんだと。

だから、もしわたしがOTTAVAに対して支援を行ったとしたら、わたしにとっての対価は「こんな開かれた自由な場所を維持してくれること」だ、とはっきりわかった。
同時に、「わたしがこれまでOTTAVAから受け取っていた大事なもの」がはっきりすることになった。

林田さんはお話の中で、「商品やはっきりしたサービス」に対してではなく、「ただOTTAVAを応援するため」だけに、リスナーがお金を送ること、そしてそれを受け取ることについて、とても慎重な、また少し申し訳ないような姿勢でいらしたように感じたのだけれど、わたしはそんな林田さんに、「大丈夫ですよ、わたしたち、大事なものを、しっかりと受け取っていますよ!」と声をかけたいような気持ちになったのだった。

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この放送を聞いたとき、すぐに「ああっ」と思ったのだけれど、こうやってきちんと文章の形にできたのは、結局ずいぶん経ってからになってしまった。

その間に、「第2の開局」があり、新しい番組が始まって、そこでひとつ、うれしいことがあった。

それは、「第2の開局」初日、ゲレンさん担当のOTTAVA saloneに、「今日偶然OTTAVAのことを知りました!」というリスナーさんのメールが届いたことだった。
この日の放送はこちら → YouTube [このメールは3:46頃] ←YouTubeでの公開は終了しました。

まさにわたしが「大事にしてほしい」と思っていたことに、第2の開局のまさにその日に現実に接することができて、とってもうれしい気持ちになったのだった。

これからも、こうやって、OTTAVAで新しい出会いが生まれていくことを心から願って、応援していきたいと思う。

【記録】 2014年9月1日〜9月30日 試験放送実施

September 30 [Tue], 2014, 22:13
OTTAVAでは第2の開局準備期間中の2014年9月に、
平日夜7時〜9時、試験放送として各プレゼンターによる生放送が行われました。
その時のお知らせをおいておきます。
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2014/06/30 OTTAVAはTBSからの放送を終了し、第2の開局に向けて新生OTTAVAとして始動しました。
(※OTTAVA継続については NAXOS JAPAN News に詳細があります。)

2014/07/01からは準備期間として、「ノンストップクラシックMIX」と、OTTAVAの提案してきたクラシック音楽の聴き方をテーマとした録音番組「The World of OTTAVA」の配信が行われてきましたが、それに加え2014/09/01より、プレゼンターによる生番組の試験放送が開始されました。
(告知のあった2014/08/28のFacebook記事はこちら
OTTAVAでのお知らせはこちら。)

試験放送は、平日の夜、午後7時から午後9時までの2時間です。
(※オンデマンド対応はありません。 9月15日(月)、23日(火)は放送がありません。)
↑2014/09/16放送分より、Youtubeによるオンデマンドが開始されました。(アップロードの情報は随時 OTTAVAのfacebook に掲載されます。)

メールアドレスも用意されました。→ pre@ottava.jp
↑2014/09/30までの、試験放送専用アドレスでした。

秋の本格的な開局に向かって、着々と準備を進めているOTTAVAに、リスナーからもいろいろなフィードバックができるといいですね。

【記録】 リスナーとプレゼンターが選ぶ「夏のオススメ2014」

September 01 [Mon], 2014, 22:18
OTTAVAでは第2の開局準備期間中の2014年8月に、
プレゼンターの推薦およびリスナーの投稿による「夏のオススメ2014」という企画が行われました。
(オススメの投稿は2014年8月31日で終了しました。)
その時のお知らせをおいておきます。
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OTTAVAでは、夏を楽しく、快適にすごすためのおすすめの方法、グッズなどを
「夏のオススメ2014」として紹介しています。
プレゼンターさんおすすめの映画や音楽、リスナーさんおすすめのグッズなど、
気に入ったものがあれば、その場ですぐにショッピングサイトから購入も可能です。
応募方法は

