沖縄祭り Festival Okinawense

2008年12月27日(土) 23時55分
 今年最後の浴衣を着てうるま園へ向かった土曜日。
司会のロベルトさんにお願いされ、今年もまた司会席へ座ることに。
でも今年、私はマイクで話すことはなかった。(ほんの少しだけ…)
そばで進行のお手伝いや、お客さんからのクレーム対処、実行委員会からの連絡事項を伝える仕事に専念。そして、常に何かを食べていた・・・(←またぁぁぁ?)
やさし〜い友人から(半ば強制したものもあったけど)あらゆるものが届けられ、司会席に座っていても“堂々と”大口を開けながらパクパク食べていた。(なんと、お見苦しい)

19時半過ぎに始まったこの祭りは、百周年記念の最後を締めくくるイベント。
市町村の踊りや沖縄の歌、サンシン、エイサー、空手、太鼓など盛りだくさんのプログラムだった。残念ながら今年は花火はなかったが、大盛り上がりの祭りだった。
帰ってきたのは深夜2時過ぎ。
座っていただけなのに、浴衣で長時間はやっぱり肩がこるなぁ。

百周年記念式典 Ceremonia Central

2008年08月31日(日) 15時00分
いよいよメインイベント『記念式典』の日を迎えた。
この数日、気持ちも見た目も“ウチナー魂”ということで、母に頼んで持ってきてもらったオーダーメイドの かりゆしウェアを着ている。(かりゆしの画像はコチラ

15時開始の式典会場はすでに満員御礼。
司会の打ち合わせも十分でないまま、式典は幕を開けた。


風邪もひいているのに…
あ〜せきが止まらないよ〜
うぅぅ、緊張するぅぅぅ

といっても、始まったのはしょうがない。
とにかく何があっても落ち着いて取り乱さないように心掛けた。
式の最中、舞台裏では走り回ったり受賞者の整列に追われたり、急遽変更が入ったりと、バタバタしっぱなしだったが、どうにか終わらせることができた。


式典の後は会場を上階へ移して祝賀パーティー。
そこでも司会を担当・・・のはずが
「司会はいらないんじゃない?いいよ、いいよ。適当に始めて適当に終わるから。食べて、食べて!」
さすが、アルゼンチン!さすが、ウチナー!
ということで、やわらか〜い豚肉レチョンや太巻き、最後には特大ケーキまでいただいた。


やっと終わった〜
ホッとした〜〜〜

終わってみればあっという間。
つい最近まで、連日夜中までかかって準備してきたことが、これでおしまい。
うれしさとほんの少しのさみしさと・・・複雑な心境だった。
でも、みんなの笑顔をみていると、心から満足!“やってよかった!”と思えた。


かりゆしウェア Camisa de Kariyushi

2008年08月31日(日) 10時51分
母親に感謝
アルゼンチンにきて何かと公の場に出ることが多いため、事前に母に“かりゆしウェア”を持ってくるように頼んでおいた。
デザインや色はすべて任せたので、どんなものを選んでくるかドキドキだった。
親子といっても母親と私では趣味もサイズも同じわけではない。
むしろ、好みは合わない方である。
そんな母に持ってきてもらったのがこれらのかりゆしウェア

(@ 29日 ウェルカムパーティに着用)

(A 30日 パレード、移民フォーラムに着用  上:まえ 下:うしろ)

(B 31日 記念式典に着用  重ね着ができるタイプ)

遠くアルゼンチンに住む娘のため、と山内光子さんのお店 “ Fashion Room MADONNA”まで行き、オーダーメイドしたのだ、と言っていた(AとB)。
Aは少々派手?!と思ったが、母が一番力を入れて頼んだものらしいので文句は言わなかった。
「Bのかりゆしに合うと思って…」とさらにサンゴに大好きなバラの形の石がついたネックレスも持ってきていた。
どれも愛情がこもったプレゼントで、うれしかった。
素直に“ありがとう”というのは恥ずかしかったけど、ちゃんと伝えました!

移民百周年パレード Desfile en la Av.de Mayo

2008年08月30日(土) 14時00分
せっかく両親が来ているのに一緒に行動できないなんて…
まだまだ作業が残っていたため、両親は知人にお願いし、私はCOAへ行き「移民フォーラム」の準備をお昼までする。

パレードが始まる2時直前に会場のAv.de Mayoに着くと、すでに大勢の観客で両親の姿は見えない。そうしているうちに開会式があり、いよいよパレード開始。
エイサー、琉球舞踊、空手、太鼓、獅子舞、最後にはアルゼンチンタンゴと3時間たっぷりの見ごたえあるパレードだった。



この日ブエノスアイレスは沖縄の風が心地よく吹いていた。

市内観光と移民百周年ウェルカムパーティー Recorrido y Centenario

2008年08月29日(金) 10時37分
29日はこれまでずっと準備してきた「アルゼンチン沖縄県人移民百周年」のイベント初日。
長かった〜
辛かった〜
眠かった〜
とにかく忙しかった。

