【エジプト】 米国の代理人。ファラオ墜つ

April 30 [Sat], 2011, 13:51
米国政府と言うよりCIAは、指をくわえてイスラム原理主義にはさせまい年月日エジプトの広場に万人はどう数えたのかエジプトでは月日米国時間、カイロのタハリール広場に大勢の民衆が集まった。その数はさまざまに推測されているが、のツイートでは最大で万人だと計算している。広場全体の衛星写真もリンクされている群衆の数を正確にとらえるのは難しい。複数の発浮ナ数が一致することは大概なく、例えば年のオバマ大統領就任式では、参加者の数は万人、万人、果てには万人と、さまざまな推定がなされた。米国立公園局は、万人という紙の数字を信頼した。とはいえ、科学的な数え方がないわけではない。現在採用されている群衆の数え方を説明しよう。まずは、上空から撮影する。上方から撮影された高画質の画像を使うと、ある場所にいる人の数をかなり正確にかむことができる。オバマ大統領就任式では、軽飛行機から人工衛星まで、あらゆるものを駆使して群衆の撮影が行なわれた。次に、群衆の一部分に着目し、そこの人口密度をとらえる。群衆学の専門家であるイリイ大学の教授によると、人あたり平方フィート約平方メートルの面積があると、人は快適に立っていられる。すし詰め状態ではこ女子校生 画像れが、人あたり平方フィート約平方メートルになる。これは、満員の地下鉄車内の人口密度に相当する。そしてこれを超えると、例えば年のコンサートのように、悲劇が起こることになる。人が死亡最後に、面積を測定する。民間の情報企業、米社によると、タハリール広場の面積はおよそ万平方フィート約万平方メートルだ。平方フィートに人で計算すると、万人程度が押し寄せていることになる。このステップの方法は、カリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム学の教授によって年代に初めて採用された。当時は反戦活動が盛んで、教授は、オフィスの外にいる活動家たちが何人いるか知りたかったのだ。キリトリ日本経済新聞メ[シャルがエジプトで果たした役割抑圧が民衆意識に火編集委員小柳建彦チュニジアからエジプトに飛び火した民衆による体制転覆運動で、簡易ブログツイッターと交流サイトSNSフェイスブックの2大メ[シャルメディアが、市民の情報伝達に重要な役割を果たし注目されている。チュニジアでは革命運動の発端となった昨年月日の露天商による焼身自殺事件の直後から、両サービスを通じて体制転覆を呼びかけ合う世論形成が急速に進行。政権側は、両サービスの利用者のアカウント情報を消去したり居場所を突き止めたりするハッキング活動で対抗を試みた。それでもメ[シャルメディアを通じた情報共有は止まらず、街頭での抗議活動に発展した。不特定多数の水準まで情報発信者が増えてしまうと、実名利用か匿名かは問題でなくなる。国家権力といえども、個々人を取り締まるのが不可狽ノなってしまうからだ。同国ベンアリ前大統領の亡命で体制転覆が実現したのと相前後して、エジプトやヨルダン、アルジェリア、サウジアラビアやイエメンといったアラブの他の独裁国家にもメ[シャルメディアでの反政府世論が盛り上がり、デモが相次ぐようになる。1月日にはエジプト各地で数万人規模の反政府デモが発生。その後もムバラク大統領の退陣を要求するデモは勢いを増し続けた。チュニジアでのメ[シャルメディアの役割を目の当たりにしていたムバラク政権は、デモ発生直後から高速インターネット接続業者や携帯電話のサービスを遮断して何とか二の舞いを避けようとした。だが、時すでに遅し。街頭には夜間外出禁止令を無視してムバラク追放を叫ぶ人々があふれ、デモの参加者が増えるのにネットや携帯はもはや不要になっていた。しかも米グーグルと米ツイッターは1月日、音声でメッセージをツイッター上に流したり、流れたメッセージを音声で聞けるようにしたりする特設電話番号を米国、バチカン市国、バーレーンに開設。エジプトだけでなく、あらゆる国の人が国際電話さえかけられれば、ツイッターを通じて情報を受発信できる環境を整えた。