南アフリカ写真録 

2015年04月25日(土) 21時31分
南アフリカから帰国したので、取り急ぎ、写真録を。

<南アの風景>


機内から見た南アの大地


広大な山々


都心から離れるとこんな田園風景


ダーバンの砂浜とインド洋


ショッピングモール、よくある海外のモールの雰囲気


<Safariと水族館>

バッファローの群れ


南アの魚たち


南アのペンギン


代表的なお土産: ダチョウの卵


<仕事の合間に食べた昼食>


マトンカレー: まさにアフリカらしい味

チキンカレー: 無骨なチキンで豪快な味


チキンチィカというパキスタン料理: 出向者の方が用意してくれた

ドライカレー: 南アのご飯は長粒種


拠点にしていたStangerという地域の郷土料理のカレー: 激辛


南アで最も有名なファーストフード店 Nando'sにて
タンドリーチキン: 現地のproject managerが連れて行ってくれた


Nando'sのハンバーガー: ポテトのチリソースが激辛


Nando'sのフライドチキン: 味は日本と遜色ない
このチリソースはいろんな料理に付いて来た

<プライベートでの食事>
T Born ステーキ: ステーキは南アの名物


フェットチーネとステーキ: イタリアンレストランも多かった


Oxytail つまり、牛テール: 煮込みとマッシュポテト。現地法人の社長との会食

魚料理: ダーバンは港町なので、魚を食べる機会も多かった
名物のhikeつまり、鱈

<その他>

滞在したホテル: 寝具は快適


ホテルにはプールもあった


W杯で有名になったブブゼラ、ヨハネスブルグの空港にて

南アフリカからわかること 

2015年02月17日(火) 23時23分
 この度、仕事で南アフリカ共和国に長期出張することになった。これまで、南アフリカ関係の業務はほとんどやってこなかったので、このタイミングで、しかも長期であることに驚いた。

 私は大学時代に地域研究を専門にしていたため、海外への抵抗は少ない。さらに、先進国ではなく、発展途上国について学んできたため、南ア訪問は私の関心のあるテーマと関連させることができる良い機会だと思う。

 私は、東南アジアを専門にしてきた。そのため、これまでアフリカについては深く勉強したことはないし、関わりを持つこともなかった。しかし、アフリカを代表する国である南アフリカ共和国に身を置くことで、「他では得られない何か」が得られるはずだと思っている。

 アフリカという地域は、普通に生活していたら、まず足を運ぶことはない場所だと思う。もちろん、仕事で行くためハードな毎日が待っているわけだが、長期滞在の利点を活かし、多くのことを学んで来たいと思う。

 また、渡航の際には、香港に立ち寄る。香港といえば、行政長官選挙をめぐり、学生を中心とした大規模なデモ、つまり、民主化運動の最中にある地域だ。いまの香港を見れるというのは、これまた貴重な機会である。

 総合的に大変な出張のため、周りからは申し訳ないと言われるのだが、自分の興味や関心とリンクさせながら、楽しさと刺激も得られるような時間にしたいと思う。

死ぬまでチャレンジャー -名波ジュビロ発足- 

2014年09月27日(土) 23時03分
 名波浩さんが、ジュビロ磐田の監督に就任した。

 ジュビロをこんな状態にしてしまった歴代のフロントへの怒りはあるが、そんな話は抜きにして、これからのジュビロに期待したいという思いだ。

 私とサッカーとの関係を振り返ってみると、2005年あたりを分水嶺に、大きく変わった。変化を端的に述べると、以前は楽しかったジュビロを中心としたサッカー観戦が、その時期を境に、つまらないものに変わってしまった。

 2005年は、当時は現役だった藤田俊哉さんが、ジュビロから移籍してしまった年だ。そして、俊哉さんの移籍の翌年、名波さんもジュビロを離れた。同じように、服部さん、田中誠さんなども、ジュビロを離れた。これらの方に共通するのが、チームとフロントへの不満があっての移籍という、がっかりする出来事だった。