 1.OTTAVAのFacebookのコメントに書き込む
 2.専用メールアドレス summer2014@ottava.jp にメールを送る

の2種類です。
受け付けは8月31日まで、みなさまふるってご応募くださいませ! ←受付は終了しました


2014年4月からの3か月と、この7月を振り返って

July 31 [Thu], 2014, 23:58



OTTAVA第1シーズン最終日の6月30日から、1か月が経った。

「まだ1か月しかたっていないの?」というのが今の実感で、あの日のことはなんとなくもう1年くらい前の、遠い日のことのように感じられる。

この1か月は「あっという間」だった。
でもそれは納得できる。
なぜなら、この4月から6月の3か月間も、ほんとうに「あっという間」だったから。


4月1日のOTTAVAの休止が発表された日にも、
またそれ以降の放送の中でも折にふれて、斎藤さんが何度も話された言葉

「なにげない日常の交換を大切に」、

この言葉は、この4月から6月の3か月間、わたしにとってとても大切な言葉になった。

今から思えば、休止発表直後の、気持ちがまったく落ち着かなくて、ショックに打ちひしがれていた時には、実は心の底からそう思えるほどの余裕はまったくなくて、ただただこの言葉にすがっていただけだったかもしれない。

「普通でいよう」
「普通の毎日の、普通のできごとを探そう」

ともすれば、先のことを想像して悲しくなってしまったり、これまでのことを思い出してさびしくなってしまったりしがちな自分の心に対して、「おまじない」のように、無理やりにでもこう思うようにすることで、なんとか前を向いて、毎日を過ごすことができていた。

でも、そうやって、最初は無理やりだった「なにげない日常の交換を大切に」という気持ちも、それをずっと続けているうちに、自然とこれまでなにげなく過ごしていたごく普通の毎日がどんなに愛おしく、どんなに素晴らしい日々であったのか、ということを感じられるようになっていた。

いいことがあった日も、
特になにもなかったように思った日も、
いやなこと、つらいことがあった日さえも
どの1日もかけがえのない「なんでもない日」だったのだと
あらためて気づかされたのだ。

そんな「なんでもない日」の「なんでもないこと」を、放送を通して、さまざまなところにいる、たくさんの人と一緒に毎日いつくしむ、そんな大事な日課がcon brioだった。

ただ、そこに集う人たちはみんな、そんな日々が残り少なくなっていくこともよくわかっていて、時にはその悲しみを言葉にすることもあるのだけれど、多くの場合はそれは口には出さず、放送が終わるとともに、その大事な1日がまた過ぎていくことを、なんとも言えない気持ちで、いっしょに見送るのだった。
このときの、胸がしめつけられるような気持ちは、きっとずっと忘れないだろう。

あるリスナーさんがツイッター上で「最後の1葉」と表現されていたけれど、まさにそのとおりだと思った。
1枚、また1枚と葉が落ちていき、この葉がすべてなくなってしまった時には……、と、本当にやるせなく、切ない気持ちでいた最終日1週間前に、OTTAVA継続の知らせがあり、奇跡的に「最後の1葉」はもう落ちないことになったのだった。

そこからの1週間、そして最終日はもう夢のように過ぎていった。
con brio最終回の最後の音が終わった後、しばらくしてからおとずれた、無音。
この時ほど、音楽という存在の力を感じたことはなかった。

しかし、ほどなくして音声がまず聴こえはじめ、1時間もたたないうちに新しいWebのトップページも表示された。
もしもあの無音がそのままずっと永遠に続いていたら、Webにアクセスしてもエラーメッセージしか表示されなくなっていたら、その暗闇を想像すると本当におそろしい。


そして、OTTAVAの第2の開局を待つ、新しい期間が始まった。
いろんなことは覚悟していたのだけれど、やっぱりなかなか慣れないうちにこの7月は終わってしまったな、というのが素直な感想だった。

まずは、プレゼンターさんの生のお話を聞ける番組がないこと。
固定の時間帯に番組がないこと(=番組の時間が固定されていないということ)。
オンデマンドの仕組みと曲名表示がないこと。
con brio宛のメールのように、誰でもOTTAVAとやりとりが可能な場がないこと。

こんなことがどうしてもひっかかってしまう。

これはひっくり返してみれば、知らず知らずのうちに受け取っていた「OTTAVAの良いところ」だといえる。
そして、これらのことがすぐには揃わないこと、
また、急遽決まった継続決定にも関わらず、1日の休止もなくノンストップミックスと、録音による新しい番組の放送が続けられていることと、Facebookによるリスナーへのコミュニケーションを休まずにとり続けてくれていることのありがたさ、
こういうことは冷静に考えればすぐに納得できることのはず。
もしあの日でOTTAVAが消えてなくなっていたら、と考えれば、今の状況は本当に幸せだと。

なのになんだかとても気になって、いらいらしたり、悲しくなったり、さびしくなったりしてしまう。
それは、なぜか?