ツイッターやフェイスブックといった国際的な大手メ[シャルメディアのサイト閲覧を遮断している中国やイランといった非民主主義国の市民にも国境を超えた情報のやりとりに道を開いた。なぜメ[シャルメディアは多数の市民が団結し、行動を起こすのに役に立のか。それはメ[シャルメディアの特性そのものが説明してくれる。メ[シャルメディアの最大の特徴は、かては音声による会話や個人対個人の電子メールで時間をかけてやりとりしていた、いわゆる口コミによる情報流布が短時間で実現できることだ。SNSやツイッターの利用者はそれぞれ多数の友達やフォロワーを抱えていることが多い。たとえば、人のフォロワーを持っている1人のツイッター利用者が、ある情報をツイートぶやきしたとする。それを見た友達がそれぞれ自分の人のフォロワーに向けてそのぶやきをコピーして伝えるまりリツイートすると、重複がないと仮定すればそれだけで1万人近くに伝わる。その1万人が人のフォロワーに向けて1回リツイートすると、万人近くに伝わる計算だ。ここまでたったの3段階の伝言。極めて効率的な情報伝達手段といえる。この情報の伝わり方は、ねずみ算式に人から人に伝染するウイルスの動きに似ていることからバイラルウイルスのような効果といわれる現象だ。バイラル効果が特徴のメ[シャルネットワークの普及で、かてはマスコミにしかできなかった不特定多数への情報発信が、情報技術に詳しくない一般個人にもできるようになったといわれる。アラブの市民たちはこのバイラル効果を直感的にフル活用しているといえる。さらに、ある話題に関する共通のキーワードが流布すると、友達やフォロワーがいるいないに関係なく、圧倒的多数の人々に関連情報が共有されるようになる。エジプトの場合、この話題に関するぶやきにEgyptという共通キーワードハッシュタグと呼ぶを含めている。検索ボックスに入力すればリアルタイムで全ツイッター利用者の同キーワード入りぶやきがみられる。メ[シャルメディアのもう一の特徴が、携帯電話機で簡単に情報の受発信ができること。情報の出し手も受け手も場所を選ばないわけだ。ツイッターもフェイスブックも、直接ネットに接続しなくても通常の携帯電話回線とSMS簡易メールと呼ばれる仕組みを使って、文字情報を送受信できる仕組みを用意している。特にツイッターは最初から、欧米の携帯電話機に年代半ば以降標準整備されていたSMS機狽使って情報を送受信することを前提に設計されたサービスだ。ツイッターの特徴である文字以内というメッセージの長さ制限は、SMSの国際標準規格に合わせたものだ。直接インターネットに接続しなくても、特定の電話番号とのSMSメッセージのやりとりを通じてツイッター内の自分のアカウントにぶやきを書き込んだり、自分がフォローしている人のぶやきを閲覧したりすることができる。仮に政府が自国携帯電話会社によるツイッターへの接続を遮断しても、特殊な通信技術を使って情報をツイッターに気づかれずに転送する裏技があることも分かっている。まり携帯電話を通じてあっという間に情報を広げられるのがメ[シャルネットワークの特徴といえる。エジプトのムバラク政権がネット接続遮断だけでなく、国の経済活動をマヒさせるにもかかわらず携帯電話サービスを停止させたのは、この特徴をよく分かっていたからだといえる。ヨルダンのアブドラ国王は、政治経済改革を求めるデモの矛先が王制そのものに向く前に内閣総辞職を命じた。メ[シャルメディアの急激な情報伝ぱ力をよく理解していたからに違いない。というのも美貌と世界的な社会活動で知られる同国王の妻であるラニア王妃は、動画共有サイトのユーチューブ、ツイッター、フェイスブックをそれぞれ草創期から多用して、得意の英語で世界中に顔とメッセージを知らしめてきた人物だ。王妃の公式ブログをみると、1月中旬に寄せられた王制そのものを批判する一般人からのコメントをあえてそのまま侮ヲしている。これも、言論封殺的な行動がメ[シャルメディア上で多数の批判を集める炎上にながりかねないことを知っているからだろう。今後他のどこのアラブ専制国家に、民主革命運動が飛び火するのか。