目覚ましなしの目覚め 

September 02 [Tue], 2008, 8:36
恋っていいものだと思う
眩しい朝日の下では眠れないと思う
あの子を恋愛対象と見なしているから
おかしくなるわけであって
めんどくさくなるわけであって
一人で感じるプレッシャー
自己完結する物語
もしそれが恋に似たものであるならば
何らかの共振が
互いへと向かい合う気持ちが
あってしかるべきである
傷つくことへの恐れが目の前の道を狭くする
前向きな力を奪い取る
可能性を狭める

「一生懸命」ではなく「一所懸命」 

August 15 [Wed], 2007, 9:55
 自分の最大の問題は、いつでもどこでも「心ここにあらず」 なことである。過去を悔やんでいたり、未来のステキな自分を夢見ていたり、違う場所をながめていたり。現場に全力で臨めないのだ。
やはり「一生懸命」ではなく「一所懸命」だ。いま、ここという時間、空間に真剣に向かい合うこと。「一生」が先で、「一所」がその犠牲なのではない。一所一所の積み重なりで、やっとおぼろげに一生らしきものがみえてくる。一生は一所の犠牲によって達成される目的ではなく、懸命に一所を生きた結果なのだ。

ke-t 

August 11 [Sat], 2007, 14:45
企画を出した時点でこうなる予感はある程度あった
自分はどうにかむさんを恨もうとしている。もうちょっと早く注意してくれれば、とか。企画自体に無理があった、とか。著作権くらい自分もわかってる、とか。まあナンニシロ、自分の見通しが甘かった、実力が不足していた、ということは確かだ。

最近感じること、それは、企画の段階、発注の段階で無理があるものは、後からそれを取り返すことは難しいということだ。納得してないものが通ってしまって困った、というのはプロとして言い訳にならない。自分の納得できる、自分のやりたい企画を提案しなければならない。あたりまえのことかもしれないが、「お金をたくさん稼ぎたい」とか「早く一人前になりたい」とか、焦っていると、そのあたりまえを忘れてしまう。

それとアレだ、なんでも一発OKを目指して途中経過を周りの人に見せないのは自分の悪いクセだ。学生の頃にも注意されてたっけな。何も変わってないや。

そもそも、ここ数年で自分は変化したところはあるのか

・いっぱいいっぱい感が多少なくなった?
昔は張り切りすぎて空回りしていたことが多かった気がする。
・視野が広くなった?
目の前の仕事、状況、人間が全てとは思わなくなった。あくまで長期的にはで、相変わらず「その場」では慌ててるけど。

・文章にたいする態度が柔軟になった。
「?」なしで断言できるのはこれくらいかな。最近は文章以外のジャンルにさえも興味がわいてきたというか、変なこだわりがなくなってきたし。これはいいこと。

・すこし遅れてでも再チャレンジできるようになった?

相変わらずこそこそしてますが。

なんだかこういうふうに校庭的なことばかり書いてると、明るい気持ちになってくるから不思議だ。

・最近発覚した「やたらとん?って聞き返すな問題」だが、これがこの歳まで明らかにならなかったのは、自分がこれまで対面的な状況で相手に何か重要なことを聞き返さなければならないような状況に出会ったことがなかったからではないか、と今思いついた。思いついたというか、確信。間違いないよ。名刺の渡し方もしかりだ。

やはり何事も経験してみなければわからない、というのは結論としてはあまりに陳腐だが、「Love」を歌ったジョン・レノンも、「人生お金じゃない」と言った矢沢も、その陳腐な結論にたどり着くのに何十年も費やしたのだ。だから、陳腐な結論=普遍的な事実に気付いたということは、案外いいことなのかもしれない。
・「重要なのは結果ではなく過程だ」っていうのも、チョー同語反復だけど重要ね。実際さ、こうやって文章を書いている過程それ自体が(「自体」って言葉、よく使うな、オレ)頭の中をかきまわすことである種の昂揚感をもたらしてくれるわけで、それによって何らかの真実・真理に気付いたというのはとてもうれしい結果ではあっても、あくまで副産物でしかない。結果と真実だけなら自己啓発書に書いてあるわけだからね。
そこで今また新たに気付いたことというのが「物語の効用」という問題についての新しい見解、というか自分なりに初めて見つけることのできた一本の線?見取り図?うまい言い方が見つからないが、まあそんなもんだよ。だよってなんだ。ともかく、物語というのはこれまで考えてきた文章の問題と同じ(物語も文章なのだからあたりまえだが)であって、結果ではなく過程なのだ。なのだ、とあえて強く断定したい気分だ。なぜ小説を、物語を書くのかというと、書く過程に意味がある、楽しみ、スリルがある、自分が揺さぶられる、成長できる可能性がある、からなのではないか。今自分が書いていることは保坂和志のモロッコな影響下にあるわけだが、自分の思考がそうなってしまってるんだからしょうがない。そもそも誰かの影響から抜け出すためには「拒絶」ではなく、ある種の「気付き」が必要なわけである。っていうか自分はさっきからこの文章を電車の中で、ケータイで打っている(「文章を打つ」という表現は近いうち辞書にも登録される公用語になるだろう)わけで、今、
目の前を急停車にフラフラっとしながらS駅に降りていったショートカットの女の子がかわいかった、後ろから見ると意外と肩幅と身長があったな、高校の同級生のFさんに少し似てたけどFさんより可愛いことも間違いないな、というような感想を書き記そうとしてからとうに時間は10分以上過ぎ、自分は自宅のあるI駅で降りてすでに歩いていて、こんどは前を歩いているコもかわいいかもしれないなどと考えてるうちにそのコは曲がってしまい、もうすぐ自分は家に着いちゃいそう、そんな状況で、こう文字を打っているあいだに絶えず「今」が目の前を通り過ぎていくことを苦々しく思っている、なんてそれっぽい表現を見つけたところで実はもう家にに着いて中途半端にズボンを脱いだところであるこれから仕事の続きをしなければならない今1時キュウフン。

u 

June 07 [Thu], 2007, 16:46
楽しい空間をつくりだすことが一番の抵抗になる。
納得いかないことに対して今、ここで、抵抗することにこそ意味がある。
後の目的の達成のために今我慢するのでは意味がない。
それじゃあ学校や受験と同じだ。
今楽しむための実践あるのみ。

