昔の三和町「陸上の交通」  三和町郷土誌から 

February 27 [Wed], 2008, 17:39
                 昔の三和町「陸上の交通」  三和町郷土誌から

 三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊455〜459頁の記述は次のとおり。

第一章 交通・運輸  第一節 交  通
二 陸上の交通
 大正七年(1918)の『蚊焼村郷土誌』に「本村ハ各種ノ産業、盛ナラズ、殊二、山岳多キ故、陸上ノ交通便ナラズ・・。国県道ノ通ズルナク、里道モ一般ニ不完全ナリ」とあり、
 『為石村郷土誌』には「道路ノ主要ナルモノハ、(1)蚊焼道、(2)長崎街道(布巻、平山ノ旧道ヲ通ジテ県道ニ接続)、(3)深堀道、(4)川原―野母脇岬街道、(五)茂木街道トス、何レモ原始時代ニ属シ、茂木街道甚ダシ。村内亦頗ル、不完全ナリ。従ツテ貨客ノ通運不便ヲ極メ貨物ハ牛背ニアラズンバ人頭ニ依ル。」とある。また『川原村郷土誌』には、「本村ハ野母半島ノ裏辺隅ニアリ道路険悪ニシテ車馬通ゼズ、且ツ船舶ノ碇泊スルニ不便ナルヲ以テ、発達セズ。里道ハ為石、高浜、脇岬トノ三方ニ通ズレドモ人馬ノ交通ハ為石方面ノミニシテ他ハ稀ナリ。」と記されており、三村共、長崎への新道開通を念願していたようである。大正三年四月には、大川橋(工費百九拾円)を、完成させ、また大正六年五月までに蚊焼道に三つの橋(工費約百七拾円)を架橋している。何れも、大部分は寄附金を仰いで築造されている。これらはまさしくそれの現れであろう。古人は、皆、自らの手で、この不便さを解消するために努力されたのである。
 昔の街道を『橘湾の漁労習俗』(五八・三)には次のように書いている。
(一)川 原 道
 年崎のホリ首の丘を通り、川原本郷にでる。えべす坂を越え、モウタレ川(宮崎川)三間ま(?)申の石橋を渡り、宮崎に入る約三・五キロの道をいう。
(ニ)蚊 焼 道
 岩崎から三和中学校前の川渕を通り、とんどんの坂を越え、布巻と蚊焼の分かれ道(兵隊の分かれ道という)を通り、ここに祠がある。栄上のま下で大川を渡り(渡し石がある)、中央公民館の下の道を通り、相撲墓の坂を下り、蚊焼の町に入る約四キロの道。
 大正の初年、大久保さんのシビ網にかかった一〇〇斤(六〇瓩)のカジキを二人で組んで、女たちが頭上で運搬した。為石の浜から、蚊焼の船着き場まではこび、朝四時から五時ごろの船に積みこんで長崎に送った。日傭賃は一人五〇銭だった。大工が一・二円の日当の時代のことである。
 この道は、日用品を牛にウセて為石に運ぶ道で、大切な生活路線であった。
(三)布 巻 道
 兵隊の分かれ道から右手の山道に入る。ここから布巻を経て長崎まで約四里(一六キロ)の道程であった。日がえりが出来た。大正の初め野母商船がかようようになるまで、長崎へ行く主要な道であった。
 兵隊の分かれ道というのは、この辺まで入営兵を見送っていたところであろう。
(四)藤田尾(とうだお)道
 六軒から浜川を渡り、郷方の山の中の山道を越えていく。
(五)干々(ちぢ)道
 六軒を通り、干々木場の上に出て干々に下る山道と、布巻から寺岳の麓、二軒家の境を越え、づづやの滝に出て、その辺から干々に下る道とふたつあった。
(六)深 堀 道
 蚊焼から大籠に出て深堀に下る道をとおれば約一里(四キロ)。布巻、平山、竿浦をとおり、深堀に出る道は約一里半(六キロ)といっていた。
 全住民の念願叶って、長崎への県道(現在の主要地方道、長崎野母港線)が完成したのは昭和七年(1932)である。昭和九年、戸町―為石間にバスの運行が始まった。初めのころは戸町発着で、その先は電鉄の汽船を利用していたが、このバスも、まもなく長崎まで行くようになった。
 バスの便数が増え、トラック輸送が盛んに成り、三つの村は急変し、その文化、社会の発展に絶大なる影響を与えた。こうして、長崎半島の幹線道路が開通し、終戦後の復興と、相俟って、昭和二十六年ごろより貨物トラック、三輪車が、町内にも導入され、荷車、リヤカー、牛馬車などが急激に増え始めるにつれて、道路の利便性、必要性を痛感した住民は、道作りに専念するようになっていった。(略)

