(無題) 

2006年12月26日(火) 17時13分
殺してしまいそうだ(笑)

くくく

顔がつぶれるまで殴って殺すか

目をえぐって痛がっているのを放置するか

くくく

小便垂れ流すからゴミ袋に入れるか

(笑)

(無題) 

2006年12月25日(月) 20時52分
今日、すっげぇさみしかった。なんで俺にはこんな事が起こるんだろうか。


忘年会をした。

幹事がすごく盛り上げてくれて、楽しい飲み会になった。
ドッカンドッカン笑いが起こったし、俺のボケで場が沸いた事もあった。

その中で、色紙に絵を描くというコーナーがあった。

20数名くらいの中から5人位ずつが呼ばれて、絵を描く。
テーマは「のび太」だとか「バカボンのパパ」だとか有名なキャラクターが指定される。

5人ずつが選ばれて、描いて前で発表される。そして誰が一番下手かが選出される。たいてい似てないので爆笑が起こる。全員参加型の上手くて楽しい企画だ。

そう、全員描くのか、と途中で気付いた。
自分は描きたくない。
でも必ず回って来るんだろうな。
仕方ない、ちょっと崩して描いてやるか。

最後の組になった。
最後に残った数名の中に俺は入っていた。

最後に描く組の人が全員呼ばれた。

その中に自分の名前はなかった。

え、何で?

「これでみんな呼ばれたよね」と幹事が言う。

呼ばれてない。俺が呼ばれてない!

みんな全員ゆきわたったな、という空気だった。

何で!?何でみんな俺に気付いてくれないの?何で?

俺には「描いてない」と言い出す勇気がなかった。
恥ずかしい、そう思った。

みんなに忘れられた!
そんな自分が恥ずかしい。
死んでしまいたい。
なんでこんなところに来てしまったんだろう!
なんで自分だけ忘れられるんだろう!
なんでそんなに存在感がないんだろう!






この時程、普段存在を示していない自分のパフォーマンスを呪った事はない。

実は、仲のいいヤツが、俺の名前を書いて提出していたのだ。それで、俺はもう書き終えたという認識になっていたのかもしれない。

しかし、幹事はどういう順番で指名するか決めていたはずだ。



結局、俺は、やはり、

変わる事のない

厳然たる事実として

忘れられてしまったのだ。


(無題) 

2006年12月23日(土) 8時43分
彼女が少し冷たい。
イブ前だというのに。
今の関係の中で、俺にできる事は何か〓

彼女の気持ちを考える事。
俺の行動で「何がもっと改善できたか」を考えること。
試しにカラ自信を持ってみてオープンに彼女と接してみる事。
やることを整理して上から順にこなすこと。(年賀状、年末年始の予定調整)

彼女をこのクリスマス、めっちゃ楽しんでもらいたいと思ってます。お互いが目一杯楽しめていい思い出になるような、そんな一夜を演出したいな〜と。
一緒にクリスマスデコレーションを買いに行っても面白いかな?

夜景の見えるレストランでもいいけど、色々買い揃えて家でパーティーがいいな。

何か素敵な言葉を彼女にあげたい。

喜んでもらいたい。
俺といるのが超楽しいとか、嬉しいと思って欲しい。
色んな楽しいコンテンツ見つけて共有して、居心地いい空間を作りたい。

それには友達も大事だね。
俺が心を閉ざしてると、鏡の法則。相手も閉ざしちゃう。「この人、おもろい人だから接しづらい」と思ったら向こうも心を閉ざしてしまう。
本当はみんなと仲良くしたいんだ。切実に心がそう求めてる。
「嫌い」な事より「好き」な事の事をより多く考えよう!

