好きという気持ち

July 11 [Mon], 2016, 18:30
好きという気持ちに自信が持てなくなる瞬間がいつだってやってくる。
何も知らないまま、それだけを見ていたころはいくらでも一番好きなのだと言えた。
でも、いろんな人を見ていたら自分の好きだという気持ちに自信が持てなくなる。
誰かに一番だと言ってもらえなければ、好きであることが揺らいでいく。
あの人たちに比べたらと、なぜか比べてしまうから。

好きであるということを目に見える何かで比べたら、敵わないものばかりだ。
過ぎた時間を比べれば、いくらでも私より前からそれを愛していた人がいる。
手にしたものの多さを比べれば、いくらでも私より多くの物を手に入れた人がいる。
それに費やした時間も、お金も、努力も、情熱も、どんなものにも上がいるのだ。

人はいう。
好きならばどんな犠牲もいとわないと。
好きの形をいつのまにか定義してしまう。
そういう人が目立つから。
私は犠牲を払えなかった。
だから、そんなに好きじゃないんじゃないかと思った。
ただただ、情熱を傾けられる人たちを恨めしく思った。
だって、自分はそうなれないから。

結局のところ、自分の愛する形に自信が持てないのだと思う。
だから他人の真似をしてみるのだけど、それはそれで何かが違うと頭の中で叫んでる。
やっぱり自分の愛する形でやるしか、自分の納得する形でやることはできないのだと思う。
今はまだ自信を持てない。
でも、ゆっくりゆっくりやるしかない。
積み重ねていっていつか誇れる時が来ることを信じるしかないのだ。
私はせっかちですぐに結果が欲しくなる。
だけど、だけど、それしかない。
私は貴方が好きなのだと声をあげて言える日が来ることを信じるしかないのだ。

後ろ向き

April 30 [Sat], 2016, 2:17
言葉というのは怖いもので、後ろ向きなことばかり考えたり、かいたりしてるとだんだん気持ちも落ち込んでいく。
知らず知らずのうちに、泥沼にはまる。
自分なんてと言っていると、落ち込んで落ち込んで抜けられなくなる。
わずかな自信も零れ落ちていく。

今を受け入れて、前に進む。
意識を変えられたなら、行動が変わっていくのだとどこかで聞いた。
少しづつ少しづつ変わっていけばいいのだ。
悩んで悩んで、見えない未来に不安になるより、わかるところから始めていこう。
前向きに前向きに。

諦めの悪さ

December 27 [Sun], 2015, 16:02
絵を描いて仕事がしたいはずなのに、どうしてもそのための一歩が踏み出せなかった。
自分の絵が仕事になるレベルにない。そこまでレベルが上がる気もしない。
つまるところ、自分の将来の可能性が信じられなかった。
もう10年以上描いているんだぞと言いたくなるのは、せめて好きなんだってことを認めてほしいからなのかもしれない。
それを言うたびに、何年も描いてこれかよという気分になるのだけれど。
小学校と中学校は一貫校ではなかったけど、学区が他と混ざらなかったのでずっと同じ人たちの中にいた。
しかも一学年40人ほどだから、何年も一緒に過ごせば知らない人は誰もいなくなる。
絵が上手い子というのもずっと変わらない。
当時は自信たっぷりに描いていたのだけれど、それでもやっぱり敵わないことはわかっていて、うまさで敵わないから速さで勝とうとした覚えがある。
それなのに、それさえも敵わなかった。
学習発表会というやつでうまい子が先生に言われていた言葉がいまだに引っかかっている。
やっぱりはやく描けるねと言われていた。
そこから余計にはやく描くことに執着した。
上手くはなれなかった。
頑張っても頑張っても、絵というものの評価は好みで左右される。
漫画やイラストみたいな絵は、どうにも親の目には評価されるものには映らないらしい。
いつだってそんな絵ばっかり描いて、と言われ続けた。
これが好きなんだ、これが描きたいんだ。
そう思って意固地になって、写実的な絵なんか描きたくないから絶対に描かないとまで思ったものだ。
でも、いつまでたったって評価はひっくり返らない。
描いてていいんだって保証が欲しかった。
そんな時、通っていた絵画教室で漫画が好きなら漫画みたいにコマ割りをした絵を描いてみたらと言われた。
少し、気が楽になった。
描いていいんだって思った。
でも、描けなかった。結局、何かを言われることが怖かったのだ。

