大切な欲求(再掲載)

August 16 [Sun], 2009, 11:08
1年前に書いたものです。
再掲載しま〜す



動物には基本的欲求が4つあるそうです

食欲、睡眠欲、排便欲、そして性欲

動物として当たり前の欲求ばかりですが
どれも重要です。性欲以外は毎日満たす必要があります。
もちろん数日は我慢できるでしょうけど数ヶ月はもちません。
こうしてみると食欲、睡眠欲、排便欲は生きるためにあり
性欲はその中に入りません。

僕はこう思います。
この食欲、睡眠欲、排便欲は性欲のためにあるのかなと。
つまり、子孫を残すために存在しているのかなってね。
動物の基本的欲求は病気でない限り自分の意思とは
関係なく現れます。もともと備わっている欲求だからです。
動物に快楽の概念はないでしょう。
(犬や猫に聞いた事ないから知らないけど・・・)
だから性欲は、その結果のために存在していると思います。
子孫を残す行為は動物にとって意思には関係ないのです。

人間に置き換えてみても同じ事が言えると思います。
人間には快楽が存在しますが、結果は同じです。
だから友達とか集まると異性の話しになりやすい
基本的欲求に基づいて行動しているのです。

と言うことは、やはり子孫を残す事に幸せを感じるのは
当たり前で、親がうるさく結婚しろなどと言うのは
その現れなのでしょうね。
孫ができると安心するなどと言う話しをよく聞きますから

食べて、寝て、トイレして、エッチして
その結果、子孫繁栄する。
シンプルですがこれが動物の行動全てを
つかさどっているような気がします。

しかし、人間のみ、あと一つ重要な欲求があります。
上の4つ以外にです

それはここでは書きませんが、
これがなくなると自分で命を絶ってしまうそうです。
人間であるが故の基本的欲求

今、それが日本や他の国でもなくなっていく傾向にあります。
なにがそうさせるのか。
ネットなのか、情報なのか、親なのか、社会なのか、、、、

完全に無くなってしまう前に、取り戻さなければ

まだ救いがあります。
それを理解できる人たちが多くいる事です。
日本は日本らしく、この第五の基本的欲求に
対応していく必要があると思います




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基本的欲求

July 21 [Mon], 2008, 6:15
動物には基本的欲求が4つあるそうです。

食欲、睡眠欲、排便欲、そして性欲。

動物として当たり前の欲求ばかりですが
どれも重要です。性欲以外は毎日満たす必要があります。
もちろん数日は我慢できるでしょうけど数ヶ月はもちません。
こうしてみると食欲、睡眠欲、排便欲は生きるためにあり
性欲はその中に入りません。

僕はこう思います。
この食欲、睡眠欲、排便欲は性欲のためにあるのかなと。
つまり、子孫を残すために存在しているのかなってね。
動物の基本的欲求は病気でない限り自分の意思とは
関係なく現れます。もともと備わっている欲求だからです。
動物に快楽の概念はないでしょう。
(犬や猫に聞いた事ないから知らないけど・・・)
だから性欲は、その結果のために存在していると思います。
子孫を残す行為は動物にとって意思には関係ないのです。

人間に置き換えてみても同じ事が言えると思います。
人間には快楽が存在しますが、結果は同じです。
だから友達とか集まると異性の話しになりやすい。
基本的欲求に基づいて行動しているのです。

と言うことは、やはり子孫を残す事に幸せを感じるのは
当たり前で、親がうるさく結婚しろなどと言うのは
その現れなのでしょうね。
孫ができると安心するなどと言う話しをよく聞きますから。