そしたら、いつの間にかいい仲間が出来てるよ。
彼女ともいい関係ができてるよ。

(無題) 

2006年12月12日(火) 8時26分
最近更新サボってるぽ
ヤバめだぽ

あ、二宮沙希が落ちた☆
みよみよ♪

(無題) 

2006年12月02日(土) 22時19分
最近新橋のサラリーマンとまみれる日々…である。
しかし、世の中の働くヒトのうちバイト・パート除くとその8割がサラリーマンというこのご時世のなか、「サラリーマン」という言葉の響きの情けなさといったら、何なんだろう。

もっとマシなニュアンスの呼び名はないもんだろうか。
「サラリー」という言葉自体がまず昭和を感じさせる死語である。
とにかくこの「サラリー」の部分をどうにかしなくちゃいけない。


例えば「暴走族」という言葉がある。悪い、うるさい、迷惑といった「強い」イメージだ。
こいつらを別の、もっと情けない名前にしてみてはどーか、という事で、ある有名芸能人が提案したのが「珍走団」である。

珍送団!
なんとコミカルな響きだろうか。
軽い。…あまりにも軽い。

「俺たちのやってる事って珍送って言うらしいぜ」
「えっ!やだよそんなダセェのやめようぜ」
となる光景が目に映る。


それ程、のインパクトが言葉にはある。
時にその行為自体のイメージを大きく左右してしまう。
周りの人間からもそうだし、当事者においても。

「サラリーマン」というのは言わば「珍走団」だ。
目先の金のために馬車馬のように働く哀れな集団。
弄働者と言ってもいいかもしれない。

全てのサラリーマンが哀れだと言っているわけではない。そのニュアンスなのだ。
言葉を、進化させたい!

「俺たち、すげー誇れる事やってんだな」
「やる気出てくるよな」

そういう名前付けが欲しいのだ。

「ビジネスマン」でもいい。「働きマン」でもいい。「シャカリキマン」とか「ガンバルマン」「週5振り返らないマン」はどうだろうか。
「個人事業主」でも、一個人を「オーナー」「代表取締役」と考えてもいい。

何か、何か自分の中で
「これだ」と思えるものを見つけたい。

全ての仕事人が、人のため・社会のためになる熱い「暴走」を、心に秘めて仕事をするべきだと思う。

アクション 

2006年10月29日(日) 22時33分
自らアクションを起こしたり、よいリアクションを取らないと全てが台なしになる。

「この人は興味ないのかな」と思われるのが一番ヤバイ。

人間には自分の好きな事をして、回りを巻き込んでいくタイプと巻き込まれるタイプの人間がいる。

どちらが成功者なのかはここでは議論しない。

何をやるにしても重要なのは、笑顔である。人の注目を集める人を観察してれば気付くはずだ。満面の笑みが、とても魅力的なのだ。
まずそこでビジュアル的にとても印章がいい。
人に好かれるためにはまずいい笑顔をふんだんに振り撒く事だ。

次に、人と、話される話に興味を持つ事だ。話したがっている人の話をきっちり聞く。相手の興味はどこにあるかを探りながら聞く。話している人の目を見る。
興味がない人の目は分かりやすい。と同時に興味がある人の仕草も分かりやすい。

それだけではない。話の中のキーワードを使って面白い発想を発表していく必要がある。
笑いへの挑戦である。

なお、ここでは触れないが、「議題に対する思考」もとても重要である。
しかし、それは印章を良くする働き掛けそのものとは関係がなく、超ネガティブな言い方で言ったとしてもその本質とは関係なかったりするので、脇に置いておく。
この件に関してはまた別の日に論じたい。

さて先程3つの要素を述べた。これらは実に密接に関係しているのが分かるだろうか。

そこに存在すべきものが「楽しい雰囲気」もしくは「空気」と呼ぶべきものだからだ。

笑顔は笑いや楽しい出来事から発生し、人の興味を引き付ける対象の最たるものである。

これらどれか一つだけ存在していても、何か奇妙な印章を抱かせる。

「笑顔」
「興味あるしぐさ」
「笑いへの挑戦」
を仕掛けていくスタンスで成長していきたいと思う。

もきゅっ☆

逃げないという戦い 

2006年10月25日(水) 8時37分
俺には「逃げグセ」がある。

人と向き合えない。
むしろ、人に背中を向けてしまう。

今まさに仲良くなりそうなその人に、背中を向けて、仲良くなる事に対してのNGを出してしまう。

それは、思えば社交として基本的な事ができていないのかもしれない。

会ったら挨拶をする
別れる時はさよなら
話しをする時は相手に体を向けて
そして相手の顔を見て
好きな人には話しに行く
電話番号を聞く
好きな人との時間を多く作る
嫌いな人には話しに行かない
嫌いな人との時間は少なくする
楽しい事に人を誘う
行った先で友達を作る

