うつ病ってなんだろう@  −ただの「甘え」かな?ー

August 07 [Wed], 2013, 3:00
私の愛用の赤い手帳を覗いてみると

希望とやる気に満ちた4月の色彩が踊っています。

(イベントを表す黄色のマジックが至る所でその日の枠をご機嫌に飾っているのです)

私のこの赤い手帳は一年手帳で10月から始まっています。


日記は三日坊主すら続かないと自覚している私ですが

手帳には、その日あったことが最低限の文字数で律儀に書き込まれています。

私の手帳に書き込まれる「予定」は

「確定した未来などない」

というスタンスのもと、鉛筆や消せるボールペンで小さく書かれているのが常です。

そうして、その日にあった出来事が確実となった後日に

消えない色ペンによって記録として残るのです。


最後に間に合うことができなかった義理の祖父の死と葬儀の赤い文字が横たわる初まりの10月

初めての京都や大阪への出張(と言ってよいのかしら?)で充実した11月の緑の囲い群

人生初のグアム旅行に踊る12月のラストシーズン

色味の少ない静かな1月

母が突然倒れ、緊急搬送された2月は一旦退院はしたものの、
大きな不安を抱えながらも京都へ再び出張

母の入院と手術で、病院に毎日通いながら
実家暮らしの私には丁度良い花嫁修業ともなった3月

無事それらを乗り越え
(乗り越えたというよりもただただ我武者羅に過ぎ去った感じですね)

最初に書いた通りの
希望とやる気に彩られた4月を過ごしました。

そうして迎えた5月。
今思えばここが契機でした。
忙しい4月、5月の頭を抜け、
新たな生活のリズムが整いだした折、
私はなぜかつまずいてしまったのです。

よくある5月病(月末でしたけど)
その時はそう思っていました。
月末はツキモノもありましたのでそのせいでもあると
納得もしていました。

しかし、6月のカレンダーは白紙の目立つ青一色です。
青は素敵な色ですが、私のカレンダーではお休みの「静」の色の役割を持っています。
あまり多いのはいただけない色なのです。

6月はこれまでに経験したことがない程の不調が襲ってきました。
それは身体ではなく精神的なものでした。

けだるい、やる気が出ない、ぼーっとする
     ↓
何もできない自分への不信感
     ↓ 
将来への不安が大きくなる
     ↓
  夜眠れない
     ↓
  朝起きれない
     ↓
  最初に戻る

この悪循環が完成したのがこの6月でした。

当然ですが、私はこれまでの人生で思い悩むことは度々ありましたし
怠け癖が出ることもこの時期には良くあることでした。

自分の精神的な弱みを他人や友人、そして家族にも晒すことが苦手な
相談下手な私は、こんな時はきちんと自身と話し合い(?)
心に折り合いをつけて、ポジティブに未来を見据えていくように
自身の心を切り替える術を持っていました。