欲しいものが手に入らない状況は、疲れていくだけだ。
目標も何もないまま走っていても、どこで休んだらいいのかすらわからないのだから。
目的地がないから、ゴールがどこにあるかなんて見えない。
認めてほしいとか、評価してほしいとか、誰かを基準にしていたら何がしたいのかすら見えなくなった。
思いついてもこれはダメだとか言って、人に見せる予定のない落書きすらしなかった。
好き勝手やっているように見える人たちがうらやましくて、恨めしくて仕方がなかった。
応援してもらえる人がうらやましかった。
支えてもらえる人がうらやましかった。

怖くて怖くて、どこにも出ていけなかった。
どうせ、どうせ、ダメだから。
ダメだってわかってるから。
でも、やめられない。
諦めが悪いのか、現状を客観視できないのか、今までを失ってしまうのか怖いのか。
全部だ。
全部全部だ。

頑張ったつもり

December 18 [Fri], 2015, 17:44
頑張ったんだけどなという思いと、頑張ってないから今こんななんじゃんという思い。
人一倍努力したはずなのにとかそんなうぬぼれはない。
ただただ、それでもこれまでの頑張りを認めてほしいと思うだけなのだけれど、表に出したとたんに批評されるのが恐ろしくてたまらないのだ。
表に出さなければ結果も何も見えないのに、否定されるのが怖いのだ。
上手い下手よりも、必要とされないことが怖いのだ。
いらないと言われることが何より怖いのだ。
そうはいっても、このまま出さないで否定されるのではないか、捨てられるのではないかと頭の中で悶々と考えていても、ただただ恐怖を膨らめるだけなのもわかる。
けれども、どうしても表に出ることが怖いのだ。

絵を描くのが好きだというのに、全然うまくなんかならない。
好きならばもっといろんなことを調べて、知って、取り入れてるはずなのに、私はそんなことしたことない。
学生の頃、なまじ美術系にいたものだから周りのうまさ、情熱にあてられて自分はなんてダメなんだろうって思った。
本当は好きなんかじゃないのかもしれない。間違えたかもしれない。
けれど、それを認めるのも怖かった。
短い人生の中でだってその大半を占めていたものを諦めることが怖かった。
好きじゃなかったと認めることが怖かった。

好きかどうかなんてわからない。
ただ、努力したってどうにもならないと心のどこかで思っていた。
どうにもこうにも勝ち負けにこだわる性格で、小学校でも中学校でも高校でもこんなに描いても狭い学校の中ですら一番にはなれなかったことが、気が付くと心にズンと重しのようにのしかかってきていた。
一番でなければいけなかった。
一番でなければ比較されてしまうから。
同学年の子の絵を見ながら、あの子の方が上手いじゃないと言われるのが嫌だった。
兄弟のへたくそな野球にはうちの子の方が上手いとか言うくせにとずっと思っていた。
比べられることは、決していいことじゃない。
永遠に上は存在し続ける。
たとえ巨匠だって、きっと自分よりすぐれた何かを見つけ出すだろう。
勝ち負けを気にして生きることは、スポーツとかそういうルールに則って行われるものならばいいのだけど、感覚や好みに左右されるものは明確な基準などなくただただ生きづらいだけなのだろう。

こうして文章に起こすと、いろいろなことが見えてくる。
描いてるうちに楽になる気がする。

誰もいない海

July 25 [Sat], 2015, 23:29
誰もいない海へいきたい
ただ波の音だけを聞いていたい

誰もいない海へいきたい
ただ一人 ただ一人であることを感じていたい
誰の声も気にせず
誰の目も気にせず
ただ青い空と青い海だけの世界を感じていたい

誰もいない海へいきたい
ただ波の音だけが聞こえる海へ

愚痴を一つ

July 24 [Fri], 2015, 21:25
愚痴りたくなる日もある
でも、短い言葉だけじゃ伝わらなくて
返ってくるのは正論で
その言葉がぐさりとささる
だって、わかってるんだもの
貴方がいうことなんて、とっくにわかってることだもの
それでも、それでも整理がつかなくて
だから愚痴っているだけなのに
正論でどうにかなるなら、とっくにここから抜け出しているわ