※なお、本郷土誌巻末1340頁「郷土誌発刊に当たって」の中に、次の記述があり書き留める。
「長崎半島の尾根沿いに蚊焼から川原へと旧街道(殿さん道)を歩くと、ビックーさんのお墓やみさき道の道標をみることができますが、かって脇岬の観音詣での人々や、検地等で行き来した代官等の様子がしのばれます。」

(注) 明治・大正・昭和前期までの三和町の海上、陸上の交通状況がよくわかる。惜しまれるのは、江戸期の「みさき道」の記述がないことである。そういった記録はないのだろうか。
『川原村郷土誌』にある「高浜」「脇岬」へ通じる道も、推定するだけである。

 なお、ここでふれている引用資料「橘湾の漁労習俗」の本は、香焼地区公民館にあった。借り出しがなくすでにお蔵入りしていて、3階の倉庫から探してもらうのに手をわずらわせた。
 これは昭和58年3月長崎県教育委員会発行の「長崎県文化財調査報告書第63集」である。文化庁の指導と補助を受け、長崎県における内湾水域の一つである橘湾沿岸の漁村に残存する漁労習俗に関して、記録・保存を図るため調査は実施された。海女(海士)・大村湾につぐ第3回目であった。
 諸条件を考慮し、県内4地点が調査対象地域となり、池下など他の3地点とともに「為石・川原・宮崎」地域が選ばれた。第1章民俗環境の「交通」の項で道路が出てくる。地元の故老を話者とし集め、聞きとり調査を中心に、観察と文書調査等をあわせて行った。「為石・川原・宮崎」地域の調査結果は、三和町郷土誌458頁「陸上の交通」にあるとおり、それ以上の道の記述はなかった。

F-GIUB 

February 16 [Sat], 2008, 9:13
070922/F-GIUB/NGO

キャッシングを目的にあわせて探す 

February 10 [Sun], 2008, 3:43
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【歯が抜けたよ〜♪】 

January 31 [Thu], 2008, 2:10
ちびスケが真剣な顔で寄ってきて

『お母さん!この歯抜いて!』

『どれどれ〜』と見ると 内側に永久歯がかなり顔を出していて邪魔そうです。

触ってみたけど・・・まだあんまり動いてない・・・

『すぐは抜けそうにないで・・・』と言うと

『じゃあ 明日歯医者さんで抜いてもらう!!!』と凄い気合。。。

いつも行ってる歯医者はそんなに急に予約とれんよ〜(;^_^A アセアセ・・・

なので『暇な時はいつも動かして ねじったりしてみ〜(´∀`) そのうちのくから〜』

『うん!わかった!』





頷いたちびスケは鏡を見ながら 歯をいじるいじる〜。。。





その後わずか15分・・・











『お母さん!抜けたでぇ〜♪』






               ΣΣ(゚д゚lll)マジ!?







手には可愛い乳歯が転がっておりました・・・

スーパーマリオギャラクシー☆ 

January 18 [Fri], 2008, 16:01
今日発売のスーパーマリオギャラクシーしました!!