きっとそれは、あの3か月間の、どの1日も無駄にしたくないと息を詰めたままのような日々と、日付を超える時の胸をしめつけられるような思い、それがどうしても、残像として心の中にずっと映ったままだから、じゃないだろうか。

だからどうしても、いますぐなんとかしたくって、一滴たりともこぼさないようにしたくって、気持ちはあせったままになってしまうのじゃ、ないだろうか。


「普通のひとりひとりの、普通の生活が、おもしろい」

斎藤さんが何度もおっしゃっていた言葉。

だとしたら、OTTAVAが第2の開局に向けて準備中の今、もう一度、「自分の普通の生活」を、精一杯、活き活きとすごそうと思う。OTTAVAが中心の、OTTAVAのための日々ではなくて、自分の「なんでもない日」「普通の生活」をしっかり豊かにふくらませて。そして、そんな「『おもしろい』普通の生活」を、新しいOTTAVAにまた持ち寄れるように。

【OTTAVAへの感謝をこめたオリジナル曲】 「明日のきみへ」

July 02 [Wed], 2014, 15:05
OTTAVAのリスナーさんたちが、OTTAVAへの感謝を込めたオリジナル曲

「明日のきみへ」

を作られました。

2014年06月17日より こちら で公開されています。

素敵な、ずっとずっと、大事にしておきたくなる曲です。



OTTAVA継続が決まってから、あらためて聴くと、最初に聴いたときよりも、さらに心に響いてくるような気がしました。
休止すると思っていた時には、心の中でぐっとこらえていたものが、きっと、今になって 安心して 表に出てくるようになったのでしょう。

【記録】 OTTAVAに感謝のメッセージを送ろう! 寄せ書きモブ

June 26 [Thu], 2014, 20:35
リスナー firetさんの発案で、みんなでOTTAVAに感謝のハガキをおくる 「寄せ書きモブ」 が行われました。
(ハガキの投函は2014年6月26日で終了しました。)
その時のお知らせをおいておきます。
発案後、投函期限までの間に、OTTAVA継続決定のお知らせがあり
あらためてうれしい気持ちでハガキを出せたのは、ほんとうによかったと思いました。
劇的な10日間でした。
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2014年6月17日
【 OTTAVAに感謝のメッセージを送ろう! 寄せ書きモブ 】
6月26日投函分まで! ←投函は終了しました

みなさんの愛するOTTAVAに【感謝のメッセージ】を、ハガキに書いて送りましょう!

くわしくは 発起人 firetさんのページ Le Notti di Conbrio
Let it mob !★ Many thanks for OTTAVA に説明されています。

東京赤坂のスタジオに、全国からのハガキが届く!
そう フラッシュモブの様に始まり、拡散していく!
Let it mob!


Listen OTTAVA!
このブログについて
りりぃ@大阪です。

このブログは、2014年4月1日の
クラシック専門インターネットラジオ
「OTTAVA」休止の報をうけてからの
自分の中の「あたふた」を
ただただ記録・整理するために
綴りはじめたものです。

「OTTAVA」はその後、存続が決定し、
2014年7月から3か月の準備期間を
経て、2014年10月1日に
独立したインターネットラジオ局として
第2の開局を迎えました。
そして現在も、
様々な新しい試みを加えながら
放送中です。

このブログではおもに、
第2の開局以前のOTTAVAについて
わたしが感じたことや、
のこしておきたいと思ったことを
記しています。
ですので、
今後、こちらのブログの更新は
ほぼ行われないと思われます。
どうかご了解ください。


なお、コメントは承認制と
させていただいています。
こまめなお返事はできないかも
しれませんが
なにとぞご了承くださいませ。

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