こんにちは。かっきーです。
この間、福島県の南相馬市にマッサージボランティアで活動して来ました。
その時のボランティア団体JILCAのブログがアップされました。
マッサージ部隊は、福島では、こんな感じで頑張りました(๑→ܫ←๑)
http://ameblo.jp/jilca2011/entry-11080636229.html
私のその時の日記を下記に添付します。
ご興味があれば、是非、一緒に参加しましょう(0^ー^0)/
震災のあの日から八ヶ月。
何か出来ないか、私にもお役立てることがあるはずと、もんもんと過ごしていた、八ヶ月。
この週末、福島県南相馬市へボランティアへ行ってきた。
ボランティアには、いろいろな団体があるようだが、今回、私が参加したのは、JILCA(日本いきいきライフ協力機構)という団体。
がれきの撤去や草刈り、お話し部隊やマッサージ部隊といろいろな活動をする部隊を編成しており、今回は東京から20人くらい、マイクロバスで活動に行った。
もちろん、私が参加したのはマッサージ部隊。
ボランティア参加したいスタッフたちの想いを胸に、代表として参加した。
ここ南相馬市は、福島県の中でも一番死者の多かった地域。700人くらいが亡くなったそうだ。7万人いた人口も、いまや4万人にまで減少している。
津波の被害と20キロ圏内に近いこともあり、さまざまな爪痕が、南相馬市に暮らす人々の心をえぐっている。
愛する人との死に別れ、孫や子供たちを県外へと非難させているための行き別れ、被災した度合いによっての妬みや、やるせない憤り。
生活の不安、生きる苦しみ、老いる苦しみなど、様々な四苦八苦を今、経験している。
それはとてもじゃないけど、想像していた比ではなく、報道で聞いているよりも悲惨。
今だに、かつて畑であった所には、小船やクルーザーがあり。
車も原形をとどめてなく、もはや何か分からない形の大きな鉄の塊や、重い墓石などがごろごろとしている。
20キロ圏内に近いこともあり、ボランティアの援助も足りないとのこと。
事実、車で走ったすぐそこに、テレビで見たことのある「ここより先は道路封鎖」の風景があり、原発がすぐそこにあることを実感した。
津波で流された海辺には、家の基礎部分のコンクリと、草でぼうぼうとなった海までの平原が1キロくらい広がっている。こんな寂しい草原は見たことがない。
海からずっと離れているのに、地平線が見えるんです。なんて言えばいいのだろう。
空気は全然、変わってる気がしないのに、この中には放射能が微量なりとも含まれているのだろう。もはや、東京と同じくらいの濃度らしいのだが、見えない分だけ、風評被害というか不安は拭いきれないのだろう。
マッサージ部隊としては、今回は5名で、仮設住宅や避難所の一角をお借りし、施術を。
おおむね好評で、予約待ちも多かったところや、最初は不安で遠回りに見ていた人もいたが、施術後のおじいちゃんの様子を見て、次々と予約を入れていったりと嬉しい反応もあった。
少ない人数でしかないのかもしれないけど、心のケアが出来たのではと思う。
私たちの団体だけでなく、今までにも、いろいろな団体や個人が来て、マッサージをやっているとのこと。
多くの術者が同じ想いで頑張っているんだなと心強くなる。
それにしても、子供をほとんど見かけない。
若い世帯も、少ないようだ。
これが20キロ圏内に近いということなのかと愕然とする。
孫に会いたいというおばあちゃんの話を聞いて、胸が痛くなる。
施術中の会話は特に気をつけてはいるのだが、やはり中には圏内にある家のことや、亡くなった身内の話をするかたも。
私にはうんうんと聞くことしかできない。
頑張ってとも言えないし、安易に希望が大事だととも、この方たちに言うことは出来ない。
せめて、この悲惨な街に、多くのボランティアが集まり、復興へのお手伝いが進むように、見聞きしたことを、いろいろな場所で話して行くことが大事なんだと感じる。
本当の終息はいつになるのか、もはや子供達が戻ってくることはないかもしれないこの地に暮らす人々が、寂しさを乗り越え、幸あらんことを願わずにはいられない。
これからも、息の長い支援が必要。
私も機会を作り、支援していかねばと。