食べて、寝て、トイレして、エッチして
その結果、子孫繁栄する。
シンプルですがこれが動物の行動全てを
つかさどっているような気がします。

しかし、人間のみ、あと一つ重要な欲求があります。
上の4つ以外にです。

それはここでは書きませんが、
これがなくなると自分で命を絶ってしまうそうです。
人間であるが故の基本的欲求。

今、それが日本や他の国でもなくなっていく傾向にあります。
なにがそうさせるのか。
ネットなのか、情報なのか、親なのか、社会なのか、、、、

完全に無くなってしまう前に、取り戻さなければ。

まだ救いがあります。
それを理解できる人たちが多くいる事です。
日本は日本らしく、この第五の基本的欲求に
対応していく必要があると思います。



生きる 2nd

June 24 [Tue], 2008, 8:27
そして、非常階段。

あなたがその階段を下りることができるとすれば、

あなたはあなたの心を解き放つしかない。

生きるということを、もともと苦しみの中で楽しみを

見つけるという事だと気づき、目の前にありすぎて気がつかなかった

階段を手探りで見つけるしかないのだ。

階段はすぐ目の前にある。しかし、なかなか見つけられない。

それはあなたは自分の心が貧しいと、寂しいと、すさんでいると勝手に

勘違いしているからだ。全てを作り出すもの、全てを感じさせるもの、

全てを生み出すもの、それはあなたの心なのさ。

現実は何も変わらない。

目の前のパソコンのモニターは厳然として存在している。

その前にはキーボード、横にあるマウスをあなたは握りしめている。

これらは事実だ。どうしようもない事実だ。

しかし、それを感じる心は違う。

こうしてモニターに映し出される文字を

目で追うことが楽しいと心が叫べば楽しいのさ。

苦痛だと心が叫べば苦しいのさ。

全てはあなたの心が作り出した空想なんだ。

事実は何も変わっていない。

あなたがどう思ってもモニターは存在し、

マウスはあなたに握りしめられている。

唯一違うのはあなたの心がどう感じるかだ。

楽しいと思える心を持てば、何をしても楽しい。

苦しいと感じる心を持てば、何をしてもつらい。

全てはあなたが作り出す、あなただけの世界。

自分の生きる意味は、自分から発信されて、自分へと戻ってくる。

見えることを楽しみなさい。キーボードを叩けることを楽しみなさい。

マウスを動かすこと、クリック出来ることを面白いと感じることが

出来れば、あなたは生きる意味を知るだろう。

生きると言うことは、それ自体を楽しむことなんだよ。

誰が運んでくるものでもない。誰も与えてはくれない。

どう生きるかではなく、どう楽しむかなのさ。

心を豊かにし、人を慈しみ、愛する人を慰め、老いに優しさを持ち、

自分の生きている感触を楽しむことが大切なんだ。

それが唯一の非常階段だと思う。

自殺が多いのは自分で作り出した世界から

抜け出せなかった人たちの最後の抵抗なのだろう。

しかし、その階段を見つけることができたなら、

そのバーチャルリアリティから抜け出すことが出来たのに。

愛は生きると言うことの最終形であり、心豊かに生きることを

楽しむ最終兵器なのだ。

愛を体と心に装着し、苦しみの中でもがく前に

自分の貧しい心を破壊してしまえばいい。

まぁ犯罪を犯す奴らには私が言っていることなど1bit も

理解できないだろうけど、、、、、、

おわり

====================================

これも数年前に書いたものなので今の世の中と
少しずれているような感じがありますが
根本は変わっていないと思います。

希望や願望は生きる事を楽しむ中にあるような気がします。

生きる

June 23 [Mon], 2008, 21:06
「 生きると言うこと ・・・」


人間は生まれた瞬間から苦しみの中でもがく運命にある。

悲しみ、苦しみ、つらさ、疎外感、孤独、裏切り、あと、、、、、

数えたらきりがないほどだ。

そして、その苦しみの中から楽しみや頼るものを見つけることで

現代人はなんとかバランスを保っている。

その中で楽しみや頼るものを見つけることが出来なくなった瞬間、

人間は絶望と言う断崖に突き出される。

生きると言う試練から逃げてしまうのだろう。

しかし!!

その断崖にも非常階段はついていると思う。

 

私は時々生きていると言うことに無意味さを感じることがある。

いったい何のために?どうしてこの苦しみから抜けられない?

考えれば考えるほど周りにいる人たちが無意味に見えてくる。

こんな社会で生きていて何の得があるなどと、

意味もなくブルーになってしまうときがある。

それは現在の日本のこの環境だからこそ現れる死に神のようだ。

息がつまりそうな社会が生み出す仮想現実なのだ。

いろんな事件は豊かさ故と言うのが多いのかもしれない。

豊になるほど考える時間が増えてしまう。

便利になるほど余分な時間が増える。

人間は目的を達成すると退廃するのだろう。

豊になる代償として心の退廃を余儀なくされた現代の人たち。

心が病んでしまうのは資本主義の結論かも知れない。

豊かさは物に集中しすぎた。金に集中しすぎた。

心は豊にはならず、貧しくなった。

あなたの心は豊かですか?

