遠くにいる人に思いを馳せる(だけ) 

2017年04月17日(月) 19時27分
たなくじたなか
 
こんなこと言うし、
くーちゃんからも母のこと見てきたら的なこと言われるし、
他の占いでももっと誰かの気持ちを慮ってもいいんじゃないか的なことがかいてあったり。
何かいろいろに後押しされて週末入院中の母に会ってきました。
結論から言うなら
認知症ではなかった
脳内出血により引き起こされた認知症に似た症状であったようで
私が会ったところではもうせん妄の悪態つく症状も治まりわりとふつうでした。
ただまあ、認知症かもという症状が出て以降
記憶も寸断しているので、銀行キャッシュカードの在処が分からなかったり
何かしらの医療保険にも入っていたと思うけども
そのあたり母に任せていたので父も分からない
も分からない

認知症的症状が出ていたときは
買い物に行っても、手当たり次第に買い物かごに入れる
支払いは終わっているのにまたレジに持っていく
お風呂に入っても追い炊きの方法が分からず何時間も冷たいお風呂に入ってる

そんな調子だったそうで
かつ体も動かなくなり立ち上がれない
でも2階の自室で寝たい。
80歳を超える父が担いで上がり、担いで降ろす...
そんな1週間を過ごした父はおそらく大層ショックを受けたとみえ認知症ではない
と言われてもにわかには信じがたいようです。

このあとどうしちゃおうという絵本に生まれ変わったらなりたいものとしてすえっこがててきますが、そのすえっこの私。
認知症症状手術せん妄と修羅をみてきた父と姉に対し、ほぼ普通になった母を見舞ってなんだ元気じゃんとかえってのんびりすごすすえっこ私。

帰阪して初めてあれ私なにしに行ったんだろ
ご近所さんに菓子折持って父母に何かあれば連絡くださいとご挨拶すべきだったんじゃないの

今家でひとりの父。階段から落ちたって誰も気づかない。
携帯電話を常に持っておくよう言うべきだったんじゃないのと気づく。

そして週明け。
たなくじで引くのはこんな言葉。


母に会いに行く 

2017年04月15日(土) 21時53分
そんなこんなで母を 見舞いに高速バスに乗りやって来ました広島に
学生時代でも新幹線しか利用したことなく、初めてのバス
入院中の病院にも一本でいけるアストラムラインの駅で降車できなかなか快適でした5時間かかりますけども。
アストラムラインてわたしが広島を離れてから出来た、私の中では馴染みのない新しい交通網なのですが、今日利用してみたらトイレとかがめちゃ古い仕様で新しいはずのものがすでに古いという衝撃。
思えば私が新入社員のころ入った社員寮も新しくてウキウキしたものですが、いまは古いと新入社員に敬遠されてるし。

に会ったら泣いてしまうかも…
に激昂されたらどうしよう…
リハビリ病院に移ったら最後、ズルズル入院→肺炎→死亡てよく聞くし…

悪い想像ばかりして、ひとりバスに乗るのも怖れていたけど、母の認知症的な症状も脳内出血の手術によりほぼ改善され、悪態の洪水のせん妄も治まった彼女は元気でした
と今日の姿だけみた私は思った
すべてを被ってきた父はまだ楽観できないみたい。

がでてた

歩くことについて語るとき私が語ること 

2017年04月13日(木) 12時17分
ウォーキングはいつもしているわけではないけども最近再開して今朝も歩いてきた。
始めたのはスモ子妊娠中なので12年前くらい。
助産師の大谷先生に言われ、自転車に乗っていた距離を歩くようになり、やがて産休に入りただ歩くことを目的に歩くようになり。
そのころは言われたからと生真面目に歩いていてよくお腹がカチカチに張ったりしてました。

空いて次に始めたのもmani妊娠中助産院の橋本先生に言われて。先生は
歩くと運動になるし、体が温まるし、赤ちゃんに新鮮な空気を送れる。そして前向きになれる。
そんなことをおっしゃったと思う。
そのときはさいごの前向きになれるだけが
そんなことないでしょと思っていたけど、いま歩いていて一番実感するのは運動になるより体が温まるより前向きになれるという効果。

