ひとりぐらしの重ね煮。 

2010年01月25日(月) 23時43分
重ね煮さいこー。
ということが言いたいのであります。

2009年11月に信濃毎日新聞で、安曇野でも活躍されていらっしゃる「戸練ミナさん」の重ね煮紹介ぺ0時を読んで以来、すでに実践している友人に聞いたりしてはまってから一ヶ月。週一ペースで作り続けてます。

ひとりぐらし必見!おいしいだけじゃない、節約にもなる重ね煮です。

★用意するもの
大き目の鍋と、穴の開いていないふた。
(土鍋やほうろう、ガラス製が良いらしいのですが、とりあえず今は寸胴のパスタ鍋)。
★材料
塩と野菜とキノコと海藻と穀物類など好きなもの。
野菜の切り方は千切りやらいろいろ。玉ねぎは繊維に沿ってまわし切り。

◎作り方◎
鍋の底に塩を振る。
1層目→こんにゃく、シイタケ、シメジなどキノコ類、ひじき、昆布
2層目→なす、トマト、豆類、高野豆腐など
3層目→キャベツ、白菜、長ネギ
4層目→ジャガイモ、サツマイモ、カボチャ
5層目→大根、玉ねぎ、ニンジン、ゴボウ、レンコン
最後にまた塩を振る。

これを、超弱火で20−30分火にかけるだけ。
考え方としては、上へ生えるものは下に置き、根っこを張るものほど上へと覚えておけばいいみたいです。
水は不要です。
野菜のいいにおいがしてきたら完成。
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できあがったら、保存容器に入れて1週間は冷蔵庫でもちます。

材料は、シイタケ、玉ねぎ、ニンジンだけでも可。
あんまりごちゃごちゃ入れなくてもとってもおいしいです。

これまでのオススメは、昆布としめじと、厚揚げと、高野豆腐とジャガイモ、カボチャ、玉ねぎ、ニンジンの重ね煮でした。要は冷蔵庫にあるもの全部を順番に入れてみました。

厚揚げがおいしく、カボチャはほくほく。それらすべてのだしを高野豆腐が吸い取ってさらにおいしさを増していました。

自分はこれを1週間に1回日曜日などに作り、冷蔵庫に小分けに保存したものを食べきるとちょうどまた日曜日がやってきます。

味噌汁にしたり、チーズ焼きにしたり。活用はさまざま。
物足りないひとは、ちょこちょこっと、豚の細切れ肉やベーコンなんかを買ってきて、一緒に炒めたり、ポトフにするなどしても。

カップラーメンを作る3分と同じ時間で、贅沢なみそ汁やスープやカレー、シチュー、野菜炒めなどなんでもできてしまいます。

面倒と思わず、だまされたと思っておためしあれ。

踊れないのに踊りだす。 

2007年02月23日(金) 2時34分
この前から行き始めた整体の先生が「くよくよしている自分は好きじゃないでしょ」と言いました。
「はい。」と私が答えると「じゃあ、くよくよするのをやめなさい」と朗らかに。
「どうやったらやめられるのか、わかりません」
「やめられるのか、ではなく、やめるんです」ときっぱり。

ああ。そうか。
すっと心が軽くなる。
くよくよするのをやめられた。
答えは私の心の中に。

「さあ、踊って見せてよ」と先生が言いました。
私は躊躇せず、先生の家のキッチンでアフリカの太鼓を叩いて、先生の奥さんが叩いてくれたアフリカの太鼓に合わせて、アフリカのダンスを踊りました。
ぜんぜん踊れないのにかかわらず。

たまたまその場にいた次の整体のお客さんも、先生の奥さんも、先生も、みんなが拍手をくれました。

私は、これまで踊れないのに踊ったことは1度としてありませんでした。歌えないのに歌ったことも。
以前、歌えないけれど歌える人になりたいと願ったことがあったのですが、それは本当の願いではありませんでした。
そうなるように夢描いて、ただ努力もせず心も開かずぼんやりと。
何かに甘えていただけでした。

私は踊れないけれど、踊れないからもっともっとがんばろうとはじめて思えました。どうして今まで、そうしなかったんだろう。
踊れないからといって踊らないこれまでの人生は、どんなにさみしかったんだろう。
そう、思いました。