人を慈しむことができますか?

こんなに詐欺事件や殺人事件、強盗事件に暴行事件が起こるのに

人を信じられますか?

こんな状況じゃ心は貧しくなるばかりだ。

生きると言うことはただでさえ大変なのに、

心までも貧しくなったら無意味さを増してしまう。

そんなことを考えると私は生きる意味を見失ってしまうときがある。

そして、非常階段。

それはどこにある?




つづきはまた今度・・・


幸せのひとつの見方(2)

June 18 [Wed], 2008, 15:49
前回の続きです。

------------------------------------------------------

あなたが存在していること、

あなたがそこにいること自体がもう幸せなんだと思う。

ものが見える、触れる、味わえる。こんな幸せなことはないよ。

そんな基本的なこともわからずに生きているのはつまらないよ。

苦しさも、悲しさも、生きているから感じられること。

そりゃ、その時はつらいだろうけど生きていれば、

いつか笑い話になるときも来る。

それを悲しむより、感じる事ができるあなたを喜んだ方がいい。

必ず明日の朝には太陽が昇るんだよ。

幸せは、誰かが運んでくるものでもなければ自分が作るものでもない。

幸せは自分が存在していること自体を喜ぶことだよ。

人にどう思われようが、自分が生きていることを

感じられればあなたはもう幸せの絶頂にいるんだよ。

不幸せなのは他人と比べるからさ、欲しいものがあるからさ。

あなたがそこにいるだけでいいじゃない。

そう思うと、毎日、朝に目が覚めることが幸せに感じられるんだ。

「ああ、今日も生きられる」ってね。

おわり

私は以前に外国で、両足がなく台車みたいなものに乗った知らない人から「おはよう!」と満面の笑顔で挨拶されたことがあります。そのとき私は落ち込んでいたのですが何故か元気が出てきたんです。同時に不思議に思いました。「どうしてあの人はあんな姿で明るく振る舞えるんだろう?」ってね。自分は五体満足で何不自由もないのに、何をそんなに悩むんだろうと思ったものでした。彼は生きていることが幸せだと知っていたような気がします。みなさんはそう思えますか?

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これは8年前に書いたのでだいぶ世の中との乖離があるかもしれませんが、基本的な部分は変わらないと思います。

幸せのひとつの見方

June 14 [Sat], 2008, 13:10
数年前に書いたものです
世の中もだいぶ変わって来たかな〜

「幸せのひとつの見方」

幸せとは、なんてとてもとても一言では言い表せない事だけど

あえて、挑戦します。ひとつの見方です。

みなさんは「幸せ」とは何だと思いますか?

好きな人と一緒にいることや

夢が実現する事、食べているときなどいろいろ。

人それぞれ価値観が違うし、その時の状況で、

どれが幸せでどれが不幸せなんて言えないとは思います。

しかし、基本的な事を忘れているんですね。

私は生きている事自体が幸せだと思っています。

朝、目が覚めるともう幸せなんですよ。

「ああ、今日も生きている」ってね。

魚は水がないと生きていけませんよね。

水からあげると口をパクパクさせてしばらくすると死んじゃう。

では、魚は水の中にいるとき、周りに水があることをたぶん

当たり前だと思っているでしょう。

そこへ人間が来ていきなりとっつかまって水から取り上げられたら、

それまで普通に呼吸していたのに急に出来なくなって死んでしまう。

空気は人間にとって魚の水と同じです。

普段当たり前だと思っていることでも、なくなると

その大切さが初めてわかるものってあるでしょう?

健康、親、手も足も目も舌も、なくならないと大切さが

わからないものばかりです。

それでもほんとになくなったら?