 私は、ジュビロはジュビロでありさえすればいい、というスタンスではない。自分のなかで、魅力を感じるジュビロ像があり、それが備わっていたからこそ、ジュビロを応援できた。そういうわけで、私は、自然とジュビロから魅力を感じなくなり、サッカーに対する意識も薄れていった。

 だから、W杯で日本が盛り上がっていても、ちょっと冷めた気持ちだった。2010年にジュビロがナビスコ杯で優勝したときも、すごく嬉しいんだけど、ジュビロはもっといいチームであってほしいというのが本音だった。

 月日は流れ、今回、名波さんのジュビロの監督就任のニュースを聞いた。やっと、監督になってくれた。名波監督の作るサッカーが観れる。嬉しい気持ちと、期待感でいっぱいだ。

 オランダへ指導者の修行に旅立った藤田俊哉さんも、喜んでいると思う。俊哉さんも、将来的にはジュビロの監督をやってくれるはずだ。

 しばらく遠のいていたヤマハスタジアムへ、名波ジュビロを観に行きたい。



[現役最後の日、練習を終え、大久保グラウンドを見つめる名波選手]


国立競技場の思い出 

2014年01月12日(日) 23時19分
 2020年の東京五輪に向けて、国立競技場の改修工事が始まる。
 改修のはじまりは、新しい国立競技場のスタートであるとともに、今の国立との別れを意味する。

国立競技場

 サッカー観戦好きの私にとって、憧れの場所であり、いつか国立でサッカーが観たいと思い続けていた場所だった。幼い頃にTV観戦した国立での試合を挙げると、キリがない。川口能活選手がいた清水商が、選手権で優勝した国立。華々しいJリーグの開幕戦、ヴェルディ川崎 VS 横浜マリノス。フランスW杯最終予選の韓国戦で、山口素弘選手が芸術的なループシュートを決めたのも国立だった。昔から、国立はいつかは行ってみたい憧れの競技場だった。

 小学校6年生の時の修学旅行。宿泊先のホテルは、国立のすぐ近くで、部屋から、国立と神宮球場が見えた。「あぁ、ここが東京なんだなぁ」と、夜の真っ暗な国立競技場を眺めたことを、今でも鮮明に覚えている。
 ちなみに、当時は、アメリカW杯最終予選の真っ只中だった。ドーハの悲劇の、ちょうど一週間前のことだった。修学旅行の日 1993年10月21日の夜。日本は、ドーハで北朝鮮と戦っていた。当時の担任のW科先生のスキを突いて、みんなで部屋で試合のTV中継を観た事は、良い思い出だ。その試合、日本はカズ選手の2ゴール、中山隊長の1ゴールで、3-0で勝利している。真っ暗な国立を背景に観た、ドーハでのオフト・ジャパンの死闘。
 この時のこと、みんなは覚えているかな?

 それから月日は流れ、私は大学進学を機に東京に住み始めたため、ついに国立を訪れる機会を得た。
 はじめて、国立を訪れたのは2002年のJリーグ2ndステージ、ジュビロ VS マリノス。以前もこのブログで書いた試合である。名波選手を基点としたパスワークから、中山隊長の豪快なゴールが決まり、3-1でジュビロが勝った。名波選手からはじまった中山隊長のゴールを観て、「これが国立、やっぱり国立はいい」と実感したものだった。

 その後、ジュビロや高校サッカーでの静岡勢の低迷があり、国立を訪れる機会はしばらくなかった。そして、2度目と3度目の国立訪問は、高校サッカー選手権。2008年の選手権で、その年の静岡県代表 藤枝東高校が国立に勝ち上がった。私の中では、国立といえば高校サッカーというイメージが強い。東京在住の私が、静岡県代表校が国立でプレーする姿を見に行くとは、幼い頃はとても想像できないものだった。結局、藤枝東は決勝で負けてしまったが、この年に国立で2試合を観戦できたことを嬉しく思う。なぜなら、いまの国立で選手権が行われるのは、今年が最後。
 振り返ってみると、私にとって2008年の藤枝東が、観戦の最初で最後のチャンスだった。繰り返しになるが、国立で、静岡県代表校がサッカーをする姿を観れたことを、嬉しく思う。