今回も、なんとか自身の心に折り合いを付けようと今まで駆使してきた術を使いました。

居心地の悪い浮遊感の中、それでも沈み込んでいく心に説得する週末の夜。
いつものポジティブシンキングに心が穏やかさを取り戻す。

けれども週明けにまた心が沈み始め、また週末に折り合いを・・・・・・

この繰り返しを6月いっぱい続けていました。

二十数年付き合ってきた自分です。
ここで「なんだかこれはおかしいぞ。いつもと違うぞ」と心のどこかで感じ始めてもいました。

いつもなら心を整理整頓した後は、笑顔で人に会えていたのに
笑顔がぎこちなくなってきたのです。

私は誰かを、私のせいで暗くさせるのが嫌なので
常に笑顔で人と接するようにしています。

時にそれが作り笑だとしても
笑っていれば少なくとも暗い顔をするよりは
自分にも相手にもいいことだろうと思っていましたから。

明るく、笑顔で、けれども成長するにつれて人見知りになってきた私は
人との接触は極力短くするような癖もついていました。

さて、笑顔がぎこちない私は
(おそらく友人たちなどはそんなことは思っていないでしょうが)
短時間でも人と会うのが嫌になってきました。

笑顔はつくれる。
けれども
作りたくない。

確かに以前の私の作り笑いも一種のぎこちなさはあったでしょうが
このぎこちなさは本当に気持ちが悪い。

心と表情が完全にかけ離れてしまっていることが
この気持ち悪さの大きな原因でした。

笑いたくないのに笑顔をつくらなければならない。

このストレスが、私に人と会うことを億劫にさせました。

大事な日以外は、家に引きこもり、一日中ベッドで過ごす日々。
これではいけない、起き上がらなければ
と思うのに体が思うように動かない。

けれどもそんな日々のなかで
私がこうなってしまっている原因は
「確定していない未来への不安」
であることに気付いてもいました。

それでも悶々と悩むばかりで前に進めず
引き籠り、明らかに口数の少なくなった私を見かねた母が
私と話す場を作りました。

母子家庭で育った私にとって
母という存在はとてつもなく大きく
また、とてもとても大好きな人です。
母はいつも、明るく、元気で、人に好かれる性格で、気配りも上手で
とにかく、私の憧れであり尊敬する人でありました。
私が人と接するときのヒントのほとんどが、母を見て得たものでした。

外では、ちゃらんぽらん(愛のある言い方で)な母と、
それを反面教師にしたしっかりものの私というイメージが
子どものころよりありました。
しかし、内情としては私の母に対する依存が強すぎると自分でも自覚しています。
母離れができていない、そんな思いが私の中で渦巻いています。

そんな母にも、私は滅多に相談することはありませんでしたが
この時ばかりは苦しすぎて
最初は拒絶していたもののぽつりぽつりと
今抱える不安についての話をしました。

私が最初、頑なに母に話すことを拒んだのは
これ(最近の怠けや引き籠り)が「甘え」であると強く感じていたからです。
これは甘えだ。甘え以外の何物でもない。
そう思い続けて起き上がろうとして起き上がれなくて……の
繰り返しの中にあったので
母に自分でも自覚しているこの甘えを拒絶されるのが恐ろしかったのです。
ここで母に拒絶されたら、私はどうすればいいのか全く分からなかったのです。

それでも私の抱えている不安を、言葉足らずながらも
聞いた母は、拒絶することはありませんでした。
母は私に
「心配しなくていいから。好きなことをやりなさい」
そういってくれました。
「もっと外に出ろ。引き籠るからいけないのだ」
とも諭しました。私もそう思っていました。

泣いた後の、あの独特のすっきり感も手伝って
私はこれでまた立ち直れるのだと確信しました。

6月の月末に、私はある挑戦を達成することもできました。

その挑戦を成し遂げられたのは
おそらくそれが私がやりたいことに繋がる
つまり「なりたい未來の自分」に直結していたことだからだと思います。

ただし、この挑戦を達成できたからといって
未來が保証されるわけではないのです。
それでも私には価値のある達成でした。

私はこれで立ち直れる。
再びそう思いました。

けれども、
そんな私の出鼻を7月にはいってくじいたのが
持病である婦人病の存在でした。

私は子宮内膜症といものを数年前から患っているのですが
この病気は簡単に言いますと「生理痛がとにかく酷い(一日中起き上がれない)」というのが主な症状で
生理が来るたびに病状が酷くなっていくものです。

原因は未だに解明されておらず、多くの女性がこの病気に悩まされており
時に不妊の原因ともされるもので、完治が難しいとされています。

私は現在、鎮痛剤と漢方で病状を和らげる方法をとっています。
ピル療法は、限界がきたら切り替えることを検討しています。

私はこの進行していく痛みと、もしかしたら赤ちゃんが産めなくなるのではという不安に苛まれながらも
気持ちを毎月切り替えて、乗り越えてきました。
生理が憂鬱なのは女子の宿命ですからね。
漢方を飲み続けているおかげか、波はあるもののとても楽な月もあって
上手く付き合えているのではないかと思っています。

けれども7月のそれはそんな私の気持ちをずたずたに踏みにじりました。
一番酷い二日目が丁度仕事の日と重なり、私は鎮痛剤をがぶ飲みしながら
なんとかやり過ごそうと座り続けました。

これまで体験したことのなかった症状が現れ特に酷かったのが吐き気でした。
腰痛や下腹部痛、腹痛などの痛みは鎮痛剤でなんとか我慢できるほどには抑えられていましたが
吐き気と胃痛はどうしようもありませんでした。
その日の記憶は「苦痛」に塗り固められています。

笑顔を無理やり貼り付けながら、
仕事が終わると、線が切れたように次から次へと涙があふれてきましたが悔しさの涙だったかもしれません。
人から隠れぼろぼろ泣きながら帰宅し、
私は症状がここまで進行してしまったのかという事実に打ちのめされました。
先月が薬のおかげで、比較的軽かっただけにこの衝撃は大きかったです。

