キュヴィエ

January 07 [Fri], 2011, 2:45
一方でキュヴィエは今日においてすらしばしば白人主義者の間で議論になる、アラブ人の分類に関して彼らを白人に含めている。完全に同格に扱った訳ではなく、不用品回収東京白人は更に欧州系と中東系に分類が可能で、前者は科学文明を創出した偉大な種族としながら後者はそこから退化した、言わば「不出来な弟」と考えていた。しかしそれでもこの時点ではヨーロッパ人の学者達はアラブ人と自らが同じ起源を持つ同胞である事を積極的に肯定する向きがあった。しかし時代を下るにつれてフランスなどが中東地方を植民地化すると、徐々にアラブ人を侮蔑する記述や研究が増えていった。1889年のフランスの新聞「ル・プチ・ジュルナール」に掲載された人種画では、アラブ人があからさまに黒人と同じ風貌で描かれている。

ブルーメンバッハの五大分類や、アンドレ・デュメリルが『動物哲学』で主張した六大分類など、最初期の人種分類はその種類が明確に定義されていなかった。しかし次第にこうした分類についての意見は、パリ大学学長のジョルジュ・キュヴィエが自著『動物界』で提示した「ネグロイド・コーカソイド・モンゴロイド」の三大分類法が主流となり始める。モンゴロイドは領土こそ幾度か広げるものの文明の程度は低冷蔵庫回収く、ネグロイドは野蛮人の集団で、コーカソイドは世界の文明を支えてきた存在とする、白人至上主義を一層に強くしたこの思想はヨーロッパで広く受け入れられた。その背景には、キリスト教の聖書に登場するノアに三人の息子が居たとする記述に合致していたからだとも言われている。


チャールズ・ダーウィンは有名な『種の起源』を発表したのちの1871年に『人間の進化と性淘汰(原題 The Descent Of Man And Selection In Relation To Sex)』を発表する。彼の意見は「進化においては利他的な部族が有利であったが、ときに利己的な部族によって滅ぼされることもあったであろう」というものであったが、人口に膾炙されるうちに「常に強い部族によって弱い部族は置き換えられてきた」と受け取られてしまった。そのため、「イギリスのような文明化された国民によって、野蛮な部族が破壊されるのは避けられない」といった言説に見られるように、帝国主義や人種差別を正当化する主張に援用されることになる。これがダーウィニズムの始まりである。

ダーウィン自身は人種間における生物学的な差異は非常に小さいとし、奴隷制度や奴隷の虐待、被植民者への差別的待遇には反対していた。以下に上に挙げた文献からの引用を記す。

人は他のいかなる動物よりも慎重に研究されてきたが、彼らが一つの種あるいは人種と見なされるべきかどうか、有能な調査者の間にも多様な意見があり、どれもあり得そうである:2(ヴァレイ)、3(ジャッキノー)、4(カント)、5(ブルーメンバハ)、6(ビュフォン)、7(ハンター)、8(アガシー)、11(ピカリング)、15(ボリセントヴィンセント)、16(デ・ムーラン)、22(モートン)、60(クロフォード)そしてバークによれば 63。この洗濯機回収判断の多様性は人種が種として認められるべきではないと言うことを意味しない。しかし、人々は連続的に変わっていき、はっきりとした区別がほとんど不可能なことを表している。−Darwin, C. The Descent of Man,

他の自然選択説の支持者、例えばアルフレッド・ウォレスはより極端な社会主義者、平等主義者であった。社会ダーウィニズムは自然選択説を支持していなかった他の進化論者、例えばハーバート・スペンサーや、ドイツで明確に差別主義的な進化観を発展させたエルンスト・ヘッケルらによって形作られた。
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