ジム・モリソンは
「死ぬなら、荒野がいい、草の上がいい」
と、歌ったけど
僕は、死ぬなら当時のタクトの家がいい。
中目黒にあった、そのアパートは一応2Kだったけど、目茶目茶古い建物だった、まだ綱吉が将軍だったころに建てられたらしい。
いわゆる溜まり場で、年中特に用もない連中がたむろしていた。
最も多い時で5人もの男が住んでいた、それだけじゃない、住んでいたそれぞれが、それぞれの友達やら、よく知らない人までを勝手に連れ込んでいてばかりいた。いつも、にぎやかだったよ。
ときどき、そこはCLUBにもなった。
夜中、ブラックライトをともして、ハードハウスをかける
当然大音量で、そして大勢が踊るのだった。
結構、マジで。
もちろん大家はすっ飛んでくるよ、もちろん血相を変えてだよ。
なんで、僕等は追い出されなかったんだろう?
僕が大家なら、絶対に追い出す、当たり前だよ。
女出入りも多かったし、私的に薬局を営んでいて重宝がられている連中もウロウロしてたけど
なぜか、エロい感じや殺伐とした空気はなく、平和で憩える都会のオアシスだった。
しかも太った男性が
脱毛器を使っている始末
名古屋から帰った僕を迎えたのは、僕の大好きな、いつもの光景だった。
タクトは、冬なのにトランクス一丁でレコードを廻している。
テレビの前では、何人かが、何かの映画を見てる。
二段ベットの上の段で、漫画を読んでる奴がいる。
「おかえり」
誰かが言った。
次の日僕は、ジャンベを持って目黒川に行った。
都内で一番好きなドブ川だ。
叩きはじめると、コンクリートで護岸されているせいで、
凄い音量になることに気づいた。
冬の澄んだ空気のなかで叩くのは、気分がいい。
晴れていたし。
「ごせいが出ますね。」
散歩中のお年寄りが声をかけてくる
「いえいえ」
僕は、何故だか謙遜して答えた。
ジャンベは、小学生と老人に抜群の吸引力を持つ事をこの日僕は知った。この日ほどたくさんのご老人と親交をふかめた日は今までのところない。
僕は最初、三重県の海で教わったパターンをずっと叩いていた
。そのうち、それがいつの間にか変化していく
シンコペーションが入り、跳ねていく。
太鼓のリズムが僕の腕を勝手に操っているみたいだ!
でも、そのリズムは確かに僕の手が叩きだしているのだ!
僕は、20代のはじめ、JAZZ寄りのFUNKみたいなインストを演奏する、鼻持ちならない、お洒落ぶったバンドでギターを弾いていた。
ある時スタジオでルー・ドナルドソンというサックスプレイヤーのアリゲーター・ブーガルーという曲を練習していた時のことだ。
その曲は、元々あまりギターの出番がない曲だったが、僕等のバンドには僕を含めて二人のギタリストがいた。
僕は、最初のうち、16で刻んだり、ベースとユニゾンで弾いたりと色々試行錯誤していたが、どうも余計なことをしている気がした。
そのうちめんどうになり、古いR&Bの曲みたいに、2拍目と4拍目にチャッと一回づつ弾くだけにした。
今回は、流してしまおうと思ったんだ。
でもね、しばらくそうしてたら、なんだか無性に楽しくなりだした。
バンドの音が、僕の身体を動かしている。
確かにギターの弦を弾いてるのは、僕の右手だ、だけど、その右手を動かしてるのは、シンコペーションに合わせ緊張したり
弛んだりしてる、僕の腰だ。
そして、その腰を動かしてるのはビートを生み出し続ける僕の
足だ。
レゲエのりディムを倍でとらずにゆっくり踊る人の裏拍で浮き上がる踵みたいに、僕の踵も、そんな風にリズムを作っている。
リズムに乗るのではない、捉まっては跳ね上げられる
身体の自律的な動き。
リズムの裏を感じろなんて、千回は言われて来たし、自分でも感じてるつもりでいた。
でも、その時知ったんだ、裏を感じるって事は自分の何かを変えるって事だって。
リズムの「前、後ろ」ってやつもその時初めて感じた。
4拍目は、やっぱり後ろがいい!
だって、それをこらえる為に僕の踵と腰は、こう動くんだから!
目黒川の川べりで、僕は、あの時と同じ快感に包まれていた。
身体がまるで、自分のものではない様に感じられる!
でも、これは間違いなく僕の身体で、
そしてこれは、間違いなく僕の太鼓の音だ!
僕は、今だに自分のジャンベを持っていない。
コンガは、買いなおして、今度はちゃんと叩いた。
それでライブにも、一応出た。
でも、しばらく叩いてない、
なぜなら、僕は今、何年かぶりに曲を作りはじめたからだ。
たまに、無性に叩きたくなるよ。
誰か誘ってよ!
それから、僕は文章が書きたい、もっともっと。