dec. 

2008年01月04日(金) 15時19分


この10年、
彼等の中で何が変わり
何が変わらず残ったのだろう。

最近の彼等には飾り気がなくなったと思う。
ヴィジュアル的にも、音楽的にも、だ。

それを良しとする者もいれば嫌だと言う者もいるが、
私からすれば過去の彼等も今の彼等も
それはそれ、これはこれ、なので何とも言えない。

というより、良いか悪いかなんてどうでもいいのだ。
私は彼等が好きなのだから。

他の何にも縛られず
有りのままを晒す彼等が好きだ。

昔は昔で
華やかなヴィジュアルはその世界観を十二分に表現していて個性的で、
音や詩も多彩だし良かった。

今は今で
ヴィジュアル面はシンプルで等身大だ。
外見に頼ることなくその世界観を表現できるほど
彼等の音楽は進化している。

彼等の全てから無駄なものが削がれ、
楽器の音も声も感情そのものを表している。

奏でられるのは音ではなく感情であり、
歌われるのは物語ではなく彼等自身だ。


それでも、昔から彼等の中にあるものは
きっと何一つ変わっていないのだろう。

だから私は彼等の音の中に安らぎを感じるし、
そこから自分の中の真実を垣間見ることもできる。

私が彼等をずっと愛せると思う理由は、
きっとそこにあるのだろう。

私が愛してやまないものは
これからもずっと変わらないはずだから。

姿形、その音や言葉を変えても。
五感を越える何かは、
いつも彼等から溢れているんだ。

モノクロの新緑 

2007年12月23日(日) 11時44分

"DECADE"──
まさかベストアルバムが発売されるなんて
思いもしなかった。

こんな綺麗な音で過去を聴けるとは。

この10年で彼等はここまで大きくなり、
彼等に共鳴するものや
彼等に良い環境を与えるものが増え、
その結果がこのベストアルバムを世に送り出したのだ。


枯れない碧を眺めながら
私の中には深い感謝の意が芽生える。

彼等が花をつけないのは
私にとっての彼等は花ではなく、
花を咲かせる存在だからだ。

モノクロの碧の中で私は願う。
いつかは花になりたい、と。

彼等の音の中でずっと生きていたい。
自分の心がそう囁く。
此処は私の大切な場所──

DOZING GREEN 

2007年10月28日(日) 3時22分
漸く聴けたので
いつも通り初聴時のメモを。



今までに全く聞いたことのない音色、声
本当に何者にも、他人はもちろん、過去の彼等にも全く例えようのない楽曲

言葉にならない心
本来あるべき複雑に絡み合う魂の形
どの感情にも当てはまらない

たった8ヶ月でこんなものを生み出すなんて彼等は人間の究極体だ

壊れていく
変わっていくものを嘆きながらも
引き留めるべく伸ばした手は破壊を助長し、やがて自らがその芯となる

それを自ら望もうが望まなかろうが
迎えるべき結末は決まっていた
それが痛い 苦しい 虚しい
今の彼等は曲中に入りきらず溢れている

多くを詰め込んだはずなのに彼等の色が変わらないのは
その根源が同じ痛みだからだろう

一つの痛みを苦しいと感じるかそこに怒りを覚えるか
それだけで音色も声も変化する

その存在だけは確かに感じるのに掴めはしない
それは空気や水のようで
それでいいのかもしれない
そういうものなのかもしれない



以上。

心は、形とは程遠い場所に存在する。 

2007年08月21日(火) 12時19分



正直なところ、
私は最近Dir en greyから離れている。

サイトも放置しているし、
そもそも彼等の音をあまり聴いていない。

別に彼等を嫌いになった訳ではない。
相変わらず
私にとってDir en greyは特別な存在だ。


近頃の私は、
あまり物の形にこだわらなくなってきた。
ただ、それだけのこと。

Dir en greyとは何か。
5人の人間?それが集まったバンド?
彼等が奏でる音楽?

目に見えるもの、耳に聞こえるもの、
肌に感じるもの…
そのどれにも当てはまるが、そのどれとも違う。

最近そんな風に思えてきて、
私も無理に
彼等について考えたことを言葉にすることはなくなった。

言葉にしないからと言って、
そこに私の心が存在しない、という訳ではなかろう。


それに私の言葉は未熟だ。
心で感じたことや
歌詞の解釈をしても、
それをうまく言葉に表せない。

とにかく私の心は、彼等について考えたことは
そう簡単に言い表せるほど単純なものではないのだ。

…こんな風に言ってみれば、
拙い私の言葉でも、少しは聞こえがいいだろうか。

100に漂う1の感情 

2007年06月07日(木) 5時14分

人間の心には欠けているものがたくさんある。

心は常に一つではないし、
それは常に変化していくものだ。

様々な感情が混ざり合い、
その核として心が存在している。


例えば、私は(私の知る限りでの)京という人間を…
京の心の全てを愛することはできない。

もちろん、好きだと思う心の方が強いから
私は彼が好きだと言える訳だが、
(どことは言わないが)当然嫌いだと思う部分もある。

しかし、それは決して悪いことではないと
私は思っている。

と言うと自分を擁護するようだが、
彼に対するこの複雑な感情は
私が人間として彼を愛する証でもあるのだ。

だから私は私として、
これからも彼を愛し続けるだろう。

そしていつまでも感じていたいと願う。

彼から生まれる全てを、
彼という感情を、この心で。

Blood tastes like vanilla──GRIEF 

2007年04月26日(木) 11時52分



血はバニラの味がする、と京はいう。


京の口から血、と聞くと
どうしてもライヴでの自傷行為
(と呼んで良いものかよくわからないが)が脳裏に浮かぶ。

このとき血を流しているのはもちろん京である。

おそらくこの詩の"Blood"も京のものなのだろう。


しかし、京の血は…というより
人に限らずどんな他の動物の血も、
バニラの味などする訳がない。

血液というのは鉄分を多く含むため、
どちらかというと鉄臭くて苦い。

バニラと言えば甘くて美味しいもの。
大抵の人は頭の中でそう考えるはずだ。

では、京の血はなぜ甘く美味しい、と彼は言うのだろうか。


…と、ここで一つ言葉の綾があった。

"Blood tastes like vanilla"