絵を描くことが嫌になったのは

July 17 [Fri], 2015, 14:13
絵を描くことが嫌になったのは本当は大学生の頃ではなくてもっともっと前だったのかもしれないと最近思います。
そのころはそれでも楽しく描ける瞬間があったから描き続けていられた。
けれど今は、惰性でしかないような気がします。
聖闘士星矢にハマってたくさん落書きをしたときは、久しぶりに楽しかった。
それは多分周りが気にならなかったからと、もう一つは周囲に私のイラストを楽しんでくれ人がいたからだと思います。
好きなことを好きなようにやって、それでいて楽しんでくれる人がいて。
それはとても楽しかった。
楽しくない時期はそれが無くなっていたのだと思う。
楽しんでもらえているのか、喜んでもらえているのか、わからなかった。
そのせいか、人が嫌だというものにずいぶん怯えていたし、今も怯えてるような気がする。
否定されてしまうことが怖かった。

変なこだわりがある。
写生大会ならその時間内に終わらせるのが正しいとか、締め切りは何が何でも守るとかいろいろ。
でも美術の世界は、学生だったということもあるけれど、それよりも作品の出来不出来の方が大きい。
締切に間に合わせるために作った作品より、締め切りを破ってブラッシュアップした作品の方が評価がいいのだ。
私にはセンスはなかったし、昔からそのこだわりに裏切られてばかりだったからやる気もさほどないし、その評価を覆す力もなく、努力もできなかった。
ぐだぐだなのが許せないけれど、それを覆すこともできないのだ。
そのせいで今じゃ自分さえぐだぐだで、多分それで結局自分が許せないのだろう。
美術科は向いていなかったのかもしれない。

余裕もなかったんだろう。余裕があれば、自分は自分、他人は他人と思えたのだろうから。
だけど、実力差を感じて焦るしかなかった。あきらめも入っていた。
だって、どこまでいってもうまくなれなかったのだから。
好きだという気持ちさえも、本当かどうかわからなくなっていた。
ここまで情熱を傾けられたか?ここまで悩めたか?
他人と比べてはだんだん落ち込んでいく。
好きだということに偽りはないはずなのに。
私は言葉に影響されやすいなと思う。
就活の時自分と向き合わねばならなかったが、就活支援のサイトや本に書かれていた好きなこと得意なことの見つけ方には、たとえば寝る間も惜しんでやったことだとか、ずっと続けていることだとかそんなことだ。
好きだと思っていたけれど、寝る間を惜しんでやったことなんかなかった。
ずっと続けている…とも言い難かった。だって、あのころは描くのが嫌で嫌で仕方なかったのだから。
今なら思う。好きだという形のない感情を他人の定義で推し測っていたのだと。
本当に好きなら○○できるとかそういうセリフにふりまわされているのだ。
多分今だってまだそうだから、抜け出せないでいる。