イヤなこと、気が重いことがあると再開されるウォーキング
リンボウ先生が著書に書かれていたのに倣って20分歩いて20分もどる
日によって10分だったり、15分だったりするけど

は今週リハビリ専門の病院へ移ったとか父と姉から報告を受けてはくーちゃんに聞いたまま話していると
見てみないとわからないね
と言う。
批難されているようにも聞こえて、そのときはカチンときたけど、歩いていると
それもそうだな、母のせん妄も少し落ち着いたようだし、私の動揺も少し落ち着いたし、役にはたたずとも一度お見舞いに行ってもいいかもな
という気持ちにもなる。
先のことを考えるとずしりと重い気持ちになるけど、歩いていると
今日も朝を迎えることができてしあわせ
という気持ちにもなる。

そこが嫌だったんだわ 

2017年04月08日(土) 11時21分
脳内出血がみつかって緊急手術を受けた母は
術後、*せん妄と呼ばれる症状が出て、そばにいる父と姉を苦しめているようです。
 *せん妄 せん妄(譫妄、せんもう、英:delirium)は、意識混濁に加えて奇妙で脅迫的な思考や幻覚や錯覚が見られるような状態。(Wikipediaより)
もとより不平不満があふれ出ていた母から理性の箍が外れ、不平不満が怒りの洪水となって父と姉と看護師さんを襲う...
そんなかんじであるようで、姉からの連絡ではせん妄によるものだからとわかってはいてもツライとのこと。

そんなことを聞きつつも私は遠くにいて、会社に行き、こどもたちと笑って、週末にはフラメンコに行き、普段どおりに過ごさせてもらっています。
が認知症らしいと聞いて動揺おさまらぬ最初の週末もフラメンコのレッスンに行き、動揺ゆえ何をしてもそこに母を思い出さずにいられない状態だったので、フラメンコをしていても思い出した
私がフラメンコを始めたとき、それを言うと母は言ったのだ。
あんまりやらんのんよ
そうだ彼女はいつも私のやりたい気持ちにストップをかけてきたんだった
それを思い出して、笑えてきた
一生懸命勉強しても
女の子は短大でいいんよ
たまねぎむくお手伝いしても
身までむいてくれてありがとさん
嫌なヤツだったわ〜

春休み中に、高校生が雪崩に巻き込まれて亡くなるという大きな事故があって
きっとお母さんたちはなんとしてもその講習会へ参加することを止めればよかった
という思いに駆られているであろうことは想像に難くなく
ストップをかけることの正当性も今は分かるけども。

ネズミにひかれないように 

2017年04月02日(日) 12時26分
22日(水)に母が認知症らしいと聞いてから10日ほど経過。
昨日父と姉とで病院に連れて行ってくれて新展開がありました。

3月4日に姉が実家のお雛さまの片づけを手伝いに行ったときには普通だったという母
その2週間ほどの間に急激に進行したなら認知症以外の要因も考えられるということで脳のMRIをとった結果、脳内出血が発見され緊急手術入院となりました。

まだどれほど回復するのかわかりませんけども。
原因がわかり、ひとつ手をうてたことは本当によかった
母は病院
しばらく母にふりまわされていたであろう父は久しぶりに誰にもふりまわされない家
姉は単身赴任中のダンナさん帰宅中の自宅
私は大阪の家
みんな別々の夜

今日は私家族と伏見稲荷に行ってきました。

ことばの連鎖 

2017年03月29日(水) 20時11分
連続して同じ‘ことば’にやたらと出会うということがあるけども
私でいうと最近だとはじまりは安威川
大阪の茨木市を流れる川らしい安威川
茨木市といえばかつて暮らしていた箕面市からもスモ子が生まれた高槻市からもお隣りという感覚なんだけど、聞いたことない川だった。
お友達が安威川まつりに参加すると言ったときには。
その後すぐ読んだグリコ森永事件がらみの本にのっけから出てきた安威川