めんせつ 

June 06 [Wed], 2007, 14:47
 今回、採用担当の方をいやな気分にさせてしまったのは、社会保険について無知であった私の責任である。面接時に説明を聞いていたにもかかわらず、「わからないので詳しく説明してください」と言うことをためらい、聞き流してしまった。帰宅後両親から説明を聞いて気が変わりました、というのは、大人の対応ではない。しかし、断るのが面倒だと逃げてしまうのは、もっと大人ではない。
 あたかも入社する気満々のような態度だったので、採用担当の方も、まさか向こうから断られるとは思っていなかっただろう。反省している。

『全面自供!』 

May 06 [Sun], 2007, 23:52
裁判も、面接も、ある人間に「判断を下す」ために行われる。
就職活動中の私は、赤瀬川原平『全面自供!』を読んで、そんなことを考える。
「被告人」は自分の考えていることを、他人にもわかる言葉で、説明しなければならない。身内にしか通用しない言葉や、「自分ではわかっているからそれでいい」という態度は、ここでは役に立たない。
判定を下すのは裁判官、面接官だ。平等の原則が建前として存在していても、考え、決断するのはあくまで人間である。

赤瀬川原平は「正しいことを主張する」とはどういうことなのかを、自身の、千円札裁判の経験を踏まえて、以下のように語っている。

あれにはいろんな面で鍛えられたね(笑)。世間との対応の仕方って言うか。世の中甘くないって言うか。いちばん典型的なのは、言葉の問題ね。言葉の一面を知ったというか。言葉って、普通思ってることをいうことなんだけれども、世間では斜に構えて、反語的にいったりもするでしょう。でも裁判ではそうはいかない。大真面目というか、正面からいわないといけない。芸術という言葉に照れずにちゃんと芸術といわなければいけない。

最初に言ったことを訂正しなければならない。
判定を下されるのは人間そのものではなく、その人の行為や能力だ。そして判定基準となるのは、その人の口から発せられる言葉であったり、裁判中のふるまいであったりする。
引用した文章も「法廷では思っていることを隠すことができる」と続いている。

裁判と面接では「正しいことを主張する」ことが求められる。
正直に語ることが、必要なのではない。
そこで『全面自供!』してはいけない。
嘘つかないと、とてもじゃないけど通れません。

自分の仕事を説明すること 

May 06 [Sun], 2007, 23:51
 「本好きだったっけ」「どんな本が好きなの」
 就職活動で、出版社しか受けていない私はよく友達にそう聞かれるが、毎回答えに困る。保坂和志とか中原昌也が好き、内田樹に最近はまっている、そういう話をしたいのだが、どうせ言ってもわからないだろうとあきらめてしまい、抽象的なことばかり話してしまう。

 自分について、人に話してみないことには、自分の価値はわからない。自分の価値は、自分が決めるものではなく他人が評価をすることによって初めて発生するものだ。自分一人で楽しむこと、いわゆる自己満足はいくらでもできるが、そこから仕事は生まれることはない。「仕事の意味なんて考えるな」「社会人になるんだからは割り切って考えろ」と言う大人もいる。でも私はやっぱり、仕事に何らかの希望を見出したい。成長の過程で、挫折を通してなにかを学んでいきたい。

 「私は自分の研究しているドイツ文学がどういうものなのか、どこが面白いのか、どのような点で社会に貢献できるのか、勉強なんかほとんどしたことのないおじいさんに聞かれても答えられるようにいつでも準備をしている」
 大学院で社会学を勉強する理由をうまく説明できないでいる私に、ある先生が怒り気味にそう言っていたのを思い出した。先生は研究者たる決意について話をしていたのだろうが、それはどんな仕事についてもあてはまることだと今気づいた。

手近な人間で済ませる 

March 04 [Sun], 2007, 2:19
手近な人間で済ませる人たち
二番煎じであることに気づかないふりをして
自分の現実を肯定する人たち
彼らを私は嫌悪してきた
自分が今まさに
同じことをしようとしているのにも気づかずに

『東京タワー』をいまさら読む 

February 12 [Mon], 2007, 20:37
自分のことばかり大事にする人間はやっぱりカッコ悪い
守るべきものが自分の中にではなく外にある
そんな人間になりたいと思う

解脱 

April 17 [Mon], 2006, 21:23
久しぶりに落ち着いた気分だった。俗に言う「哲学をしているときだけは落ち着いた気分になれます」という体験だったと、さっきまでは思っていたが、『異邦人』を読んでいたことが、直接の原因だったのかもしれない。いつもこんな状態でいられたら、仕事も、人付き合いも、うまくいくに違いない。この気持ちがずっと続けばいいのに。そう思ったが、家についてみるといつもの自分に戻っていた。
明日からまた仕事が始まる。平静を保っていられるかどうか。期待よりも不安の方がすでに大きくなっている。
2008年09月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
アイコン画像堀江です
» 解脱 (2006年05月03日)
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:letranger
読者になる
Yapme!一覧
読者になる