米国産のメ[シャルメディアは遮断できても国内で助ェメ[シャルメディアが発達している中国共産党は、果たして民主化運動を押さえ続けられるのか。エジプトのデモが盛り上がるにれ、中国政府は国内メ[シャルメディア内でエジプトをキーワードとした検索をできなくした。このことが中国国内のメ[シャルメディア利用者の間で話題を呼んだ。エジプトが中国ネット利用者の注目を卵z以上に集めていることに慌てて対応した結果、かえって注目に火を付けた格好だ。ある話題や事実を隠ぺいするとかえって注目を集めてしまうのは、メ[シャルメディアのもう一の特徴だ。世界で最も権威ある国際政治専門誌の米フォーリンアフェアーズは昨年末発売の年月号で、メ[シャルメディアの政治的威力と題した論文を掲載した。チュニジア革命直前の、何ともタイムリーな掲載だった。論文が指摘したのは、メ[シャルメディアは、世論形成や民衆の情報共有を以前よりはるかに容易か迅速にしたが、体制転覆を実現するのに街頭行動のような物理的、アナログ的な行為が不可欠であることに変わりない点だった。まり、政府に対する不満が街頭での物理的な集団行動にまで発展するかどうかは結局、革命の原動力とされる相対的剥奪感、まり不満を人々がどれだけ強く抱いているかに左右されるのである。デモが体制転覆にまで行き着いたチュニジアとエジプトに共通するのは、教育を受けた中間層の若者の失業率の高さと、言論や政治活動の自由を力で押さえ込む専制的な政治体制に、大多数の人々が街頭行動を我慢できないほど強い不満を抱いていた点。そして政権がメ[シャルメディアを通じた言論や阜サを抑え込もうとして、かえって人々の不満を増幅してしまった点だ。他のアラブ諸国や中国にとって、貴重な教訓になるに違いない。キリトリ産経ファラオ墜米国の代理人閉塞感解消できずカイロ大内清エジプトに30年間、君臨したファラオ王の時代が終わろうとしている。親米路線を推し進め外交に手腕を発揮する一方、国民の閉塞感を解消できなかったムバラク大統領82。中東随一の安定感を誇った同氏は、デモ発生後1週間余で退場の決断を余儀なくされた。ムバラク氏は1928年、ナイルデルタ地方の町に生まれ、後に空軍入り。73年の第4次中東戦争では空軍司令官を務めた。その後、当時のサダト大統領に認められ、副大統領に就任。政治的な野心が少ないとみられていたためだともいわれる。エジプトの現代史では、反英闘争と52年の軍事クーデターを主導し、アラブ民族主義を掲げたナセル大統領と、イスラエルと電撃的な和解を果たし親米路線にかじを切ったサダト大統領という2人の英雄が燦然さんぜんと輝きを放っている。それに比べるとムバラク氏がカリスマ性を欠くことは否めない。ただ、81年、サダト大統領がイスラム過激派に暗殺されたのを受けて大統領に就任した当初は、その手堅さから、たび重なる戦争に疲れていた国民の高い評価も得た。イスラム過激派によるテロが頻発した90年代には、徹底的な摘発を進め、治安維持に手腕を発揮。自身も95年、訪問先のエチオピアで過激派の暗殺未遂事件を経験した。この際、防弾車に乗るよう事前に進言するなどムバラク氏を暗殺から守ったことで信頼を獲得したのが、現在の副大統領、オマルスレイマン氏だ。外交面ではサダト時代の親米路線を維持し、イランイラク戦争8088年や湾岸危機戦争9091年などでアラブ諸国のとりまとめ役となった。イスラエルとパレスチナの中東和平交渉にも積極関与。米国にとっては、中東における代理人的存在だった。半面、国内では徐々に信頼を失っていく。81年以来解除されていない非常事態令の下、強権支配を確立。汚職が蔓延し、2000年以降は経済自由化路線を加速させ貧富の格差が拡大。閉塞感を強める国民は古代王朝の絶対権力者になぞらえ、ムバラク氏をファラオと呼ぶようになった。ムバラク氏は1日深夜の演説で、私の評価は歴史の判断に委ねると語った。しかし、デモ隊からはムバラクを処刑せよとの声まで上がる。権威を失った王を待のは、まずは国民による審判だ。
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