つめきりについて最後のごあいさつ。 

2005年01月14日(金) 4時02分
2004年度からユニットとして新たに活動を開始しようとしていたつめきりは、維持が不可能になってしまったために活動を完全に終了いたしました。

本日から幕を開ける東京タンバリンさんの公演に出演の足立道彦の名前の後ろには(つめきり)がついていますが、時期が半端な時期となってしまったためにそのままの表記になっております。

つめきりWebについてもサイト管理人との連絡に不備があり、見られない状態になってしまいました。
いきなりそんな状態になってしまって、応援してくださっていた方々に多大なご心配とご迷惑をおかけいたしました。申し訳ありませんでした。

1996年から8年間の短い間ではありましたが、多くの方々に支えられつめきりはとてもとても幸せでした。
本当にありがとうございました。

演劇を続けてゆく者も続けてゆかない者もおりますが、またどこかで皆様にお会いできる日を楽しみにしております。


元つめきり主宰 三谷麻里子


なお、この「一府中市民」もこの先更新予定はありません。
連絡・三谷の生存確認などは右にある掲示板の入口から掲示板に入って行ってください。
よろしくお願いいたします。

演出ノート・終了日。 

2005年01月14日(金) 3時50分
二日間の公演を終えて、打ち上げで最後にはキャストと演助のしょうこと私だけの稽古場面子になり、大國魂神社に入れるところまで入り最終的には公園に行ったりした。
私は満足していた。
悔いることは何もないなあと思っていて、そんな気持ちになったことは初めてだった。

帰り道、足立から「これがつめきりとして最後の公演だと思ったらカーテンコールは何だか泣けました。まりちゃん今まで本当にお疲れ様」というメールが入った。
部屋に帰って、本格的に一人で泣いた。

「くらやみと遠足のおやつ」はつめきりという名前での最後の公演だった。
それでもつめきりの元メンバーは足立しか正式に参加していない。
一人のメンバー(足立ではない劇団員)とユニットとしてやって行こうとした矢先に意向が合わないことが判明して継続が不可能になった。
でもそんなものは個人的な気持ちだ。稽古場にも劇場(まあ、美術館だけれど)にも持ってゆくものではない。
我慢していたとかでもなく、関係ないこととしてただしまっておいたのだ。

それでもやっぱり最後は最後。
ほとほと向いてないと思っていた劇団主宰という立場からようやく解放される。

「つめきりという名前でなくなってしまったら、今ほどの愛情をもって芝居が作れないだろうと思う」と何度も言っていたし、実際にもそうなのだと思う。
それでも、名前を残して何になるというものでもない。
私はみんなの「つめきり」としてやってきたのだ。

私が稽古中思っていたことは「つめきりに最後くらいはいい思いをさせてあげること」だった。
それをちゃんとできたと思いたかった。

これで、悔いなくつめきりを殺すことができると思った。
ちょっと無理な維持をしてきてしまった。
安らかに眠ってね、と思い自分も眠った。

演出ノート・全体のまとめ2 

2005年01月14日(金) 3時42分
「耐える」みたいなことが日本では美とされる部分が少なからずこの「隠し事」を助長してしまうのかもしれない。
コツコツと、ガリガリと、必死に何かをすることがみんな大好きなのだ。安心するから。
ガリガリ稽古をした時に生まれる「これだけやったんだから」という安心感が「果たしてこれは能率のよい稽古だったのか」という部分をさーっと消してしまう。
実際には「これだけやったんだから」はお客さんには関係ない。
そういう「当たり前じゃん」ってことが、とかく見えなくなってしまう現場が多い。
「これってこうかなあ」「どうかしら」と、同じ目標に向かってただ皆の能力を総動員しましょうよというのが健全な稽古場。

全員に向かって、いばらないように「とにかく思ったことは、ここでは言った方がいい。たとえそれがダジャレであってもね」と宣言した。

アイデアというのも、リラックスしていないと「本当に使えるもの」は出てきにくい。
思いついたことはぽいぽい出していった方がいいのだ。

演出ノート・大体のまとめ1 

2005年01月11日(火) 3時22分
時間かけ過ぎて、どれが書いたネタでどれが書いてないネタなのかわかんなくなってきた。かぶっていたらごめんなさい。

バイブルを信じつつ、自分のことも信じつつ稽古ではとかく役者に「どう思っているか」「何を感じているか」「どれが気持ちいいか」ということを質問していた。

それまでの私は、思い入れ演出という手法だったので「正解を示す」ことに近い指示を役者に出していた。
それはいい結果をなかなか生まなかったので、方法を変えたのだ。
とたんに、「お前そんなこと自分で考えろよ」といいたくなる質問は役者から一切出なくなった。