私みたいなゲーム初心者でもかなり面白いっ!
宇宙なかんじがとってもいいし(特にスターリングで星と星の間をマリオが飛んでいくときが気持ちいい♪)、
キャラクターやっぱりかわいいし(ロゼッタ姫とバトラー、ちょっと銀河鉄道999みたいじゃない?)、
私が本当にゲーム初心者なので少々目が回りかかるけど操作もたぶんそんなに難しくない(今のところ)!

今は1つめのギャラクシーの3つのシナリオが終わったところ。
なんかまだまだすんごくいっぱい楽しめそう♪

新茅の沢遡行 

January 10 [Thu], 2008, 2:00
新茅の沢遡行報告
平成17年5月30日(月)
メンバー  katsu・S・Y・I
行程    新茅山荘前 7:50〜烏尾山荘12:20〜新茅山荘前13:20
 
朝からあいにくの雨だが、とりあえず現地まで行こうということで、出発する。駐車場でもシトシト雨は降っているが、大降りではないために、雨具を着込み、出発することにする。
出発し、しばらく林道を歩くと新茅橋の手前から一旦、モミソ岩方面に下り、橋の下をくぐる。今日は、地下足袋にわらじでチャレンジする。わらじなんて何年ぶりに履くだろう。装着後、出発。すぐに3メートルの滝があるが、軽くクリア。F2−7メートルは、念のためにザイルを出し、直登する。トップで登るのは、緊張感もあるがとっても楽しい。F3 5メートル F4 4メートルはノーザイルでクリア。F5 12メートルの大滝は、少し手ごわそうであったが、丹念にルートを探すと水流の右側にシュリンゲが三本ほど見える。下からルートを見てイメージトレーニングをして取り付く。取り付いてみればホールド・スタンスはしっかりしており、下から見えなかったところにもボルトが打ち込んである。12メートルは高度感もあり楽しく登れた。F6〜F9と石積みの堰堤と続くが、特に厳しいところはない。F10の標識はあるが、滝らしきものはない。崩壊してしまったのか?しばらくゴーロ歩きをして5メートルのナメや小滝をクリアすると二股に分かれていてどちらもルンゼになっている。左へ向かうと3段の滝状になっている。ガレ場をつめていくと左の崩壊地より音もなく落石がある。小さめの石が数個。雨で地盤が緩んだためだろうか?幸い誰にもあたらず。チョックストン涸滝の次に見える大岩の隙間を登るような形でクリア。最初は体を曲げてという話だったが、ザックが大きいので身動きできなくなると困るので、チムニー登りで両足を突っ張り、岩の間に入らないようにする。しばらくルンゼ状の場所が続きすぎると最後の詰めのがれ場で足元は悪い。4人パーティーのためなるべく足場のよいルートを探しながら登る。土留めが見えて何本か過ぎると目の前に烏尾山荘が見える。ウイークデイでなおかつ雨降りのため誰もいない。12:20到着。登攀用具をザックに詰め。下山を開始する。標識には新茅山荘までのこの下りは、崩壊していると注意書きがしてある。急な下りと雨のためよく滑る。13:20駐車場に無事到着する。
あいにくの雨降りで眺望は楽しめなかったが、楽しい沢の遡行が出来た。

洋食器の「インドの華」って何の華? 

December 29 [Sat], 2007, 7:43
      '''あのインドの華はインドの花ではなかったのです!'''




ロココ時代に現れた食器様式のブームについて考えてみました。



1660年頃になるとマイセンでの硬質磁器の成功を皮切りに、ヨーロッパ各国で
磁器が焼かれるようになっていきます。



1700年代になると、東インド会社が世界中から多くの物を輸入するようになっ
ていきます。そして、中国の物も沢山入るようになり、お茶と同時に中国磁器への
関心が強まっていきます。



ロココの典型と言われる「シノワズリー」が作られた磁器に現れるのも当然ですよね。



シノワズリーとはフランス語で「中国風」という意味ですが、これには「日本風」も
含まれているのだそうです。



日本の柿右衛門の赤や伊万里の金彩なども真似たティーカップなどがロイヤルウース
ターなどに数多く残されていますが、それらも含めてシノワズリーと呼ぶそうです。
シノワズリーの陶磁器のコピーがロココ様式の始まりだそうです。