実は生きていることがすでに素晴らしいことなんだから

たとえ、それらがなくなっても生きていることが幸せなんだな。

うーん、みなさんから反論が聞こえてくるようです。

文字にして伝えるのはとても難しいけど、私はそう思うわけです。

それから、金持ちになることや、有名になることが幸せだと

思っている人もたくさんいる。

それは大間違い。今のこの世の中だからと言う前提がついて回る。

いい車乗って、いい洋服着て、おいしいものが食べられる。

そんなことはちっとも幸せじゃない。

もし、あなたがいる場所が無人島だったら?

誰もあなたを見てくれなかったら?そんなもの着ていたって、

そんな高い車に乗っていたって誰も気にとめない。

ああいうものは、他人の目があってこそ成り立つものだから

それがなくなるととたんに意味がなくなる。

シャネル?グッチ?ディオール?ティファニー?

誰も見てくれなかったら何の価値があるの?

そんなものをやっきになって追い求めるなんて最低の人生だよ。

もっと大切なものは他にいくらでもあるのにね。

いまのブランド志向を目の当たりにするたび

「かわいそうに」と思ってしまう。

お金もそう。死んでから持っていけるの?

そりゃ生きてくには必要だけど人を不幸にしてまでかき集めるものかい?

寂しい人生だね。まっいいけどさ。

じゃ、何が幸せ?




ここから先はまた次回に書きますね

ドイツ紀行 最終日

May 26 [Mon], 2008, 22:09
最終日

朝早くホテルをチェックアウトしてニュールンベルグ空港に向った。

今日は日本へ帰る日。今回の旅はいろんな意味で

考えさせられることが多かった。

複雑すぎて文章にできない。

これは自分の頭の引き出しにしまっておこう。

出発の時間がきた。

ルフトハンザ機に乗りドイツの町並みを見下ろしながら

少し感傷にふけった。

この街は今にヨーロッパの中心になる。

小さな川渡り船で出会った小学生の彼は

この街でどんな風に生きていくのだろう。

飛行機は期待と不安に胸をふくらませた僕を乗せて

雲の中へ吸い込まれていった。

おわり

 


ドイツ紀行いかがでしたか??
感想を聞かせてください。

ドイツ紀行 3日目

May 25 [Sun], 2008, 9:10
第三日目

今日はバルツブルグに最初に行った。

途中、鹿を見かけたり菜の花畑のなごりを惜しんだりした。

ときおり姿をあらわす小さいけれどとても赤い花が印象的だった。

ロマンス街道を抜けバルツブルグの町に着いた。

レントゲンの発明の地であるバルツブルグは大学などの

研究機関があり、とても古い街並みだった。

レントゲンがエックス線を発見した大学へ行き、

その部屋を見た。

今でもその当時に使われていた真空管や放電管が

残っていて歴史を感じさせられる。

次にレジデンスと言われる大司教が住んでいた宮殿に行った。

扉を開けた瞬間、装飾のその荘厳さに圧倒されて言葉を失う。

第二次世界大戦で破壊されたらしいが、

当時のものを使いそのままの状態に復元されていた教会内部は

表現出来ないぐらい奇麗だった。

正門に向かうと馬車で建物内部に入れるように門がとても大きかった。

寒さの中で馬車を降りる事を嫌った大司教のために作られたらしい。

レジデンスをあとにして、ローデンブルグに向かう。

ここでスーツをフランクフルトのホテルに忘れた事に気が付いた。

しまった!明日着ていく服がない!

少し焦ったが目的地のニュールンベルグで買う事にした。

何とかなるだろうと言いながら内心はあわてていた。

そうこうしているうちにローデンブルグに着いた。

ローデンブルグは城壁に囲まれた街でその中は

とても現代の街とは思えないほどメルヘンチックだ。

城壁には3000マルクを街に寄付すると自分の名前を

彫ってもらう事ができるスペースがあり、たくさんの日本人が

名前を刻んでいた。町なかでクリスマスのものばかりを

年中売っている有名な店に入り、たくさんのおみやげを買った。

その後、中央広場にある世界最古とも言える仕掛け時計を

見たあと昼食を取った。レストランではブタの足を注文したが

とても柔らかくておいしかった。先生の奥様が注文した

ポテトのパンケーキアップルソース添えもおいしそうだった。

「少し食べさせて」と言いたかったが恥ずかしくてやめた。

食事の後そこから約一時間車で走って

やっとニュールンベルグに到着した。

途中、警察の検問にあいパスポートを調べられたが

あれは何だったのだろう。

ホテルにチェックインしてから急いでスーツを買いに行き、

いいお客だと誉められながら一発でぴったりのスーツを買った。

でも、おかげで金がなくなった。

ホテルでビナン氏に会いミーティングをした。



 