「思い入れ演出」時代のように、役のキャラクターやイメージを先に役者に細かーく話して役者のやる気を萎えさせるようなマネはもう死んでもするもんかと思っていた。

演出家がいばっている稽古場では、役者に隠し事が増える。
隠し事が多い稽古場には、あまり信頼関係というものは育たない。
役者がその役にどういったイメージとプランを持っていて、そこに近づくために何が邪魔で何が足りないのか演出家と役者にとって「同じ重さ」の問題でなければならない。

例えば演技上何かがうまくいかない時、その原因が役者だけにあると考えてしまう人が多い。私が知っているような現場には。
問題にぶつかり、そのことを「いばった」演出家に指摘された場合役者は「はい」と返事をしたり「すみません」と謝る。そしてその問題を自分一人のこととして胸にしまう。
これが「隠し事」である。

この隠し事をかなり多くの人がやってしまっている。度合いに差はあれ。

演出家を「いちばん偉い人」として扱うのはたしかに楽だけど、この「隠し事」は処理できず肥大するととんでもない事態を招いてしまう。

2に続く。

血から来ること。 

2005年01月07日(金) 6時02分
妹も私も彼氏の家に入り浸るため、最近は会う機会が減っている。
母親は「難しい話よくわかんない」的な超ガーリーな人なので、
なんていうかコアな話は全然できない。
弟は基本的には部屋にいて録画とか録音とかに忙しい。

妹が帰宅したのと私が帰宅したのがほぼ同じ時間だったので、珍しく二人で夕飯を食べた。
クリームシチュー。
昨日彼氏が作ってくれたのもクリームシチューだった。
弟は「世の中にこんなに料理があるのにかぶるなんて珍しいよ」と面白そうに言い部屋にこもりに行った。
母親はインターネットで乳がんの精密検査をしてくれるよさそうな病院を検索。
それと同じ部屋で妹と夕食を食べる。

最近あったことなどを妹と話す。妹からは、今まで誰からも言われなかった意見というものが聞ける。同じ血を感じる。同じ血を持ち、ぶっちゃけ私よりもうまいこと人生をやっているように見える妹。
ちょっとほっとする。

妹も寝てしまって一人になったあと、自分が今何におびえているのかなんとなく見える。

私も妹も(おそらくは弟もだろうけれど確信は持てない)、自分に流れている血というものに誇りと恐怖を同時に感じている。
思い込みが激しく、謎のプライドを持つ(保つためのボキャブラリー倉庫がある)父親サイドの血。
7人兄弟で結婚しているのは私たちの父親だけで、いちばん下は自殺してて他2名は癌で死んでしまった。

私は今、自分のおばさんのようになるのがこわいんだと思う。
結婚しないで、従来のめんどうな性格が殺人的に悪化しているおばさんたち。
おじさんが癌でのたれ死んだ時に葬式でおばさんの一人に会い、そのあと自分より純粋なそのめんどうな血をがっつり感じ過ぎて具合が悪くなったほどだ。

私にも妹にも「ああはなりたくない。もっとうまく幸せに暮らしたい」という気持ちがある。
普通に、なんでもなく生きたい。
「変わってる」とか言われるのがもうやなのだ。

自分探しとか 

2005年01月05日(水) 3時21分
恥ずかしい、と思う感覚が普通だと思う。
いい年して。

でもまあ、結局のところ死ぬまでそういったことを人間するのだと思うし要はその言葉から発せられるなんだかぎらぎらと脂ぎった感じに違和感をおぼえるかどうかということなのだろう。

とある年上の人に「その年で集団のリーダーやってたのは大変だと思うし偉いと思う」みたいなことを言われたことがある。
実際は必要に迫られてやっていたことだし、実際にはさして偉くもない。
失敗したから今こうして一人でいるわけだしね。