当時のトレンドに日本や中国の「松」や「菊」を写した絵付けがあります。
それを「インドの華」と呼んでいます。




          マイセン「インドの華」         マイセン「インドの華(グリーン)」 






    ヘレンド「インドの華」 



マイセン、ヘレンド、アウガルテン・・・などに同じタイトルの「インドの華」という
シリーズが残っていますが、何故松や菊がインドなの?
それはヨーロッパに持ち込んだのが「東インド会社」だったからなんだそうです。
東インド会社が入れた花柄 → インドの華 となったそうです。



遠〜い遠〜い極東の中国や日本の区別は難しかったのでしょうね。

講習会作品クロスキャップ 

December 20 [Thu], 2007, 0:43
昨日、講習会作品です。
2玉で編める中長編3目の変わり玉編
ふんわり帽子です。テキストより小さめに編んでいます。
ダイヤドミナ  331

つーチャソ 

December 01 [Sat], 2007, 12:06
わーごめんなさいーorz
暇つぶしに描いていたものなんですぁーorz(

平成維新 

November 27 [Tue], 2007, 7:17
連日、亀田大毅と父史郎氏を取り巻く問題が加熱している。
17日の夕方、坊主頭で報道陣の前に現れた大毅と史郎氏、金平会長が一連の反則に関して謝罪を表明した。



しょーみ、俺は亀田一家は好きじゃない。
礼儀を親からうるさく教育された俺にとって、亀田一家の過激すぎるパフォーマンスやタメ口は聞いててイライラする。



でも、何よりも批判されるべきなのは煽っているメディア、特にTBSだと思う。
大阪にいた頃の長兄・興毅は礼儀正しく、地元西成の人は「東京行って変わったんやろ」と口を揃える。
さらに信憑性の高い情報がある。
2006年8月2日の読売新聞に、「個別の取材ではとても丁寧な言葉づかいで好感が持てた。もうこんなキャラを演じるのは止めたらどうか」という内容の記事が掲載されている。
あんな馬鹿なオヤジとはいえ、去年世界戦に勝利して、涙を流しながらチャンピオンベルトを父親に渡した興毅の、親に対する尊敬の念というのは現代の子供にしては至極珍しい。
本当に素直な子なんだなと思う。



俺の予想する構図はこう。
〓TBSは数年前から亀田一家を「金の成る木」と認識し、取材を始める。
〓亀田一家を大々的に報道する見返りに(宣伝波及効果の見返りに)、亀田一家には過激なパフォーマンスをするよう促す。金銭関係がある可能性も。
〓TBSは亀田人気が持続するよう、亀田が勝つように審判及び大会関係者を買収。もしくは、TBSというブランドを汚さないためにTBSに雇われた他の組織が買収する可能性も。



この線が強いかなと考えていたけど、2006年8月25日のフライデーで、亀田史郎氏が暴力団と会食している姿が掲載されている。
先週飲みに行った店のバーテンさん曰く、元山口組系の暴力団だったという噂もあるらしい。



…こういった闇の裏社会を考えると、色んな憶測が飛び交ってしまうけど、こうなるとかわいそうなのは何より3兄弟。
ボクシングというスポーツを隠れ蓑にして誰かが甘い汁を吸っている。



「亀田大毅は世界戦というステージを冒涜した」なんてJBCの会長は発言しているけど、誰よりも冒涜しているのは汚い大人たちなんじゃないのか。
もちろん内藤選手に対して何度も反則行為をした大毅も、ホンマに「ブサイクな試合」をしたと思うけどね。
とにかく、内藤選手のメディアへの誠実な対応以外、全てがお粗末だった一連の亀田問題。



亀田大毅が世界戦に上がる資質がなかったなら、TBSはそれを報道する資質もない。



というわけでこんな映像があります。
下ネタ無理な人は見たあきませんよ。
P R
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