そして、本当にその日から今日まで。一度もくよくよしていません。
くよくよしない人生。なんてすてき。
「これからは、自分のことをすてきと思って生きなさい」と先生が言いました。
「すてきだなんて思えません」
以前の私ならそう言います。そもそも、自分のことをすてきだと思って生きてる人が私は苦手だったのです。
でも、厚顔無恥にならずに、こっそりと、「自分はすてき」と心の中で唱えながら生きていくのはいいかもしれない、と、初めてそう思えました。

これがつい先日、私に起こったいちばんの出来事です。

20日は製本教室に行きました。
今回は和とじ。桜色の和とじの本を作りました。

昨日は写真の先生の家で森山大道についての話を聞きました。
写真集も借りました。
先生は森山大道に「キミは病気だから、はやく写真集出すか写真展をするかしたほうがいい」とアドバイスされたことがあるそうです。
「森山大道に病気だなんていわれて、生きてて良かったですね、先生」と言うと、先生はにっこりと微笑みました。

「桜を追いかけるぞ」と、先生は静岡山梨などへ桜撮影に出かけるそうです。私も仕事を休めたら、みんなと一緒に連れて行ってもらえることになりました。
もうすぐ、写真を撮る者にとってはどきどきわくわくの、桜の季節がやってきます。
私は去年、仕事で理不尽な理由でお客に呼ばれ、むかついて車を走らせて会社に帰る帰り道で、この世のものとは思えないほど見事な、夕日の中に散る桜の大群をカメラにおさめたのでした。
今年もそんな偶然を。
今度はこの手でつかめるように。
待っているのではなくて。
踊れないけど踊りましょう。
桜を探しに出かけましょう。

写真はイタリアンレストラン「梅蔵」に咲いていた桜。

紅梅の。 

2007年01月09日(火) 23時32分
町はいちめん氷で覆われて。
ヤカンの置いたストーブのある、町の古い薬局の。
茶色の革の古いソファはスプリングが壊れていて驚くくらいに深く深く沈みすぎる。けれど逆にそれが心地良くて私はいつも薬を待つ間、少しだけそこで眠る。

漢方の処方が得意な古い薬局。曇り硝子に薬瓶。
車で30分ほど離れた八階建ての巨大総合病院からは、オンラインで処方箋が送られるのに、ここは秤に乳鉢、マムシ酒に高麗人参。

総合病院のエスカレーターのある広い吹き抜けのロビーの真ん中で。「どこにしますか?」と、処方箋の機械係りの人に丁寧に人差し指で示されて、私が選ぶのは近所のこの薬局。

だって薬できるの遅いから、ヤカンの音を聞きながら、この沈むソファで眠れるから。
薬が出来るのを待つ時間。外はいちめんの雪。太陽が真白な雪に反射して、光り、狭い室内に降り注ぐ。

薬ができて目が覚めたら、ソファに居る私の目の高さの硝子ケースの上に、鉢植えの紅梅が咲いていた。
最初からそこにいたのに、私はちっとも気がつかなくて。日だまりにこぼれるように咲く花が、ひとつ。こっちを見ていた。

マイペースで歩くのはやくて、スキーもスイスイ滑っちゃう人を好きになり。ゲレンデの途中で振り返って、こっちを見て私の姿を確認したらまた前を向いて立っていた人。待ってないふりして待っていてくれる姿がなんだかとてもうれしかった。

一緒に歩いてくれる人のがよっぽどいいのにな、とも何度も思ったけど。

その人は、いつも素っ気ないのに、私が泣いたら泣き止むまで待っていて「泣かないで」とは決して言わず「たくさん泣くね」と少し笑った。

だから私も決して「一緒に歩いて」とは頼まないよ。 待っていてくれるのを信じるよ。

雪景色。日だまりに咲く紅梅の。そのやわらかな確かさに。

富士山に背を向けて。 

2007年01月07日(日) 21時47分
日曜の午後に雪は止んだ。
コートにスキー用の手袋、マスクなどなど。完全装備をして、雪かきをしようと家族総出で外へ出たら、傾き始めた太陽に照らされた白い町には、たくさんの家から色とりどりの防寒具を来たくさんの家族が出てきていた。
大きな道には除雪機も登場。ご近所さんと遠目にあいさつしながらもくもくと、にぎやかにそれぞれの家の前を雪かき。

