武田四天王

January 16 [Thu], 2014, 18:19
戦国時代、随一の騎馬軍団として全国に名を轟かせた甲斐の武田一族。その一族をまとめていた武田信玄の配下には、四天王と呼ばれる名将が存在していました。
まず、信玄の幼少期〜家督相続までを中心に、武田家四天王とよばれていたのが、この人物がいなければ、父・武田信虎の追放はなかったと言われるほどの実力者であった板垣信方に甘利虎泰、飯富虎昌、小山田昌辰の四人。そして、家督を継いだ後の壮年期〜死去までを支えた武田四天王が、身分の低い甲斐衆出身ながら信濃牧之島城城代にまで出世した馬場信房、譜代家家老の次男以下という出自ながら上野国箕輪城代となった内藤昌豊、実兄・飯富虎昌の謀反を信玄に伝えたことで有名になり、後に駿河国江尻城代となった山県昌景、身分的には百姓と変わらない出自でありながら、信玄にその能力を見出されて信濃海津城代にまで地位を上げた高坂昌信の四人である。
まとめると、信玄はこの四人衆に要所となる城代を任せ、その地域の支配を強化していたが、武田勝頼が跡目を継いだ後は重用されなかったとされており、馬場、内藤、山県の三人は、長篠の戦いに死に場所を求めたと言われています。信玄と武田騎馬軍団の誇りを掛け、その滅亡を食い止めようとした四天王の最期が悔やまれる個人的な見解です。
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