その次は加計呂麻島
これも初めて知った地名だったけど、読んだ狂うひとに出てきて、その後たてつづけに新聞なんか何度も目にして、これはこの島へ行く計画進行中

そしてその加計呂麻島へ行く旅計画でみつけた泊まってみたいホテルのオーナーさんブログを読んでいて出てきたのが親子留学したいという話。
なにげにそのトピックを読んでいたら、次の日くらいにお友達から
夏休みに親子留学行こうよ
とお誘いが

こういう連鎖はなんだかおもしろい

  

くーちゃん誕生日 

2017年03月27日(月) 23時02分
くーちゃん誕生日でした
知り合ってからはや四半世紀
俗に今食べているものが10年後のあなたをつくるなんて言いますが
家族で同じものを食べて同じように暮らしているのに
くーちゃんひとりだけインフルエンザになったり、下痢嘔吐になったり。
(学校でも職場でも流行ってない通勤だって徒歩なのに、どこでうつんねん自己発生するんか

どんな育てかたしたらこんな弱い大人になるんやろ
と私はいつも思っているけど
もし仮にくーちゃんのママ
悪い嫁をもらったから息子の体が弱くなった
と考えているならば、確実にくーちゃんのママに軍配が挙る

気づきいろいろ(箇条書き) 

2017年03月26日(日) 10時20分
・母を美化してはいけない(けっこう嫌なやつだった)
・介護はシレっと。感情的にならない
・私の楽しみをセーブしたところで介護者の負担軽減にはならない
・泣いてしまうのはたぶんまだ母のことを大好きだった幼少のころを思い出すからで、それはもう確実に過去
・ブログを書く時間などどこにもないと思っていたけど結構ある
・父は高齢だが義母の介護もしてたからノウハウがある
・結納にジジババ人形があるくらいだから腰が曲がるほど年をとるのは実は願ったり叶ったりのはず
・ボケてゆっくり最期を迎えられるのは見ず知らずの通りすがりの中二病のこどもに刺されて死ぬよりずっとずっとしあわせなはず
母の認知症という負荷がかかったら、子育ての重荷がちょっと軽くなった

川を見ながら考えたこと 

2017年03月26日(日) 10時07分
金曜日、仕事をしていてもじんわり涙がでてくるので
お昼休みはパンを買って、川を見ながらめそめそ泣いてみる
母が認知症ということになり、悲しいわけでもないんだけど、どうも私泣きたいらしいということで。
めそめそ泣いたらだいぶ落ち着いた

思春期のころ、もうどうにも母が嫌で嫌いで、耐えて耐えて、大阪の大学に入ることでやっとこさ母のそばから離れることができて、それでもこのかた年末年始なんかは帰省して、やっぱり3日もいっしょにいると嫌になって、もう来年は来てやるものかと思いながらまた今年もやってきてしまう・・・という繰り返し。
川を見ながら、母との関係は悪いけども、せめてスモ子MANIとは良好な関係を築きたい...と考えていてはたと
だってそう願わないではなかったのではないか
とやっとこ気づく。
と良好な関係を築きたいと願わない母はきっといないでしょう。
だけど願えどもそうはならないのが子育てなのかな
そうなればもう
スモ子MANIとよい関係を築きたい
などと願わず、
自分は自分で幸せにすごし、スモ子MANIがそれぞれに幸せであるならそれでよし
とするよりないよね。
私もまた、
私がしあわせなら母もそれでいいだろう
とひらきなおることにしよう

初期の認知症の母との会話 

2017年03月25日(土) 9時41分
姉から母が認知症らしいと知らされた日
実家からTELがあり母とも話しました。

(母)クナケロさんすみません...
 なんとかついていっています。
 今日のごはんはおじいさんが担当してくれました。
 洗い物もおじいさんがしてくれて、朝から遊ばせてもらっています。
 ...自分の体なのに自由になりません...


こころなしか作文を読むような抑揚のない話口。
家族のことはまだ認識しています。
姉によると会話がなりたつときもあれば、のときもあり。
Hちゃん(孫)はどこ行ったん
と5分おきに聞いてくるというような症状だそうです。
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 5月26日生まれ
 O型
 家族:くーちゃん スモ子 mani

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