劇団なんぞを作って、そのことだけでほぼ数年間の人生埋まっていたということは一般的な感覚からすれば無駄遣いに近い。
ただ、そこを無駄遣いだということにするとどうもこの先生きてゆくのに調子が悪い。
それだけのことなんだと思う。

劇団活動をしていた頃に、「極度の自信のなさは人を傷つける」と誰かをしかったことがある。

今の自分にはまだ、最低限の自信がないのだと思う。
劇団主宰であった頃には少なくとも劇団主宰としての自信を保つことに必死になっていて、その部分で大体のエネルギーを使い切ってしまっていた。
それで今、素の自分としての様々な判断に自信が持てないでいる。
ゼロというわけでなく、半端なのだ。

自分探しというと恥ずかしいので自己分析と言ってみるけど、そのことを話せる相手が極端に減ってきているのは年をとったせいなんだと思う。
「まあ、大体こんな感じ」というところにみんなおさまってゆく。
でも、本当にそうなのかしらと思う。
曖昧にしておきたい人というのも世の中にはたくさんいるけど、曖昧にしてしまったらますます色々なことの判断がつかなくなる。「本当はそうしたくなかったのに」ってあとから思うくらいなら曖昧じゃないところまで突き詰めたい。
そうして土台を作っておかないと、自分がやさしくありたい相手にやさしくできないから。

アメ横で買ったまぐろ。 

2005年01月02日(日) 3時45分
激安まぐろなので、まあそれなりでした。

不意に普通の日記になっていますけれど。

年末から年始にかけて心の中がばたばたしていたのですが、部屋の大掃除はしなかったものの心を思い切り大掃除した気分になっています。

芝居をやめたのだと思いたくなかった人が、中身はすっかり「やめた人」みたいになってしまっているのだということに気づいたり色々。
今までのつき合いの中で他人に思われていること色々。
気にし過ぎる自分色々。

一人明け方に初詣に行って、気持ちがだいぶしゃっきりしました。

つらいことがあるとじっと止まって泣き続けてしまうようなことがありましたが、
止まるのがよくないと思って歩いてみたりできるようになった。
それだけでも私にとっては2004年が大きな変化の年だったのです。

私が変わったの?あなたが変わったの?周りが変わったの?それとも全部変わっちゃったの?

っていうようなセリフ、なんだっけって思ったら旗揚げの時に書いてたセリフでした。
えへへ。青いわね。

変化というものが、まだまだ悲しいことのひとつだったりすることがありますが
当然のことだし、時にはものすっごいわくわくを生んだりもするってことも忘れないで生きていこうと思うようになりました。

私は体力の衰えとかには負けたくないな。

新年だ。 

2005年01月01日(土) 3時09分
2005年の私は、演出家だと言える一年を送れるんだろうか。
わかんない。

もちろん、たっぷり時間がある中でちゃんと何したいか決めることができるということには単純に希望とか期待がある。

のっぽさんやってた高見映が、「人間何に向いてるかわかんないから何でもやってみなきゃもったいない」って言ってたことをよく思い出す。
あの人はのっぽさんやってたときにのっぽさんの仕事を失うことになるのがこわくて他の仕事を断っちゃったけど、まあそれとは無関係に「平泳ぎ」の天才だったことが50歳を過ぎて判明した。オリンピック狙えたくらいに。
私は人生のうちで演出しているときがいちばん楽しいけれど、向き不向きという点で言ったら他のこともあるのかもしれないし
しがらみが多い世界でもあるから、なるべく穏やかに過ごしていける方法を自分なりに探そうと思うようになった。

12月は精神的に、ちょっと塞ぎこむことが多くてつらいことが多かったんだけど
よくよく考えてみたら突発的に極度の「劣等感」に襲われるときがあるのだということがわかった。
劇団として活動していた頃の「売れない」みたいなことがいちばん大きく起因するんだけど、そうじゃなくてもたまにものすごい悲しい気持ちと強い怒りが混ざったような気持ちがやってくることがある。

今ジョナサン・キャロルの小説を読んでいるんだけど、チャーミングなヒロインであるインディアが時々何かの最中に途方もなく悲しくなる、と主人公に告白するシーンがあった。
それが何かを説明するセリフが