詩にそれを表したのは確かに京なのだが、
実際にそう言ったのは京ではないからである。


他人の不幸は蜜の味。


こんな巧い事を言ったのが誰だかは知らないが、
この"Blood tastes like vanilla"というのは
正にその事だと私は思う。

京は詩や声、ライヴでの言動などにより
自分を表現しているが、
それが彼にとってとんでもない苦痛であることは
彼の叫びを聞く人間の多くが知っているだろう。
(と、私は思いたい)

Japanese Beauty 

2007年04月23日(月) 21時08分


京がその言葉により表す世界は
本当に様々な色形をしているが、
その中でも一際
彼の"色"として強く感じられるのは、
どこか和の香り漂う言葉遣いだと私は思う。

一番最近その香りを感じたのは、
アルバム"THE MARROW OF A BONE"に収録されている
「艶かしき安息、躊躇いに微笑み」だ。

詩の中で使われる風鈴という言葉だけでなく、
一つ一つの言葉から
どこか日本的な静けさや寂しさが滲み出ている。

もちろん、それらは日本的である前に
京独特の世界なのだが、
それでもやはりこのような言葉遣いが生まれるのは、
京が日本で産まれ育ったからで、
京という人間が
何かと日本的なものを好むからである。

それを象徴するのが、
曲で言うなら「かすみ」や「蝕紅」、
さらに古いものなら「【KR】cube」など。

それ以外にも至るところに、
彼の表す世界には日本的な要素が盛り込まれている。

コーヒーは濃いめのブラックで。 

2007年03月29日(木) 20時53分



それはつまりどういうことかと言うと、
どうせ飲むなら
思い切り濃くて苦い方がいい、ということだ。

京の世界は深い。
どうせ感じるなら
思い切り落ちて深く沈んだ方がいい。


彼が表すものは本当に広く深い。
それは広い空のようで、
深い海のようでもある。

しかもその根源は全て同じところにある。
空と海が同じ青から、
同じ地球から生まれたように、
それは京という人間から、
その心から生まれている。

その全てがあの小さい体から生まれたとは
到底思えない。

一人の人間から生まれたものだということを忘れるほど、
その量は膨大かつ多彩だ。

ここまでくると完全に私の個人的な考えだが、
彼はもちろん人間の体なんて所詮ただの肉の塊。

その大きさや形は全く関係ないと思う。

例えば京の体がもっと大きかったとしても、
そこに京の心があればそれは彼だ。

例えば彼の肉体が滅んだとして、
人間以外のものにその魂が宿ったならそれが彼だ。

つまり何が言いたいのかというと、
彼にはそれほどに強く、
しっかりとした核のある
しかも無形の心があるということだ。

彼はそれほど自分というものをしっかり持っている。
全くの他人である私にも、
その存在のいくらかを感じられるのだから。

GRIEF 

2007年03月16日(金) 15時24分



気付くと笑っている自分がいる。
何度も繰り返す自分がいる。

すっかりこの曲には取り憑かれてしまった。

笑われているのは自分たちの方のはずなのに、
何がおかしくて笑っているのだろう。


時々、こんな曲に出会う。

本当の自分を引き出されるような、
そんな曲たちに。

あまり具体例を出すのもどうかと思うが、
過去の彼等の曲なら
例えばMachiavellism…

これを聴いて笑う自分には本当に驚いた。

この優しさが如何に薄っぺらで、
上辺だけのものなのか。

心の中にある変わらないものが
どれほど冷酷なものかを思い知らされた。


GRIEFの場合、
自分がこの曲から何を感じ
何を笑っているのかがまだわからないでいる。

それが単に理解するための時間が足りないからなのか、
それとも本当におかしくなってしまったのか、
それすら今はわからない。


そんな今の私でも確かに言えるのは、
私が私自身を理解しなければ、
この曲の本当の意味を考えることはできない、ということだ。

自分自身がこの曲から何を感じているのか。
それがわからなければ、先には進めない。

それは、私が自分を理解するということが、
私が私の心を通してこの曲を感じるために
絶対に必要な過程だからだ。


モノクロ分裂。 

2007年03月11日(日) 12時31分



最近本当に更新停滞してます。

Dir en greyから離れ気味な生活をしていることもあるし、
何より思考をまとめて表現する時間がない。


Dir en greyをゆっくり聴く暇も、
実はあまりありません。

彼等の曲は本当にゆっくり聴きたいんです。
ひとりの静かな部屋で、他に何もせずにね。

そもそも人に何かを与える為の曲ではないわけだから、
そこから何かを得るには時間が必要なんです。

特にその先に希望を見つける為には、ね。
プロフィール
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