ドイツ紀行 2日目

May 24 [Sat], 2008, 12:11
第二日目

朝からレンタカーに乗り込み、南の方へ向かう。

ライン川沿いに車を走らせ着いたのがユーデスハイムという町。

車を降り軽く散歩する。

町並みがフランクフルトとは違い、とてもシック。

おみやげやさんで売っている小物がかわいい。

何時間見ても飽きないものぱかりだ。

この町からライン河下りをする予定らしい。

しばらく散歩して、町の中心にある広場に出る。

たくさんの人がいろんなものを売っていた。

話し掛けても英語は少ししか通じない。

値段を聞いたり他を見せてくれと頼んだり散々冷やかしたが、

結局何も買わなかった。

しかし猫や犬の陶器の置物だけはちょっと心残りだった。

ライン河下りの時間が近づいたので船着き場から遊覧船に乗った。

観光客が多く、船内のテーブルには座れなかったが、

奥の方にあるバーのカウンターに陣取ってカプチーノを飲む。

外の景色は刻々と変わり、古城やぶどう畑が次々に現われる。

想像より船の速度が速いことに一同驚く。

そのうちワインの売り子さんが来てドイツワインの試飲を

させてもらった。ドイツワインはとても甘口。

特に貴腐ワイン、アイスワインは絶品だ。

アイスワインは冬までブドウの刈り入れをせず、

寒くなってブドウを凍らせたあと水分がなくなったものだけ

刈り入れて作るそうだ。そうするととても甘い成分だけが残り、

独特の味わいがワインにでる。

だまされた気分で四本も買ってしまった。

おしゃべりをしているともうすぐローレライだというので

船の甲板に出た。天気は曇り空だけどとても景色とマッチしている。

子供たちが遠足でたくさん船に乗ってきた。

たぶん高校生か中学生だろう。

よく見るとワインを片手にわいわい騒いでいる。

ドイツもワインは水代わり。

きれいで安全な水が手に入りにくい国では当たり前のようだ。

こんなに小さいときからアルコールを飲んでいれば強くなるだろう。

そうそう、ローレライだ。

ローレライはただの岩石だけど人形像があって、とても神秘的。

通り過ぎるときにローレライの歌が船内に流れる。

ガイドに言わせるとローレライは名ばかりで観光客が、

ただの大きな岩だと知ると「期待外れだ」と文句を言われるらしい。

あっという間に2時間が経ち、サンクトゴアに着いた。

車に乗って船で来た道を戻る。

途中、車ごと川を渡れる小さなフェリーみたいな船に乗った。

数人の小学生が一緒に乗り込んできた。

不思議そうな顔でこっちを見ている。

たぶん日本人が珍しいのだろう。

僕らが日本で外国人を見るように彼らとって僕たちは

その外国人なのだ。一人が興味深々で近づいてくる。

彼に微笑むと彼は照れながら嬉しそうに笑った。

まんまるの彼の瞳は澄んでいた。

たった10分の船旅だが岸に着いてから車に乗り込むまで

ずっとそばにいた彼が「さよなら」と悲しそうに僕に手を振る。

その手がぎこちなく振られているのを見ると、

かえっていとおしくさえ思える。心が通い合う瞬間だ。

これだから旅はやめられない。

昼食をユーデスハイムの有名な小道にあるレストランで取った。

今の季節はアスパラガスが良いそうで、プレートをオーダーする。

アスパラは白くて大きい。

ガイドに勧められたハムをチーズと肉で巻いた料理が

とてもおいしかった。

レストラン内にはバンドがいて楽しげに曲を演奏している。

聞いているこちらまで体が自然と動く。

次にハイデルベルグに向かってお城を見た。

城壁から庭園まで中世のままだ。

昔、戦争をしていた時代に爆破された武器庫がそのまま残っている。

ドイツの人たちはものがないため出来る限り残っているものを

使う習慣があるらしく、当時のまま再現することが美徳のようだ。

日本とは違い新しいビルなどを昔ながらの街並みの中には作らない。

とても素晴らしいポリシーだと思う。

城をはさんで川が流れていて、その向こうには別荘のような

家が並んでいる。テニスで有名になったビヨンボルグも

そのうちのどれかを所有しているらしい。