 そして、4度目の訪問。それは最後の訪問であるのだが、2010年11月3日のヤマザキナビスコカップの決勝戦 ジュビロ VS サンフレッチェ。この試合は、本当に気の合う人と観戦に行くことができた。静岡から観戦に行き、試合は延長戦の末、5-3でジュビロの勝利!長年応援しているジュビロの優勝を、はじめて生で体感できた。一番信頼できる人と楽しく観戦し、ジュビロの優勝という最高の瞬間を見届け、至福の時間を過ごすことができた。

 国立競技場。いま振り返ると、現地で観たかったと思える試合は、すべて観戦することができた。特に、ジュビロのナビスコ優勝は、最高の瞬間だった。2度と見ることができないかもしれない瞬間を、目の当たりにできて、私は幸せだと思う。

 国立競技場は、1964年の東京オリンピックの開催のために造られた競技場だ。年配の方にとっては、東京オリンピック開会式での、日本選手団の入場行進が、印象に残るシーンだろう。国立は、文字通り、戦後の日本の復興の象徴だった。

 幼い頃から、数々の感動を与えてくれた国立競技場。その思い出は、ずっと忘れることはない。また、新しい国立競技場も、今までの国立と同じように、私たちにたくさんの感動と喜びを与えてくれるはずだ。

ありがとう、国立競技場!

林修の『現代文の正統』 

2013年04月13日(土) 14時14分
 いま話題の予備校講師 林修先生。私は、林先生の教え子の一人である。1999年度、東進ハイスクール静岡校で、先生の講義を受講していた。『現代文の正統』は、当時の林先生の単科講座名だ。

 大学受験予備校のトップ講師は、曜日代わりで全国の主要校舎を訪れ、授業するというのが、当時のスタイルだった。現代では、いわゆる受験戦争という現象は廃れ、講師の全国行脚のスタイルは衰退気味だが、私が受験生だった頃はそういう時代だった。1999年は、林先生が静岡に出講しはじめた初年度だった。先生はかなり気合が入っていた。教場は、当時の東進静岡校の一番大きい教室で、300人くらいは収容できたと思う。毎週水曜日の夜は、その座席の9割方が埋まる、熱気のある授業だった。

 林先生の授業といえば、真っ先に思い浮かぶのが、”Lined&Checked Sheet”というプリント。現代文の問題文と設問に対しての線の引き方、アプローチの仕方を、先生が手書きで書いたものだ。それが毎回、5枚ほど配られる。そのプリントとテキストを用いて行われる講義は、林先生の真骨頂だった。先生は常々、言っていた。”Lined&Checked Sheet”は、生授業だからこそ出来ること。そう、VODでの受講スタイルが全盛の現代の受験生には、味わえない講義だった。

 林先生の講義は、トップレベル。当時、受験勉強をはじめたばかりで、基礎力もない高3生の私には、ついていけない部分が多かった。しかし、いま思い返すと、あの授業は、まさに「現代文の正統」であった。現代文の読み方と解き方だけではなく、先生の「近代論」や「文学史論」は秀逸だった。その資料は、いまだに手元にある。基礎力が付いた後のタイミングであの授業を受けていたら、私の進学先は変わったかもしれないと、思うことがある。でも、高3時に林先生の授業を受けたから、外語大に進学したのかもしれないとも思う。

「根拠を拾う→選択肢チェック! 根拠を拾う→選択肢チェック!」

 これは、林先生が、授業で繰り返し言われたフレーズだ。いまでもはっきり覚えている。いま流行の作られたフレーズではなく、この言葉こそが、林先生の名言だと私は思う。

 振り返ってみると、私が大学受験をした時から、10年以上が過ぎた。林先生をはじめ、予備校時代にお世話になった先生方を、メディアを通じて拝見することが度々ある。大学時代の先生方とは、また違った印象を受け、微笑ましく拝見している。このブログの右側のFavoritesに、林先生のブログのリンクがある。最近は、TV出演関連の話題が多いが、幅広いテーマの面白い記事が満載だ。

 今後の林先生のご活躍を期待するとともに、先生から刺激を受け、私も努力していきたい。