ウェルカムパーティーは午後からなので、それまでの時間は琉球大学の教授陣と私の両親と現地のガイドさんと一緒に市内観光。
今日は雲ひとつない青空。
そんな日はレコレータの緑と白い教会が一段と美しい。


お決まりのエビータの墓を見た後に、カミニートへ移動。
カラフルな建物と青空のコンビネーションがまたまた美しい。
一通り歩いた後、メイン通りにあるレストランで昼食。
タンゴショーやガウチョの踊りを見ながらのランチは「アルゼンチンにきたんだ!」と感じさせられる。


市内観光を終え、COAの会館へ到着。
国外からの招待者のみ参加とあって、これでも人数は半分程度。最終日の式典にはこの倍の入場者が見込まれている。
両親は会場へ“放置”し、私は事務所で翌日控えている「移民フォーラム」や「記念式典」の準備作業。


21時頃から各市町村指定の会場で歓迎会が開かれた。
私は母方が中城村出身のため、中城村の夕食会へ招待された。
母は高校時代の同級生と再会し、地元の同僚や友人とのおしゃべりで大盛り上がり。村長も面白い元気のある方で、時間を忘れるほど楽しい夜を過ごすことができた。

沖縄芸能団公演 Festival artistico de Okinawa

2008年08月24日(日) 16時00分
同じ日の午後、在亜沖縄県人連合会【COA】では“沖縄芸能団公演”(芸能祭)が行われた。移民百周年を祝し、沖縄から琉球舞踊の先生方と沖縄尚学高等学校の先生と生徒が駆けつけてくれたのだ。

私は卓球講習会を終え、急いでCOAへ向かった。
今日もロベルトさんと司会を担当。
いつになく気合が入っていた。なぜかというと、私は沖尚の卒業生。
後輩の頑張っている姿をぜひ間近で見て応援したかったのだ。


公演は素晴らしかった。
アルゼンチンで一生懸命稽古されている方には申し訳ないが、やはり本場は違う。
沖縄から来た今回の先生方の踊りは、素人の私が見ても美しくキレがあり、今までここで見てきたものとは明らかに異なる。足の運び方、指先、そして目線。すべてに“重み”と“経験”を感じた。


そして、沖尚生。民族芸能も力強く素晴らしかったが、プログラム最後の演劇には心から感動した。私が高校生の頃はあんなに素直だっただろうか。あんなに熱心でひたむきだっただろうか…
考えさせられた。


(沖縄では好んで食べなかったのに、なぜかここではおいしく懐かしい…)
終了後、婦人部が用意してくれた“スブイ”を食べながら彼らと楽しくおしゃべりをしていた時、「何期生?」と聞き、『24期生です』と答えを聞いた時、へこんだ。聞かなきゃよかったかも。まだまだ若いと思っていたのに・・・
あ〜若者よ。どうせ私の卒業期は一桁ですよ・・・


沖縄映画祭 Festival de Cine Okinawense

2008年08月09日(土) 16時00分

アルゼンチン沖縄県人100周年記念のイベントとして、 『沖縄映画祭』を企画した。
今日は、その上映日。
人が少なかったらどうしよう…
他のイベント(アルゼンチンタンゴ)とも重なっているしなぁ。
不安な1時間前。
あらすじの書かれたチラシを用意し、場内アナウンスのカンペも用意し、あとは会場で来場者を待つ。
15分前…
まだ空席は多い。
それでも始めるしかない。
16時。
上映時間となった。会場は徐々に埋まり始め、150人ほどの来場者となった。
日本語字幕のみとあり、1世のおじぃ、おばぁや日本人が多く見られた。


1本目の「ナビィの恋」では、会場は爆笑の渦
ウチナーグチが多かったせいか、おじぃ、おばぁが懐かしそうに隣の人と語り合う様子も見られた。
2本目の「涙そうそう」。“この映画に泣かされたさ〜”とコメントする人が多かった。

上映中、私は上段にあるブースから会場の様子を見ていたが、この約4時間は沖縄へ空間移動したような、とても懐かしい気持ちになった。おじぃ、おばぁ、その他の観客が一体となって笑ったり、泣いたり、感動を共有できたことは、私にとって何よりも最高の気分だった。
会場にいた一人のおばぁが「あんたが企画したの?すごいさ〜。ありがとうねぇ、ありがとうねぇ」と涙ながらに言ってくれたことは、今でも強く心に残っている。

この企画を支え、運営に協力してくれた皆さん。
本当にありがとうございました

「沖縄文化祭」最終日 La culausura del Festival

2008年07月13日(日) 22時13分
日曜日の今日は朝からずっと外出。
朝早くからバスに乗って「小学生朗読・暗唱大会」の会場へ向かった。
このバスの中で、すごい光景を見てしまった…