そんな基本な事が、うまくできるか不安で…むしろトライしてみた後に、盛り上がらなくて変な空気を作ってしまいそうで、怖くてできないのだ。

言う前から最悪の想像をしてしまい、きっとよい方向には転がらないとあきらめてしまい、行動しない。楽しい事への第一歩を踏み出すことを、躊躇してしまうのだ。

自分は、「最悪」というのが口グセになっている。口に出して言うよりも、心の中で言う事の方が多い。
これを自分自身の評価として言ってしまう。
俺は、自分の行動がスマートではなくて、それがあまりにも恥ずかしく、すぐ穴に入りたくなってしまい、そういったときにこの言葉で自分自身を叱責してしまう。

俺、最悪だ、と。


いい事を常に考えてればいい人生になるし、悪い事ばっか考えてれば悪い人生になる。それは分かっている。

だからさすがにこれはやめようと思って、思わず言ってしまった時は「最高だ」という言葉で打ち消すようにしている

俺、最高だ。
ミスしても、ほかにもいいとこあるし、友達も親友もいるじゃないか。

という風に。


ようはこのネガティブな考え方が俺の足かせになっている。しかし、この性格になった原因というのは俺の怠慢やら「逃げ」の姿勢も起因しており、どちらが先とも言い難い。

卵が先か、鶏が先か、である。


さて、この件に関する対処方法だが、良い事をイメージしていこうと思う。過去に、同じような行動を試してうまくいった例を思い出す(←これがあまりないから苦労してるんだがf^_^;)。

もちろん今この時に何を面白い事を言うか、は頭フル回転で考える。

実際、人と関わる事、談笑する事はとても楽しい。

ここまで書いた今この瞬間に気付いた。自分は人が好きなんだと思う。でも人と関わる能力に乏しいから逃げてしまうのだ。

姿勢を見直し、それと同時に能力(ネタ、考え方、話の運び方)も向上していきたいと思う。

(無題) 

2006年10月24日(火) 8時28分
言葉は難しい。力のある、思い切った言葉というものはなかなか使うのが難しい。「言うだけならなんとでも言える」と、思う人もいるだろう。しかし考えてみて欲しい。自分で生み出したのではなくどこかから持ってきた借り物の言葉で、人を説得できるだろうか。人間は自分の考えとあまりに違う事を力ある言葉で人に語る事はできないのだ。

まず聞いている人に気付かれてしまう。この人はいつもこんなことは言わない人だ、何があったのか怪しいな、壷でも売りだしたな、とむしろ裏目に出てしまう。

人間は常に考えている事しかアウトプットできないようにできているようだ。

面白い事を言おうと思うと、常に面白いネタに敏感になり、何か物事の組み合わせで面白くならないか考え、面白い人に近づくようにし、そしてこれが重要なことだが面白い事を言って人を笑わせる経験を積む事に努力するべきなのである。

つまり、常に面白い事に焦点を当てて、考えを集中する時間を多く充てる。

重要なのはまず注意してインプットする事と、なぜ面白いか分析する事である。

まず面白い台詞や掛け声、間といったものがある。
はじめは真似である。そして、なにより上達するコツは何度も繰り返す事、経験する事である。

そのネタを使ってコミュニケーションを取る事が、どんな分野であってもとても重要なファクターになっている。

この世の中の楽しい事のほぼ全てが、全て他人との良好なコミュニケーションの上に成り立っている。

だから、人を好きで好きでたまらない人や、人を楽しませる事が大好きな人、プレゼントする事が好きな人は、とても人に好かれる。

つまり、人に好かれようと思えばそういった方向性の感情を持つようにし、行動とをとれば良い。

しかしあなたが例えば人を嫌っていたり、自分の会話は面白いはずがないと自己嫌悪に陥っていたりすれば、何もうまくいかないだろう。人生は自分が楽しむためのもの、まず自分が生きるという事に面白みを感じるように、自分が楽しいと感じる事に力を注ぐ事。
この中に他人とのコミュニケーションが入っているとなお良い。