好きであること、それを愛するということ。
それを表現する形が、言葉が、行動が違ってもいいということ。
それを許せるのなら、もう一度絵が描ける気がする。

岩田社長ありがとうございました。

July 13 [Mon], 2015, 21:31
7月11日、任天堂の岩田聡社長がお亡くなりになられたそうだ。
ここ最近はげっそり痩せてしまった姿も見せていたけれど、ご自身で茶化されてMiiを今の体型に合わせることにしましたなんて言っていてたものだから、なんの心配もないのだと勝手に思っていた。
ずっとご自身がやられていたニンテンドーダイレクトも、ここ数回は広報の方に託す形になっていた。
それも、50代のおじさんがずっと出ているというのも…なんていっていたっけ?
そろそろ世代交代とかそういうことを考えないといけない時期なんだろうか?とは思っていたけれど、こんなに早く来るものだとは思っていなかった。
何の記事で読んだのかは忘れてしまったのだけれど、かつて社長が中学生か高校生だった時にプログラミングにハマっていくつもプログラムを作っていたころのことを思い出している話があったと思う。
その時、社長が書いたプログラムを遊んでくれる友達がいたんだとか。
だから、彼のためにいろんなプログラムを書いては見せたんだそうだ。
きっと、そのころからサービス精神旺盛な方だったのだと思う。
ニンテンドーダイレクトの姿は社長と知っていたって、なんだかフレンドリーな人のいい方にしか見えなかった。
最後の方だって、ユーザーの前では辛くたっておどけて見せていたのだと思う。
だって、遊びを作る会社の社長だもの。
ユーザーに辛いところなんて見せたくなかったのではないだろうか、なんて思うのである。
それは、社長としてはどうかはわからないけれど、ものを作って楽しませたいっていうプロのクリエーターとしてとても尊敬したい姿だ。

たくさんの思い出をくださった岩田社長、いわっち、本当にありがとうございました。
数年前の山内前社長が無くなられたとき、テレビのインタビューで山内さんの魂を引き継いでいくと言っていたことが忘れられません。
山内さんの、そして岩田さんの魂がこれからも引き継がれていきますように。
引き継がれた魂でもっともっと、楽しませてください。

社長業が落ち着いたらゲーム作りたいって言ってましたよね。
そちらで思う存分ゲーム作ってください。こちらでは遊べないのは残念です。

絵を描くって何だろう。

July 12 [Sun], 2015, 0:34
学生時代絵を描くのが嫌になった…はずだったんだけど、ノートか見返してると落書きなんか書き溜めてたりしてる。
落書きだって絵だ。
描きたくないのなら、これさえも描かないはずじゃないか。
そして、そんなこと考えてたらふと気が付きました。
人に見せる絵が描きたくなかったんだって。
学生の頃、課題で描く絵、立体物、デザイン…みんなやりきったって思ったことない気がする。
どこまでやったら完成なのか?どこまでやれば終わりなのか?そんなことばかり考えてた。
だからきっと授業以外では作りたくなかったのだと思う。
授業時間内に終わったものだけがとりあえず完成なのだ。
そういえば、大学受験のために通っていた画塾でデッサンをやっていた時もいったいどこまで書けばいいのかわからなくて、先生が終わりというまで描いていた。
何もかもやりきった感じのないまま、ずっと描いてたから嫌になったんじゃないかな。
終わりといわれても、私の中では終わりじゃなかったみたい。
それに、人に見せるということを考えると、気に入ってほしい褒めてほしいという気持ちがわいてくる。
でも、周りにはうまい人がたくさんいてどうせ敵わないと心の憶測で思ってたんだろう。
唯一敵うことは、締め切りをきっちり守る、それだけだった。
美術科は完成度を、いいアイデアを求めてついつい締め切りを破るものなのだと思う。
時々、いい評価をもらうこともあったけど、それもこれで?こんなもので?という気持ち、本当はもっとできるんだって本気じゃないんだっていう気持ち、そんなことばかり考えていた。
どうして、時間内にきっちりやっても評価されないのか、確かにいいものだけどなんであんな締切も守れない人たちの方が評価が高いのか…要するに嫉妬してたのだと思う。

今だってそうなんだ。
評価される人を見ては、なんでこんな絵でなんて思っちゃう。
へたくそなのにどうして仕事もらえちゃうんだろう?なんて、失礼なこと考えちゃうぐらい嫉妬してる。
そのうまさも行動力も何もかも私に足りないのだから。
表に出さないけど、心の奥底で、人の見ていないところで、ついつい攻撃的な言葉をはきだしたくなる。
時にそれを評価している人間にさえも、こんなものを評価するからレベルが下がるんだって言いたくなってしまう。
嫉妬してることに気が付いたのは、最近だ。
こういうこと考えちゃうのは、嫉妬してるからだって思ったんだ。
ついつい、一瞬でうまくなれる方法を探しちゃうのも嫉妬してるからなんだ。
そして、そういう自分を受け入れられなくてもがいてもいて。
嫌な人間だと思う。
そう言うの全部覆い隠したくて、いい人でいたくて、自分を作ってる。
人に認めてもらいたいけど、一番自分を認めていないのは自分なんだ。
いいとこも、悪いとこも全部ひっくるめて、認められないんだ。