私は自身のこの病を人に告白することは甘えだと思っています。

これは私自身に対する考えなので、
決してこの病気の人が、そのことを誰かに伝えることが
甘えだとかそういうつもりは毛頭ありませんし
それが甘えだとも思いません。

むしろその辛さが分かるだけに、この病に関わらず
病気に苦しむ人は少しでも楽になれる方法をとるべきであると思います。
甘えるべき時は甘えるべきだと思います。
苦しい時は助けを求めるべきです。
辛い時は支えを頼りにするべきです。
私はその勇気はとても大切なものだと思っています。

しかし、私の心は他人の勇気は許せても
自分のそれを許せないのです。

これは気持ちの問題です。
私は、私自身のこの病気のことを告白することが他人に「甘え」と映ることが嫌なのです。
そして、私自身もこの病に甘えてしまっているのではないか、という疑念が耐え難いのです。

「私は休んでいるのではなく、サボっているだけなのではないか。そして相手方もそう思っているのではないか」

私は必要最低限の人にしかこの病気のことは伝えていませんが
それが必要なことであると、頭で理解はしていても
この思いが付きまとい、他人に病気の話をしたことはずっと尾を引いて
その後も私の中で後悔として残り続けます。

「病気だから休息をとる」
は私の中で常に
「病気のせいにしてサボる」
という卑怯な私を作り上げようとします。

「じゃあ休まなければいい」
「頑張ればいい」

そう思っても、身体は悲鳴を上げて、動くことに酷い苦痛を与えるのです。
身体の痛みに、心も軋んで、酷く泣き始めます。
不甲斐ない。
なんと、みじめな事でしょう。

それでもこの悶々とした悩みはすぐに症状が納まるにつれて
だんだんと薄らいでいきます。
進行する恐怖や不安はありますが
ちゃんと病名もわかっているから
心に折り合いが付けれるのです。

「私は○○だから××なんだ」

確かな理屈(独りよがりではなく社会的に認められていること)が
あることはとても安心できますし、自分を納得させやすくなります。

けれども7月のこの時ばかりは
タイミングが悪すぎました。

3か月以上続く精神的不安に、追い打ちをかけるには十分な身体的苦痛と慢性化した精神的苦痛。
私の思考は、尾びれを切られた魚のように、もがきながら、海底へと沈んでいきました。
登ろう、泳ごうとするのに、もがくばかりで、息苦しくて、前が見えなくなってくる。

そんな重い心を引きずったまま、それでも私は切り替えようとしました。
異変があったのはその一週間後のプレゼンの日でした。
私は人前で発表することは特に苦ではないのですが、
その日は、人前で声を発した瞬間からのどが詰まる違和感を覚えたのです。
しゃべればしゃべるほど詰まっていく喉。
スムーズにしゃべれないことへの焦りといら立ち。
気になる他人の反応と目線。
私の発表に他人がイラついているのではないか。

こんなことは初めてでした。
ショックでした。

その週、久しぶりに東京の親戚が帰省してきて
週末は家族ぐるみで遊びました。
美味しいものを食べて、温泉にも行って……
ああこれで切り替えられる。
そう思いました。

次の日は遊び疲れで熟睡していました。
その次の祝日には、友人たちと遊びに行く予定でした。
けれども私はいけませんでした。
その夜、また激しい吐き気と、酷い息苦しさに襲われました。
あまりの吐き気に眠ることが出来ず、
私はなんとしてでもこの吐き気だけでも止めることのできる薬が欲しいと思いました。

この時点で私は、自分が精神的な病気の兆候があるのではないかと薄々感じていました。

次の日の月曜日。
動悸と息苦しさ、そして終わったはずの下腹部痛に襲われながらも
私は仕事の合間に、近所の心療病院に初めて予約の電話をしました。
すぐにでも吐き気止めの薬が欲しかったのですが、
生憎と予約がいっぱいで来週に初診をすることになりました。

精神的な病気じゃないかと感じていても
私のはただの甘えだとわかっていましたから
取り敢えずこの長く続く苦しみを少しでも和らげられるのなら、と
専門家のもとに一度いってみて
「それは甘えだ」
とはっきりしていただいた方がすっぱり切り替えられる。
そう考えていたのです。


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