妹は、私のスキーウェアを着込んで恒例のアレをやる。
初雪に倒れる。私はもう倒れない。倒れられない。
子どものころの憧れは、大人になっても憧れになってしまった。
私がふりつもったまっさらな雪に倒れていたのはいつまでだったんだろ。もう倒れる気がしない。雪でウェアが濡れるから?首筋に入ったら寒いから?
あんなにもふかふかのましろなゆきに埋もれてしまったら、もう二度と、起き上がれないような気がするから。
どれだけ臆病になるんだろ。最近なんだか後ろ向きかな。

その後、あまりにも空がきれいなので夕ごはんの買い物がてら、ちょっと市内をドライブ。
久しぶりの晴れ間を利用して、のんびりと雪かきをする人々。町が動き出した雰囲気と、はろばろとした夕焼けにどきどきわくわく。何かが見たくて何かが撮りたくて。でも建物に邪魔をされてなかなか見えない衝動を抱えて車は走る。

その時。
もしかして、と思って、方向転換。車を山へ向かわせた。
あの山は、南の方向、諏訪湖の向こう側にある。
あえて背を向け、北へ北へと車を走らせる。
雪かきがきちんとされる大きな道からさらに山道をのぼり、ふりかえると、
見えた。
初富士山。鴇色にはろばろと照らされて。ほっとした。
1年前のこの時季に、一緒にここで富士山を見た人の横顔を思い出す。あの人の奥さんに早く子どもが生まれて、二人が幸せになりますように、と初めて願った。
後ろ向きに何かに向かってる時だってあるよ。

トニモカクニモ。 

2006年12月18日(月) 0時00分
今日はおやすみ。
先日の庭、「時を待つ庭」というタイトルで提出したところ、通りかかった編集局長が、「俺の家の庭は、‘掃除を待つ庭だなあ’」と言っていて、社内にクスクス笑い。
トニモカクニモ、これにて新年用の仕事と今年の仕事が、昨日で一段落したので。ウレシイ。
家庭の事情などプライベートのごたごたも、ひと段落して、明日からは自分の時間が作れそうです。よかった。

今日はアフリカンダンスの忘年会。

踊り、やっぱり私にはいろいろ足りなくて。音感とかリズム感とか体の柔らかさとか、思い切りとか。心とか。いろいろ。
でも、今月、太鼓の生演奏に合わせてみんなの前で踊る発表会があったのですが、その時はその時は。
フリも忘れず、とにかく必死に、そして楽しく踊れたことに驚いたのでした。

「継続は力なり」と昔の人はよく言ったもので。
先日話した素敵な人が「続けることね。それが大切」と言っていたのを思い出して。
まだ自分が捨てられなくて、人に期待されたほどできなくて、人に褒められたりもしなくて、ましてや常に正しいココロでもなくて。
他人にどうこう思われることを私は気にしがちだけれど。他人がどう思おうが関係ないよとだれかが言っていたけれど。
他人によく思われたらうれしいよ。単純にそれでいいよ。

まだぜんぜんいろいろ足りないところがあって、それが悲しくなるときだってあるけれど。
それでも、少しでも良い方へ行くように。行くように。
続けていけたらいいなあ、と思ったのでした。


西アフリカの太鼓ジャンベを購入して、それが昨日届きました。来年からは太鼓も。
どうなるのかはわかりませんが、とりあえずやりたいことはやって、行きたいところに行く。という今年の目標は達成できたようなきもします。
まだ足りないか。

残りあとわずか。
遣り残したことといえば、友だちが聞きたがっていたCD送ってあげたり、先輩に借りた本を読んだり。女の子を紹介してほしいと言う友だち(37歳)に友だち紹介したりとか、大学時代から捨てられないものばかりあふれる部屋を片付けたり、好きな人へきちんと好きと言うこととか。

写真は今日の様子。
なんでもできるマルチな踊り手さんが、フルートまで吹いてました。フルートが、尺八のように風を取り込み、素敵でした。

待つこと。 

2006年12月13日(水) 23時09分
「時間が庭を美しくするから」とその人は、高原の森の中にあるハーブのお店でその庭の話を語ってくれました。

10年間、ただひたすら待つことで庭を作り上げた人。
まるで物語の中から抜け出たような、ふわふわのウェーブの髪をミルクティー色に染めたその人は、とてもとても素敵な人で。

