意味 

March 01 [Sun], 2009, 22:27
ばかり問うのは馬鹿の証しだろうか。

考えごとがつらくて時々息を止めてみる。布団の中で、テレビを見ながら、ご飯を食べながら。何かが止まる気がして小さい頃からやる癖。

幸せな時間とそうでない時間 

June 28 [Sat], 2008, 20:38
の、自分のテンションの高低差が大きい。

大体、8時くらいから、深夜3時くらいまではほぼ、低い。
お酒でもかっ食らわない限りは、他人とお喋りできな〜い(サザンオールスターズ風)。

ああ。
うまいこと出来たらいいのに。自分の感情を制御出来ればいいのに。

明日は髪を黒くして。本来の自分に戻る準備を始めよう。

大学へ行きたい 

June 22 [Sun], 2008, 19:23
でも、センターは厳しいものがある。
講義だけ受けに行ったりしたいなぁ。忍び込んでも平気なものなのだろうか。

もちはアレだけど。 

June 19 [Thu], 2008, 18:32
羽二重団子を食べたい。



メモ↓
羽二重団子 本店

所在地:
〒116-0014
東京都荒川区東日暮里5−54−3

TEL:
03−3891−2924

FAX:
03−3806−8210

定休日:
毎週火曜日(祭日の場合営業)

営業時間:
9:00〜17:00
本店

H A B U T A E 1 8 1 9 
 羽二重団子 日暮里駅前 

所在地:
〒116-0014
東京都荒川区東日暮里6−60−6

TEL:
03−5850−3451

FAX:
03−5850−3453

定休日:
年中無休(12/30〜1/1を除く)

営業時間:
10:00〜20:00(月〜土)
10:00〜19:00(日・祝)
日暮里駅前店

常設デパート

浅草松屋

デパート銘菓コーナー

日本橋三越、銀座三越、横浜三越、恵比寿三越、千葉三越、
日本橋高島屋、玉川高島屋、横浜高島屋、大宮高島屋、
新宿伊勢丹、府中伊勢丹、クイーンズ伊勢丹品川、
柏そごう、大宮そごう、横浜そごう、
池袋西武、船橋西武、筑波西武、
リヴィン錦糸町、銀座松屋

駅構内売店

JR日暮里駅北口改札前構内、JR西日暮里駅改札前構内
JR上野駅公園口改札前構内、JR神田駅西口改札前構内
JR秋葉原駅中央改札2階、JR目白駅改札前
JR上野駅常磐線乗換通路

自己をめぐる旅 

June 19 [Thu], 2008, 14:55
Wikiから。

>神の無限の愛、人間に対し普遍的に提供される「愛」を表現するため、『新約聖書』の福音書記者たちは、コイネーギリシア語の「agapee」という言葉を選んだ。「選んだ」というのは、ギリシア語には、「愛」を表現する言葉が代表的には三つあり、それは「エロース」、「フィリア」、そして「アガペー」である。

>アガペー (ギリシア語) は、キリスト教における神学概念で、神の人間に対する「愛」を表す。神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。また、それは不変の愛なので、旧約聖書には、神の「不朽の愛」としてでてくる。

>「エロース」は古典ギリシアにおける神聖な神であり、また「性愛」「肉体の愛」を典型的に意味した。エロースは文化人類学的にも良く知られるように、女性の生殖は神秘であり驚異であり、神聖なものであった為、神と見做されたのであり、それ故、生殖の前提となる肉体の交渉での愛を必ず含意した。情欲的な愛、自己中心的な愛を意味し、聖書では用いられていない。

>フィリアは、親子、兄弟、友人間の人間的ではあるが麗しい愛を表すのに用いられている。


哲学用語というより宗教用語ですね。
愛の形は人それぞれだと私も(“も”と言うのはおかしい気もしますが 笑)思います。
何故なら、個人によってその定義はさまざまだからです。
人間の瞳は、ほぼ同じものを見ている(多分)というのに、何故心(脳)の働きがそれぞれに違うのかは不思議です。

私にとっての愛は、無償の愛のみです(フィリアやエロスの関係性の場合においても無償であれば愛に含む)。なぜそういう考え方なのかを、自分で理解出来ていないので、ゆっくり考えていこうと思います。

おおよその見当はついているのですけどね。
原因は、生活環境……というか、母親との関係性にあると思っています。

最後にひとりごと。
もしも、今現在の私が捉えられる愛の範囲が変化して、もっと自分に愛が増えたなら、
その時は、第三の自我が目覚めたということなのでしょう。新しい自分になるのは勇気がいることです。

テスト 

June 18 [Wed], 2008, 17:02
テスト

何も無いのが本当。 

June 17 [Tue], 2008, 16:22
最近よく、
「何を考えてるの?」とか「性格がみえない」だとか、友人・知人に言われたりします。

自分の、頭の中を必死にさらったところで、何も出てきません。
本当の本当に何も考えていないし、思ったままに行動することが多いのです(お陰で後々後悔するのですが)。
だから、どう答えていいのかも分からずにいると、ますます“何かを考えている”と誤解を与えてしまうのです。
困ったものだなぁ、とまた漠然と思っているのですけど。

その“考えているように見える”というのが実に厄介なんです。

それは実際に無いものがあたかも在るかのように思えてくるからです。

本来の私は“何も考えていない”=“無”の状態にあるわけですから、
他人が私に何かを見出そうとしても、私が私に何か見出そうとしても、何も見つかるわけがないのです。

見つかるものがあるとすれば、それは虚無感でしかなく、

それも、私も、ほかの誰かも、酷く落胆する結果しかない。

未知の世界は、希望にあふれているという“期待”は実に素晴らしいと思うけれども、
それに見合う良い結果がついてくるかどうかは、また別の話。

私自身、華々しい結果が得られないことに、落ち込むタイプであるので、
あまり何事も過度な期待はしないことにしています。

失う怖さよりも得る喜びが欲しいのです。(これは前向きな一言)
別の言葉で言えば、何事にも恐怖が勝るのです。(これは後ろ向きな一言)



と、いうことで、私のこの日記に対してあまり期待しないでください、という逃げ道をはじめに作っておきます(笑)。


今日は、自分と他人との境界を曖昧にするために、いろいろ考えていようと思います。
考え事はあまり得意ではないけど、たまにはいいかもしれないし。

P R
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