草薙厚子の調書引用は「公権力の監視」とは無関係
2007年10月17日(水) 21時00分
草薙厚子の著書「僕はパパを殺すことに決めた」で少年の供述調書がそのまま引用されていますが、著者に調書を見せたとして、少年事件で鑑定を担当した精神科医が逮捕された件について、メディアは、いっせいに「表現の自由の萎縮だ」と論じています。しかし、事案の検討もせずにワンパターンに論証ブロックを吐き出す司法試験受験生みたいな論調が多いように思います。その典型が毎日新聞の社説です。
すでに、内部告発(公益通報)と無関係であることを阪口徳雄弁護士が喝破されています。私が気になったのは、「ジャーナリズムの大きな役割は権力の監視であり、社会や組織の不正や不条理を正すことにある」から、ジャーナリストへの公権力の介入は避けるべきであると主張しているのに、肝心の草薙の著書によって、何の不正が暴かれたのか、どのような権力監視に役立ったのかがまったく論じられていない点です。
草薙は、自身のブログで、同書の執筆の動機を次のように語っています。
さて、1年前に起こったこの奈良の高校1年生の放火も親殺しでした。少年事件の真相は全く表に出てこないため、間違った情報が広がったりするため、遺族が非常に傷つき、事件の時より、さらに悪い状況に陥りがちです。思春期の子どもを持つ親は、人ごとではなく、「自分の子どもは大丈夫か?」と、不安に駆られる毎日をすごしてしまいます。しかし、真実を明らかにすることにより、情報を共有でき、追い詰められる子どもの気持ちをある程度理解することが出来でしょう。それにより、事件や事故のシグナルを大人が察知でき、防止することができると思っています。
そのような想いで書いた真実の本です。真実を伝えるため、少年の肉声も入れ込みました。新たな普通の子による少年事件を防ぐため、多くの保護者に読んで欲しい一冊です。
要するに、「あんな事件あったけど、うちの子は大丈夫だろうか?」と考えている親御さんの気持ちに応えて書いたということです。こうした興味本位に応えるために、生の情報をむき出しで伝える必要があるのでしょうか(調書の引用なんて方法も安直でどうかと思いますが。)。更生に向かおうとしている親子の絆をずたずたにしてまで、応えなければならないことなのでしょうか。「事件の真相が表に出ないため…遺族が非常に傷つき」と言いますが、本件では父親もまた妻や子を殺された遺族であることに気づかないのでしょうか。調書を丸写ししたのも、結局はセンセーショナリズム優先で、売らんかなとい考えに基づいてのことではないのでしょうか。何が権力監視で、何がジャーナリズムの役割だというのでしょうか。
もちろん、真に「公権力の監視」のためになされたのであれば、許される場合もあるでしょう。しかし、ペンの先を市民に向け、弱い者いじめをしているようでは正当化される余地はないでしょう。個々の少年の更生を害しておいて、少年事件の再発防止を叫ぶなどナンセンスのきわみです。
いい加減に、人間関係とか犯行の手口とかを詳細に垂れ流す犯罪報道はやめるべきでしょう。社会に還元すべき情報なのかどうかをしっかりと検証してから、何を報じるかを選択すべきです。「社会の公器」の看板が泣いています。
まあ、そうは言っても、草薙がジャーナリストを名乗る以上、メディア全体としては、ジャーナリズムへの権力の介入については抗議せざるを得ないでしょうね。ちょうど、西村眞悟が弁護士であったために、非弁報酬の山分けを口実にしてマネロン(組織的犯罪対策処罰法違反)での処罰をしようとしたのを弁護士への介入だと批判せざるを得ないように、タマがどんだけ悪くても、言うべきことは言わないダメですよね。また、法定刑がそれほど重くなく、逃亡の疑いも乏しいのに、医師の身体を拘束する理由は考えにくく、一罰百戒をねらったとしか思えず、この点でも問題です。
草薙は、自身のブログで、同書の執筆の動機を次のように語っています。
さて、1年前に起こったこの奈良の高校1年生の放火も親殺しでした。少年事件の真相は全く表に出てこないため、間違った情報が広がったりするため、遺族が非常に傷つき、事件の時より、さらに悪い状況に陥りがちです。思春期の子どもを持つ親は、人ごとではなく、「自分の子どもは大丈夫か?」と、不安に駆られる毎日をすごしてしまいます。しかし、真実を明らかにすることにより、情報を共有でき、追い詰められる子どもの気持ちをある程度理解することが出来でしょう。それにより、事件や事故のシグナルを大人が察知でき、防止することができると思っています。
そのような想いで書いた真実の本です。真実を伝えるため、少年の肉声も入れ込みました。新たな普通の子による少年事件を防ぐため、多くの保護者に読んで欲しい一冊です。
要するに、「あんな事件あったけど、うちの子は大丈夫だろうか?」と考えている親御さんの気持ちに応えて書いたということです。こうした興味本位に応えるために、生の情報をむき出しで伝える必要があるのでしょうか(調書の引用なんて方法も安直でどうかと思いますが。)。更生に向かおうとしている親子の絆をずたずたにしてまで、応えなければならないことなのでしょうか。「事件の真相が表に出ないため…遺族が非常に傷つき」と言いますが、本件では父親もまた妻や子を殺された遺族であることに気づかないのでしょうか。調書を丸写ししたのも、結局はセンセーショナリズム優先で、売らんかなとい考えに基づいてのことではないのでしょうか。何が権力監視で、何がジャーナリズムの役割だというのでしょうか。
もちろん、真に「公権力の監視」のためになされたのであれば、許される場合もあるでしょう。しかし、ペンの先を市民に向け、弱い者いじめをしているようでは正当化される余地はないでしょう。個々の少年の更生を害しておいて、少年事件の再発防止を叫ぶなどナンセンスのきわみです。
いい加減に、人間関係とか犯行の手口とかを詳細に垂れ流す犯罪報道はやめるべきでしょう。社会に還元すべき情報なのかどうかをしっかりと検証してから、何を報じるかを選択すべきです。「社会の公器」の看板が泣いています。
まあ、そうは言っても、草薙がジャーナリストを名乗る以上、メディア全体としては、ジャーナリズムへの権力の介入については抗議せざるを得ないでしょうね。ちょうど、西村眞悟が弁護士であったために、非弁報酬の山分けを口実にしてマネロン(組織的犯罪対策処罰法違反)での処罰をしようとしたのを弁護士への介入だと批判せざるを得ないように、タマがどんだけ悪くても、言うべきことは言わないダメですよね。また、法定刑がそれほど重くなく、逃亡の疑いも乏しいのに、医師の身体を拘束する理由は考えにくく、一罰百戒をねらったとしか思えず、この点でも問題です。
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