その次に、必ず他人のためになる事をするべきだ。しかし安心して欲しい。人に何かをしてあげると、自分に返ってきてくれるから。

情けは人のためならず。あなたのためでもある。


俺も自己嫌悪癖があり、人から逃げてしまう傾向がある。好きな人にこそ、「俺の大好きなあの人に、俺が釣り合うんだろうか」と不安になってしまう。

何の事はない、向こうは全くそんな事は考えていないだろう。

むしろ向こうも同じような悩みがあるのかもしれないじゃないか。

だから、実際どんどん発想を豊かにして、色んな人に自分の考えている事をアピールするべきなのだ。

(無題) 

2006年10月21日(土) 8時09分
俺は、言葉で何かを伝えるというのがすごく苦手だ。だから、いつも場を白けさせてしまう傾向にある。

しかし、俺にも得意な段階がある。出会ったばかりの、これから仲良くなろうとする段階の人間関係がそうだ。

出会ったばかりの人間同士はある程度よそよそしい。距離を計りかねている。そんな時の会話は、弾け過ぎる事なく、盛り上がっても一定距離から踏み込む事があまりない。相手がそこまで「冒険しても受け入れてくれるノリ」を持った人かが、分からない。

俺はそんな距離感の人間関係では、そこそこ信頼を勝ち取る事ができる。しかし、そこから人の気持ちの中に踏み込んでもっと仲良くなるのがとても下手なのだ。どうすればいいか分からない。ハメを外すのが恥ずかしいと思ってしまう自分がいるし、俺の頭はなぜか「友達と気持ちを同調させる」という方向に働かない。頭の回転が遅いとしか思えない程に、会話の切り返しに苦慮してしまう。

なので、俺はだんだん、無理をせず人に多くを求めないようになってしまった。俺は薄い人間関係の中でしか生きられないのかと思ってしまう自分がいる。

それは俺がそう目指したのではなく、これまでに生きてきた中から悟った仕方なしの結論である。

俺は、もっとみんなと仲良くなれれば…と切望している。本当にさみしい時がある。誰かと楽しく冗談を交わしながら喋って、友情だけを育む素敵な時間を持ちたいと思うのだ。どうしてもそうできない自分が切なくて、やりきれない。泣きそうになって来るのである。


さて、自分は物事には何事にも原因があると考えている。例えば大学に受かったのは一定レベル以上の勉強をして、必要な知識を身につけ、テストでその実力を発揮できたからであり、ただ合格という事実が何の影響も受けずそこにただポッと出現した訳ではない。

必ず理由や原因がある。


さて、俺がそんなやるせない思いをしなくちゃならないのはなぜなのか?それを解明したいと俺は思う。そうする事で、俺は「改善方法」を見つけたいのだ。多分何らか根強い諸悪の根源があるだろう、そのリハビリをしたいのだ。

回りの素晴らしい人間性を持った人達を見て、俺はその人間を殺し心の臓を喰らえばその人間性が継承されるのであればーーむしろ「取って替われるのであれば」そうしたいと渇望する事がある。

何が悪い事か。

人間の真の目的は自己実現。自分が人生を楽しめない性格をしているなら楽しめるようチェンジするためにあらゆる努力をするべきなのである。

だが、俺がそんなありえない提案を言うのも、人間がその性格を根本的に変える夢のような方法などないという厳然たる事実があるからだ。

それは生れつきの性格と、育った環境によって幼少の頃に形成され完成してしまう。

まさに三つ子の魂百まで、である。

さて、そのような固すぎる事業に俺は挑むのだ。生半可ではないだろう。捨てるものも多くあるだろう。一番捨てねばならないものは「自分のスタンス」だろう。しかも、嫌々捨てるのではなく「喜んで」捨てる必要がある。

かなり痛みと、怠惰な自分自身からの抵抗に合うだろう。もしかするととても大切な人や友達を失う事もあるかもしれない。しかし忘れないで欲しい。これは、大切なその人のために行っている事業でもあるのだ。俺は俺がとても大事だ。特に、今の段階の俺には、俺より大事と思える人はいない。

しかし、大切なその人、また俺の大切な友達の事を切って捨てるなんて選択肢はどこにもない。むしろ、この難しい事業に成功した俺が最も重視する事はその大切な人と、その人間関係を守る事なのだ。

今からそのための心の崩壊と積み重ねを行おうとしている。

頂上に登れたと、そう実感する瞬間は今生には来ないだろう。

だが、自分で納得のいくレベルの人間になるために、私は生きたい。


てすと2 

2006年10月20日(金) 1時57分
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