嫉妬するのは、相手が自分に足りないのものを持っていて、でもそれを認められない、素直じゃないからなんだと思う。
素直に、謙虚に、なれますように。

7月6日に拍手してくださった方、ありがとうございます!謝謝!!
ほぼ更新のないサイトですが、来てくださる方、拍手してくださる方、ありがとうございます!
本当にうれしいです。

仲間という存在

July 01 [Wed], 2015, 1:18
私は、仲間が欲しかったのだと気が付く。
絵を描く仲間が欲しかったのだ。
絵を見せ合ったり、言い合ったりそんな仲間が。

受験のために絵画教室に行ったり、大学で美術を学んだり、漫画研究会に入ったり。
そうしていれば、仲間が作れるはずだったのに、なぜか私はだんだんやる気を失っていっていた。
それはたぶん仲間はずれのように勝手に思っていたからだと思う。
美術を学ぶ人たちの中で、漫画みたいな絵を描きたかった私はここにいていいのか、美術をやってますって言っていいのか、わからなかったのだと思う。
そういう自分を正当化しようと意固地になっていたのかもしれない。
美術を学ぶ子たちの中には同じように漫画やアニメ、ゲームが好きな子はいる。
でも、趣味は趣味だし、美術も好きな子たちばかりだ。
みんな好き好んで美術館に行ったり、美術やデザインの雑誌を読んだりしていた。
私は、美術館に行くのは嫌だったし、美術系の雑誌はゲーム雑誌なんかと比べれば高くてこんなの買ってられるかなんて思っていたものだ。
でも、そんな姿勢でいることはコンプレックスになっていたのだと思う。
たとえ地方の大学の、教育学部の中の美術を学ぶ場所とはいえ、そういう場所にいながら私は美術に真剣じゃない。美術に向き合ってない。
もちろん入学したころはそんなこと考えていなかったのだけれど、だんだん周りを知っていくとそんな気分になってしまった。
美術を学ぶなら何か一つぐらい感動した作品があるはずだ、美術館だって好きなはずだ、好きな作家の一人や二人いるはずだ。
そう思ったら、私には何一つないのだと気が付いてしまった。

絵を描くのが楽しかったあのころは、見せ合う仲間がいてもっともっとうまくなりたいと思っていたのだ。
たとえへたくそでも、受け入れてくれる場所が、そういう居場所が欲しかったんだ。
仕方ないんだ、世間が認める美術作品を好きになれなかったんだから。
美術の世界じゃマイナーだったんだ。
それがわからなかったんだ。
教科書にだって漫画はのってるじゃないかって思って、どうしてダメなんだろうって思うばかりで。
受験の時、見せる作品が必要な場合があるかもしれないと絵を描くことになった。
私が描いた下書きは、漫画みたいにコマを割って漫画みたいな絵を描いていた。
自由に描いていいって言われたときは、それいいねって言われたから。
でも受験用にそれはダメって言われちゃって、わからなくなった。
結局認めてくれない絵なんだって、思ってしまった。
ずっと描きたかったのは、それなのに。

認めてくれる、受け入れてくれる、そう感じられる場所があることはすごく幸せなんだと思う。
そういう場所があるから、頑張れるんだ。
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    ・ゲーム-テイルズ、牧場物語、FE 、ポケモン、マジバケetc…お気に入りは、任天堂のハードで出ているソフトが多め。
    ・マンガ-ホビー系とか、ファンタジー系とか。泥臭いのが好き。
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1996年、ミニ四駆とともに駆け抜けていった彼を好きになってから、ずっと、二次元に入り浸っているのでした。
ゲーム、アニメ、漫画の世界は、私にいろんな事を、教えてくれたと思います。
どんなものにだって、きっと、学び取れる何かが、隠れているんじゃないでしょうか。遊びは学びだと、誰かが言うておりますし。
まだまだ、遊び足りないや。