私は二人席の窓側に一人座っていた。
すると、途中で30〜40代の男性が乗ってきて私の隣に座った。
他にも空いているのになぁ。別の席へ移ってもらえないかなぁ。と内心思いながらもひたすら外の景色を眺めながら目的地に着くのを待っていた。
隣の男性はかなり眠かったらしく(週末遊びすぎた?)横にも縦にも揺れるバスの中でもお構いなしに眠っている。足は私のテリトリーまで入ってくるし、次第に頭もこちらの方へ傾いてくる。

え〜ん!いやだよ〜〜〜
ちょっとぉぉ!あっち側に倒れてよ〜

と少し体をあちら側に押してみる。
でも全然気づかない。ひたすら爆睡
私は窓側にへばりつき、自分のスペースが狭くなっていくのを感じた。

「迷惑なんだよ〜!起きろよ!気づけよ〜!!」

と思った瞬間、バスが大揺れ。そしてその男は・・・

ドタッ

見事に眠った体勢のまま、通路側へ落ちたのだ。
これには、車内の客全員がびっくり
もちろん私もびっくり(本人も例外ではない)
頭打たなかったかな?怪我しなかったかな?と最初は心配になったが、すぐにこの状況があまりにもおかしくて、笑いをこらえるのに必死だった。(←ひどい?)

それでも、彼はまた私の隣に座りなおし、再び寝始めた・・・コイツ、懲りないな。


そんなこともあったが無事会場入り。
巡回先の学校から受賞者が出たので、気持ちよく会場を去り、約束していた友人宅へ。
そこでは移民百周年に関する“お仕事”をし、かわいいワンちゃんとも念願のご対面を果たし、いざCOAへ。

「沖縄文化祭」最終日の今日は、いくつかのグループの太鼓の演舞と沖縄の歌とサンシン。
会場は熱気にあふれ、ものすごい人がつめかけていた。
2階にある展示場も素敵な折鶴のデコレーションで一層オリエンタルな雰囲気が出ていた。



このような素晴らしい文化祭がアルゼンチンで見られたこと、そして少しでもお手伝いができたことをとても誇りに思った。
関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした!

司会は難しいな〜 La locucion de Uchina Bunkasai

2008年06月29日(日) 23時06分

2008年6月29日(日)
在亜沖縄県人連合会〔COA〕にて『沖縄文化祭』の開会のセレモニーがあった。

6月28日から7月14日まで続くこのイベントは、沖縄の芸能(歌・踊り・サンシン)の公演のほかにも沖縄空手道、移民の歴史、盆栽、生け花、日本舞踊、武術・・・といったあらゆる催しが企画されている。

    
(入り口では移民100周年記念グッズを販売。別会場では展示会)
今日はブエノスアイレス市議会より議員が来場されたり、日本大使館やJICAからの招待客も集まる大切な開会式典。そこで日本語担当の司会をすることになった。
元沖縄県費研修生に頼まれたこともあり、時間の都合もついたのでOKを出した。
『2007沖縄祭り』でもお世話になったロベルトさんと今回も一緒のお仕事。

午後3時半から始まった式典では、緊張のあまり手が震え、口が渇き、声もうまい具合に出なかった。しばしの休憩をはさみ、夕方5時半からは琉球舞踊や歌の祭典
約3時間、何とか司会をこなすことができて、終わったとたんに疲れが出て来た
会場のセニョーラスからは「あなたの声は、はっきりして聞きやすかったよ〜〜すばらしかったよ〜といううれしいコメントももらい、”いい仕事したなぁ”と気分のよい一日だった。

記念誌編集中! Libro del Centenario

2008年06月24日(火) 17時16分
連日、沖縄県人連合会(COA)では会議が行われ、あわただしく作業が進められている。
8月末に行われるアルゼンチン沖縄県人移民100周年記念式典に向け、実行委員は夜遅くまで忙しい。

COAの人手不足は以前から知っていたし、悲しくもあった。
ほとんどの人がそれぞれ自分たちの仕事を持ちながら、COAの運営と作業にあたっている。
だから、いつも会議があるのは平日の夜か週末。
元県費留学生や研修生で手伝っているのはおそらく半分もいないのかもしれない。
みんなが少しでも手伝ってくれれば・・・
沖縄県へ行くことができた恩返しに、ちょっとだけでも参加して何かをやってくれれば、今ここにいる実行委員の負担も軽くなるだろうに・・・
でも、式典まで2ヶ月を切った今、限られた人材でどうにかやりこなすしか道はない。

私も無理しない程度に少しでもお手伝いができればと思い、現在100周年に向けての活動にかかわっている。
昨日は、COAでのミーティング。
参加者に配布予定の記念誌の構成とスペイン語から日本語への翻訳のお手伝いを任された。
同じ沖縄出身のmametaさんも一緒に、式典成功に向け目下作業進行中!!
今週末はプレイベント『沖縄文化祭』が始まる。
その日本語の司会もすることになり、ちょっと緊張気味
成功しますように