ハイデルベルグをあとにして、フランクフルトに戻った。

食事の前にショッピングをした。

先生がどうしてもゾーリンゲンのナイフが欲しいらしく

KAUFHOFという百貨店に行った。

ゾーリンゲンのナイフは世界的に有名で良く切れるナイフだ。

ナイフのブランド品とも言えようか。

おみやげに買って帰ると奥様方に喜ばれるものの一つである。

しかし、直営店が少なく手に入れにくいものらしい。

先生と歩き回り、運良く手に入れる事ができた。

先生は上機嫌だった。

ブランドと言えばコンテスとゴールドファールと言う

ドイツブランドの革製品を知り、とても欲しくなったが

高いうえに店は閉まっていたのであきらめた。

夕食は駅近くの中華料理店で取った。

レストランまでの行き道にマイセンやゾーリンゲン、

アダルトショップなどが立ち並んでいて少し危ない雰囲気だった。 


ドイツ紀行 1日目

May 23 [Fri], 2008, 16:24
第一日目

フランクフルト空港に降り立って最初に感じたのは、

日本と同じような感覚になれたこと。

でも、ホテルへ向かうためタクシーに乗った瞬間から

やはり違うと思い知らされるはめになった。

時速200kmの猛スピードで飛ばすタクシーは、

運転手がベルガーかシューマッハだと勘違いさせられるほど。

アウトバーンを走るアウディは今まで僕が知っていた

アウディからは想像出来ないほど速かった。

そのうえタクシーの運転手がおしゃれで粋な人だった。

どうして年を食っているのにこんなにニヒルでダンディなのだろう。

男から見てもかっこいい。

さりげなくかけているサングラスは、レンズ自体が

独特のフォルムを持っていて、とてもきまっている。

アメリカのように客にあれこれ話しかけもせず、黙々と運転している。

しばらくあっけに取られているとフランクフルト市街に入った。

街の雰囲気は一変し、古いたたずまいを残す建物に圧倒される。

特に建物の柱に装飾されている石の彫刻は絶品のものばかり。

ホテルに着くとその運転手は荷物をおろしたあと料金を

受け取って車に乗り込もうとしていた。

こちらから「ダンケシェン!」と言うと体を半分車に入れて

微笑みながらウィンクをした。

「クール!!」自分も年を取ったらこんな風に生きていたいと思った。

泊ったホテルは格式高いホテルで国賓級のお客様を

もてなすほどのものだった。

ホテル内は広い廊下、高い天井で空間をゆったりと取ってあり、

廊下のいたるところに肖像画や絨毯がかけられている。

あとで聞いた話だか、このホテルにはダイアナ妃も

泊まった事もあるそうだ。

部屋に荷物を置き、食事を取る前に軽く散歩をする。

通りに出ると大きな教会が目をひく。

いたるところにあるオープンカフェがとてもおしゃれに感じた。

町並みはとてもきれいでゴミもあまり落ちていない。

古い建物と新しいビルがやけに似合う街だ。

日本では考えられない光景かもしれない。

食事は辻本氏が知っていたこぢんまりとしたレストランで取った。

さすがにドイツ。ソーセージがとてもおいしかった。

ビールも格別だったけどステーキのおいしさにはびっくりした。

熱く熱した石に乗ってきた生の牛肉はみるみるうちに

焼けてきてあっという間に食べられるようになる。

これがまたソースがおいしくて味がよい。

とても食べられない量だと思ったが意外と全部腹におさまった。

ビールのあと学生が飲むワインジュースみたいなものを頼み、

しこたま酔ってしまった。

食事を終え外に出て5月の心地よい風にあおられながら

ホテルへと向かった。

今までのドイツの印象とはかけ離れたものを感じ取った1日だった。 

プロフィール
  • ニックネーム:真之助
  • 性別:男性
  • 血液型:B型
  • 職業:その他
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都会のどこかに生息しています。



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