「何ってことないの。全部なの。年を取ること、無知なこと。タイム誌の表紙を飾れないこと」

なんだけど、あっと声を出しそうになった。
そうねえって思ったのだ。とてもわかるわーって思った。
それは誰にでもあることなのか、と。

演出ノート・空間2 

2004年12月29日(水) 4時01分
私は様々な「出向いて得る」表現の中で、演劇がいちばん受け入れやすい。
美術館に絵を観に行く、ライブを聴きに行く、ということに比べていちばん客席が安全だからだ。受信している自分を、基本的には誰からも見られる危険がない。
そんな私なので、お芝居を観に行ってヘタな客いじりをされると泣きたい気持ちになる。

それで小心者の私は、なかなか上手はけについてのアイデアに自分でオーケーを出せずにいた。決めてしまえばそれは私のプランになる。
でも、思いついたことは何でも言ってみようとする稽古場を目指しながら私が何か言えないなんてよろしくない。作品と全員を信じる。自分も含め。

とか思いながら稽古場で「上手はけ、ぐるっとまわって客席のうしろ通ってもらおうかと思ってる。その方がかっこいいから」と言ってみる。
役者たちは困惑する様子もなく納得していた。

客席は多少の曲線を描くが一方向を向くようにしたい。でも、後ろを見たら役者が歩いているかもしれない。これけっこう面白い(あと安全だ)なあとぼんやりと思った。
世の中的に見たらちっとも新しくないことでも、私にとっては大冒険だ。

美術館に全員で見学に行った時に、「やっぱりなるべくこのままの状態で使いたい」と思った。
そのことを伝え、そういうつもりで稽古を進めた。通し稽古をする時は演出家席の後ろにスペースを確保し、そこを舞台の一部と考えた。私から見えなくなると「はけた」ことになってしまう役者の日常の癖をやめてもらい、後ろももちろん芝居して通ってくださいよ(後ろは見れないけどね)と伝える。

本番の前日ゲネプロをやってみてようやく自分のプランが間違ってなかったと安心できた。

いつもみたいに舞台と客席が一本線で分かれているのではなく、ドーム状に使っている舞台空間が客席を内包しているかたち。
今までやったことがなく私らしくもないことをしているなあと思った。
思って、嬉しくなった。

演出ノート・空間1 

2004年12月27日(月) 1時32分
「空間演出」と聞くとびくっとしてしまうくらい、苦手意識があった。
私は「いつか広い場所でお芝居をやりたい!」と夢見て始めたわけではなく小さなスペースが好きでそこでやってみたくて始めた。
自分は演出家として「空間」というものに対して意識が低いと思うことがそれまで多かった。

そんな私が天井12メートルの美術館のエントランスで公演。
飛び級みたいだ、と思った。

作演の能力なんて、いいスタッフが一人でもついてりゃあごまかせる。
今回は美術・音響・照明・舞台監督は全部なしでやるのだ。
スタッフの力を借りてごまかすことはできない。

何度か美術館に行き、エントランスでぼんやりしてみた。せめてそこに似合うものを自分なりに考えてみたかったのだ。
そしてエントランスを思い浮かべながらホンを書き、稽古に入った。
役者のことを思いながらホンを書くように、場所のことも思いながら書いた。

気になっていたのはいわゆる「出はけ口」のこと。下手には図書室と事務室があるからそれでいいとして、上手はどうしよう。
はじめは何か「かくし」を作って置こうかと思っていた。
でも考えてみると、せっかく劇場じゃない場所でやれるのに劇場の条件に近づけていくのはかっこ悪い。そのことでしばらくもやもやと悩んだ。
劇場ではないその場所に、私が夢想して作った登場人物たちが自然に暮らしているように見えて欲しい。そのためにはいかにもはけ口ですといったものを作るのはナンセンスなんじゃなかろうか。

たいしたキャリアでもないけれど、それでも数年劇場で演劇公演を打ってくると自分の中にある一定の「当たり前」ができる。
でも基本としては芝居なんて「人間だけでできること」を無限に信じることから始まる。

2に続く。

P R
ご紹介
三谷麻里子

府中第6小学校卒業 天神町在住 AB型
児童書は岡田淳が好きです。最近ケストナーの面白さを知りました。
もちろん府中市の図書館で借りて読んでいます。

よろしくお願いします。



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