「時間が作った庭には、命の力強さが宿ります」と、ある病院の中庭をボランティアで、土作りから、種まきから始めた。
むやみに植物は抜かず、植えず。
枯れた花は隣の花の養分となるよう。
自然にできた木陰がやすらぎをもたらすよう。
「時間をかけて、手入れをしながら、庭になるのを待ち続けていました」と。
植物達が、なにものからも束縛されず、咲くときには咲いて、種がこぼれて、枯れて。
その庭のめぐる命の力が、病を抱えた患者さんの勇気になるように。

確かに、この10月に。
私はこの庭で写真を撮りました。
もう秋も終わり。咲き終わりの庭だったのに、1歩入り込むと夢中になって、すべてを撮りたくなるような、そんな庭でした。この話を聞く前のこと。
何より心打たれたのは、歩道に伸びるコスモスの影。

「ご自由に摘んでお持ち帰りください」という立て札があり、患者さんやお見舞いに来た人が誰でも摘んで良いという庭。

その庭は「幸福だぞ、楽しいぞ、美しいぞという場所にしたいんです」とその人は目を輝かせる。
待ち続けた庭が美しければ美しいほど、毎日を病と闘う人々の勇気になるから。

一昨日。その人と話をした日の夜。なんだかどきどきして眠れなかった。
待つことに、そんな意味があるなんて。
そしてそして。
春になったらあの庭は、どんなふうに芽吹くのだろうか。撮りたい撮りたい。その姿。

それから、午前九時の高原の中の陶芸教室。
吐く息は白く、ストーブで暖まる前の教室で、粘土をこねる。
焼かれる前の窯には、まっさらな皿たちが静かに生まれ変わるのを待っています。
その様子は、最後のひと葉まで落ちた木々の立ち並ぶ冬の森が、静かに何かを待っているかのようでした。
雪にましろに埋もれることか。
春に緑に芽吹くことか。

冬の森の荘厳な静けさは、待ち続ける姿だったんだなあ、と思ったのでした。
待ち続けて、庭を作ったその人に、人生でなにをいちばん大切に思いますか、と聞いてみた。これをこの人に聞けることだけで私はうれしくてうれしくてどきどきした。
「今、目の前にあること、目の前にいる人かな」とその人はやわらかに笑う。

この間でもなく、今度、でもなく、今なんだ。
待ち続けているけれど、今がいちばん大切で。
それは尊い祈り似ている。そう思った。

「また連絡するよ」と、好きな人が言ったのに連絡してこなかった夜とか。
「どうして連絡してくれないの」と怒るのでなく。
ベッドの中で、あたたかい布団にくるまりながら、私はにこにこしていよう。また連絡するよ、を信じて幸せな気持ちで待とう。また会えること祈って眠ろう。
それがウソでも、もう会えなくても。

待つことはきっと、今目の前にあるものを、自分を、相手を信じるということなのだと。
そう思った。

桜散る。 

2006年05月10日(水) 20時03分
遅いですが、桜が散る写真を。
この日は、夕日に向かって自動車を走らせていたら、川べりの桜があとからあとから散って、前が見えないくらいでした。感動的。

桜も空も同じ色で、湖だけがはろばろと青く。
やめてくれよ、とあきれるくらいの見事な夕日。
春の夕日と、後から後から舞い落ちる花吹雪に包まれて立ち尽くしたのです。

かなしさとか、さみしさとか、いとしさとか、それはもうどれでもよかった。

夜桜を見に。 

2006年04月25日(火) 23時43分
中学からの近所の友達と自転車で、夜桜を見に行った。
発芽玄米のお酒とワインを持って、お寿司を買い込んでお花見。
好きな人の話とか、思い出とか仕事とか。川辺りの桜は、たぶん今夜が満開だね。
一枚も散らずに明かりに照らされて。
川辺りには誰もいなくて、桜はすべて私たちのもので、今夜が満開だと思うのがここちよかった。
明日からは散ってしまうような気がした。

桜さく。 

2006年04月19日(水) 20時27分
桜を見ました。
やっと桜が咲いたのです。この町にも。

私は桜を待ちわびていて、恐れていて。咲いてほしかったのに、二度と咲いてほしくなくて。

会社のお姉さんが「桜を待っていたけど、私は去年と何にも変わっていないみたいな気がする」と言っていた。
私も、そう思った。

だけどそれらとは何も関係がなく、桜はただきれいで。

大阪。 

2006年04月01日(土) 21時40分
今日は万博記念公園へ。
マダガスカル研究懇談会。
久々に太陽の塔をみた。
桜はまだあまり咲いていませんでした。
これから西宮のともだちの家。楽しみです。
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